第59話 力を失った翠石
緑色の石を巡る騒ぎは、集落の衛兵が来ても収まらなかった。
宿の酒場には、張りつめた空気が残っている。
さっきまで酒を飲んでいた者たちも声を落とし、商人と若い男のやり取りを遠巻きに見ていた。
商人は宝石箱を両手で抱え込んでいる。まるで中の石を守っているというより、誰にも奪われないよう閉じ込めているようだった。
若い男は衛兵2人に囲まれている。
腰の剣は預けさせられたが、拘束はされていない。
「俺は何もしてない」
若い男は繰り返した。
先ほどより声は小さい。
怒鳴る力も尽きたのか、焦りと悔しさが混ざっていた。
「鑑定しただけだ。これは翠風石だって言った。それ以上は何もしてない」
「なら、なぜ力が消えた!」
商人の声がまた大きくなる。
「この石はエルフ領で買った希少石だぞ! 風避けの護符として、大銀貨20枚も払ったんだ!」
翠風石。
初めて聞く名前だった。
ナノは箱の中の石を見つめる。
石は親指ほどの大きさ。
本来なら鮮やかな緑色なのだろう。けれど、今は薄い灰色が混じり、中心だけが空洞になったように暗い。
魔石が砕けた時とも違う。
力が枯れた石。
抜け殻。
そんな言葉が浮かんだ。
グレンが衛兵へ近づく。
「話を聞かせろ」
衛兵の1人は、グレンの胸元にあるドワーフ坑道師の紋章を見て、姿勢を正した。
「ガルバ坑道街の方ですか」
「ああ。この石の異変を調べたい」
商人が顔をしかめる。
「調べる? また他人に触らせろと?」
「触らない」
グレンはナノを見る。
「こいつに、離れたまま見せる」
商人の視線がナノへ移る。
人族。
若い。
細い。
その目には、露骨な疑いが浮かんだ。
「こんな子どもに何が分かる」
ナノの胸が縮む。
神託塔で笑われた時の感覚が、一瞬だけ戻った。
だが、以前とは違う。
逃げるように俯かなかった。
「俺は魔石狩り班の準構成員です」
声は少し震えた。
それでも胸元の灰黒色の札を見せる。
「石や魔石の状態を読む訓練を受けています。壊したり、触れたりはしません。見るだけです」
商人は札を見た。
完全に信用した顔ではない。
それでも、グレンと衛兵の存在があるためか、しぶしぶ箱を机へ置いた。
「触るなよ」
「はい」
ナノは石から2歩離れた場所に立った。
ロガが横へ来る。
「無理するな」
「うん。一瞬だけ見る」
「変だったらすぐ閉じろ」
「分かってる」
ナノはゆっくり息を吸った。
石眼を開く。
視界が白く滲む。
緑色の石に情報が浮かぶ。
――翠風石。
――天然宝石。
――内包属性、風。
――蓄積魔力……欠損。
――内部構造……空洞化。
――外部吸引痕。
――人工術式残滓。
ナノの息が止まる。
人工術式。
人造魔石の人工核に残っていたものと、似た冷たい違和感。
さらに見ようとすると、石眼の情報が一瞬乱れた。
暗い線。
細い針のような跡。
石の中心から何かを抜き取った痕。
「ナノ」
ロガの声。
「閉じろ。顔色が変だ」
ナノはすぐに石眼を閉じた。
頭の奥が少し痛む。
けれど、以前のような強い反動ではない。
「分かったことは?」
グレンが聞く。
ナノは呼吸を整えた。
「石は偽物じゃありません。本物の翠風石です」
商人の目が少し見開かれる。
「でも、中の風の力が抜かれています。自然に枯れたんじゃない。外から何かに吸われた跡があります」
「吸われた?」
「はい。人造魔石の人工核に似た、外部術式の跡です」
酒場がざわめいた。
商人は若い男を指差す。
「やはりこいつが!」
「違います」
ナノは思わず強い声を出した。
自分でも驚いた。
商人も黙る。
「この人が触って吸ったなら、石からこの人へ向かう痕が残ると思います。でも、吸引痕はもっと前からあります」
「そんなことまで分かるのか」
「断定はできません」
ナノは正直に答えた。
「でも、石の外側に古い傷があります。力が抜かれたのは、今日触られる前だった可能性が高いです」
若い男がナノを見る。
「つまり、俺は無実だって?」
「完全には分かりません。でも、少なくともあなたが触った瞬間に力が抜けたわけではないと思います」
商人は箱を覗き込んだ。
「では、なぜ朝までは光っていた」
グレンが答える。
「術式で残光だけを保っていた可能性がある」
「残光?」
「力が残っているよう見せかける。一定の時間か、誰かが触れた刺激で術式が切れ、本来の状態が露出した」
若い男が顔を上げる。
「俺が触れたから、隠していた術が切れた?」
「可能性はある」
商人の顔が青ざめる。
「では、私は力を抜かれた石を買わされたのか」
「どこで買った」
グレンが聞く。
「エルフ領との境にある交易都市、リュネアだ。宝石商ギルドの認可店で買った。3月前だ」
リュネア。
グレンはその名前を覚えるように繰り返した。
「次の目的地に近い」
「そこへ行くんですか」
ナノが聞く。
「ああ。人工核の刻印を読める者が、リュネアの宝石商ギルドにいる」
外縁集落の異変と、ナノたちの目的地が繋がった。
偶然ではない気がした。
衛兵は若い男の剣を返した。
「現時点で拘束する理由はない。だが、事情を記録するため、今夜までは集落を出るな」
「分かった」
若い男は剣を受け取り、ナノへ向き直った。
先ほどの鋭い目つきは少し和らいでいる。
「助かった。俺はセイル」
「ナノです」
「見たところ、旅人だろ。リュネアへ向かうのか」
「はい」
セイルは少し考えたあと、低く言った。
「俺も行く」
ロガがすぐに眉を寄せた。
「なんでだよ」
「俺は鑑定士見習いだ。触った石の力が消えたなんて噂が広がれば、仕事ができなくなる。原因を突き止めないと、無実でも終わりだ」
「俺たちに関係ないだろ」
「関係ある。翠風石の術式を見抜いたのはナノだ。人工核を調べるなら、俺の鑑定も役に立つ」
ロガは明らかに警戒していた。
知らない人族。
旅の途中で突然同行を申し出る者。
信用できないのは当然だった。
ナノも迷った。
セイルが本当に無実か、確定したわけではない。
けれど、彼の胸元の青い石からは、黒い人工術式の気配は感じなかった。
「グレンさん」
ナノが見る。
グレンはセイルをじっと見つめた。
「明日の朝までに、お前の身分と過去を調べる」
「構わない」
「問題がなければ、リュネアまで同行を認める。ただし、勝手な行動はするな」
「分かった」
セイルは頷いた。
ロガはまだ納得していない顔だった。
「ナノ」
「何?」
「簡単に信用するなよ」
「分かってる。でも、最初から疑い続けるのも違うと思う」
「お前はそういうところが甘い」
「ロガは少し疑いすぎる」
「俺が疑う。お前が見る。それでちょうどいい」
セイルが2人を見て、わずかに笑った。
「本当に相棒なんだな」
「誰がこいつと!」
ロガが即座に否定する。
ナノは苦笑した。
だが、胸の奥には重い不安が残っていた。
人造魔石の術式は、魔物の体だけではない。
宝石の力まで抜き取り、偽物の輝きで隠すことができる。
誰が。
何のために。
抜き取った力を、どこへ運んでいるのか。
灰色に濁った翠風石は、答えを失ったまま、箱の中で沈黙していた。
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