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無能スキル【石】と追放された俺~宝石の力で成り上がる~  作者: 海老沢大地
第3章 鉱山ギルドと魔石狩り

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第36話 右腕に残る熱

 鉄鋼魔石との初共鳴を終えた翌朝、ナノは右腕の重さで目を覚ました。


 治療室の天井には、淡い灯石の光が揺れていた。岩を削って作られた天井の凹凸が、薄黄色の光を受けて、眠る前よりも少し深い影を作っている。部屋の空気には薬草と鉱石粉の匂いが濃く残っていた。乾いた草を砕いたような苦い匂いと、鉄錆びに似た冷たい匂い。その奥に、昨日触れた鉄鋼魔石の熱が、まだ自分の体に残っているような気がした。


 ナノはゆっくり右手を持ち上げた。指を開く。閉じる。動く。けれど、いつもの手ではなかった。皮膚の下に薄い金属膜が張りついているような、関節の奥で小さな石片がこすれるような、不思議な違和感があった。


「……俺の腕、だよな」


 小さく呟いた声は、自分でも情けないほど不安そうだった。


 力を得たいと思っていた。強くなりたいと願っていた。父と母に逃がされるだけだった自分を変えたいと、何度も歯を食いしばってきた。けれど、いざ体の中に違う硬さが残ると、嬉しさより先に怖さが来た。もしこのまま、自分の体が少しずつ石に寄っていったら。もし強くなる代わりに、自分ではなくなっていったら。


 胸元の黒脈石の護符を握る。ひんやりとした冷たさが指先に触れ、右腕の奥で燻っていた熱を少しだけ鎮めた。


 扉が静かに開いた。


「起きてると思ったわ」


 ミラだった。手には湯気の立つ杯を持っている。白い治療布を肩にかけ、いつもの穏やかな表情をしていたが、ナノの右手を見る目だけは鋭かった。


「ミラさん……おはようございます」


「おはよう。で、その顔は何? 右腕が重い、怖い、でも強がろうとして失敗している顔」


 ナノは苦笑した。


「そこまで顔に出てますか」


「ええ。あなた、隠すのが下手すぎるもの。グレンの十分の一でも無表情を覚えたら?」


「グレンさんみたいになれる気がしません」


「なら正直でいなさい。その方が治療師としては助かるわ」


 ミラは杯を差し出した。ナノは受け取った瞬間、匂いだけで顔をしかめる。


「……昨日より苦いですか」


「よく分かったわね。昨日より苦いわ」


「そこは否定してほしかったです」


「全部飲みなさい」


「はい……」


 薬草水は、舌に乗せた瞬間から苦かった。喉を通る時には、鉄粉を溶かした水を飲んでいるような渋みが広がる。ナノが思わず肩を震わせると、ミラは少しだけ笑った。


「文句を言えるなら、意識ははっきりしてるわね」


「意識はあります。でも、右腕が……少し、自分のものじゃないみたいで」


 言ってから、ナノは目を伏せた。弱音のように聞こえるのが嫌だった。けれどミラは笑わなかった。彼女はナノの右手を取り、手首から肘、肩へとゆっくり触れていった。


「痛みは?」


「痛みじゃなくて、重いです。あと、硬いものが内側に残っている感じがします」


「怖い?」


 その問いは短かったが、逃げ道がなかった。


 ナノは少し黙った。胸の奥で、父の背中と母の声が揺れた。生きろ。生きて。強くなりたい。でも、壊れたいわけじゃない。


「……怖いです。力が入ったのは嬉しいはずなのに、体が自分じゃなくなる気がして、少し怖いです」


 ミラの指が止まった。


「その怖さは、持っていていいわ」


「持っていて、いいんですか」


「ええ。怖がれない人は、自分が壊れる音にも気づけない。強くなることと、自分を粗末にすることは違うの。あなたはそこを間違えやすい」


 ナノは唇を噛んだ。言い返せなかった。強くなりたい気持ちが先に立つと、痛みや疲れを無視したくなる。昨日も、もう少し共鳴を続けたいと思った。その欲は確かにあった。


「……覚えておきます」


「うん。今の返事は、ちゃんと自分に向けて言っていたわね」


 その時、廊下から足音が近づいてきた。ばたばたと慌ただしい音。扉が開きかける。


「ナノ! 起きてるか!」


「ロガ」


 ミラの声が低く落ちた。


 扉の隙間から顔を出したロガが、ぴたりと固まった。


「……すみません。叩くのを忘れました」


「治療室では走らない。大声を出さない。扉は叩く」


「はい……」


 いつもの強気なロガが、ミラの前では小さくなっている。ナノは思わず笑ってしまった。


「笑うなよ、人族」


「ごめん。ロガがそんな声出すの、初めて見たから」


「ミラさんの前で強がれるやつなんかいねぇよ」


「聞こえてるわよ」


「すみません」


 ミラが軽く睨むと、ロガは背筋を伸ばした。それでもすぐにナノの右腕へ視線を向ける。


「……腕、大丈夫なのか」


 ぶっきらぼうな声だったが、心配は隠しきれていなかった。


「少し重い。でも歩ける」


「本当に?」


「本当に。大丈夫って言うと怒られるから、正確に言うと、痛みはないけど違和感がある」


「お前、少し賢くなったな」


「ロガに言われると腹立つけど、ありがとう」


「褒めてねぇよ」


 ロガは顔を逸らした。耳が少し赤い。


 ミラはナノの右腕に包帯を巻き直しながら言った。


「今日は戦闘禁止。ギルドで話を聞くだけ。もし右腕の熱が強くなったら、すぐ戻ること」


「はい」


「ロガ、見ていて。ナノは自分で止まれない時があるから」


「分かってます。こいつが無理しそうになったら、首根っこ掴んででも戻します」


「首根っこはやめてほしい」


「じゃあ腕を引っ張る」


「右腕はやめて」


「面倒くせぇな、お前」


 そのやり取りに、ミラが少し笑った。


「相棒がいるなら安心ね」


「相棒じゃ……」


 ロガは反射的に否定しかけて、言葉を止めた。ナノと目が合う。気まずそうに眉を寄せる。


「……今日は、見張り役だ」


 ナノは胸元の護符を握った。


「うん。頼む」


 右腕はまだ重い。怖さも消えていない。けれど、1人でその重さを抱えているわけではない。そのことが、ナノには少しだけ心強かった。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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