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無能スキル【石】と追放された俺~宝石の力で成り上がる~  作者: 海老沢大地
第4章 外界への旅立ちと人造魔石の謎

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第71話 命に食い込んだ黒い針

 浮石鹿の胸に刺さった吸魔針は、呼吸に合わせて黒く脈打っていた。


 どくん。


 細い針とは思えないほど鈍く重い音が、静まり返った森の中へ響く。


 針の根元から伸びた黒い筋は、白い毛皮の下へ入り込み、胸部の風魔石を締めつけていた。さらに何本かは血管に似た形で全身へ広がり、残った魔力だけでなく、浮石鹿自身の生命力まで吸い上げている。


 獣の呼吸は浅い。


「きゅ……ぅ……」


 喉から漏れる声は、鳴き声というより、息をするたびにこぼれる苦痛だった。


 ナノは膝をつき、浮石鹿の目を見つめた。


 薄青色だったはずの瞳は、力を失って灰色に濁っている。それでも、こちらを見ようとしていた。逃げたい。怖い。けれど、もう脚へ力が入らない。


 そんな感情が、視線だけで伝わってくる。


「大丈夫とは言えない」


 ナノは静かに話しかけた。


「針を外す時、たぶん痛い。俺も失敗するかもしれない。でも……このまま何もしないより、助けられる可能性を選びたい」


 言葉が通じているかは分からない。


 それでも、浮石鹿は目を逸らさなかった。


 ロガが獣の左側へしゃがむ。


「俺が体を押さえる。暴れたら声をかけろ」


「うん。でも、強く押さえすぎないで。胸の魔石が弱ってる」


「分かってる」


 ロガの声はいつもより低かった。


 軽口も、照れ隠しもない。


 本当に助けたいと思っている時の声だった。


 セイルとエリナは、浮石鹿の周囲に広がる術式環を探していた。


 肉眼では見えない。


 けれど、草の倒れ方や土の乾き方が不自然だった。獣を中心として、風が円を描きながら吸魔針へ集められている。


「外側の環は3つ」


 セイルが地面へ剣先を向ける。


「交易路で見たものと似ている。ただ、今回は獣の風魔石を利用して環を維持している」


 エリナが地面へ手をかざす。


「最初の環は左前脚の外側。2つ目は尾の後ろ。最後の1つは……」


 彼女の眉が寄る。


「見つからない」


 ナノは石眼を開いた。


 白い光が視界を包み、浮石鹿を中心に複数の線が浮かび上がる。


 外側の術式環。


 左前脚。


 尾。


 そして3つ目は、地面ではなかった。


「上です」


 ナノは顔を上げた。


「角にあります」


 浮石鹿の頭部には、まだ短い枝角が生えている。その右側へ、黒く薄い輪が絡みついていた。風魔石から奪った力を、角を通して外へ送り出している。


「角を傷つけずに環だけ切れるか?」


 グレンが尋ねる。


 セイルが角を睨む。


「近づけば可能だ。でも、外側の2つと同時に切らないと、残った環へ力が集中する」


「なら合図を合わせる」


 グレンは地面近くの環。


 エリナは尾の後ろ。


 セイルは角。


 それぞれ位置についた。


 ナノは浮石鹿の胸へ視線を戻す。


「外側を切ったら、針からの吸引が一瞬だけ弱くなります。その時に、俺が中の接続を外します」


 グレンの目が鋭くなる。


「石眼を長く使うことになる」


「はい」


「限界を感じたら言え」


「言います。助けたいから、隠しません」


 以前のナノなら、助けるためなら無理をして当然だと思っていた。


 今は違う。


 無理を隠せば、途中で倒れる。


 倒れれば、浮石鹿だけでなく、そばで支える仲間まで危険に晒す。


 助けたいからこそ、自分の状態を伝える。


 それも魔石狩りで学んだことだった。


「始めるぞ」


 グレンの声。


 ナノは採取短刃を抜いた。


 刃を針の根元へ近づける。


 浮石鹿の体が小さく震えた。


「怖いよな」


 ナノは囁いた。


「俺も怖い。でも、1人じゃない」


 ロガが獣の首元を優しく押さえた。


「こいつ、危なっかしいけど、石を壊さず取るのは上手い。少しだけ信じてやってくれ」


「それ、褒めてる?」


「今は獣に話してる。黙って集中しろ」


 ナノは少しだけ笑い、呼吸を整えた。


「合図します。3、2……1、今!」


 グレンの槌が地面を打つ。


 白い衝撃が最初の術式環を砕いた。


 エリナの風術式が尾の後ろを走り、2つ目の輪が硝子のような音を立てて割れる。


 同時にセイルの剣が角の先をかすめた。


 黒い輪だけが切り裂かれる。


 吸魔針が激しく震えた。


 浮石鹿が悲鳴を上げる。


「きゅああっ!」


「ロガ、押さえて!」


「分かってる! 大丈夫だ、暴れていい! でも胸だけは動かすな!」


 針からの吸引が一瞬弱まる。


 ナノは石眼をさらに深く開いた。


 胸部の風魔石。


