第75話 風の器を守る男
工房の中心へ近づくにつれ、通路の灯りは緑から青白い色へ変わっていった。
壁の術式管を流れる風の力も濃くなっている。
透明な管の中で淡緑色の光が押し合い、時折、苦しげに渦を巻いていた。
その光を見るたび、ナノの掌が熱を持つ。
吸収したいという欲ではない。
数え切れない魔石と命の気配が、助けを求めているように感じられた。
「気を取られるな」
グレンの声。
「はい。でも……この管の中に、さっきの魔物たちの力も流れています」
「だから中心を止める」
言葉は短い。
けれど、グレンの歩みも以前より速くなっていた。
彼も怒っている。
表情には出さないが、戦槌を握る指へ力が入っている。
通路の先に、大きな円形扉が現れた。
表面には8種族の紋様。
人族。
ドワーフ。
エルフ。
獣族。
悪魔。
妖怪。
竜人。
ホムンクルス。
すべての紋様が中央の黒い穴へ繋がっている。
レオンの手帳に描かれていた、人造第9種族石の図と同じだった。
「ここが制御室か」
セイルが扉へ近づく。
中央には神託塔の紋章。
その下に、鑑定士用の鍵穴がある。
エリナが鍵を差し込む。
回らない。
セイルが鑑定石を重ねる。
扉の表面に文字が浮かんだ。
――複合権限を要求。
――神託適合体。
――上級鑑定士。
――研究管理者。
「3つの権限が必要」
エリナが文字を読む。
「神託適合体はナノ。上級鑑定士は……」
「俺たちでは足りない」
セイルの顔が険しくなる。
「俺もエリナも見習いと中級だ」
「研究管理者もいない」
ロガが扉を睨む。
「壊すか?」
「扉の向こうの装置へ衝撃が伝わる」
グレンが答える。
「中にある風力が暴発すれば、工房ごと崩れる可能性がある」
時間だけが過ぎていく。
生体試料室の魔物たちは、今も力を吸われ続けている。
ナノは扉へ触れず、石眼を開いた。
視界へ複雑な情報が流れ込む。
――中央制御扉。
――3権限連結。
――神託適合体、未認証。
――上級鑑定士権限、扉内側に存在。
――研究管理者権限、扉内側に存在。
「中にいます」
ナノは息を呑んだ。
「上級鑑定士と研究管理者の権限を持つ人が、扉の向こうにいる」
セイルの顔が変わる。
「先生……?」
扉の向こうから、足音がした。
ゆっくり。
引きずるような音。
そして、男の声。
「神託適合体を確認した」
全員が武器を構えた。
声は扉越しでも聞き取れる。
掠れている。
疲れ切っている。
だが、確かに人の言葉だった。
「固有特性【石】。対象番号……零」
ナノの背筋が凍る。
「対象番号?」
扉の向こうの男は、ナノを知っている。
名前ではなく、番号で。
グレンが前へ出る。
「扉を開けろ」
「拒否する」
「中に捕らえられた魔物を解放しろ」
「拒否する」
感情のない返答。
セイルは扉へ駆け寄った。
「レオン先生なのか!」
沈黙。
その後、声が僅かに揺れた。
「……セイル」
セイルの表情が崩れる。
「先生……! 生きてたんだな!」
扉へ両手をつく。
「開けてくれ! 俺だ! エリナもいる!」
「帰れ」
「何を言ってるんだ! 半年も探した! 人造魔石の証拠も、先生の手帳も見つけた! もう全部分かってる!」
「何も分かっていない」
扉の向こうの声が低くなる。
「この装置を止めれば、風の器は崩壊する」
「風の器?」
「集めた風属性魔力を保持する人工種族石。完成は目前だ」
セイルは拳で扉を叩いた。
「そのために、魔物や宝石から力を奪ったのか!」
「犠牲は必要だった」
「先生が、そんなことを言うのか……?」
セイルの声が震える。
怒りではない。
信じていた人物の言葉を理解できず、崩れかけている声だった。
「石を壊す前に、なぜ壊れたかを見ろって教えたのは先生だろ! 石を価値や力だけで見るなって! なのに、今やってることは何だ!」
長い沈黙。
やがて、レオンらしき男が答える。
「だからこそだ」
「何が」
「天然の種族石に支配された世界を終わらせる」
扉の紋様が淡く光る。
「種族石によって、生まれた時から力と立場が決まる。神託が階層を決め、適合できない者を無能と呼ぶ。その世界を変えるには、誰にでも適合する新たな石が必要だ」
ナノの心臓が強く鳴った。
無能。
神託。
階層。
自分が苦しめられた仕組み。
「第9の種族石が完成すれば、種族や血筋に関係なく力を得られる。神託に選ばれなかった者も、人生を取り戻せる」
魅力的な言葉だった。
