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無能スキル【石】と追放された俺~宝石の力で成り上がる~  作者: 海老沢大地
第1章 無能スキル【石】と谷底のダイヤモンド

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第4話 ダイヤモンドの覚醒


 水鉱ガキの牙が、ナノの喉元へ迫った。


 青黒い皮膚は水を吸ってぬめり、口の端からは生臭い唾液が糸を引いている。濁った黄色の目には、獲物を見つけた魔物特有の飢えが宿っていた。


 ナノは腰が抜けたまま、足元の黒い石を振り上げた。


 武器と呼べるものではない。


 角もない。

 磨かれてもいない。

 道端に転がっていれば、誰にも見向きされない石。


 だが、ナノの掌に浮かんだ菱形の紋様が、淡く光った。


 石が重くなる。


 ただの重さではなかった。


 手の中の小さな石に、地面そのものの硬さが宿ったような感覚。ナノの腕は細く、力もないはずなのに、振り下ろす瞬間だけ、石がナノの動きに合わせて沈み込むように加速した。


「う、うわああああっ!」


 叫び声とともに、石が水鉱ガキの頭に叩きつけられた。


 鈍い音。


 骨ではない。


 鉱石が割れるような、乾いた硬い音だった。


 水鉱ガキの体が横へ弾け飛ぶ。


 岩場に叩きつけられた魔物は、短い悲鳴を上げて転がった。背中の青黒い鉱石棘が砕け、破片が地面に散る。


 ナノは自分の手を見た。


 今のは、自分の力なのか。


 信じられなかった。


 神託では筋力Fだった。


 石工場の手伝いをしていたとはいえ、父のように石槌を振るえる腕ではない。魔物を吹き飛ばす力など、自分にあるはずがなかった。


「な、なんだよ……今の……」


 声が震えた。


 だが、考える時間はなかった。


 水鉱ガキが起き上がる。


 頭の片側が割れ、黒い血のような液体が流れていた。それでも死んでいない。むしろ、怒りで目の色が濃くなっている。


 魔物は低く唸った。


 地底湖の水面が、その声に震える。


 ナノは後ずさった。


 背後は岩壁。


 逃げ場はない。


「こ、来るな……来るなって……!」


 言葉は情けないほど弱かった。


 けれど、魔物に通じるはずもない。


 水鉱ガキが再び跳んだ。


 今度は真正面ではない。


 低く、地を這うように、ナノの足を狙ってきた。


 ナノはとっさに石を構えた。


 だが、遅い。


 水鉱ガキの牙が、ナノの左足に食い込んだ。


「っ、ああああっ!」


 痛みが走る。


 肉を噛み裂かれる感覚に、視界が白く弾けた。ナノは反射的に魔物の頭を殴った。1回、2回、3回。


 石を叩きつけるたび、掌の紋様が熱を持つ。


 水鉱ガキの牙がようやく離れた。


 ナノは転がるように距離を取った。


 左足から血が流れている。


 痛い。


 怖い。


 立てない。


 魔物はまだ死んでいない。


 ナノは荒い息を吐きながら、石を握りしめた。


「嫌だ……」


 声が漏れた。


「嫌だ、嫌だ、嫌だ……俺、まだ……」


 まだ死にたくない。


 その言葉が喉まで出かかった瞬間、父の声が頭の中で響いた。


 生きろ。


 母の声も聞こえた。


 あなたが生きている限り、私たちは終わらない。


 ナノは唇を噛んだ。


 血の味がした。


「……そうだ」


 震える声で呟く。


「俺が死んだら、本当に終わる」


 父も母も、自分を逃がすために残った。


 あの2人が命をかけて押し出した未来を、ここで魔物に食われて終わらせるのか。


 そんなのは嫌だ。


 怖い。


 痛い。


 逃げたい。


 でも、死ねない。


 ナノは足元の石をさらに掴んだ。


 1つでは足りない。


 周囲には、黒い石、青白い鉱石片、砕けた水鉱ガキの棘が散らばっている。


 掌の紋様が熱くなる。


 頭の奥に、また文字が浮かんだ。


 ――鉱物接触。


 ――低純度水鉱片を確認。


 ――吸収不可。


 ――武装補助として使用可能。


「武装……補助?」


 ナノは意味を理解できなかった。


 だが、体は勝手に動いた。


 右手に黒い石。


 左手に青黒い鉱石棘。


 水鉱ガキが唸る。


 ナノは痛む足を引きずりながら、なんとか立ち上がった。


 膝が震えている。


 息も乱れている。


 顔は涙と水と血でぐしゃぐしゃだった。


 それでも、立った。


「こいよ……」


 声は小さかった。


 水鉱ガキが首を傾ける。


 ナノは歯を食いしばった。


