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無能スキル【石】と追放された俺~宝石の力で成り上がる~  作者: 海老沢大地
第1章 無能スキル【石】と谷底のダイヤモンド

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第7話 石を喰らう魔物


 ガルバ坑道街の旧水路は、街の下層にあった。


 そこへ向かう道は狭く、湿っていた。岩壁には黒い苔が張りつき、足元の石段には水が薄く流れている。踏むたびに滑りそうになり、ナノは何度も壁へ手をついた。


 壁は冷たい。


 その冷たさが、地底湖で溺れかけた時の感覚を思い出させた。


 息が少し乱れる。


 左足の傷が疼く。


 だが、前を歩くグレンは一度も振り返らなかった。


 振り返らないことで、ナノを信じているのか。


 それとも、ついて来られないなら置いていくつもりなのか。


 どちらか分からなかった。


 ただ、ナノは必死についていった。


 道の先から、嫌な音が聞こえてくる。


 かり。


 がり。


 がりがり。


 何か硬いものを削る音。


 石を刃物で削る音とは違う。


 もっと汚く、もっと生々しい音だった。


 歯で石を噛み砕いている音。


 ナノの背筋に冷たいものが走る。


「この音……」


 思わず呟くと、グレンが低く答えた。


「鉱石ガキだ」


 その名を聞いただけで、胃の奥が縮んだ。


 貧民街の霧の中から現れた魔物。


 老人に飛びかかり、父と母のいる場所へ群れで迫ってきた小鬼。


 ナノは喉を鳴らした。


「だ、大丈夫です……」


 誰に言ったのか分からない。


 グレンがちらりと横目で見た。


「今の声で大丈夫に聞こえる奴はいない」


「で、でも……逃げません」


「逃げるなとは言っていない」


「え?」


「勝てない時は逃げろ。死ぬだけの意地は、ただの無駄だ」


 グレンは戦槌を肩に担いだまま進む。


「だが、逃げると決めるまでは目を逸らすな。恐怖を見ろ。相手を見ろ。自分の足が震えていることも見ろ」


 ナノは自分の膝を見た。


 確かに震えていた。


 寒さのせいではない。


「……はい」


 小さく返事をした。


 今度の「はい」は、弱かった。


 けれど、逃げるための弱さではなかった。


 恐怖を認めるための声だった。


 旧水路の入口が見えてきた。


 大きな鉄格子が破られている。曲がった鉄の棒が、力任せに引きちぎられたように外側へ広がっていた。水路の奥からは湿った風が流れ、腐った水と砕けた鉱石の匂いが混ざっている。


