第48話 戻ってこいの声
黒錆粉小鬼の魔石を回収する作業は、いつも以上に慎重だった。
背中の袋を傷つければ、残った黒錆粉が一気に舞う。セリカは袋の根元を糸で縛り、ダルガが魔石の位置を確認する。ナノは少し離れた場所で見ていた。右腕にはまだ共鳴の余熱が残っている。
見たい。
近づいて、魔石の状態を確かめたい。
黒錆粉小鬼の魔石は、黒錆魔石そのものではない。だが、黒錆粉を溜め込む個体の魔石だ。きっと、黒錆への反応を知る手がかりになる。
ナノの足が、わずかに前へ出た。
「ナノ」
ロガの声が低く飛んだ。
ナノは止まった。
「……ごめん。今、近づきかけた」
「知ってる。だから呼んだ」
ロガはナノの横に立ったまま、魔石の方を見ないようにしている。いや、見ないようにしているのではない。ナノの動きを見ているのだ。
「ロガ、ずっと俺を見てると疲れない?」
「疲れる」
「即答なんだ」
「でも、見てない方がもっと疲れる。お前、危なっかしいからな」
ナノは苦笑した。
「自分でもそう思う」
「思うなら、少しは大人しくしてろ」
「してるつもり」
「つもりで足が前に出るのが問題なんだよ」
返す言葉がなかった。
ダルガが回収した魔石を小瓶に入れる。小瓶の中には、黒というより赤黒い砂が固まったような魔石があった。表面はざらつき、中心に小さな黒い芯がある。
黒錆粉小鬼の魔石。
ナノの右腕がまた熱を持った。
ロガが気づく。
「熱いのか」
「うん。でも、さっきよりは小さい」
「嘘じゃないな?」
「嘘じゃない」
「ならいい」
その時、通路の奥から音がした。
かり、かり。
爪で石を引っ掻くような音。
ダルガが片手を上げる。
「まだいる」
全員が構える。
岩陰から出てきたのは、黒錆粉小鬼ではなかった。
小さな四足の魔物。背中に薄い鉄片のような殻を持ち、鼻先で黒錆粉を舐め取っている。目はほとんど退化しているのか、白く濁っていた。
「粉舐め鼬だ」
セリカが低く言った。
「黒錆粉の残りを食べに来る掃除屋みたいな魔物さ。弱いけど、粉を体内に溜める」
粉舐め鼬は、こちらを見るなり逃げようとした。
「逃がすな。坑道内に黒錆粉を運ばれる」
ダルガの声。
ナノは動きかけたが、ロガが止めた。
「お前は見る」
「でも」
「見る」
強い声だった。
ナノは歯を食いしばり、足を止めた。
見る。
粉舐め鼬は小さい。速い。だが背中の殻が重いせいで、曲がる時に外へ膨らむ。逃げ道は右の細い隙間。
「右の隙間に行きます! 曲がる時、外へ膨らむ!」
セリカが投げ刃を放つ。
刃は魔物ではなく、右の隙間の手前に刺さった。粉舐め鼬は驚いて進路を変える。
そこへロガが踏み込んだ。
「俺が行く!」
ロガの小槌が床を叩き、粉舐め鼬の進路を塞ぐ。ダルガが網を投げた。魔物は絡め取られ、暴れる。
ナノは思わず一歩近づいた。
「ナノ!」
ロガの声が飛ぶ。
戻ってこい、という声ではなかった。だが、その響きは同じだった。
ナノは止まった。
右腕の熱が引く。
「……ごめん」
「謝るより、止まれたことを覚えろ」
ロガの声は荒かった。息も上がっている。粉舐め鼬を押さえながら、それでもナノを見ていた。
胸が痛んだ。
自分が危ういせいで、ロガは戦いながらこちらまで見なければならない。
「ロガ、俺……」
「今言うな。あとで聞く」
ロガはそう言って、粉舐め鼬を押さえた。
*
依頼を終えて戻る途中、ナノはずっと黙っていた。
坑道の壁には灯石の光が細く伸びている。石粉が舞い、口元の布に黒い点を作っていた。
ロガが隣を歩く。
「で、さっき何言おうとした」
ナノは少し迷ってから言った。
「俺のせいで、ロガに負担をかけてる」
「今さらだな」
「そこは否定してほしかった」
「嘘は言わねぇ」
ロガは前を見たまま続けた。
「でも、俺が見てるって決めた。だから、それは俺の仕事だ」
「仕事……」
「相棒の仕事だろ」
ナノは足を止めかけた。
ロガも自分が何を言ったか気づいたらしく、顔をしかめた。
「今のは……」
「うん」
「言い間違いじゃない」
ロガは小さく吐き捨てるように言った。
「お前が黒錆に持ってかれそうになったら、俺が戻す。俺が突っ走ったら、お前が止めろ。それでいいだろ」
ナノの胸の奥が熱くなった。
黒錆の熱とは違う。
もっと柔らかく、苦しいほど温かいものだった。
「うん。俺も、ロガを止める」
「俺はお前ほど危なっかしくねぇよ」
「でも、照れるとすぐ怒る」
「それは関係ないだろ!」
久しぶりに、ナノは自然に笑った。
坑道の冷たい空気の中で、その笑い声は小さく響いた。
戻ってこいの声。
それはナノを黒錆から引き戻す、もうひとつの護符になり始めていた。
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