第63話 助けた命と失われた石
襲われた商人たちを連れ、ナノたちは交易路近くの休息所へ向かった。
森を抜けた先に、石造りの小さな建物があった。旅人が雨風を避けるための場所らしく、屋根は低く、壁には何度も補修された跡が残っている。
室内には簡素な寝台が4つ。
中央には古い炉。
火を入れると、湿っていた空気に薪の匂いが広がった。
右腕を硬化させた商人は、寝台へ横たわっていた。
名はバルク。
リュネアとドワーフ領を行き来する宝石商で、力を失った宝石を運んでいたという。
もう1人の若者は、バルクの息子で助手のフィンだった。頭の傷は浅く、セイルが薬を塗ると、しばらくして意識を取り戻した。
「父さん!」
目を開けるなり、フィンは隣の寝台へ駆け寄った。
「無事だ……右腕は動かないが、生きてる」
バルクは苦しそうに笑った。
「お前こそ、頭は大丈夫か」
「俺より父さんの腕が……」
フィンの目に涙が滲む。
バルクは動く方の左手で、息子の肩を軽く叩いた。
「商人は片腕でも値段交渉できる。心配するな」
冗談を言っている。
けれど声が震えていた。
自分の腕が戻らない可能性を、本人が一番恐れている。
ナノは炉の前に座り、その親子を見ていた。
父と母を思い出す。
あの日、自分が目を覚ました時、そばに2人はいなかった。
もう一度名前を呼ぶことも、手を握ることもできなかった。
助けられなかった命と、今目の前で助かった命。
胸の奥に嬉しさと痛みが同時に広がる。
「どうした」
隣へ座ったロガが小声で尋ねた。
「父さんたちを思い出した」
「……そうか」
「助かってよかったって思う。でも、それを見ると、俺の父さんと母さんは助からなかったんだって、また思い出す」
口にした途端、喉が詰まった。
涙を見せたくなくて、炉の火を見つめる。
赤い炎が滲んだ。
「嫌なやつだよね。助かった人を見て、こんなこと考えるなんて」
「嫌じゃねぇよ」
ロガの返事は早かった。
ナノは顔を向ける。
ロガは火を見たまま続けた。
「嬉しいのと悔しいのが一緒にあるだけだろ。どっちか片方にしなきゃいけない決まりなんかねぇ」
「ロガ……」
「俺だって、グレン親方が他の見習いを褒めると、そいつが上手くいって良かったと思うし、同時に腹も立つ」
「それは少し違わない?」
「似たようなもんだ」
ロガは乱暴に言い切った。
けれど、その不器用な言葉に救われた。
悲しいまま、助かったことを喜んでもいい。
笑えば裏切りではないと、ミラにも言われた。
「ありがとう」
「礼を言うな。あと泣くなら、俺の服で拭くなよ」
「まだ拭いてない」
「先に言っとく」
ナノは涙を手の甲で拭い、小さく笑った。
*
グレンとセイルは、回収した吸魔針の破片を机へ並べていた。
黒い破片は、砕けてもなお光を吸い込むような色をしている。炉の炎が近くにあるのに、表面には赤い光がほとんど映らなかった。
ナノも机へ近づく。
「人工核と同じ石ですか?」
「性質は近い」
グレンは金属棒で破片を動かした。
「だが、核ほど複雑ではない。魔石の力を繋ぐのではなく、吸って送ることに特化している」
セイルが破片の刻印を指す。
「この記号。師匠の手帳に何度も描かれていた」
刻印は、3本の細い線が中央の黒点へ向かう形だった。
ナノには、複数の道が1つの穴へ吸い込まれるように見えた。
「どういう意味なんですか」
「古い人族の錬金記号で、『収束』を示す形に似ている。ただ、少し違う」
「何が違う?」
ロガが覗き込む。
「通常の収束記号は、集めた力を器へ溜める。この刻印には、さらに外へ送る線がある」
セイルは紙へ刻印を書き写し、北東へ伸びる細線を加えた。
「吸魔針は中継器だ。奪った力をどこかの大きな器へ送っている」
バルクが寝台から声を出した。
「リュネアへ……行くのか?」
全員が振り返る。
バルクは硬化した右腕を庇いながら、ゆっくり起き上がった。
「私も連れていってほしい」
「その腕で旅は無理だ」
グレンが即答する。
「だが、私は宝石商だ。力を抜かれた石の仕入れ元も、販売記録も知っている。ギルドで証言できる」
「治療が先だ」
「リュネアなら治療師もいる。ここで待っている方が危険だ。襲った連中が、積み荷を回収しに来るかもしれない」
バルクの言葉には恐怖があった。
単に急いでいるのではない。
再び狙われることを怯えている。
「襲ってきた相手を見ましたか?」
ナノが尋ねる。
バルクの顔が強張った。
「人影を見た」
「人?」
「ああ。黒い外套を着ていた。顔は仮面で隠していた。荷車の前へ突然現れ、地面へ黒い針を刺した」
フィンが震える声で続ける。
「風が止まって、石が光り始めた。父さんが針を抜こうとしたら、腕が……」
バルクは硬化した腕へ視線を落とした。
「そいつは何も盗らなかった。宝石が濁ったのを確認すると、森へ消えた」
「奪った力だけが目的だった」
セイルの声が低くなる。
ナノは尋ねた。
「体格や声は?」
「背は人族くらい。声は聞いていない。ただ……」
バルクの顔色がさらに悪くなった。
「外套の留め具に、宝石商ギルドの紋章があった」
室内が静まり返った。
薪が弾ける音だけが響く。
セイルが机を強く掴んだ。
「やっぱり、ギルドの中にいる」
「まだ断定できない」
グレンが抑える。
「紋章は盗める。偽装もできる」
「でも、認可店で売られた石が抜かれ、師匠が消え、今度はギルドの紋章をつけた奴が襲った。これでも偶然だって言うのか」
セイルの声には怒りが滲んでいた。
自分の師を疑いたくない。
それでも、ギルドへの疑いは強くなっている。
ナノはセイルの表情を見つめた。
怒っている。
けれど、その奥には不安がある。
真実を知りたい気持ちと、知りたくない気持ちがぶつかっている。
「セイルさん」
「何だ」
「リュネアに着いても、1人で動かないでください」
セイルの眉が上がる。
「俺を疑ってるのか」
「違います。怒ったまま1人で行ったら、相手の罠に入るかもしれない」
セイルは何か言い返そうとした。
だが、ナノは目を逸らさなかった。
「俺も力を欲しがると、周りが見えなくなります。その時、ロガに止めてもらいました。だから……セイルさんも、止まってくれる人の声を聞いてほしいです」
長い沈黙。
セイルは拳を握った。
やがて、力を抜くように息を吐いた。
「……分かった。勝手には動かない」
ロガが小さく言う。
「本当だな?」
「お前は俺の監視役か?」
「必要ならなる」
「面倒なドワーフだな」
「よく言われる」
少しだけ、張りつめた空気が緩んだ。
翌朝、バルクとフィンも加え、一行はリュネアを目指すことになった。
助けた命。
力を失った石。
消えた鑑定士。
黒い外套の人物。
それらが、交易都市で1つに繋がろうとしていた。
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