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無能スキル【石】と追放された俺~宝石の力で成り上がる~  作者: 海老沢大地
第4章 外界への旅立ちと人造魔石の謎

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第72話 浮石鹿が示す道

 浮石鹿が目を覚ましたのは、空が橙色に染まり始めた頃だった。


 ナノたちは森の空き地から少し離れた場所に簡素な野営地を作り、交代で獣の様子を見ていた。


 湿った枝では火が付きにくく、ロガは何度も顔を煤だらけにしながら炉石を叩いていた。


「地上の木、使いにくすぎるだろ」


「濡れてるからじゃない?」


 ナノが言うと、ロガは不機嫌そうに薪を睨んだ。


「坑道の燃料石なら、叩けばすぐ燃える」


「地上では石を持たないものの方が多いって、グレンさんが言ってた」


「火くらい素直に燃えろよ」


 ようやく小さな炎が立ち上がる。


 橙色の光が、泥や血で汚れた2人の顔を照らした。


 エリナは浮石鹿の胸へ薬草を当て、セイルは取り外した吸魔針を封印瓶の中で調べている。


 グレンは周囲を警戒しながら、時折森の奥へ視線を向けていた。


「針は交易路のものより複雑です」


 セイルが言った。


「術式が獣の魔石へ合わせて変化している。誰かが遠くから操作した可能性が高い」


「針が自分で獲物を選んだわけではない?」


 ナノが尋ねる。


「そこまでは分からない。ただ、浮石鹿の風魔石を狙って刺されたのは間違いない」


 ナノは眠っている獣を見る。


 白い胸毛の一部が血と薬草液で濡れていた。


 傷の中心には小さな穴が残っている。


 あの針が、あと少し深く入っていたら。


 術式核を削る時、短刃が少しでも魔石側へ滑っていたら。


 助からなかった。


 成功したという安堵の後から、遅れて恐怖が込み上げてくる。


 ナノは自分の右手を見つめた。


「まだ震えてるのか」


 ロガが気づいた。


「少し」


「痛い?」


「痛くない。怖かったのを、手が覚えてるみたい」


 ロガは自分の両手を火へかざした。


「俺もだ」


「ロガも?」


「押さえてる時、あいつの心臓がどんどん弱くなるのが分かった。お前が失敗したらどうしようって思ってた」


 ナノの胸が少し痛む。


「俺を信用できなかった?」


「違う」


 ロガはすぐに否定した。


「信用してたから怖かった。お前ならやるって思ってた。でも、できる奴でも失敗する時はあるだろ」


 言葉を探すように、ロガは炎を見つめる。


「だから……できるって信じるのと、絶対に大丈夫だと思うのは違うんだなって」


 ナノは黙って聞いた。


 以前のロガなら、怖かったことを隠しただろう。


 今は、ナノが自分の弱さを言葉にするのと同じように、ロガも感情を伝えようとしている。


「怖いって言ってくれて、嬉しい」


「普通、怖がられたら嬉しくないだろ」


「俺だけじゃなかったって思えるから」


 ロガは少し恥ずかしそうに鼻を擦った。


「……変なやつだな」


 炎の向こうで、浮石鹿が小さく動いた。


「きゅ……」


 エリナがすぐに振り返る。


「目を覚ましたわ」


 全員が近づく。


 浮石鹿は頭を上げようとしたが、まだ力が戻らず、すぐに地面へ落とした。


「無理に立たなくていい」


 ナノは少し離れてしゃがむ。


「もう針はない。痛いと思うけど、魔石は残ってる」


 浮石鹿の瞳には、僅かに青い色が戻っていた。


 その目がナノを捉える。


 鼻先がゆっくり近づいてきた。


 ナノは動かずに待つ。


 冷たい鼻が、掌へ触れた。


 石紋が淡く光る。


 次の瞬間、風のような感覚が頭へ流れ込んできた。


 冷たい森。


 走る脚。


 空中へ浮かぶ石。


 群れ。


 仲間。


 突然飛んできた黒い針。


 体を貫く痛み。


 遠ざかる風。


 そして、黒い外套。


