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無能スキル【石】と追放された俺~宝石の力で成り上がる~  作者: 海老沢大地
第4章 外界への旅立ちと人造魔石の謎

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第61話 風の止まった交易路

 交易路を北へ進むにつれ、朝の霧は少しずつ薄くなっていった。


 濡れた草の葉に朝日が触れ、無数の水滴が白く光っている。道の両側には深い森が続き、枝の隙間から差し込む光が、泥の残る轍を細く照らしていた。


 けれど、ナノには妙な違和感があった。


 風がない。


 つい先ほどまで、木々の梢は絶えず揺れていた。葉が擦れ、草が波打ち、湿った空気が髪を撫でていたはずだ。


 今は何も動いていない。


 枝先も、草も、道端に垂れた蜘蛛の糸さえ静止している。


「……止まってる」


 ナノが足を止めると、ロガが振り返った。


「何がだ?」


「風。さっきまで吹いてたのに、急に消えた」


 ロガは周囲を見回した。最初は不思議そうな顔をしていたが、次第に眉間へ深いしわが刻まれる。


「本当だな。鳥の声も聞こえねぇ」


 その言葉で、ナノも気づいた。


 森が静かすぎる。


 羽音も、虫の声もない。遠くで流れていたはずの小川の音さえ、厚い布に包まれたように弱くなっている。


 静かというより、何かに音を吸われている。


 セイルが腰の剣へ手を伸ばした。


「風喰らいの痕跡に近い。師匠の記録にも、術式が動いている場所では周囲の風が死ぬと書いてあった」


「風が死ぬ……」


 ナノは自分の口から出た言葉に、背筋が冷えるのを感じた。


 風は目に見えない。


 けれど、地上へ出てからナノは、風が常に世界を動かしていることを知った。葉を揺らし、匂いを運び、雲を流し、生き物の気配を知らせる。


 それが一斉に止まっている。


 空気そのものが息を潜めているようだった。


 グレンは道端へしゃがみ込み、土を指でなぞった。


「荷車の跡がある」


「交易商人ですか?」


 ナノも近づく。


 泥の中に深い轍が2本伸びていた。その横には人の靴跡と、蹄の跡がいくつも残っている。


 だが、途中から足跡が乱れていた。


 蹄が横滑りし、荷車の轍が大きく蛇行している。人の足跡も、走ったように深く土へ食い込んでいた。


 ロガが口元を硬くする。


「襲われた跡か」


「まだ新しい」


 セイルが土を触り、指先についた泥を確かめた。


「乾いていない。今朝か、遅くても昨夜だ」


 道の先は緩い下り坂になっていた。


 木々が密集し、薄暗い。


 その奥から、かすかな音がした。


 きい……。


 木が軋むような音。


 次に、何かが地面を擦る音。


 ずる。


 ずる。


 全員が武器を構えた。


「俺が先に行く」


 グレンが低く告げる。


 ナノは無意識に一歩前へ出た。


「俺も――」


「後ろだ」


 短い言葉に止められる。


「でも、石の異変なら俺が見ないと」


「見る時はこちらから言う。先に危険へ頭を突っ込むな」


 言い返したい気持ちはあった。


 だが、グレンの背中を見て、ナノは唇を噛んだ。


 守られていることが悔しい。


 それでも、役割を間違えれば仲間を危険にする。そのことも、今は理解している。


「……分かりました」


 ナノはロガの横へ戻った。


 ロガが小さく肘を当ててくる。


「よく止まれたな」


「少し行きたかった」


「顔を見れば分かる」


「でも止まった」


「ああ。それでいい」


 4人は足音を抑え、坂を下った。


 やがて木々の間から、横倒しになった荷車が見えた。


 車輪は片方が外れ、積み荷の木箱が道へ散乱している。箱の蓋は壊され、中から緑色や青色の小石が転がり出ていた。


 宝石だ。


 だが、どれも色が薄い。


 輝きがなく、灰を被ったように濁っている。


 ナノの胸がざわついた。


「全部……力が抜かれてる」


