第47話 粉を撒く小鬼
黒錆共鳴の訓練を終えた翌日、坑道ギルドに新しい依頼が貼り出された。
依頼札の端には、赤い布が結ばれていた。完全な危険依頼ではないが、通常の見習い依頼より注意が必要な印だ。
北鉱道補助路。黒錆粉を撒く小鬼の駆除。
危険度E上位。推奨人数3名以上。対象、黒錆粉小鬼。
ナノはその名前を見た瞬間、眉を寄せた。
「黒錆粉小鬼……?」
隣でロガも依頼札を覗き込む。
「ゴブリンじゃないのか」
ラウネがカウンターから答えた。
「分類上はゴブリン系よ。でも通常の鉄鋼ゴブリンほど体は大きくない。黒錆化した鉱石粉を食べて、背中の袋に溜め込む個体。坑道夫たちは昔から黒錆粉小鬼って呼んでるわ」
ナノは札の文字を見つめた。
一般的な名前ではない。この坑道で、働く者たちが危険を覚えるためにつけた呼び名。魔物名というより、坑道の記憶そのものに近かった。
「粉を撒くんですか」
「ええ。追い詰めると背中の袋を破って黒錆粉を撒く。吸うと痺れと硬直。ナノ、あなたは特に近づきすぎないこと」
ラウネの声は事務的だったが、目は真剣だった。
ナノは頷いた。
「分かっています。……でも、この依頼は俺に関係がありますよね」
「あるわ。黒錆共鳴を実戦で保つ前に、黒錆粉への反応を知る必要がある。ただし、今回はグレンとダルガ班が同行。あなたは後方の見極め役」
ロガがすぐに言った。
「俺も行く」
「もちろん。止め役として」
「完全に役目が固定されてるな」
「重要な役目よ」
ロガは何か言い返そうとして、諦めたように肩を落とした。
*
北鉱道補助路は、以前の資材置き場より狭かった。
天井が低く、壁には古い鉄板の補強がいくつも打ちつけられている。ところどころ錆び、剥がれた鉄板の裏から黒い粉がこぼれていた。空気は乾いているのに、鼻の奥に湿った鉄の匂いがまとわりつく。
ナノは口元の布を強く結んだ。
息が少し苦しい。けれど、黒錆粉を吸うよりはいい。
先頭はダルガ。右にセリカ。後方にナノとロガ。そのさらに後ろにミラがいる。
グレンは今回は直接前に出ず、ナノの近くを歩いていた。
「近くで見るな」
グレンが低く言った。
「見極め役なのに、見すぎるなって難しいですね」
「石眼に頼るなという意味だ。粉の流れ、足跡、袋の膨らみを見る。全部を石眼で読もうとするな」
「はい」
ナノは足元を見た。
小さな足跡がある。ゴブリンより小さい。爪の跡が浅く、歩幅も短い。ただ、その周囲に赤黒い粉が散っていた。
「近いです。足跡が新しい」
セリカが頷く。
「粉も湿っていない。さっき通ったね」
奥から、きしきしという音が聞こえた。
袋が擦れるような音。
ナノの右腕がわずかに熱を持つ。
岩陰から、小さな影が出てきた。
黒錆粉小鬼。
背丈はナノの腰ほどしかない。細い腕、曲がった背中、灰黒い皮膚。だが背中には異様に膨らんだ袋のような器官があり、その表面に赤黒い粉がこびりついている。目は黄色く濁り、口元からは鉄粉混じりの涎が垂れていた。
1匹だけではない。
岩陰の奥に、さらに2匹。
「3匹」
ナノが小声で言う。
ダルガが頷いた。
「袋を破るな。足を落として、腹を取る」
セリカが左へ回る。
その瞬間、1匹が甲高く鳴いた。
きぃ、と耳の奥を刺すような声。
黒錆粉小鬼が背中を膨らませる。
「撒くぞ!」
ダルガが叫んだ。
ナノは反射的に石眼を開きかけた。
だが、寸前で止めた。
粉の動きは見える。石眼を使わなくても、背中の袋の裂け目から粉が噴き出す方向は分かる。
「右へ流れます! 左壁側なら薄い!」
ナノが叫ぶ。
ダルガ班が即座に左へ動く。
粉が右側の通路へ舞った。灯石の光が赤黒く濁る。吸い込めば危険な粉が、霧のようにゆっくり広がっていく。
ロガがナノの腕を掴んだ。
「下がるぞ」
「でも、まだ」
「見るのは仕事だ。でも粉の中に突っ込むのは仕事じゃねぇ」
ナノは息を呑んだ。
「……分かった」
ロガに引かれ、半歩下がる。
ダルガが前に出る。盾で小鬼の動きを封じ、セリカが足を切る。袋には触れない。腹部の魔石を狙うため、慎重に倒す。
1匹目。
2匹目。
だが、3匹目が壁をよじ登った。
「上!」
ナノが叫ぶ。
小鬼は天井の古い鉄板に爪を立て、背中の袋を震わせている。上から粉を撒くつもりだ。
このままでは全員に降る。
ナノの右腕が熱を持つ。
黒錆共鳴を使えば、投げた石を強くできるかもしれない。
でも危ない。
昨日の訓練でも、欲が出た。
「ナノ、使うなら言え」
グレンの声。
ナノは護符を握った。
「……使います。短く。石を投げるだけです」
鉄鋼魔石、鱗硬化、黒錆化前魔石。
共鳴を一瞬だけ通す。
右腕に赤黒い熱が来る。怖い。けれど、熱は肩へ散る。指は動く。
ナノは足元の小石を拾った。
「百錬成鋼……微」
投げる。
小石は一直線に飛び、天井の鉄板ではなく、小鬼の足元の留め具を弾いた。鉄板が揺れ、小鬼が体勢を崩す。
袋は破れない。
セリカの投げ刃が小鬼の足を切り、ダルガが下で受けた。
ナノはすぐに共鳴を切った。
右腕が重い。
だが、戻れた。
ロガが肩を掴んだまま言う。
「今のは……悪くなかった」
「怖かった」
「だろうな。俺も怖かった」
ロガがそう言ったことに、ナノは少し驚いた。
「ロガも?」
「当たり前だろ。お前が黒錆に持ってかれたら、俺が困る」
その声は乱暴だったが、震えが少し混じっていた。
黒錆粉小鬼は倒れた。
粉は舞っている。
けれど、袋を破らずに3匹とも制圧できた。
ナノは右腕を押さえながら、荒い息を吐いた。
実戦の中で、黒錆共鳴を使い、戻ってこられた。
小さな一瞬。
だが、それは確かに次の段階だった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
続きが気になったら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。




