第67話 鑑定士たちの逃走路
換気路は、想像以上に長く続いていた。
天井は低く、背中を少しでも起こせば岩へぶつかる。床には細かな砂と乾いた虫の殻が積もり、膝を進めるたびに、ざり、ざりと嫌な音がした。
空気は冷たかった。
けれど、息苦しい。
外から空気を取り込むための道だったはずなのに、長い間使われていなかったせいか、湿気と埃が籠もっている。
先頭のエリナは何度も咳き込んでいた。
「大丈夫ですか」
ナノが声をかける。
「平気……とは言えないわね」
エリナは苦しそうに笑った。
「こんな道があるなんて、ギルドで働いていた私も知らなかった」
その言葉には、情けなさが混じっていた。
「先生は、最初から誰も信用していなかったのかしら」
「違うと思う」
セイルが前を向いたまま答えた。
「信用していなかったんじゃない。危険が来た時に、信用した人間を逃がす道を残していたんだ」
エリナが黙る。
ナノはレオンの机を思い出した。
戻らなければ、机の底を探せ。
鍵。
手帳。
抜き取った風の力。
換気路。
レオンは自分が消える可能性を知っていた。
それでも証拠を破棄せず、誰かが見つけることを信じて残した。
「セイルさん」
ナノが尋ねる。
「レオンさんは、自分が狙われていることを知っていたんでしょうか」
「たぶんな」
「それでも調べ続けた」
「あの人は、正しいことをしていると思うと、止まらなかった」
セイルの声が僅かに震えた。
「俺が最後に会った時もそうだった。危険だ、1人で行くなって言った。でも先生は『石が奪われているのに、鑑定士が黙っている方が危険だ』って笑った」
懐かしい言葉を思い出しているのだろう。
けれど、笑みは浮かんでいなかった。
「俺は怒った。勝手にしろって言って……そのまま別れた」
ナノの胸が痛んだ。
最後に交わした言葉が、優しいものではなかった後悔。
自分には、父と母へ謝る時間すらなかった。
セイルには言葉を交わした記憶があるからこそ、その言葉が今も刺さっているのだろう。
「見つけた時に、謝ればいいです」
ナノが言うと、セイルの動きが止まった。
「生きていると決まったわけじゃない」
「死んでいるとも決まってません」
「簡単に言うな」
セイルの声が強くなる。
ナノは一瞬言葉に詰まった。
怒らせた。
軽い希望を押しつけてしまったのかもしれない。
「……すみません」
「いや」
セイルが息を吐く。
「悪い。お前に怒っても仕方ない」
少し進んでから、低い声で続けた。
「生きていてほしいと思うほど、違った時が怖いんだ」
その感情を、ナノはよく知っていた。
谷底へ落ちた直後、父と母が生きているかもしれないと何度も思った。
けれど、期待するたび、その期待が砕かれる瞬間を想像して怖くなった。
「怖いままで、探しましょう」
ナノは静かに言った。
「俺も、自分の両親のことを諦めきれていません。多分、答えが出るまでずっと怖いです」
セイルは振り返らなかった。
けれど、小さく答えた。
「ああ」
*
しばらく進むと、前方から風が流れてきた。
新しい空気。
土と夜露の匂い。
「出口が近い」
エリナが安堵したように言う。
その瞬間、後方から金属音が響いた。
かん。
かん。
誰かが換気路へ入ってきた。
「追ってきた」
ロガが振り返る。
狭い通路の向こうで、灯石の白い光が揺れている。
1人ではない。
複数の光。
グレンはまだ追いついていない。
「急げ!」
セイルが先へ進む。
出口は石格子で塞がれていた。細い隙間から、外の暗い空が見える。
「開かない!」
エリナが格子を押す。
錆びて固まっている。
ロガが前へ出た。
「どけ。俺が壊す」
小槌を振り上げる。
ナノが止めた。
「音が出ます。外に誰かいたら気づかれる」
「後ろからもう来てるんだぞ!」