 荷車の横には、2人の人族が倒れていた。


「人がいる!」


 ナノが走りかける。


「待て!」


 グレンの声が飛んだ。


 だが、倒れていた1人がわずかに腕を動かした。


「た……助け……」


 弱い声。


 ナノの体は考えるより先に動いていた。


 ロガも同時に走る。


「おい、ナノ! 勝手に行くな!」


「生きてる!」


「分かってる! だから一緒に行く!」


 2人は倒れた男のもとへ駆け寄った。


 年配の商人だった。額から血を流し、右腕を胸へ抱え込んでいる。その右手は指先から手首まで灰色に変色し、石のように硬くなっていた。


「腕が……動かねぇ……」


 男の声が震えている。


 ナノは手を伸ばしかけ、寸前で止めた。


 魔石毒かもしれない。


 黒錆や人工術式の影響なら、素手で触れるのは危険だ。


「セイルさん、この症状は?」


 セイルが膝をつき、硬化した腕を観察する。


「風属性の枯渇と、何か別の魔力が混ざってる。石化に近いが、普通の呪いじゃない」


 ナノの掌の石紋が熱を持った。


 石眼を使えば、分かるかもしれない。


 だが、倒れている男の体内を読むことになる。魔石とは違う。無理に見れば、相手にも自分にも何が起こるか分からない。


「見るなら短くしろ」


 グレンが追いつき、ナノの横へ立った。


「はい」


 ナノは男へ声をかける。


「腕の状態を見るために、俺の力を使います。少し気分が悪くなるかもしれません」


 男は苦しそうに頷いた。


「た、頼む……切り落とすのだけは……」


「切りません。できる限り、戻す方法を探します」


 自信があるわけではない。


 それでも、不安に震えている相手へ「分かりません」とだけ言うことはできなかった。


 ナノは深く息を吸い、石眼を開いた。


 視界が白く染まる。


 男の右腕に、細い灰色の線が浮かび上がった。


 ――外部魔力侵入。


 ――風属性魔力、強制吸引。


 ――残留術式、硬化封鎖。


 ――吸引経路……掌。


 ――術式核、存在せず。


 ――外部接続、切断済み。


 ナノはすぐに石眼を閉じた。


 頭の奥に鈍い痛みが残る。


「力を吸われたあと、腕の中の魔力の道が固められています。でも、今はもう何かと繋がってはいません」


「治るのか?」


 男の声には、縋るような必死さがあった。


「俺には今すぐ治せません。でも、術式は進んでいない。治療師に診てもらえば、戻る可能性はあります」


 断定はできない。


 だからこそ、希望だけを言うのではなく、分かったことを正確に伝える。


 男の目から力が抜け、安堵の涙が滲んだ。


「よかった……まだ、腕が……」


 ロガがもう1人の倒れている若者を確認する。


「こっちは気を失ってるだけだ。頭を打ってる」


 グレンが周囲を見渡した。


「襲ったものはまだ近い可能性がある。長居はできん」


 ナノは散らばった宝石を見る。


 翠風石。


 水色の石。


 乳白色の石。


 どれも中心が暗く、力を失っていた。


 その中に、1つだけ異様なものがあった。


 割れた木箱の陰で、黒い針のような石片が土へ突き刺さっている。


 人工核と同じ、光を吸い込む黒。


 ナノの石紋が、警告するように強く熱を持った。


「グレンさん……あれ」


 全員の視線が黒い石片へ向く。


 その瞬間、止まっていた森の風が一斉に動いた。


 ごうっ、と周囲の空気が黒い石片へ吸い込まれる。


 木々が内側へ大きくしなる。


 散らばっていた宝石が震え、地面を転がり始めた。


 セイルが顔色を変えた。


「風喰らいの術式が、まだ生きてる!」


 黒い石片の奥で、何かが目を覚ましたように脈打った。


 ナノは倒れている商人を庇うように前へ出た。


 風のない交易路で止まっていた異変が、再び動き始めた。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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