第35話 鉄鋼魔石の初共鳴
鉄鋼魔石の初共鳴は、黒錆魔石の時ほど重々しいものではなかった。
だが、ナノにとっては十分に緊張する試験だった。
場所はグレンの工房奥。
小さな石台の上に、昨日回収した低級鉄鋼魔石が3つ並んでいる。さらに、鉄鋼腕ゴブリンから取れた上位欠片が1つ。少し離れた場所には、黒錆魔石の一次精錬片が小瓶に入れられて置かれていた。
黒錆魔石はまだ使わない。
今日は、その前段階。
鉄鋼魔石の力を、ナノの石紋と黒脈石の護符へ軽く共鳴させる試験だった。
ミラは当然のように来ていた。
「痛みが出たら中止」
「はい」
「右腕だけが熱くなったら中止」
「はい」
「視界が白くなったら」
「中止です」
「よろしい」
ロガは壁際で腕を組んでいる。
「毎回、尋問みたいだな」
ミラがにっこり笑った。
「命に関わることだからね」
「……はい」
ロガまで背筋を伸ばした。
ナノは少し笑いそうになったが、すぐに表情を戻した。
グレンが低級鉄鋼魔石を1つ手に取る。
「今日は吸収ではない。共鳴だ」
「はい」
「魔石の力を体へ入れるのではなく、石紋がどう反応するかを見る。黒脈石の護符を媒介にする」
ナノは胸元から護符を外し、両手の上に置いた。
不格好な涙型の黒脈石。
中央の銀筋が、炉の光を受けてかすかに光る。
グレンは鉄鋼魔石を護符の前に置いた。
間には白鈍石の粉が薄く敷かれている。
黒錆魔石の時と同じだ。
だが、空気は少し違う。
黒錆魔石の時は、近づくだけで血の奥を引っ張られるような感覚があった。今の鉄鋼魔石は、もっと静かだ。
硬い。
冷たい。
でも、受け止められそうな熱。
ナノの掌の石紋がじんわりと温かくなる。
「どうだ」
グレンが聞く。
「熱いです。でも、黒錆魔石の時みたいに暴れる感じはないです」
「場所は」
「掌。少し右腕。でも、胸にも少し来てます」
ミラが頷く。
「偏りは少ないわね」
グレンは鉄鋼魔石を少し近づけた。
黒脈石の護符が淡く光る。
その光は、黒錆魔石の時のように冷たく抑え込む光ではなかった。
むしろ、鉄鋼魔石の熱を薄く広げているように見えた。
ナノは目を閉じた。
石眼は使わない。
ただ感じる。
硬さ。
守る力。
曲がらない芯。
だが、黒錆魔石のような歪んだ怒りはない。
これは低級の硬化。
未熟だが、扱いやすい。
「……これなら、少し馴染ませられる気がします」
ナノが言うと、ミラがすぐに釘を刺した。
「馴染ませるだけ。吸収じゃないわよ」
「分かってます」
「本当に?」
「本当に」
ナノは苦笑しながら答えた。
グレンが低く言う。
「なら、次だ。百錬成鋼を微弱に発動しろ」
ナノは息を呑んだ。
「ここで?」
「ああ。鉄鋼魔石の硬化と、お前の百錬成鋼がどう響くかを見る」
「分かりました」
ナノは慎重に呼吸を整えた。
百錬成鋼。
強く発動するのではない。
黒錬板を割った時のように、拳へ力を集めるのでもない。
体の芯を、ほんの少しだけ硬くする。
「百錬成鋼……微」
小さく呟いた瞬間、掌の石紋が白く光った。
鉄鋼魔石も反応する。
黒脈石の護符の銀筋が、細く明滅した。
右腕に熱が流れる。
だが、黒錆魔石の時のような鋭い痛みではない。
じんわりとした重み。
ナノは拳を握った。
指の関節が少し硬くなる。
皮膚の内側に薄い鉱石の膜が張ったような感覚。
「右手が……少し硬いです」
ミラがすぐに手を取る。
「痛みは?」
「ないです。違和感はあります」
「動かせる?」
ナノは指を開いた。
少し重いが、動く。
「動きます」
グレンの目が細くなる。
「成功だな」
ナノは顔を上げた。
「成功……?」
「初共鳴だ。吸収ではないが、鉄鋼魔石の硬化を百錬成鋼に薄く乗せられた」
胸が熱くなる。
ナノは右手を見た。
見た目はほとんど変わらない。
だが、自分には分かる。
ほんの少しだけ、硬さが増している。
黒錆魔石へ届くにはまだ遠い。
でも、今確かに一段上がった。
ロガが壁際から言った。
「やったじゃねぇか」
ナノは右手を見つめたまま頷いた。
「うん……」
声が震えた。
嬉しかった。
けれど、同時に怖さもある。
力が体に入ってくる感覚。
それは甘い。
もっと欲しくなる。
だからこそ、止め時を覚えなければならない。
グレンが鉄鋼魔石を遠ざけた。
共鳴が薄れる。
右手の重みも少し引いた。
ナノは無意識に名残惜しさを感じた。
グレンが言う。
「今、惜しいと思ったな」
ナノは苦笑した。
「……はい」
「その欲を忘れるな。だが、従うな」
「はい」
ミラが掌の石紋を確認する。
「赤みは出てない。今日はここまでなら問題ないわ」
「ここまで、ですか」
「ここまで」
「分かりました」
今度は素直に頷けた。
ロガが少し驚いた顔をする。
「お前、本当に分かってきたんだな」
「そうかな」
「前なら、もう少しやりたいって顔してた」
「今も少し思ってる」
「そこは正直なのかよ」
ナノは笑った。
グレンは鉄鋼魔石を小瓶へ戻しながら言った。
「次は、鉄鋼魔石をもう少し集める。低級で体を慣らし、上位欠片で右腕以外へ力を散らす訓練をする」
「それができれば、黒錆魔石に近づきますか」
「近づく」
短い答えだった。
それだけで、ナノの胸は十分に熱くなった。
「それと」
グレンは鉄呪魔石の小瓶を持ち上げた。
「このゴブリンメイジの魔石も、いずれ使う」
「鉄呪魔石……」
「ああ。硬化だけでなく、鉄粉を動かす術式の癖がある。お前の石眼が育てば、魔石の流れを読む訓練になる」
ナノは鉄呪魔石を見た。
魔物の恐怖を思い出す。
倒した相手の力。
それを使うなら、無駄にはできない。
「ちゃんと学びます」
ナノは言った。
グレンは頷いた。
「なら、今日は食え。共鳴後は体が消耗する」
「はい」
ロガが笑う。
「結局、食えで終わるんだな」
ミラが真顔で言った。
「食べることは治療よ」
ロガはすぐ黙った。
ナノは右手を開いたり閉じたりした。
ほんの少し残る硬さ。
ほんの少しの前進。
けれど、それは確かに自分の体に刻まれている。
鉄鋼魔石の初共鳴。
黒錆魔石へ至るための、小さくて大きな一歩だった。
第3章は、まだ始まったばかりだ。
魔石を狩り、見極め、整え、段階を作る。
ナノはその道を、ロガと共に歩き始めていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
続きが気になったら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。