 その周囲へ食い込む黒い術式線。


 外側の環は消えた。


 しかし、針の先端から4本の黒線が魔石へ絡みついている。


 1本目は魔力。


 2本目は生命力。


 3本目は血流。


 最後の1本だけが、魔石の奥深くまで入り込んでいた。


「4本……」


 ナノは呟いた。


「3本は外せる。でも最後が、魔石の芯に刺さってる」


 グレンが低く聞く。


「切ればどうなる」


「魔石まで割れる可能性があります」


「抜けば」


「針に引かれて魔石ごと抜けるかもしれない」


 時間がない。


 外側の環が壊れ、吸魔針は不安定になっている。黒線が暴れ、浮石鹿の体内を傷つけ始めていた。


 浮石鹿の脚が震える。


 目から光が消えかける。


「ナノ」


 ロガの声。


「今、何が必要だ」


 責める声ではなかった。


 迷うなとも言わない。


 答えを一緒に探す声だった。


「最後の線を、針から切り離さないといけない。でも魔石側を切ると壊れる」


「なら、針側を削れ」


 セイルが言った。


「針も術式具だ。接続の根元があるはずだ」


 ナノは針の内部を見る。


 黒い石の中。


 4本の線が集まる小さな環。


 針そのものの術式核。


「ありました」


「場所は?」


「針の根元、毛皮から出ている部分のすぐ下です。でも……小さい」


 数粒の砂ほどしかない。


 しかも浮石鹿の胸に接している。


 槌では壊せない。


 強く刃を入れても危険だ。


 ナノは採取短刃を持ち直した。


 石を壊すための刃ではない。


 魔石を残すため、肉と鉱石の境目を分ける刃。


 セリカから渡されたものだ。


「俺が削ります」


「できるか」


 グレンの問い。


「怖いです」


 正直に答える。


「手も震えてます。でも、今の俺にできるのはこれです」


 ナノは短刃の先を、吸魔針の根元へ当てた。


 右手が震える。


 呼吸するたび、刃先も揺れる。


「ナノ」


 ロガが名前を呼ぶ。


「焦るな。俺が押さえてる」


「うん」


「獣も逃げてない」


 浮石鹿の灰色の瞳が、ナノを見つめている。


 完全に力を失いかけている。


 それでも目を閉じてはいなかった。


「……ありがとう」


 誰へ向けた言葉か、自分でも分からなかった。


 ナノは短刃を動かした。


 少しずつ。


 針の外側を削る。


 黒い石粉が浮かび、指へまとわりつく。


 掌の石紋が熱を持つが、吸収しない。


 今は力を得る時ではない。


 命を残す時だ。


 針の表面が薄くなる。


 内部の術式核が見えた。


 黒い小さな環。


「見えた……!」


 ナノは刃先を環の隙間へ差し込んだ。


「切ります!」


 手首を僅かに捻る。


 ぱきん。


 小さな音。


 4本の黒線が同時に消えた。


 吸魔針の光が弱まる。


「今だ、抜け!」


 グレンの声。


 ナノは針を直接持たず、短刃で少しずつ押し上げた。


 胸部の傷から、黒い針が抜けてくる。


 最後の先端が外れた瞬間、浮石鹿の体が大きく跳ねた。


「きゅあっ!」


 ロガが必死に押さえる。


「大丈夫だ! もう終わった! 終わったから!」


 針が地面へ落ちる。


 エリナが即座に封印布を被せた。


 浮石鹿の胸から淡い緑色の光が漏れ始める。


 弱い。


 しかし、消えてはいない。


 風魔石が残っている。


「助かった……?」


 ナノの声が震える。


 石眼で確認する。


 ――吸魔術式、解除。


 ――風属性、枯渇重度。


 ――生命活動、維持。


 ――回復可能性、あり。


「生きています」


 ナノは大きく息を吐いた。


「すぐには立てない。でも、魔石は壊れてない。回復する可能性があります」


 ロガの手から力が抜ける。


「よかった……」


 その声は、今まで聞いたことがないほど弱かった。


 ナノもその場へ座り込んだ。


 手が震えている。


 額から汗が落ち、湿った土へ染み込む。


「怖かった」


 ナノが呟く。


「途中で、壊したらどうしようって……刃を動かせなくなりそうだった」


 ロガが隣へ座る。


「でも、動かした」


「うん」


「それで助かった」


 浮石鹿がゆっくり目を閉じた。


 今度は力尽きたのではない。


 呼吸が少し深くなっている。


 安心して眠ろうとしているように見えた。


 森に風が戻り始める。


 浮石鹿の周囲に落ちていた小石が、ほんの僅かに浮かび上がった。


 吸魔術式に奪われかけた命を、初めて救うことができた。


 それはナノが得たどの魔石よりも、重く、温かい成果だった。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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