第29話 黒錆適合試験
適合試験は、黒鉄炉ではなく、グレンの工房の奥で行われた。
朝から工房の空気は張り詰めていた。
炉の火は弱められ、余計な音を立てる作業はすべて止められている。作業台の上には、精錬済みの黒錆魔石、白鈍石の粉、冷却水、薬草布、そしてナノの黒脈石の護符が並べられていた。
ミラも来ていた。
腕を組み、いつもより厳しい顔をしている。
「少しでも異常が出たら中止」
開口一番、そう言った。
ナノは頷く。
「はい」
「痛み、吐き気、視界の白濁、石紋の暴れ。全部すぐに言うこと」
「分かりました」
「我慢したら怒るわよ」
「……怒られたくないので、言います」
「よろしい」
ロガも壁際にいた。
「俺、いていいのか?」
グレンが答える。
「見習いとして見ておけ。魔石を扱う者がどう壊れかけるかを知るのも勉強だ」
「言い方が怖ぇよ」
「怖くていい」
ナノは石台の前に座った。
胸元から黒脈石の護符を外し、両手の上に置く。
自分で削った不格好な護符。
そこに精錬済みの黒錆魔石が近づけられる。
直接触れさせるわけではない。
2つの石の間に、薄い白鈍石の粉を敷いた小皿が置かれる。
グレンが説明した。
「まず、護符を媒介にする。黒錆魔石の力を直接お前の石紋へ入れない。護符を通して反応を見る」
「はい」
「石眼は使うな」
「使いません」
「百錬成鋼も発動するな」
「はい」
「ただ、感じろ。痛みも、熱も、拒絶も、全部だ」
ナノは深く息を吸った。
黒錆魔石が近づく。
掌の石紋が熱を持つ。
最初は小さな熱だった。
だが、黒錆魔石が護符の前に置かれた瞬間、その熱が一気に強まった。
「っ……」
ナノは息を詰めた。
ミラがすぐに言う。
「痛い?」
「熱い……です。掌が」
「続けられる?」
ナノは少し迷った。
無理はしない。
でも、これはまだ耐えられる。
「続けられます」
グレンが黒錆魔石を小皿の上に置いた。
白鈍石の粉が、赤黒い光に触れて淡く白く輝く。
黒脈石の護符が冷たくなった。
熱と冷たさ。
掌の石紋は熱いのに、護符は冷たい。
その差が、胸の奥でぶつかる。
ナノの呼吸が浅くなった。
頭の奥に、文字ではない感覚が流れ込んでくる。
硬くなりたい。
守りたい。
傷つきたくない。
血を止めたい。
砕かれたくない。
壊したい。
壊されたくない。
黒錆魔石の中に残る魔物の歪みなのか、自分の欲なのか分からない。
ナノは歯を食いしばった。
「ナノ」
ミラの声。
「今、何を感じてる?」
「硬く……なりたいって。守りたいけど、壊したい感じもあります」
グレンの目が鋭くなる。
「飲まれるな。言葉にできているうちは、まだお前の側にいる」
「はい……!」
黒錆魔石が、かすかに震えた。
黒脈石の護符の銀筋が淡く光る。
ナノの石紋から、白い菱形の線が浮かび上がる。
その周囲に、赤黒い細線が走ろうとした。
ミラが即座に薬草布を構える。
「グレン」
「まだだ」
グレンは黒錆魔石の位置を少し遠ざけた。
熱が弱まる。
ナノは荒く息を吐いた。
「はっ……はぁ……」
「どうだ」
グレンが聞く。
ナノは汗を拭わずに答えた。
「怖いです。でも……完全に拒絶されてる感じではないです」
「どこに熱が来た」
「掌と、右腕。それと胸の奥。でも右腕が一番強いです」
「やはり硬化が右腕へ寄るか」
グレンは低く呟いた。
ミラが眉を寄せる。
「危ないわね。偏りすぎると、石化に近い硬直が出る」
「だから今日はここまでだ」
グレンが黒錆魔石を瓶へ戻した。
ナノは思わず声を出した。
「えっ、もう……?」
言った瞬間、自分でも欲が出たことに気づいた。
もっと試したい。
もう少しで何か掴めそうだった。
その感覚が危ない。
ナノは口を閉じた。
グレンが見ていた。
「続きを欲しがったな」
「……はい」
「その時点で今日は終わりだ」
厳しいが、正しい。
ナノは深く息を吐いた。
「分かりました」
ミラが掌を確認する。
赤黒い線は消えてはいないが、広がってもいない。
「ぎりぎりね。今日は安静」
「はい」
「本当に分かってる?」
「分かってます。続きをやりたい気持ちはあります。でも、今やったら危ないと思います」
ミラは少しだけ表情を緩めた。
「それを自分で言えるなら、少し安心」
ロガが壁際から口を挟む。
「なぁ、それって適合したのか? してないのか?」
グレンが答えた。
「部分適合だ」
「部分?」
「黒錆魔石はナノを完全には拒んでいない。だが、今の体で吸収すれば右腕に偏る。つまり、吸えるが壊れる可能性が高い」
ロガは顔をしかめた。
「最悪じゃねぇか」
「いや」
グレンはナノを見た。
「道があると分かった」
ナノの胸が静かに震えた。
道がある。
まだ吸えない。
でも、完全に閉ざされてはいない。
鍛えれば、いつか届く。
「何を鍛えればいいですか」
ナノは聞いた。
グレンは即答した。
「右腕だけではなく、全身の耐久。血流。呼吸。百錬成鋼の安定。そして、欲を抑える意思」
最後の言葉が一番重かった。
ナノは黒脈石の護符を握った。
「分かりました」
「次の段階は、魔石狩りだ」
グレンが言う。
「低級の硬化系魔石を集める。黒錆魔石の前に、体へ段階を作る」
「低級の硬化系……」
「鉱山ギルドに依頼が出ている。相手は硬殻モグラと、鉄鋼ゴブリンの小群れだ」
ロガがうげっと顔をしかめた。
「鉄鋼ゴブリンかよ」
ナノは顔を上げた。
ゴブリン。
以前なら、ただの低級魔物として聞き流していたかもしれない。
だが、このドワーフ領では違う。
鉄鋼ゴブリンは、黒錬鉱や鉄鉱を喰い、体の一部を硬化させる魔物。
黒錆魔石へ至る前段階として、必要な魔石を持つ可能性がある。
「行きます」
ナノは答えた。
ミラがすぐに睨む。
「今日は行かない」
「はい。今日は寝ます」
「よろしい」
ナノは黒脈石の護符を胸元へ戻した。
部分適合。
まだ遠い。
でも、道はある。
黒錆魔石を吸収するために、ナノは次の魔石狩りへ進むことになった。
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