「格子全部を壊さなくていい。留め具だけなら、小さい音で外せる」
ナノは錆びた留め具を見る。
上に2つ。
下に1つ。
鉄の周囲には薄い青緑色の錆が浮いている。
「セイルさん、風の力を少し使えますか」
「切る程度なら」
「留め具の隙間に風を入れてください。ロガは外側へ押して」
「お前は」
「錆の割れ目を見ます」
石眼は使わない。
肉眼で、金属の変色とひびを探る。
地底で何度も見た。
石を割る時、硬い場所ではなく、弱い筋へ力を入れる。
「上の右からです。根元が薄い」
セイルの剣先に淡い青い光が集まる。
風が針のように隙間へ入り込み、錆を削った。
ロガが格子を押す。
ぎ、と低い音。
留め具が外れる。
「次、左上!」
後ろの光が近づく。
「止まれ!」
追跡者の声。
細い通路に響き、逃げ場を塞ぐように迫ってくる。
エリナの呼吸が速くなった。
「間に合わない……」
「間に合わせます」
ナノは下の留め具を見る。
最も太い。
時間がない。
「ロガ、下は槌で。1回だけ、左から斜めに」
「音は」
「もう隠れる意味がありません」
ロガは頷き、小槌を振る。
「耳塞げ!」
かんっ。
鋭い音が通路を走った。
下の留め具が折れる。
格子が外側へ倒れ、冷たい夜風が流れ込んだ。
「出ろ!」
エリナ、セイル、ナノの順に外へ滑り出す。
出口は、宝石商ギルドの裏手にある狭い水路へ繋がっていた。夜になりかけた空は紫色に染まり、建物の窓には灯りが点き始めている。
ロガが最後に出る。
その直後、換気路の中から腕が伸びた。
ロガの足首を掴む。
「ロガ!」
ナノが手を伸ばす。
ロガの体が通路へ引き戻される。
「離せ!」
ロガが蹴るが、相手の握力が強い。
ナノの右腕が熱を持つ。
黒錆共鳴。
使えば引き上げられる。
だが、完全黒錆魔石は持っていない。使えるのは鉄鋼と鱗硬化の弱い共鳴だけ。
それで十分だ。
「百錬成鋼……微!」
掌の石紋が白く光る。
右腕に薄い硬さが生まれ、肩と胸へ広がる。
ナノはロガの両腕を掴んだ。
「引きます!」
「腕が抜ける!」
「我慢して!」
「お前、さっきロガって呼び捨てにしたな!」
「今それ言う!?」
ロガがもう片方の足で、掴んでいる腕を蹴った。
セイルも加わる。
3人で一気に引く。
追跡者の手が外れ、ロガの体が水路へ転がり出た。
換気路の出口から、男の顔が見える。
宝石商ギルドの警備服。
だが、目が虚ろだった。
首元には、黒い針状の石が埋め込まれている。
「吸魔針……!」
ナノが叫ぶ。
男の口が不自然に動いた。
「手帳ヲ……返セ……」
声が、本人のものではない。
エリナの顔が凍った。
「あの人……受付警備のマルクよ。家族もいる。こんなことをする人じゃない」
操られている。
吸魔針は宝石だけでなく、人の魔力にも接続できる。
グレンが換気路の奥から現れ、男の腕を戦槌の柄で弾いた。
「走れ!」
「でも、グレンさん!」
「俺も出る!」
男を押し戻し、グレンは換気路から飛び出した。
出口の石格子を持ち上げ、通路へ押し込む。追跡者たちの道が塞がれた。
「裏門へ向かう。都市を出るぞ」
エリナが息を呑む。
「今出たら、私はもうギルドには戻れない」
その声には、最後の迷いがあった。
グレンは振り返らない。
「戻るか」
問いは冷たく聞こえた。
だが、決断を奪わないための言葉だった。
エリナはギルドの高い建物を見上げた。
長年働いた場所。
仲間。
鑑定士としての地位。
そのすべてが、灯りの向こうにある。
彼女は目を閉じた。
そして、机の鍵を強く握る。
「……行きます」
声は震えていた。
「先生が残したものを、今度こそ守る」
5人は暗くなり始めたリュネアの裏通りを走り出した。
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