「……見える」


 ナノは息を呑んだ。


「何がだ?」


 ロガが聞く。


「この子の記憶みたいなもの」


 映像は断片的だった。


 浮石鹿の群れは森の北東へ向かっていた。


 そこに黒い外套の者たちが待ち伏せていた。


 1人ではない。


 少なくとも3人。


 地面へ複数の吸魔針を刺し、風魔石の力を奪っている。


 群れの仲間たちは逃げた。


 この浮石鹿だけが、仲間を庇うように立ち止まり、針を受けた。


 さらに奥。


 木々の間に、巨大な石造りの煙突が見えた。


 煙は出ていない。


 代わりに、緑色の光が細い柱となって空へ上がっていた。


「工房……」


 ナノの口から言葉が漏れる。


 浮石鹿が見た場所。


 レオンの地図に記されていた風喰らいの工房だ。


 風の感覚が途切れる。


 ナノは掌を離した。


 頭の奥に軽い眩暈が残ったが、石眼を使った時ほど痛くない。


「工房の位置が分かります」


 グレンの表情が変わる。


「どこだ」


「ここから北東。森の中に、石の煙突があります。黒い外套の人が3人以上。吸魔針を使って浮石鹿の群れを襲っていました」


 セイルが地図を開く。


「レオン先生の印と重なる」


 エリナは浮石鹿を見た。


「この子は、どうしてあなたに記憶を見せたの?」


 ナノにも分からなかった。


 石眼ではない。


 風魔石の力を吸収したわけでもない。


 浮石鹿が自ら伝えたように感じた。


「助けてもらったから、知らせたかったのかもしれない」


 ロガが言う。


「お前に?」


「多分」


 ナノは掌を見つめる。


 石を読む力が、少し変化している。


 魔石の性質や弱点だけでなく、その石に残る経験へ触れ始めているのかもしれない。


 グレンは浮石鹿へ視線を向けた。


「群れへ戻せるか」


 エリナが傷を確認する。


「今夜休めば、短い距離なら歩けると思います。ただ、風の力はほとんど戻っていません」


「群れは工房の反対側へ逃げた」


 ナノは記憶を思い返した。


「南東です。ここからあまり遠くありません」


「明朝、群れの近くまで送る。その後、工房へ向かう」


 セイルが顔を上げる。


「今夜のうちに行かなくていいのか」


「暗い森で、未知の施設へ入る気か」


「でも、相手が証拠を消すかもしれない」


 焦りがセイルの声を強くしている。


 レオンが工房にいる可能性。


 目の前まで来ている。


 今すぐ走り出したいのだろう。


 ナノはセイルを見る。


「俺も早く行きたいです」


「なら」


「でも、焦ったまま行ったら、相手が待っている場所へそのまま入ることになります」


 セイルが口を閉じる。


「浮石鹿を襲った人たちは、針を置いて逃げたわけじゃない。工房へ近づく生き物を見ていた。俺たちが助けることも、気づかれている可能性があります」


 ナノ自身も不安だった。


 今夜の間にレオンが移されるかもしれない。


 殺されるかもしれない。


 その想像は苦しい。


 けれど、苦しいからこそ考えなければならない。


 ロガがセイルへ言う。


「明るくなってから行く。ちゃんと食って、寝て、戦える状態でな」


「眠れると思うか」


「眠れなくても横になれ。俺たちのミラさんならそう言う」


「俺たちのって何だ」


「細かいことはいい」


 セイルは苦い顔をした。


 それでも反論はしなかった。


 浮石鹿は再びナノの掌へ鼻を触れさせた。


 小さな風が、指の間を抜ける。


 北東。


 工房。


 そこに、奪われた石の力と、消えた鑑定士の答えが待っている。


 ナノは風の向こうを見つめた。


「明日、必ず行く」


 浮石鹿へではなく、自分自身へ言い聞かせるように呟いた。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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