第74話 風喰らいの工房
昇降機が地下へ降りるほど、風の音は強くなっていった。
ごううう。
空気が狭い穴の中を無理やり通り抜けるような音。
けれど、風そのものは感じない。
音だけがある。
奪われた風が石壁の向こうで渦を巻き、外へ出る場所を探しているようだった。
ナノは胸元の護符を握る。
石紋が熱い。
都市で無数の宝石に囲まれた時とは違う。
今は1つの巨大な力が、地下の奥から押し寄せてくる。
「気分は」
ロガが小声で尋ねる。
「少し苦しい。周りの石が全部、同じ場所へ引かれてる感じがする」
「石眼は使うなよ」
「うん。必要になるまで使わない」
グレンは昇降機の端から下を見ていた。
暗闇の中に、緑色の光が現れる。
最初は細い線。
降りるほど数が増え、やがて巨大な術式管であることが分かった。
透明な管の中を、淡緑色の魔力が流れている。
風石から奪われた力。
浮石鹿や風牙鳥から奪われた風。
それが壁面の管を通り、地下深くへ運ばれていた。
「こんな量を……」
エリナの声が掠れる。
「一体、いつから集めていたの」
セイルが管へ目を向ける。
「先生が異変を調べ始めたのは半年前だ。でも、工房自体はもっと前からある」
昇降機が止まった。
金属が擦れる音。
目の前には長い通路が伸びていた。
壁は自然の岩ではない。
黒灰色の石材で滑らかに覆われ、等間隔に緑色の灯りが埋め込まれている。床の中央には銀色の線が走り、奥の巨大施設へ繋がっていた。
人の手で作られた場所。
しかも、かなりの技術と資金が使われている。
「廃鉱の奥に隠せる規模じゃない」
グレンが壁へ触れずに観察する。
「長期間、物資が運び込まれている。宝石商ギルドだけで作れるものでもない」
「神託塔の支援」
ナノが言う。
中央神官院研究官ヴァルガス。
技術提供者。
その名が頭へ浮かぶ。
「進むぞ」
グレンを先頭に通路へ入る。
人の気配はない。
足音だけが滑らかな壁へ反響する。
右側には閉ざされた扉がいくつも並んでいた。
最初の扉には、風石の記号。
次には風魔石。
さらに奥には、生体試料と古い人族文字で刻まれている。
セイルの顔が険しくなる。
「開けるか」
グレンが聞く。
「証拠になる。でも、先にレオン先生を探したい」
声には焦りがあった。
ナノも同じ気持ちだった。
けれど、通り過ぎた扉の向こうから、小さな音が聞こえた。
こつ。
こつ。
何かが容器を叩く音。
次に、弱い鳴き声。
「……生き物がいる」
ナノは足を止めた。
「ナノ」
ロガが警戒する。
「分かってる。勝手には開けない」
グレンは扉の術式を確認する。
「罠の反応は薄い。エリナ、開けられるか」
扉には宝石商ギルドの鑑定鍵と似た穴があった。
エリナはレオンの私室を開けた鍵を差し込む。
形は合う。
しかし回らない。
「権限が違う」
セイルが胸元の鑑定石を重ねる。
「鍵の術式を読んでみる」
青い光が扉を走る。
「人族の神託登録情報で開く仕組みだ。鑑定鍵だけでは足りない」
「神託登録……」
ナノは扉を見る。
自分の神託情報。
レベル1。
全能力F。
固有スキル【石】。
無能と判定された記録。
この工房が神託塔の技術を使っているなら、自分の情報へ反応するかもしれない。
「俺が触れたら開くかもしれません」
「危険だ」
ロガが即座に言う。
「でも中に生き物がいる」
「だからって、何が起きるか分からない装置へ触るな」
ロガの声が強くなる。
ナノも感情が前へ出かけた。
「じゃあ、このまま置いていくの?」
「そうは言ってない! 別の方法を探せって言ってる!」
2人の声が通路へ響く。
グレンが低く言った。
「感情で互いの言葉を曲げるな」
ナノとロガが黙る。
「ナノは助けたい。ロガはナノを危険へ触れさせたくない。どちらも間違ってはいない。方法を考えろ」
ナノは扉を見る。
自分の手で直接触れる必要はない。
神託情報だけを伝えればいい。
「黒脈石の護符に、俺の石紋の力が残っています」
「護符を使うのか」
「はい。扉に近づけて反応だけ見ます。俺は離れます」
ロガはまだ不安そうだった。
「何か起きたらすぐ離す」
「うん。ロガが持って」
「俺が?」
「俺が持つと、反応した時に引かれるかもしれない。ロガなら手放せる」
ロガは護符を受け取った。
自分以外へ渡すのは、少し不安だった。
父と母を思い出すために作った石。
けれど、ロガなら大丈夫だと思えた。
「落とすなよ」
「落とさねぇよ」
「傷つけないで」
「お前、俺をどれだけ雑だと思ってるんだ」
「槌で何でも叩くから」
「これは叩かねぇ!」
ロガは慎重に護符を扉へ近づけた。
銀色の筋が淡く光る。
扉の神託文字が動き始めた。
――登録情報確認。
――人族。
――固有特性、未登録。
――適合対象。
――優先権限、特級。
全員の顔が強張る。
「特級?」
エリナが呟く。
扉が開いた。
空気が流れ出す。
薬品。
血。
湿った毛。
そして、魔石が焼ける嫌な匂い。
部屋の中には透明な容器が並んでいた。
中に閉じ込められているのは、風属性の魔物たちだった。
風牙鳥。
小型浮石獣。
まだ角の短い浮石鹿。
どれも体へ細い管を繋がれ、胸部の魔石から淡緑色の光を吸い取られている。
容器の中で、動物たちは弱く体を動かしていた。
外で見つけた浮石鹿と同じだ。
まだ生きている。
「こんな……」
エリナが口元を押さえる。
セイルは怒りで拳を震わせていた。
「先生は、これを見つけたんだ」
ナノは容器へ近づこうとした。
ロガが腕を掴む。
今度は強く止めるのではなく、確認するような力だった。
「助けるんだろ」
「うん」
「でも一気に全部開けるな。術式が繋がってるかもしれない」
「分かってる」
2人は目を合わせる。
先ほどの衝突は消えていない。
だが、相手が何を心配していたかは理解している。
ナノは石眼を短く開いた。
――生体魔力抽出装置。
――対象数、12。
――中央制御接続。
――個別解除不可。
――制御室、工房深部。
「ここでは外せません」
ナノは悔しさを噛みしめる。
「中央制御を止めないと、容器を開けても管が魔石を引きちぎります」
グレンが奥を見る。
「なら制御室へ行く」
「でも、戻るまで持つか」
セイルが容器を見る。
最も弱っている風牙鳥は、呼吸がほとんど見えない。
ナノは胸が締めつけられた。
全部助けたい。
今すぐ壊して開けたい。
しかし、それでは殺してしまう。
「待ってて」
ナノは容器の前へ手を置いた。
「必ず止める。だから、もう少しだけ生きて」
風牙鳥の瞼が僅かに動いた。
5人は部屋を出る。
扉を閉じる直前、ロガが護符をナノへ返した。
「絶対に戻るぞ」
「うん」
「今度は『必ず』って言っていい」
ナノは護符を握った。
「必ず戻る」
工房の深部から、巨大な機械音が響いた。
奪われた風を集める中心が、すぐ近くで動いていた。
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