「こ、来いよ! 俺は、まだ死ねないんだ!」


 魔物が跳ぶ。


 ナノは左手の鉱石棘を投げた。


 狙いはめちゃくちゃだった。


 だが、鉱石棘は空中でわずかに軌道を変えた。


 掌の紋様が光った瞬間、棘が水鉱ガキの片目へ吸い込まれるように突き刺さった。


 魔物が悲鳴を上げる。


 ナノは叫びながら踏み込んだ。


 左足に激痛が走る。


 それでも止まらない。


 右手の黒い石を、魔物の頭へ叩き込む。


 1回。


 2回。


 3回。


「死ね……死ねよ! 俺を、俺を食うな!」


 声はもう、恐怖と怒りでぐちゃぐちゃだった。


 水鉱ガキが暴れる。


 爪がナノの腕を裂く。


 肩に牙がかすめる。


 それでも、ナノは石を振り下ろした。


 4回目。


 石が砕けた。


 同時に、水鉱ガキの頭部に埋まっていた青黒い魔石が割れた。


 魔物の体がびくりと震える。


 そして、動かなくなった。


 静寂が戻る。


 水音だけが聞こえる。


 ナノはその場に膝をついた。


「はっ……はっ……はぁっ……」


 息が荒い。


 腕が震えている。


 石を握っていた手の皮が裂け、血が流れている。肩も足も痛い。だが、生きている。


 初めて、魔物を倒した。


 倒してしまった。


 ナノは動かなくなった水鉱ガキを見た。


 胃の奥がひっくり返りそうになる。


 怖かった。


 気持ち悪かった。


 けれど、その死骸から目を逸らせなかった。


「俺が……やったのか……」


 呟いた瞬間、水鉱ガキの胸元が淡く光った。


 割れた魔石の奥に、小さな青黒い欠片が残っている。


 ナノの掌の紋様が反応した。


 ――低級水鉱魔石を確認。


 ――吸収しますか。


 ナノは顔を歪めた。


「また……かよ」


 さっきの痛みを思い出す。


 骨の中を削られるような感覚。


 体が作り替えられるような恐怖。


 もう一度あれを味わうのかと思うと、喉が詰まった。


 だが、足の傷が痛む。


 肩の傷から血が流れている。


 ここが安全な場所ではないことは、もう分かっていた。


 次の魔物が来たら。


 今のままでは、きっと死ぬ。


 ナノは震える手を伸ばした。


「やる……やるよ。どうせ、ここで死ぬくらいなら……」


 魔石に触れる。


 冷たい。


 だが、今度は少しだけ覚悟していた。


 魔石が砕け、青黒い光がナノの掌に吸い込まれる。


「ぐっ……ああっ……!」


 痛みが走った。


 白剛石の時ほどではない。


 だが、傷口に冷たい水を流し込まれるような痛みだった。足の噛み傷が熱を持ち、皮膚の下で何かが蠢く。


 ナノは岩場に手をつき、必死に耐えた。


 頭の奥に文字が流れる。


 ――低級水鉱魔石を吸収。


 ――耐久値、微上昇。


 ――水辺適応、微弱補正。


 ――傷口凝固、開始。


 足の血が少しずつ止まっていく。


 完全に治るわけではない。


 だが、出血は抑えられていた。


 ナノは荒い息を吐いた。


「はっ……はぁ……本当に、治ってる……?」


 信じられなかった。


 けれど、目の前で起きている。


 無能スキル【石】は、石や魔石に反応する。


 吸収することで、体が変わる。


 それがどれほど大きな力なのか、ナノにはまだ分からない。


 ただ、ひとつだけ分かった。


 自分は、ここで生き延びるために、石を喰らわなければならない。


     *


 地底湖の奥には、細い洞窟が続いていた。


 ナノは水鉱ガキの死骸から離れ、足を引きずりながら洞窟の方へ進んだ。湖のそばにいるのは危険だ。血の匂いで、また別の魔物が来るかもしれない。


 洞窟の壁には、青白い鉱石が脈のように走っていた。


 細い光の筋が岩肌を照らし、足元に淡い影を落としている。天井からは水滴が落ち、ぴちゃん、ぴちゃんと静かな音を立てていた。


 空気は冷たく、湿っている。


 息を吸うと、肺の奥まで石の匂いが入り込むようだった。


 ナノは壁に手をつきながら歩いた。


 掌の紋様は、鉱石に触れるたびにかすかに熱を持つ。


 だが、さっきのような吸収は起きない。


 純度が低いのか。


 適合していないのか。


 理由は分からない。


 神託塔では誰も教えてくれなかった。


 【石】が何なのか。


 どう使うのか。


 そもそも使えるものなのか。


 笑われただけだった。


 ナノは歯を食いしばった。


「くそ……」


 小さく呟く。


「なんで、誰も知らないんだよ。なんで、誰も……」


 その言葉は、途中で消えた。


