第24話 灰鋼討伐作戦
討伐班は、灰鳴き坑道へ静かに入った。
先頭はバルド。
鉄の義腕に鳴石を固定し、腰には短槌を下げている。義腕の関節に埋め込まれた魔石が、薄い青の光を放っていた。
その後ろに軽装のドワーフ戦士が2人。
さらに獣族の斥候、ミラ、ラウネの補助係。
ナノとロガは、後方の記録係の横についた。
本来なら見習いが討伐班に同行すること自体が異例だった。だが、今回は2人が坑道内の状況を最もよく知っている。案内と情報補助という条件で、同行が許された。
ただし、戦闘は禁止。
グレンにも、ミラにも、ラウネにも、バルドにも念を押された。
ナノは鉄槌を持っていない。
腰には小さな採取用ナイフだけ。
それも、戦うためではなく、非常時に布や紐を切るためのものだ。
手が空いていることが、逆に落ち着かなかった。
何かを握っていないと不安になる。
ナノは胸元の黒脈石の護符に触れた。
冷たい。
呼吸を整える。
戦えないのではない。
今日は戦わない役割だ。
そう自分に言い聞かせる。
「ナノ」
ロガが小声で呼んだ。
「顔、また硬い」
「ロガに言われるとは思わなかった」
「俺だって分かる時は分かる」
「……緊張してる」
「俺もしてる」
ロガは前を見たまま言った。
「グレン親方が戻ってこなかったら、嫌だからな」
その言葉は、ナノの胸に静かに落ちた。
ロガも怖いのだ。
ただ、怖がり方が違うだけで。
「うん」
ナノは頷いた。
「絶対、戻ってもらう」
2人はそれ以上話さなかった。
灰鳴き坑道の奥へ進むほど、空気は重くなった。
灰色の粉が漂っている。
壁には新しいひびが走っていた。
ナノが逃げた時よりも、ひびは広がっているように見える。天井から落ちた石片も増えていた。足元に積もった灰鋼粉が、靴底でざりざりと鳴った。
バルドが低く言った。
「ここから先、声を落とせ」
全員が頷く。
ナノは地図を思い出す。
第2補強坑道。
そこから灰鉱溜まりへ抜ける。
そこを戦闘場所にする。
灰鋼オークを音で誘導する。
問題は、グレンがそこまで持ちこたえているかどうか。
胸が苦しくなる。
その時、遠くで音がした。
ごうん。
戦槌の音。
ナノは顔を上げた。
「グレンさん……!」
まだ戦っている。
その事実に、足から力が抜けそうになった。
バルドが短く言う。
「生きてるな」
ミラが表情を引き締める。
「急ぎましょう。でも走らない。粉を巻き上げると呼吸が悪くなる」
討伐班は足を速めた。
補強坑道を抜けると、灰鉱溜まりに出た。
そこは、灰鳴き坑道の中では珍しく広い空間だった。
天井は高く、壁の一部が人工的に削られている。床には古い採掘跡が残り、灰色の石粉が厚く積もっていた。奥には崩れかけた支柱が何本もあり、使われなくなって長いことが分かる。
バルドが周囲を確認する。
「ここなら戦える」
ラウネの補助係が地図に印をつける。
ミラは薬草水を準備する。
ナノは灰鉱溜まりの壁を見た。
灰鳴き石の脈がある。
音を出せば、きっと響く。
だが、強すぎればこの空間も崩れるかもしれない。
「バルドさん」
ナノは声を抑えて言った。
「音、強すぎると危ないです。壁の上の方、ひびが入ってます」
バルドは壁を見た。
「どの辺りだ」
ナノは指差す。
「あそこです。灰色が濃いところ。たぶん中が空いてます」
バルドは頷いた。
「分かった。鳴らす位置を低くする」
義腕につけた鳴石を、床に近い岩へ当てる。
まだ鳴らさない。
全員が配置についた。
バルドが鳴石役。
ドワーフ戦士2人が左右から抑える。
獣族の斥候が背後の逃げ道を確保。
ミラは後方治療。
ナノとロガはさらに後ろで情報補助。
準備が整った時、奥の通路から重い足音が近づいてきた。
どん。
どん。
どん。
その間に、グレンの戦槌の音が混じる。
ごうん。
灰色の粉塵の向こうに影が見えた。
まず現れたのは、グレンだった。
肩で息をしている。
作業着は破れ、腕には灰色の粉がこびりついていた。額から血が流れている。それでも、戦槌は握ったままだった。
「グレン!」
ミラが叫びかけたが、すぐに口を閉じた。
グレンの後ろから、灰鋼オークが現れた。
巨大だった。
さっき見た時よりも、さらに恐ろしく見えた。
灰色の皮膚。
肥大した右腕。
胸元にこびりついた灰鋼粉。
唇の端から漏れる荒い息。
その目は怒りで濁っていた。
グレンが灰鉱溜まりへ飛び込む。
「来たぞ!」
バルドが鳴石を叩いた。
ぎぃん。
灰鳴き石に似た高い音が広がる。
灰鋼オークの動きが止まった。
頭が音の方へ向く。
「反応した!」
ロガが叫ぶ。
バルドがもう一度鳴らす。
ぎぃん。
灰鋼オークがバルドへ向かって突進した。
「来い、灰まみれの豚野郎!」
バルドが義腕を構える。
灰鋼オークの右腕が振り下ろされた。
バルドは正面から受けない。
義腕で軌道をずらし、横へ流す。
衝撃で床が割れる。
左右のドワーフ戦士が一斉に踏み込んだ。
斧が灰鋼オークの脚を狙う。
だが、刃は浅く弾かれた。
「硬ぇ!」
戦士の1人が叫ぶ。
グレンが横から戦槌を叩き込む。
「白剛震槌!」
灰鋼オークの左肩が砕けかける。
だが、右腕はまだ健在。
灰鋼オークは怒り狂ったように唸り、右腕を振り回した。
灰鋼粉が舞う。
ミラが叫ぶ。
「粉を吸わないで!」
ナノは口元の布を押さえる。
その時、石眼を使いたくなる衝動が走った。
魔石位置。
弱点。
右腕の構造。
見たい。
だが、許可なく使うなと言われている。
ナノは奥歯を噛んだ。
目だけで見る。
灰鋼オークの動き。
右腕が重い。
振るたびに、体がわずかに左へ傾く。
右腕の付け根。
灰鋼の瘤が何層にも重なっている。
でも、その下の脇腹は?
