第23話 討伐班、集結
坑道ギルドの広間は、数分前までとはまるで別の場所になっていた。
酒の匂いは消え、代わりに革鎧と鉄の匂いが濃くなっている。壁際に立っていた冒険者たちは武器を取り、ドワーフの戦士たちは斧や槌の柄を確かめていた。獣族の男が鼻を鳴らし、灰鳴き坑道から持ち帰った粉の匂いを嗅いでいる。
ラウネは広間中央の石机に地図を広げた。
灰鳴き坑道の坑道図。
古いものなのか、線の一部はかすれている。だが、第3水路、第4支道、補助排水路の位置は分かる。
ナノは椅子に座ったまま、地図を見つめていた。
頭はまだ少し熱い。
石眼を使いすぎた影響だ。
ミラが横に立ち、薬草の匂いがする水を渡してくれた。
「飲みなさい」
「は、はい……」
「一気に飲まない。ゆっくり」
「……はい」
水は苦かった。
だが、喉を通ると少しだけ頭の熱が引いた気がした。
ミラはナノの目を覗き込む。
「石眼の反動ね。視界は?」
「少し白くぼやけてます。でも、見えます」
「吐き気は?」
「少しだけ」
「少しだけ、は信用しないと言ったわよね」
「……あります」
「正直でよろしい」
ミラはナノの額に手を当てた。
「本来なら寝かせたいところだけど、今回はあなたの情報が必要ね。ただし、戦闘参加は駄目」
「でも、俺……」
「駄目」
ミラの声は柔らかいが、逃げ道がなかった。
「あなたは今、立って戦える状態じゃない。ここで無理をして倒れたら、グレンが守った意味がなくなる」
その言葉に、ナノは唇を噛んだ。
グレンが守った意味。
父と母が逃がした意味。
自分はいつも、誰かに守られている。
それが悔しい。
だが、だからといって無理に戦うことが正しいわけではない。
ラウネが地図を指した。
「正面通路は崩落。第3水路手前から先は通れない。ナノとロガが通った排水細道は狭く、大柄な戦士は使えない」
ロガが横から言う。
「俺たちでぎりぎりだった。グレン親方みたいな体格だと無理だ」
ラウネは頷く。
「なら、討伐班は別ルートを使う。第2補強坑道から迂回して第4支道の裏へ回る」
片腕に鉄の義腕を持つバルドが腕を組んだ。
ギルド登録試験でナノを試した試験官だ。
「第2補強坑道は古い。重装備で入ると床が抜けるぞ」
ラウネが答える。
「だから軽装の班を組む」
「灰鋼オーク相手に軽装か。面倒だな」
「面倒でもやるしかないわ」
広間に緊張が走る。
その時、ナノは地図の灰鳴き坑道の線を見つめていた。
正面通路。
第3水路。
排水細道。
第4支道。
第2補強坑道。
線を追う。
灰鋼オークは第4支道奥にいる。
グレンはその手前で足止めしているはず。
灰鋼オークは壁を殴る。
灰鳴き石は音と圧に反応する。
灰殻蟲は灰鳴き石を喰い、内部を空洞化させていた。
なら、力で押すだけでは危ない。
戦えば戦うほど坑道が崩れる。
「ラウネさん」
ナノは声を出した。
広間の視線が向く。
少し怖い。
だが、言わなければならない。
「灰鋼オークをその場で長く戦わせると、坑道が崩れると思います」
バルドが目を細めた。
「理由は?」
「灰鋼オークは壁を殴って威嚇していました。そのたびに灰鳴き石が鳴って、天井のひびが広がっていました。灰殻蟲が中を喰っている場所も多いです。だから、そこで大人数で戦うと……」
「崩落する、か」
バルドが続きを言った。
ナノは頷く。
「はい」
ラウネは地図を見つめた。
「なら、戦う場所を変える必要がある」
ロガが言った。
「誘導するってことか?」
ナノは地図の少し手前を指した。
「第3水路の手前はもう崩れてます。でも、第2補強坑道と第4支道の間に、少し広い空間があるはずです。来る時、風の流れがそこから来てました」
ラウネが地図を確認する。
「古い灰鉱溜まりね。使われなくなった空間だけど、確かに少し広い」
バルドが頷いた。
「そこなら、天井も低すぎない。戦える」
「でも、どうやって灰鋼オークをそこまで誘導する?」
獣族の男が聞いた。
ナノは一瞬迷った。
だが、灰殻蟲との戦いを思い出す。
音。
灰鳴き石。
反応。
「音です」
ナノは言った。
「灰鋼オークは壁を殴っていました。灰鳴き石の音に反応しているかもしれません。灰鋼粉を喰っているなら、灰鳴き石の振動にも反応する可能性があります」
バルドが低く唸る。
「音で誘導か」
ロガが顔をしかめる。
「灰殻蟲も音に反応した。灰鳴き坑道の魔物は、石の鳴りに寄るのかもな」
ラウネはすぐに指示を書き込んだ。
「鳴石を用意。強く叩けば灰鳴き石に近い音を出せるものを」
バルドが義腕を鳴らす。
「俺が鳴らす。片腕でも音くらい出せる」
ミラが言う。
「私は後方で治療に入るわ。灰鋼粉を吸った者が出る可能性がある。布と薬草水を用意して」
広間が一気に動き出す。
ナノはその流れを見て、胸の奥が熱くなった。
自分の言葉が、作戦の一部になっている。
戦えなくても、役に立てている。
だが同時に、不安もあった。
もし間違っていたら。
もし音に反応しなかったら。
もしグレンがもう限界だったら。
胸元の黒脈石の護符を握る。
冷たい。
その冷たさが、焦るなと言っている。
バルドがナノの前に立った。
「ナノ」
「は、はい」
「お前は戦うな。だが、地図の横で情報を出せ。見たものを思い出せ。石眼を使わずにな」
「……はい」
「どうしても必要な時だけ使え。その時は申告しろ」
ナノは頷いた。
「分かりました」
バルドは少しだけ笑った。
「登録試験の時より、返事がましになったな」
「そう……ですか」
「ああ。まだ弱いが、逃げ腰ではない」
ナノは少しだけ目を伏せた。
嬉しかった。
でも、喜ぶにはまだ早い。
グレンはまだ坑道にいる。
灰鋼オークはまだ止まっていない。
ラウネが討伐班へ声を張った。
「出発します。目的は灰鋼オークの討伐、または坑道外縁への誘導。最優先はグレンの救出と坑道崩落の防止!」
冒険者たちが頷く。
武器が鳴る。
鎧が擦れる。
地底のギルドに、戦いの空気が満ちた。
ナノは立ち上がろうとした。
ミラが止める。
「あなたは後方」
「分かってます。でも、入口までは行きます」
「……無理はしないこと」
「はい」
今度の返事には、無理な強がりはなかった。
ナノは黒脈石の護符を胸にしまい、討伐班の後方へ向かった。
自分はまだ前線には立てない。
でも、見たものを伝えることはできる。
考えることはできる。
生きて戻った意味を、ここで使う。
灰鳴き坑道へ向かう通路の奥で、灰色の粉がかすかに舞っていた。
その向こうに、グレンと灰鋼オークがいる。
ナノは小さく息を吸った。
「待っててください、グレンさん」
声は誰にも届かないほど小さかった。
だが、黒脈石の護符だけは、その声を受け止めるように冷たく光っていた。
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