第28話 黒錆魔石の精錬
黒錆魔石の精錬は、黒鉄炉では行われなかった。
グレンがナノたちを連れて行ったのは、黒鉄炉のさらに奥にある小さな精錬室だった。工房というより、岩壁を削って作られた密閉された部屋に近い。
中には小型の炉が1つ。
その周囲に、細い管、冷却用の水槽、鉱石粉を混ぜる石皿、そして何本もの金属棒が並んでいる。壁には黒い煤がこびりつき、床には赤茶色の粉が薄く積もっていた。
空気が重い。
黒鉄炉の熱気とは違う。
ここには、魔石の匂いがこもっていた。
甘くもあり、鉄臭くもあり、どこか血のようでもある。
ナノは入った瞬間、胸元の護符を握った。
掌の石紋が反応している。
黒錆魔石が近いからだ。
グレンはそれを見て言った。
「近づきすぎるな」
「はい」
「今のお前は、匂いだけでも引っ張られる」
「匂いでも……?」
「魔石と適合しやすい者は、視覚だけで反応するわけではない。匂い、熱、音、手触り。全部が引き金になる」
ナノは喉を鳴らした。
それほど危ないのか。
力を欲しがる自分が、少し怖くなる。
ロガは精錬室の入口近くで腕を組んでいた。
「俺は近づいても平気だけどな」
グレンが短く答える。
「お前は黒錆との適合が低い」
「それはそれで、なんか悔しいな」
「悔しがることではない。合わない石を欲しがる者ほど早く壊れる」
ロガは黙った。
グレンは黒錆魔石の欠片を金属皿に置いた。
赤黒い欠片。
小さいのに、部屋の空気を変えるほどの存在感がある。
ナノは目を離せなかった。
グレンが小瓶から白い粉を出す。
「これは白鈍石の粉だ」
「白鈍石……」
ナノは自分が磨いていた石を思い出した。
「白剛石に近いけど、不純物が多い石ですよね」
「そうだ。強さはないが、乱れを抑える性質がある。黒錆魔石の歪みを抜く時に使う」
次に、黒い粉を出す。
「黒錬鉱の粉」
さらに、赤茶色の粉。
「赤錆鉱の粉。ただし、これは少量でいい。入れすぎると黒錆の凶暴性が戻る」
ナノは真剣に見ていた。
魔石は、ただ吸うものではない。
整えるもの。
鍛えるもの。
混ぜるもの。
抜くもの。
その考えが、少しずつ体に入ってくる。
グレンは炉に火を入れた。
炎は小さい。
だが、黒鉄炉のような赤ではなく、青白い光を帯びている。
「魔石は鉄と違う。強火で焼けばいいわけではない。熱を入れすぎれば、中の魔力が暴れる」
「じゃあ、どうやって」
「鳴きを聞く」
グレンは黒錆魔石を火にかざした。
しばらくすると、魔石から小さな音がした。
きん。
きん。
金属ではない。
石の中で何かが軋むような音。
ナノの掌が熱くなる。
その音が、自分を呼んでいるように感じた。
欲しい。
吸収したい。
今なら、少しだけなら。
そう思った瞬間、胸元の黒脈石の護符が冷たく光った。
ナノははっと息を吸った。
危ない。
今、引き寄せられていた。
「気づいたか」
グレンが言った。
「はい……今、少し」
「その感覚を覚えろ。魔石の誘惑だ」
「誘惑……」
「力は意思を持たない。だが、欲しがる者の弱さに入り込む」
グレンは白鈍石の粉を少しずつ黒錆魔石へかけた。
じゅ、と小さな音がする。
赤黒い光がわずかに弱まり、代わりに白い膜のようなものが表面に浮かぶ。
「白鈍石で暴れを抑える」
次に黒錬鉱の粉。
「黒錬鉱で硬化の性質を整える」
最後に、ごく少量の赤錆鉱。
「赤錆鉱は残す。すべて抜けば、黒錆魔石ではなくなる。危険を消すのではなく、扱える形に削る」
ナノはその言葉に胸を打たれた。
危険を消すのではなく、扱える形に削る。
自分の恐怖も、欲も、怒りも同じなのかもしれない。
全部消せるわけではない。
だが、飲まれない形に整えることはできる。
グレンは魔石を冷却水に落とした。
しゅう、と白い蒸気が上がる。
ナノは思わず一歩前へ出そうになった。
ロガが肩を掴む。
「おい」
ナノは止まった。
「……ありがとう」
「本当に危なっかしいな、お前」
「自分でも思う」
ロガは呆れたように息を吐いた。
冷却を終えた黒錆魔石は、最初とは少し違っていた。
赤黒い光は残っている。
だが、暴れるような濁りは薄くなり、内部の黒い筋が整って見えた。表面には白い細線が入り、黒脈石の護符と少しだけ響き合っているようにも見える。
グレンはそれを小さな台座に置いた。
「これが一次精錬だ」
「これなら、吸収できるんですか」
ナノが聞くと、グレンは首を振った。
「まだだ」
ナノは少し肩を落とした。
「まだ……」
「一次精錬で危険は減った。だが、お前の体が受け止められるかは別だ。次は適合試験をする」
「適合試験?」
「ああ。直接吸うのではなく、黒錆魔石の欠片を護符と共鳴させる。お前の石紋がどこまで耐えるかを見る」
ナノは胸元の黒脈石の護符に触れた。
護符が少し冷たい。
「もし、耐えられなかったら」
「吸収は延期だ」
「……はい」
悔しい。
だが、以前ほど焦りに飲まれない。
ここまで来るだけでも、いくつもの工程が必要だった。
魔石を仕分ける。
危険を読む。
精錬する。
適合を見る。
強くなるとは、ただ倒して吸うことではない。
ナノはそれを少しずつ理解していた。
グレンは精錬済みの黒錆魔石を見つめた。
「明日、試す」
ナノの胸が跳ねた。
「明日……」
「怖いか」
グレンが聞く。
ナノは正直に頷いた。
「怖いです。でも、逃げたくはないです」
グレンはわずかに口元を動かした。
「なら、今日は食って寝ろ」
「はい」
「それが一番大事な準備だ」
ロガが横で笑う。
「結局そこなんだな」
グレンは真顔で答えた。
「食わん者は鍛えられん」
ナノは黒錆魔石をもう一度見た。
赤黒い力は、まだそこにある。
だが、少しだけ静かになっていた。
まるで、ナノ自身が少しずつ自分の内側の焦りを整えているように。
明日、黒錆魔石との適合試験が始まる。
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