ナノは息を詰めた。
灰鋼オークが右腕を振り上げる瞬間、脇腹の灰粉が剥がれた。
そこに、赤黒い線が見えた。
魔石ではないかもしれない。
だが、灰鋼粉の層が薄い。
「右腕の付け根の下!」
ナノは叫んだ。
バルドが一瞬こちらを見る。
「見えたのか!」
「石眼じゃない! 普通に見えました! 振り上げる時だけ、脇腹が薄い!」
グレンが反応した。
「バルド、鳴らせ!」
バルドが鳴石を叩く。
ぎぃん。
灰鋼オークが右腕を振り上げる。
その瞬間、グレンとドワーフ戦士が同時に踏み込んだ。
グレンの戦槌が右腕を受け止める。
ドワーフ戦士の斧が脇腹の薄い部分へ入った。
灰鋼オークが初めて痛みに叫んだ。
地鳴りのような咆哮。
ナノの胸が震える。
効いた。
しかし次の瞬間、灰鋼オークは怒りで暴れた。
右腕が床を叩く。
灰鉱溜まりの床にひびが走る。
天井から灰が降る。
「まずい!」
ロガが叫ぶ。
ナノの掌が熱くなる。
今は、使うべき時だ。
「石眼、使います!」
ナノは叫んでから、石眼を開いた。
視界が白く弾ける。
ひび。
空洞。
崩落線。
灰鋼オークの右腕。
脇腹の赤黒い反応。
頭が焼けるように痛い。
だが、見えた。
――灰鋼オーク。
――右腕、灰鋼粉過剰硬化。
――魔石位置、右脇腹奥。
――灰鋼腕と魔石が連結。
――右腕破壊後、魔石露出。
ナノは叫んだ。
「右腕を砕けば、魔石が出ます! でも床が先に崩れる! 奥へ押し込まないで、左側の岩壁へ寄せてください!」
バルドが即座に動く。
「聞いたな! 左へ寄せろ!」
討伐班が灰鋼オークの位置を変える。
音で誘導し、盾で押し、グレンが右腕を弾く。
ナノは膝をつきそうになった。
ロガが支える。
「おい、もう見るな!」
「見えた……もう大丈夫……」
「顔色が大丈夫じゃねぇ!」
ナノは石眼を閉じた。
視界が揺れる。
だが、情報は伝えた。
あとは、前にいる者たちの仕事だ。
グレンが戦槌を構える。
白剛石が強く光る。
バルドの鳴石が最後に高く響いた。
ぎぃぃん。
灰鋼オークが右腕を振り上げる。
グレンが叫んだ。
「白剛震槌、二重打ち!」
一撃目が右腕の表面を砕く。
二撃目が、その奥の連結部を打ち抜いた。
灰鋼オークの右腕が、ついに砕けた。
灰色の破片が宙を舞う。
その奥、右脇腹に赤黒い魔石が露出した。
バルドが踏み込む。
義腕の短槌が、魔石へ叩き込まれた。
鈍い音。
灰鋼オークの咆哮が途切れた。
魔石にひびが入る。
グレンが最後の一撃を入れる。
戦槌が魔石を砕いた。
灰鋼オークの巨体が、ゆっくり傾いた。
そして、灰鉱溜まりの床へ倒れ込んだ。
重い音が坑道に響いた。
灰色の粉が舞い上がる。
誰もすぐには声を出さなかった。
ナノはロガに支えられながら、荒い息を吐いていた。
討伐は終わった。
だが、その代償のように、頭の奥が熱く脈打っていた。
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