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無能スキル【石】と追放された俺~宝石の力で成り上がる~  作者: 海老沢大地
第4章 外界への旅立ちと人造魔石の謎

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第65話 消えた鑑定士の手帳

 夕刻になっても、上級鑑定士ハイゼンは戻らなかった。


 宝石商ギルドの窓から差し込む光が、白から橙色へ変わっていく。展示棚の宝石も、昼間とは異なる深い色を帯び始めていた。


 ナノたちは応接室で待ち続けていた。


 壁には歴代鑑定士の肖像画が並んでいる。


 どの人物も豪華な服をまとい、胸元に大きな宝石をつけていた。その中に、セイルが何度も目を向ける肖像があった。


 黒髪に白い筋が混じった、穏やかな目の人族男性。


「レオン先生?」


 ナノが尋ねる。


 セイルは頷いた。


「ああ。6年前の鑑定競技会で優勝した時の絵だ」


「優しそうな人ですね」


「優しかった。石に対しては、誰より厳しかったけどな」


「どんなふうに?」


 セイルは少しだけ笑った。


「俺が高価な宝石ばかり見たがった時、道端の石を100個持ってこいと言われた」


 ナノは目を瞬いた。


「100個?」


「全部の違いを説明できるまで、宝石には触らせないって」


 グレンが小さく頷く。


「まともな鑑定士だ」


「当時は嫌いになりかけたけどな」


「でも、今は分かる?」


 セイルの笑みが消える。


「ああ。値段の高い石だけを見る奴は、石じゃなくて価値札を見ている。先生はそう言っていた」


 魔石狩りで教えられたことと似ている。


 欲しい石ではなく、必要な石を選ぶ。


 力だけではなく、石が生きてきた記録を見る。


 レオンという鑑定士も、石を道具としてだけ扱う人物ではなかったのかもしれない。


 扉が開いた。


 入ってきたのはエリナだった。


 顔色は昼間より悪い。


 周囲を気にするように廊下を振り返り、扉を閉めて鍵をかける。


 セイルが立ち上がった。


「何を隠してる」


「声を抑えて」


 エリナは胸元から小さな鍵を取り出した。


「ハイゼン様は戻らない。評議会が長引いているんじゃない。あなたたちに会わせないために、別館へ移された」


「誰の指示だ」


「ギルド長よ」


 室内の空気が張りつめる。


 グレンが低く聞く。


「理由は」


「人工核を持ち込んだ者と接触させるな、と」


「やはり知っていたのか」


 エリナは唇を噛んだ。


「私は詳しく知らない。本当に。でも、人造魔石という言葉は知っていた」


「昼間、嘘をついたな」


 セイルの声に怒りが滲む。


「そうよ」


 エリナは逃げずに答えた。


「嘘をついた。あの場で知っていると言えば、私もあなたたちも監視対象になる」


「もう監視されてるんじゃないのか」


「だから急いでいるの」


 エリナは鍵を机へ置いた。


「先生の私室が、ギルド地下に残されている。失踪後、封鎖されたまま。でも先生は消える直前、私に『戻らなければ机の底を探せ』と言った」


 セイルの呼吸が止まる。


「どうして今まで見なかった」


「見たわ。でも机の底には何もなかった」


「なら何を――」


「鍵穴がなかったの」


 エリナは机の鍵を指で押す。


「この鍵は今日、私の書類棚に入っていた。誰が入れたか分からない。けれど、先生が使っていた私室の鍵と同じ紋章がある」


 鍵の柄には、小さな風石の意匠が刻まれていた。


 中央には、3本の線が1点へ集まる模様。


 吸魔針の刻印に似ている。


「罠の可能性がある」


 グレンが言う。


「分かっているわ」


「それでも行くつもりか」


「先生が残したものなら、確かめたい」


 エリナの声は震えていた。


 怖い。


 それでも、何もしなかった後悔の方が大きいのだろう。


 セイルは彼女を見つめた。


 怒りと心配が入り混じった顔だった。


「どうして1人で抱えた」


「あなたが消えたからよ!」


 エリナの声が大きくなる。


 すぐに口を押さえ、声を落とす。


「先生が消えて、あなたまでギルドを飛び出した。私はここに残るしかなかった。何も知らないふりをして、記録を守って、いつか誰かが戻るのを待ってた」


 目に涙が浮かんでいる。


「私だって、怖かったのよ」


 セイルは何も言えなくなった。


 怒りが消えたわけではない。