 周囲には、ドワーフの戦士たちがすでに集まっていた。


 全員が小柄だが、体の厚みが違う。鉄の胸当て、分厚い腕、短い斧や槌。胸元や腕に埋まった種族石が、薄暗い水路の中で鈍く光っている。


 1人のドワーフがグレンに近づいた。


「グレン、遅ぇぞ」


「負傷者を拾っていた」


「そいつか?」


 ドワーフの視線がナノに向いた。


 警戒と好奇心が混じった目だった。


「人族のガキじゃねぇか。なんで連れてきた」


「見学だ」


「見学? 旧水路に鉱石ガキが入った時にか?」


「こいつには必要だ」


 グレンがそう言うと、男は眉をひそめたが、それ以上は言わなかった。


 ナノは視線を落とした。


 邪魔だと思われている。


 それは当然だ。


 自分でもそう思う。


 だが、ここで下がったら、また何かが折れる気がした。


 グレンが低く言う。


「ナノ」


「は、はい」


「お前は俺の後ろにいろ。俺が止まれと言ったら止まれ。伏せろと言ったら伏せろ。走れと言ったら、何も考えず走れ」


「はい……!」


「最後の返事は悪くない」


 グレンは鉄格子の向こうへ進んだ。


 ナノも後に続く。


 旧水路の中は暗かった。


 壁には低品質の灯石が埋め込まれているが、光は弱い。濁った黄色の灯りが水面に揺れ、壁の影を歪ませていた。


 足元には浅い水が流れている。


 歩くたびに、ちゃぷ、と音がする。


 ナノはその音が嫌だった。


 地底湖の水音を思い出す。


 水鉱ガキが這い出してきた暗がりを思い出す。


 それでも、目を逸らさない。


 奥へ進むほど、石を噛む音が大きくなった。


 がり。


 がり。


 がりっ。


 曲がり角の先で、グレンが足を止めた。


 片手を上げる。


 全員が止まる。


 ナノも慌てて足を止めた。


 心臓の音がうるさい。


 グレンが低く言った。


「いる」


 次の瞬間、曲がり角の向こうから小さな影が飛び出してきた。


 鉱石ガキ。


 灰色の皮膚。


 背中に黒い鉱石の突起。


 黄色く濁った目。


 口の周りには、砕いた石の粉と黒い唾液がこびりついている。


 1匹ではない。


 2匹、3匹、5匹。


 奥の暗闇から、次々と這い出してくる。


 ナノの呼吸が止まった。


 あの夜と同じ目だった。


 飢えた目。


 人間を肉としてしか見ていない目。


「ひっ……」


 情けない声が漏れた。


 グレンは前に出た。


「見るんだ、ナノ」


「で、でも……」


「見ろ」


 その声に、ナノは目を逸らせなかった。


 鉱石ガキが一斉に飛びかかる。


 グレンの戦槌が横へ振られた。


 空気が破裂するような音がした。


 先頭の鉱石ガキが、壁へ叩きつけられる。体が潰れ、黒い血と鉱石片が飛び散った。


 続けて、他のドワーフたちが前へ出る。


 斧が振り下ろされる。

 槌が骨を砕く。

 短剣が魔石を抉る。


 戦いは、王都の騎士物語のように美しくはなかった。


 血が飛ぶ。

 水が濁る。

 魔物が叫ぶ。

 ドワーフたちが罵声を上げる。


「右から2匹!」

「奥に回すな!」

「魔石を割れ、こいつら再生するぞ!」


 ナノは動けなかった。


 怖い。


 怖い。


 怖い。


 だが、グレンの言葉が響く。


 恐怖を見ろ。


 ナノは目を見開いた。


 鉱石ガキは、ただ暴れているわけではない。


 水路の壁に埋まった黒い鉱脈を狙っている。噛み砕いた鉱石を飲み込み、背中の突起を成長させている。


 石を喰らって、強くなっている。


 その時、頭の奥に文字が浮かんだ。


 ――魔物個体確認。


 ――鉱石ガキ。


 ――体内魔石、黒鉱系低純度。


 ――背部突起、成長中。


 ナノは息を呑んだ。


「見える……?」


 今まで、ただ怖いだけだった魔物が、少し違って見えた。


 体のどこに魔石があるのか。


 どの鉱石を喰っているのか。


 どこが硬く、どこが脆いのか。


 ぼんやりとだが、分かる。


 ナノは掌を見た。


 紋様が熱い。


「グレンさん!」


 声が出た。


 自分でも驚くほど大きな声だった。


「そいつら、背中の黒い突起が伸びてます! 壁の黒い鉱石を食べると、硬くなるみたいです!」


 グレンが一瞬だけ振り返る。


「見えるのか」


「はい! た、多分……胸じゃなくて、腹の少し下に魔石があります!」


 近くのドワーフ戦士が叫ぶ。


「腹だと? 胸じゃねぇのか!」


 鉱石ガキがその戦士へ飛びかかる。


 戦士は斧で胸を狙いかけ、途中で刃の角度を変えた。


 腹の下。


 そこへ斧が食い込む。


 魔石が砕けた。


 鉱石ガキの体が一瞬で力を失い、水路に倒れる。


「本当だ!」


 戦士が叫んだ。


「腹だ! こいつら、腹の下に魔石があるぞ!」


 戦い方が変わった。


 ドワーフたちは魔物の胸ではなく、腹の下を狙い始める。鉱石ガキは次々と倒れていく。


 ナノは震えながら、その光景を見ていた。


 自分が、役に立った。


 戦ってはいない。


 剣も振っていない。


 でも、情報を伝えた。


 それだけで、魔物が倒れた。


 胸の奥に、熱いものが灯る。


 その時、旧水路のさらに奥から、低い唸り声が響いた。


 空気が変わった。


 鉱石ガキたちが、一斉に身を低くする。


 ナノの背筋が凍った。