ナノ自身が、何度も願ったこと。
生まれた時の判定で、人生を決められない世界。
家族が自分のせいで貧民街へ落とされない世界。
無能と笑われない世界。
もし本当に実現するなら。
「ナノ」
ロガが低く呼ぶ。
ナノは自分が扉へ近づいていたことに気づいた。
「……ごめん」
「引かれたか」
「石じゃなくて、言葉に」
正直に答える。
「俺が欲しかった世界の話をしてる」
ロガはナノの腕を掴まなかった。
ただ、隣へ立った。
「だったら、最後まで聞け。でも、目の前にあるものも忘れるな」
生体試料室。
管に繋がれた魔物。
採掘場の亡骸。
硬化した商人の腕。
吸魔針に操られたマルク。
理想のために、奪われた命。
ナノは扉へ向かって言った。
「神託で人生を決められる世界は、俺も嫌です」
扉の向こうが静かになる。
「俺は無能って言われました。家族ごと貧民街へ落とされて、父さんと母さんは俺を逃がすために……死にました」
声が震える。
それでも続けた。
「誰でも力を選べる石があるなら、欲しいと思います。でも、その石を作るために、誰かの力や命を勝手に奪ったら……今の神託塔と何が違うんですか」
答えはすぐには返らなかった。
緑色の管の中で、風が激しく渦を巻く。
「対象番号零」
男がナノを呼ぶ。
「お前は、計画を完成させるために必要な存在だ」
「俺が?」
「【石】は、すべての種族石を受け入れる原型。お前の適合構造を人工種族石へ移せば、第9の石は完成する」
ナノの体が冷たくなる。
自分のスキルを知っている。
しかも、計画の原型と呼んだ。
「俺の【石】は、あなたたちが作ったんですか」
「違う」
即答だった。
「お前は、我々が長年探していた自然発生個体だ」
自然発生。
人工ではない。
けれど、最初から監視されていた可能性がある。
「神託塔は、俺が【石】を持っていると知っていた?」
「知っていた」
ナノの呼吸が止まった。
無能判定は間違いではなかった。
意図的に隠された。
「なぜ……」
「覚醒前に保護するためだ」
「貧民街へ落とすことが保護なんですか!」
声が激しく震えた。
「父さんと母さんは死んだ! 俺は谷底へ落ちた! それのどこが保護なんですか!」
感情が溢れ、石紋が熱くなる。
ロガが横で名前を呼ぶ。
「ナノ」
怒るなとは言わない。
戻れとも言わない。
ただ、ここにいると伝える声。
扉の向こうから、男の声が続いた。
「計画外の襲撃だった。お前を回収する部隊も間に合わなかった」
「回収……」
人としてではない。
対象として。
器として。
胸の奥で何かが軋む。
「扉を開けろ」
グレンの声が工房へ響く。
「ナノを物として扱う者と、これ以上話す必要はない」
「ドワーフ。お前には理解できない」
「理解する必要もない」
グレンは戦槌を構える。
「命を石の材料として数える者を止める。それだけだ」
扉の中央が光った。
3つの権限が揃ったのか、重い金属音と共に左右へ開き始める。
セイルが息を呑む。
「先生……」
制御室の中央に、1人の男が立っていた。
黒髪に白い筋。
肖像画より痩せ、頬は深くこけている。
レオン・アーデル。
だが、その胸元には巨大な緑色の結晶が埋め込まれていた。
両腕からは透明な術式管が伸び、背後の巨大な人工石へ繋がっている。
男は自由ではなかった。
装置と一体化している。
さらに彼の首元には、黒い吸魔針が深く刺さっていた。
セイルの顔が凍りつく。
「先生……操られてるのか?」
レオンの片目から、涙が1筋流れた。
しかし、口から出た声は冷たかった。
「侵入者を排除する」
制御室全体に風が渦巻く。
背後の巨大な人工石が、心臓のように脈打った。
ナノは石眼を開く。
――人工風種族石、未完成。
――制御核、レオン・アーデル。
――精神拘束、吸魔針。
――生命接続、解除時死亡危険。
――施設停止条件……。
情報が乱れ、最後まで読めない。
レオンを倒せば装置は止まる。
だが、同時に彼の命も消えるかもしれない。
セイルは剣を握る手を震わせていた。
「先生を……助けられるのか」
ナノはレオンの胸の結晶を見つめた。
簡単な答えは出なかった。
それでも、採取短刃へ手を伸ばす。
「助ける方法を探します」
風喰らいの工房の中心で、奪われた風と、拘束された鑑定士を救う戦いが始まろうとしていた。
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