第62話 黒い風針
黒い石片が脈打つたび、周囲の空気が激しく吸い込まれた。
地面に散らばっていた枯れ葉が宙へ舞い、渦を描きながら黒い石へ集まっていく。細い枝が折れ、荷車の布が引き裂かれ、濁った宝石が土の上を跳ねた。
「倒れてる人を荷車の陰へ!」
グレンの怒号が飛ぶ。
ロガは気を失った若者を背負い、セイルは腕を硬化させた商人を支える。
ナノも手を貸そうとしたが、黒い石片から目を離せなかった。
ただの石ではない。
表面には人工核と同じ刻印がある。しかし、腹部へ埋め込まれていた核ほど大きくない。
針。
術式を打ち込み、石の力を吸い出すための道具。
そんな印象を受けた。
「ナノ、下がれ!」
ロガの声。
黒い石片の先端から、細い黒光が走った。
ナノは咄嗟に横へ跳ぶ。
光が地面を裂き、その場所の草が一瞬で灰色に変わった。葉の緑が抜け落ち、乾燥し、粉のように崩れる。
「今の、生命力まで吸ったのか……?」
セイルの声が震えた。
ナノは石眼を開く。
――人造術式具。
――仮称、吸魔針。
――対象属性、風。
――周辺魔力、強制収束。
――蓄積先……遠隔接続。
――接続方向、北東。
――停止条件、術式環破壊。
情報が頭へ流れ込む。
北東。
昨日見つけた翠風石の力も、同じ方向へ流れていた。
この黒い針は、吸い取った力を北東の何かへ送り続けている。
「グレンさん! これは力を溜めてない! 吸った力を北東へ送ってます!」
「止め方は!」
「術式環を壊せば止まります。でも……」
ナノは目を凝らす。
黒い石片の周囲に、3本の細い線が円を描いている。肉眼ではほとんど見えない。風と魔力が絡み、透明な輪を作っていた。
「周りに3つ、風の輪があります! 石本体を壊す前に、全部切らないと力が逆流するかもしれません!」
グレンがすぐに指示を出す。
「位置を言え」
「1つ目は地面近く、荷車側。2つ目は木の高さ。3つ目は……上です!」
見上げる。
黒い石片の真上、枝の間に空気の歪みが見えた。
最も高い輪。
ロガが顔をしかめる。
「上って、どうやって壊すんだよ」
「投げればいい」
セイルが剣を抜いた。
細身の刃へ、胸元の青い鑑定石から淡い光が流れる。
「俺の剣は風術式を少しだけ切れる。低い2つは任せろ。上は誰かが石を当てろ」
ロガがナノを見る。
「またお前の出番か」
「黒錆共鳴は使わない」
「本当に?」
「今の風に黒錆を混ぜたら、何が起きるか分からない。普通に投げる」
ナノは足元から、丸みのある地上の石を拾った。
坑道の石とは違い、雨と土に磨かれた柔らかな形。重さを確かめる。
上の輪は揺れている。
風の流れに合わせ、位置が少しずつ変わる。
すぐ投げても当たらない。
ナノは呼吸を整えた。
葉の動き。
吸い込まれる風。
輪が縮む瞬間。
「ロガ、風が強くなる時を教えて」
「俺が?」
「俺は上を見る。ロガは地面の葉を見て。吸い込みが強くなる直前、全部同じ方向へ動くはず」
ロガは一瞬驚いたが、すぐに頷く。
「分かった。任せろ」
グレンが戦槌で最も低い輪を狙う。
「ナノ、合図しろ」
セイルも剣を構えた。
ナノは石眼を閉じた。
これ以上使い続ければ、頭が鈍る。
後は自分の目で見る。
「今から風が弱くなります……まだ……」
黒い針が再び脈打つ。
枯れ葉が激しく舞う。
ロガが叫ぶ。
「次だ! 一瞬、葉が止まる!」
その瞬間、上空の輪が縮んだ。
「今!」
グレンの槌が地面近くの空気を叩く。
何もない場所から、硝子が割れるような音が響いた。
セイルの剣が横へ走り、木の高さの輪を切り裂く。
2つの風環が砕けた。
黒い針が激しく震える。
ナノは上へ石を投げた。
石は枝の間を抜け、目には見えない輪へ向かって飛ぶ。
だが、わずかに右へ逸れた。
「外れる!」
ロガの声。
ナノの右手が反射的に熱を帯びる。
黒錆共鳴。
一瞬だけ硬さを乗せ、風に押し返せば届く。
しかし、今投げた石にはもう触れられない。
なら別の石を。
そう考えた瞬間、セイルが叫んだ。
「最初の石が風に乗って戻る!」
外れた石が、吸い込みによって軌道を曲げた。
ぐるりと黒い針の上を回り、逆方向から風環へ衝突する。
ぱきん。
3つ目の環が砕けた。
「全部切れた!」
ナノの声と同時に、グレンが前へ出る。
「白剛震槌!」
戦槌が黒い石片を打ち砕いた。
黒い亀裂が走り、石片が細かな破片へ変わる。
次の瞬間、周囲へ吸い込まれていた風が一気に解放された。
爆発するような突風。
ナノの体が後方へ吹き飛ばされる。
「ナノ!」
ロガが腕を伸ばす。
指先が触れ、手首を掴まれた。
2人は地面へ転がり、泥の中で止まった。
耳の奥で風が鳴っている。
数秒後、森に音が戻った。
葉が揺れる。
鳥が驚いて飛び立つ。
遠くで水が流れる。
空気が、再び息をし始めた。
ナノは仰向けになり、荒い息を吐いた。
「……止まった」
「先に俺の腕が抜けるかと思った」
ロガも泥だらけで横に倒れている。
「でも掴んでくれた」
「お前が飛んでったら、ミラさんに俺が殺される」
「それだけ?」
「それ以外に何がある」
ロガは顔を逸らした。
掴んだ手だけは、すぐに離さなかった。
セイルが砕けた黒い破片を封印袋へ入れる。
その表情は暗い。
「これ……師匠の記録に描かれていた形と同じだ」
「吸魔針を知っていたのか?」
グレンが尋ねる。
「名前まではなかった。ただ、力を抜かれた宝石の近くで、黒い針状の物体が見つかることがあると」
「誰が作ったかは?」
「師匠は、宝石商ギルドの中に協力者がいる可能性を疑っていた」
ナノは起き上がった。
「ギルドの中に?」
「認可店で売られた石からも力が抜かれている。外から盗んだだけでは説明できない」
リュネアの宝石商ギルド。
これから向かう場所。
人工核を調べられる鑑定士がいる場所。
そして、人造術式の協力者が潜んでいるかもしれない場所。
森に戻った風が、ナノの頬を冷たく撫でた。
風は動き始めた。
けれど、その先に待つものは、昨日までよりもずっと危険に思えた。
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