 だが、エリナもまた1人で戦っていたのだと分かった。


 ナノは自分とロガを思い出した。


 戻してくれる声があること。


 隣に誰かがいること。


 それがどれほど大きいか。


「今度は1人じゃないです」


 ナノが言った。


 エリナがこちらを見る。


「俺たちも行きます。ただし、勝手に動かず、危険があれば全員で戻る。それでいいですか」


 グレンがナノへ目を向ける。


「お前が決めることではない」


「……すみません」


「だが、判断は同じだ」


 グレンは立ち上がった。


「私室へ行く。ただし、罠を前提にする。ナノは石眼を必要な時だけ使え。ロガはナノとエリナを見ろ。セイルは先走るな」


 セイルが苦い顔をする。


「俺だけ言い方が厳しくないか」


「信用したい相手ほど、判断を誤る」


 セイルは黙った。


 その言葉を否定できなかった。


     *


 ギルド地下へ続く階段は、展示室の裏に隠されていた。


 エリナが書棚の裏にある金具を押すと、石壁が静かに横へ動く。


 暗い階段が下へ伸びていた。


 湿った空気。


 古い紙。


 蝋。


 微かな宝石粉。


 灯石を持って降りると、足音が細く反響した。


 地下通路には扉がいくつも並んでいる。


 どれも古く、表札が外されていた。


 エリナは最も奥の扉で立ち止まる。


「ここが先生の私室」


 鍵を差し込む。


 回す。


 かちり、と小さな音。


 扉が開いた。


 部屋の中は、失踪した日のまま時間が止まっていた。


 机。


 椅子。


 壁一面の本棚。


 宝石を調べるための器具。


 乾いたインク瓶。


 埃を被った衣服。


 セイルは入口で動けなくなっていた。


「先生……」


 声が掠れる。


 懐かしい匂いが残っているのかもしれない。


 エリナは机の前へ進んだ。


「机の底を探せと言っていた」


 全員で確認する。


 木製の机の裏。


 引き出しの奥。


 床との隙間。


 目に見える鍵穴はない。


 ナノは机へ触れず、周囲を見た。


 机の脚の1本だけ、床の埃が薄い。


 誰かが動かした跡。


「この脚、少し新しい傷があります」


 エリナがしゃがむ。


「本当だわ」


 脚の裏側に、小さな風石の紋章が彫られていた。


 鍵の柄と同じ形。


 エリナが鍵を当てると、紋章部分が僅かに沈んだ。


 机の底から、薄い箱が滑り出す。


 セイルの手が震えた。


 箱を開ける。


 中にあったのは、革張りの手帳と、透明な小瓶だった。


 小瓶の中には、風のように揺れる淡い緑色の光が閉じ込められている。


 だが、石はない。


 魔力だけが瓶の中で渦を巻いていた。


「宝石から抜いた力……」


 セイルが呟く。


 ナノの石紋が反応する。


 翠風石から奪われたものと同じ気配。


 手帳の最初のページには、レオンの筆跡で短い文が残されていた。


『宝石の力を抜き、人造の器へ集める計画が進んでいる。目的は新たな種族石の創造。主導者はギルド内部にいる』


 全員の顔が強張る。


 次の行。


『神託塔から提供された技術が使用されている』


 ナノの心臓が強く鳴った。


「神託塔……」


 自分を無能と判定した場所。


 家族を貧民街へ落とした場所。


 人工核に刻まれていた紋様。


 すべてが繋がり始めている。


 セイルは震える手でページをめくった。


 最後の記録には、地図が描かれていた。


 リュネアの北東。


 森の奥。


 赤い印。


 その横に、1つの名前。


『風喰らいの工房』


 その瞬間、部屋の外で足音がした。


 1人ではない。


 複数。


 鎧が擦れる音。


 扉の向こうから低い声が響く。


「ギルド長の命令だ。中にいる者は、手帳と試料を置いて出てこい」


 エリナの顔が青ざめる。


「見つかった……」


 グレンは戦槌を構えた。


 ロガはナノの横へ立つ。


 セイルは手帳を強く握った。


 ナノは緑色の光が渦巻く小瓶を見つめた。


 地底の魔石喰い。


 力を失った宝石。


 黒い吸魔針。


 神託塔。


 そして、風喰らいの工房。


 第4章の謎は、ついにナノ自身の過去へ繋がった。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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