第30話 硬殻モグラの小依頼
翌朝、ナノは坑道ギルドの依頼板の前に立っていた。
昨日の適合試験の影響で、掌にはまだ少し熱が残っている。右腕も重い。だが、ミラの薬草水と一晩の休息のおかげで、視界の白濁はほとんど消えていた。
胸元の黒脈石の護符は、いつもより冷たく感じる。
黒錆魔石の熱を抑えるように、静かにそこにあった。
ロガが隣で依頼札を眺めている。
「硬殻モグラ、鉄鋼ゴブリン、小型鉱石蛇……低級硬化系って、地味に面倒なやつばっかりだな」
「硬化系魔石を集めるなら、仕方ないんだと思う」
「お前、昨日から急に真面目だな」
「真面目じゃないと、黒錆魔石に負ける気がする」
ロガは少し黙った。
それから、依頼板から1枚の札を剥がした。
「なら、まずこれだな」
ナノは札を読む。
旧西坑道、硬殻モグラの駆除。
危険度F上位。
推奨人数2名。
報酬、小銀貨4枚。
追加報酬、硬殻モグラの殻片および低級硬化魔石。
「硬殻モグラ……」
「地面を掘って、支柱の下を崩す魔物だ。強くはないけど、放っておくと坑道が歪む」
「硬化魔石は取れる?」
「取れる。小さいけどな」
ロガは依頼札を持ってカウンターへ向かった。
ラウネが受け取り、2人を見た。
「昨日の今日で依頼?」
ナノは少し背筋を伸ばした。
「ミラさんには、軽いものならと言われました」
「硬殻モグラは軽いけど、油断すると足元を持っていかれるわ」
「分かっています」
「石眼の使用は?」
「必要な時だけ。一度使ったら、戻って報告します」
ラウネはじっとナノを見た。
「返事はよくなったわね」
「……少しずつです」
「いいことよ」
ラウネは依頼受領の印を押した。
「無理はしない。魔石を欲張らない。ロガ、止め役をお願い」
ロガが親指で自分を指す。
「俺が止め役?」
「あなた、意外と見てるでしょう」
「意外ってなんだよ……」
文句を言いながらも、ロガは拒まなかった。
*
旧西坑道は、灰鳴き坑道よりも湿っていた。
壁には黒い苔が張りつき、足元には粘り気のある土が溜まっている。天井は低く、ところどころ木の支柱で補強されていた。その支柱の下に、細い穴がいくつも空いている。
硬殻モグラの掘った跡だ。
ナノはしゃがみ込み、穴の縁を指で触れた。
土は新しい。
湿っていて、まだ崩れきっていない。
「最近掘った穴です」
ナノが言うと、ロガが頷く。
「近いな」
「石眼、使わずに分かりました」
「いちいち報告しなくていい」
「いや、ちょっと嬉しくて」
ロガは呆れたように笑った。
「変なところで素直だな」
坑道の奥から、土を削る音が聞こえた。
ざり。
ざり。
ざり。
ナノは鉄槌を構える。
今日は戦闘用の鉄槌を持っている。ただし、グレンからは「無理に叩き潰すな。魔石を壊す」と言われていた。
硬殻モグラが姿を現した。
体長は人の膝ほど。
モグラに似ているが、背中には茶黒い硬い殻があり、前脚は小さな鋼の爪のように光っている。鼻先で土を押し、支柱の根元を掘ろうとしていた。
「いた」
ロガが小声で言う。
ナノは一瞬だけ石眼を使った。
――硬殻モグラ。
――摂食鉱物、黒土鉱、低級鉄鉱。
――硬化魔石、小型。
――魔石位置、胸部下。
――背殻破壊時、魔石損傷の可能性。
ナノは石眼を閉じた。
「背中を叩くと魔石が壊れるかも。胸の下にあります」
「じゃあ、転がす」
ロガは小石を投げた。
硬殻モグラが反応し、顔を上げる。
その瞬間、ロガが横から支柱の下の土を踏み固めた。
ナノは逆側へ回る。
硬殻モグラは逃げようとして穴へ戻ろうとした。
「戻すな!」
「はい!」
ナノは鉄槌の柄で穴の前を塞ぐ。
硬殻モグラが前脚で引っ掻いてくる。
金属音が鳴る。
思ったより力が強い。
「っ……!」
腕が痺れる。
だが、黒錆魔石の時のような熱ではない。
これは、単純な衝撃。
受け流せる。
ナノは鉄槌を斜めに構え、硬殻モグラの突進を横へ逃がした。
ロガが足元から小槌を入れる。
硬殻モグラの体が転がる。
腹側が見えた。
「今!」
ロガの声。
ナノは鉄槌を短く握り、胸部下へ打ち込んだ。
強すぎない。
魔石を砕かない。
だが、動きを止めるだけの一撃。
鈍い音がした。
硬殻モグラが痙攣し、動かなくなる。
ナノは息を吐いた。
「……倒せた」
「1匹目な」
ロガが言う。
その言葉通り、奥からまた土を削る音がした。
ざり。
ざり。
今度は2つ。
ナノは緊張した。
だが、不思議と前ほど怖くなかった。
相手を見る。
穴を見る。
支柱を見る。
魔石を壊さない位置を考える。
倒すだけではない。
採るために戦う。
それが魔石狩りなのだと、少し分かった。
2匹目はロガが転がし、ナノが止めた。
3匹目はナノが穴の位置を先読みし、逃げ道を塞いだ。
戦いは派手ではなかった。
血が飛び散るような大技もない。
だが、坑道を守り、魔石を壊さず回収するためには、こういう地味な戦いが必要だった。
*
硬殻モグラを3匹駆除したあと、2人は魔石を取り出した。
小さな茶黒い魔石。
表面は硬く、内部に鈍い黒い芯がある。
黒錆魔石ほど強くはない。
灰鋼魔石ほど重くもない。
だが、確かに硬化系の力を持っていた。
ナノの掌が、わずかに反応する。
強すぎない熱。
受け止められそうな熱。
「これが、段階を作る魔石……」
ナノは呟いた。
ロガが魔石を小瓶に入れる。
「吸うなよ」
「分かってる。これはギルドに報告して、グレンさんに見てもらう」
「よし」
ナノは少し笑った。
「ロガ、最近そればっかり言ってる」
「お前がすぐ吸いそうな顔するからだろ」
「今日はしてないと思う」
「少ししてた」
「……少しなら」
「少しでも駄目だ」
2人は硬殻モグラの殻片と魔石を回収し、支柱の下の穴を簡単に埋めた。
帰り道、ナノは旧西坑道を振り返った。
灰鋼オークのような大きな戦いではない。
黒錆魔石のような強い誘惑でもない。
けれど、今日の依頼は確かに前へ進む一歩だった。
低級硬化魔石。
黒錆魔石に至るための、小さな段階。
ギルドへ戻ると、ラウネが報告を聞き、魔石を確認した。
「状態はいいわね。背殻を壊さずに取れている」
ナノは胸を撫で下ろした。
「よかったです」
「これなら、適合前訓練に使えるわ。グレンに回しておく」
その言葉に、ナノの胸が静かに熱くなった。
いきなり強くはなれない。
でも、小さな魔石を積み重ねれば、いつか黒錆魔石に届くかもしれない。
ナノは胸元の黒脈石の護符を握った。
硬殻モグラの小依頼。
地味で、泥臭くて、誰も大きく褒めない仕事。
それでも、ナノにとっては確かな一歩だった。
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