 暗闇から現れたのは、四足の魔物だった。


 岩牙狗。


 だが、貧民街で見た個体より大きい。


 背中の石皮は黒く厚く、首元には赤黒い魔石が露出している。牙は岩を削るように鋭く、口から漏れる息は白い蒸気のように水路を曇らせていた。


 グレンが戦槌を構え直す。


「黒牙岩狗だ」


 周囲のドワーフたちの顔が険しくなる。


「下がれ、ナノ」


 グレンが言った。


 だがナノは、足が動かなかった。


 黒牙岩狗の目を見た瞬間、貧民街の夜が蘇った。


 母の前に立つ魔物。


 父の血。


 崖から落ちる瞬間。


 体が震える。


 息ができない。


「ナノ!」


 グレンの声が遠く聞こえる。


 黒牙岩狗が跳んだ。


 狙いはナノだった。


 グレンが割って入ろうとする。


 だが、間に合わない。


 ナノの頭の中が白くなる。


 逃げろ。


 逃げろ。


 逃げろ。


 でも、足は動かない。


 その時、父の声が聞こえた気がした。


 立て、ナノ。


 今は立て。


 倒れるのは、後でいい。


「……っ!」


 ナノは足元の石を掴んだ。


 旧水路の黒い鉱石片。


 手にした瞬間、掌の紋様が熱を放つ。


 ――黒錬鉱片を確認。


 ――武装補助、可能。


 ――百錬成鋼、微弱発動。


 ナノは叫んだ。


「うああああっ!」


 石を投げた。


 狙いは魔物の顔ではない。


 先ほど見えた、首元の赤黒い魔石。


 黒錬鉱片は、まっすぐ飛ばなかった。


 わずかに軌道を変え、黒牙岩狗の首元へ吸い込まれる。


 がつん。


 硬い音。


 魔石には届かなかった。


 だが、ほんの一瞬だけ、黒牙岩狗の動きが鈍る。


 その一瞬で、グレンが間に入った。


 戦槌が振り下ろされる。


「伏せろ!」


 ナノは地面に倒れ込む。


 直後、頭上で凄まじい衝撃音が響いた。


 黒牙岩狗が吹き飛ぶ。


 壁に叩きつけられ、石の破片が降ってきた。


 グレンは振り返らずに言った。


「よくやった」


 ナノは水路に倒れたまま、息を荒げていた。


「はっ……はっ……俺、今……」


「生き延びた。十分だ」


 グレンは黒牙岩狗へ向き直る。


 魔物はまだ立ち上がる。


 だが、首元に小さなひびが入っていた。


 ナノの投げた石が作ったひびだ。


 グレンが低く笑う。


「そこが弱点か」


 黒牙岩狗が唸る。


 グレンは戦槌を両手で握った。


 胸元の白剛石が強く輝く。


「見ておけ、ナノ」


 白い光が、戦槌へ流れた。


 グレンの全身が岩のように沈み込む。


 足元の石床にひびが入る。


「これが、白剛石を宿すドワーフの打撃だ」


 黒牙岩狗が飛びかかる。


 グレンは一歩も引かなかった。


「白剛震槌」


 戦槌が振り抜かれる。


 音が消えた。


 一瞬遅れて、衝撃が来た。


 黒牙岩狗の首元の魔石が砕け、体ごと壁にめり込んだ。水路全体が揺れ、天井から水滴と石粉が降る。


 魔物は動かなくなった。


 ナノはその場で呆然としていた。


 圧倒的だった。


 強さとは、こういうものなのか。


 自分が投げた石とは、まるで違う。


 でも、ナノが作った小さなひびが、確かにあの一撃につながった。


 グレンが振り返る。


「立てるか」


 ナノは震える足で立ち上がろうとした。


 膝が笑っている。


 手も震えている。


 でも、逃げ出したい震えではなかった。


「はっ、はい……立てます」


 今度の返事には、少しだけ力があった。


 グレンは頷いた。


「お前はまだ弱い」


「……はい」


「だが、見える目がある。石を見る目、魔石を見る目、そして恐怖から目を逸らさない目だ」


 ナノは言葉を失った。


 グレンは続けた。


「それは鍛えれば武器になる」


 水路の奥で、最後の鉱石ガキが逃げようとした。


 ドワーフの戦士がそれを仕留める。


 戦いは終わった。


 だがナノの中では、何かが始まっていた。


 貧民街の夜から逃げ続けていた足が、初めて少しだけ前に出た。


 父と母を奪った魔物と同じ種を前にして、ナノは完全には折れなかった。


 それは勝利とは呼べない。


 だが、確かな一歩だった。


 頭の奥に、文字が浮かぶ。


 ――魔石視認、初期反応を確認。


 ――技能補助、発現準備。


 ――石眼、未完成。


 石眼。


 その言葉が、ナノの中に残った。


 まだ完成していない。


 でも、芽は出た。


 グレンが歩き出す。


「戻るぞ。小僧。今日はここまでだ」


「はい……」


 ナノは水路の壁に手をつきながら歩き出した。


 足は痛い。


 体は重い。


 怖さも消えていない。


 それでも、心の奥には別の熱があった。


 無能スキル【石】は、ただ石を吸うだけではない。


 石を見る。


 魔石を読む。


 弱点を見抜く。


 もし、この目を鍛えられるなら。


 もし、自分がもっと強くなれるなら。


 いつか、父と母を奪った夜にも、向き合えるかもしれない。


 旧水路を出る頃、鍛冶場の火が遠くに見えた。


 赤く、熱く、揺れる光。


 ナノはその光を見つめながら、拳を握った。


 掌の紋様は、まだ熱を持っていた。


ここまで読んでくださってありがとうございます。

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