第39話 傷のない魔石
石纏い蜥蜴を3匹倒したあと、外縁坑道には湿った静寂が戻った。
戦闘の熱が引いていくにつれ、壁から滴る水音がはっきり聞こえるようになった。ぽたり、ぽたりと岩を叩く音が、さっきまでの刃音や魔物の悲鳴をゆっくり薄めていく。空気にはまだ鱗が削れた鉱石粉の匂いと、魔物の血の生臭さが混ざっていた。
ナノは膝に手を置き、荒くなった息を整えていた。
直接戦ったわけではない。それでも体の奥が疲れていた。目で追い、考え、叫び、石眼を一瞬だけ使う。そのたびに心臓が強く打ち、頭の内側が熱を持った。戦闘役ではないから楽だと思っていた自分を、少し恥ずかしく思った。
ロガが水筒を差し出した。
「飲め。声、掠れてる」
「ありがとう」
「礼はあとでいい。今は飲め」
ナノは水を口に含んだ。冷たい水が喉を通り、自分がどれほど喉を乾かしていたかを思い知る。
セリカが石纏い蜥蜴の死骸の前にしゃがんだ。
「ナノ、こっちへ来な」
「はい」
近くで見る石纏い蜥蜴は、戦っている時よりも生き物らしく見えた。右半身の鉱石鱗は硬く冷たい。けれど左腹部には柔らかな肉の色が残り、そこからはまだわずかに温度が抜けきっていなかった。
セリカは短刃を抜いた。
「魔石狩りで大事なのは、倒したあとだ。戦っている最中より、ここで雑になる奴が多い」
「魔石を壊さないためですか」
「それもある。でも、それだけじゃない」
セリカは鱗の隙間に刃を入れながら言った。
「魔物の体には、どう生きていたかが残る。何を喰ったか、どの坑道を歩いたか、どこを傷めたか。魔石はその記録の芯みたいなものさ」
「記録の芯……」
ナノは思わず繰り返した。
魔石は力の塊。そう思っていた。けれど、記録でもある。魔物が生きていた跡。それを取り出し、使う。だとしたら、雑に扱っていいものではない。
セリカの刃は静かだった。切り裂くのではなく、石と肉の境目を探っている。薄い鱗を剥がし、鉱石筋を避け、魔石の周りだけを少しずつ開いていく。その指先には迷いがない。けれど乱暴さもなかった。
「魔石は背骨下、右寄りだったね」
「はい」
「なら、いきなり深く入れない。鱗の下に細い鉱石筋がある。そこを切ると、魔石にひびが入る」
ナノは息を止めるように見た。
開いた部分の奥に、小さな黒灰色の魔石が見えた。表面には薄い鱗のような模様がある。灯石の光を受けると、何枚もの層が重なっているように見えた。
「取ってみな」
セリカが短刃を差し出した。
ナノは思わず固まった。
「俺が、ですか」
「あんたが位置を読んだ。なら最後までやってみな」
短刃を受け取ると、指先が震えた。手の中の刃が、急に重くなる。
ロガが後ろから言った。
「焦るなよ」
「分かってる」
「いや、今の声は分かってるけど怖いって声だ」
ナノは少しだけ笑った。
「うん。怖い」
「ならいい。怖いなら雑にはならねぇ」
その言葉に、ナノの呼吸が少し整った。
短刃を当てる。魔石の周囲を少しずつ切り分ける。まだ完全に冷めていない体の温度が、刃を通して伝わってくる。ナノの胸に重いものが沈んだ。
倒した。
だから無駄にしない。
怖いと思ったことも、迷ったことも、全部持ったまま手を動かす。
刃を浅く入れ、鉱石筋を避ける。魔石の表面に触れないように、周りだけを外す。何度も息を止めそうになり、そのたびにロガの「焦るな」という声を思い出した。
やがて、魔石が手のひらへ落ちた。
小さな黒灰色の石。表面の鱗模様には傷がない。欠けてもいない。
ナノはそれを見つめた。
「……取れた」
声が震えていた。
セリカが頷く。
「傷のない魔石だ」
その一言に、胸の奥がじわりと熱くなった。大きな技を放ったわけではない。誰かを救ったわけでもない。けれど、ナノにとっては大きな一歩だった。
ダルガが石板を差し出した。
「記録しろ」
「記録、ですか」
「どの個体から取り、どこに傷があり、どの部位が硬かったか。魔石狩り班では、魔石だけでなく魔物の状態も残す」
ナノは石板を受け取った。手はまだ少し震えていたが、文字を書き始める。
石纏い蜥蜴。右半身硬化。左腹部脆弱。尾部切断で魔石損傷なし。魔石位置、背骨下右寄り。状態、傷なし。
字は少し歪んだ。
ロガが覗き込む。
「字、もうちょい何とかならねぇのか」
「今それ言う?」
「読めるけど、ラウネさんに直されるぞ」
「……あとで直す」
ロガが笑った。ナノも少し笑った。
その笑いは、戦闘の後に無理やり出したものではなかった。怖さも重さも残っている。けれど、その中に確かな達成感もあった。
ナノは傷のない魔石を小瓶へ入れた。
倒すためではなく、残すために。
魔石狩りという仕事の意味が、ほんの少しだけ分かった気がした。
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