 誰も知らないのではない。


 誰も知ろうとしなかった。


 神託で低い数値が出た者。

 理解できないスキルを持つ者。

 役に立たないと決めつけられた者。


 そういう人間は、調べられる前に捨てられる。


 ナノは、自分が捨てられたのだと改めて理解した。


 胸の奥に怒りが生まれた。


 熱く、黒い怒りだった。


 神官。

 笑っていた少年たち。

 王都。

 神託。


 そして、自分の無力さ。


「俺は……」


 ナノは壁に手をついた。


 冷たい岩が、掌に触れる。


「俺は、もう捨てられたままじゃ終われない」


 その瞬間、洞窟の奥から低い音が聞こえた。


 金属を叩く音。


 かん。


 かん。


 かん。


 一定の間隔で響いている。


 魔物の足音ではない。


 水音でもない。


 誰かが、何かを打っている音。


 ナノは息を止めた。


「人……?」


 谷底に、人がいるのか。


 ナノは警戒しながら進んだ。


 洞窟の奥へ進むほど、空気が少し暖かくなっていく。石の匂いに混じって、火と鉄の匂いがした。


 さらに進むと、洞窟が開けた。


 そこには、地下とは思えない広い空間があった。


 岩壁に囲まれた地底の街。


 巨大な鍛冶炉。

 赤く燃える火。

 壁一面に掘られた住居。

 吊り橋のように岩と岩をつなぐ鉄の道。

 そして、短い体に分厚い腕を持つ者たち。


 ドワーフ。


 ナノは思わず足を止めた。


 王都の本でしか見たことがない種族が、目の前にいた。


 その胸元や腕には、小さな宝石のようなものが埋まっている。赤、黒、透明、黄色。人によって色も形も違う。


 種族石。


 父が昔、少しだけ話してくれたことがある。


 ドワーフは体内に石を宿す種族だと。


 強い職人ほど、その石は硬く澄み、戦士になれば黒く輝くこともあると。


 ナノは呆然とした。


 その時、背後から低い声がした。


「おい、小僧」


 ナノの肩が跳ねた。


 振り返ると、1人のドワーフが立っていた。


 背はナノより低い。


 だが、体の厚みがまるで違う。太い首、丸太のような腕、煤で汚れた革の前掛け。髭には小さな金属輪が編み込まれ、額には古い傷跡が走っていた。


 胸元には、濁りのない透明な石が埋まっている。


 ダイヤモンドに似ていた。


 いや、さっきナノが吸収した白剛石より、ずっと重く、深く、強い輝きだった。


 ドワーフはナノの全身を見た。


 濡れた服。

 血だらけの足。

 傷だらけの腕。

 そして、掌に浮かんだ菱形の紋様。


 ドワーフの目が鋭くなる。


「……お前、その紋様をどこで得た」


 ナノは喉を鳴らした。


「え……あ、あの……俺にも、よく分からなくて」


「よく分からない?」


 ドワーフは一歩近づいた。


 声が低くなる。


「小僧。嘘をつくなら、もっとましな顔でつけ。今のお前は、嘘をつく余裕すらない顔だ」


「う、嘘じゃないです。本当に……谷から落ちて、湖で石を掴んだら、急に……」


「湖で石を掴んだ?」


 ドワーフの表情が変わった。


 驚きと警戒が混じった顔だった。


「まさか、白剛石の欠片か」


「し、白剛石……?」


「お前、吸ったのか」


「吸った、というか……勝手に、体に入ってきて……」


 ドワーフはしばらく黙っていた。


 その沈黙が怖かった。


 ナノは立っているだけで精一杯だった。足の傷はまた痛み始めている。体の疲労も限界に近い。


「あの……ここは……」


 ナノが聞こうとした瞬間、膝が崩れた。


 視界が揺れる。


 地面が近づく。


「おっと」


 ドワーフがナノの体を支えた。


 その腕は硬かった。


 岩に抱えられているようだった。


「まったく。死にかけのくせに、よくここまで歩いたもんだ」


「す、すみません……」


「謝るな。謝る体力があるなら、息をしろ」


「はっ、はい……」


 ナノの意識が遠のいていく。


 ドワーフの声が、遠くなる。


「おい、誰か治療師を呼べ。こいつ、白剛石を吸ってる」


 周囲がざわめいた。


「白剛石?」

「人族が?」

「まさか、適合したのか?」


 ナノはその声を聞きながら、ゆっくり目を閉じた。


 最後に見えたのは、赤く燃える鍛冶炉の光だった。


 その光は、神託塔の冷たい光とは違った。


 荒々しく、熱く、汚れていて。


 それでも、確かに生きている者たちの光だった。


ここまで読んでくださってありがとうございます。

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