第22話 崩れる坑道を読む
灰鳴き坑道の道は、来た時よりもずっと長く感じられた。
ナノとロガは走り続けていた。
足元の灰が舞い、灯石の光が揺れる。背後からは、まだ戦槌の音が聞こえていた。遠くなっているはずなのに、音は坑道の壁を伝って何度も反響し、すぐ後ろで鳴っているように感じられる。
ごうん。
ごうん。
そのたびに、天井の灰鳴き石が細く震えた。
「ロガ、右!」
ナノが叫ぶ。
右壁から細いひびが走った。
ロガは反射的に左へ跳ぶ。
直後、右壁の一部が剥がれ、灰色の石片が床へ落ちた。
「っぶねぇ!」
ロガが息を荒げながら叫ぶ。
「ナノ、お前、石眼使ってんのか!」
「少しだけ!」
「使いすぎんなよ!」
「分かってる!」
分かっている。
だが、見なければ危ない。
灰鳴き坑道は、すでにまともな状態ではなかった。
壁の中を灰殻蟲に喰われ、さらに灰鋼オークが暴れたことで、あちこちに空洞ができている。灰鳴き石の高い音が、崩落前の悲鳴のように響いていた。
ナノは石眼を開き続けてはいない。
一瞬だけ見る。
閉じる。
普通の目で確認する。
足音を聞く。
灰の落ち方を見る。
また一瞬だけ見る。
それでも、頭の奥は熱を持ち始めていた。
こめかみがずきずきする。
視界の端が白く揺れる。
胸元の黒脈石の護符が、冷たく肌に触れていた。
焦るな。
護符がそう言っているような気がした。
「第3水路まで戻れば、道が広い!」
ロガが叫ぶ。
「そこまで行けば、少しは走りやすい!」
「でも、その手前の天井が危ない!」
ナノには見えていた。
第3水路へ続く曲がり角の上。
灰鳴き石の脈が大きく膨らみ、内部に黒い亀裂が走っている。
強い振動が来れば落ちる。
それも、小さな落石ではない。
通路を塞ぐほどの崩落になる。
「どうする!」
ロガの声が焦る。
ナノは息を荒げながら周囲を見る。
右側に古い排水用の細道がある。
来る時は気づかなかった。
小さい。
ドワーフなら通れる。
人族のナノには少し狭いかもしれない。
だが、天井の危険地帯を避けられる。
「右の細道!」
「狭いぞ!」
「でも、正面は崩れる!」
ロガは一瞬だけ迷った。
だがすぐに頷いた。
「分かった!」
2人は右の細道へ飛び込んだ。
ナノの肩が岩壁にこすれる。
狭い。
湿った石の匂いと灰の粉が顔にかかる。左足の傷が壁にぶつかり、鋭い痛みが走った。
「っ……!」
声が漏れた。
ロガが前から言う。
「止まるな!」
「分かってる……!」
細道の中は暗かった。
灯石も少なく、足元が見えにくい。
ナノは石眼を使いたくなった。
使えば道の先が見える。
危険も分かる。
だが、頭がもう熱い。
これ以上使えば、またミラに怒られるどころでは済まないかもしれない。
ナノは息を吸った。
目ではなく、耳。
前を歩くロガの足音。
水の流れる方向。
風の抜ける音。
細道は完全な行き止まりではない。奥から微かに風が来ている。
「このまま進めます!」
「本当か!」
「風がある!」
「よし!」
その時、背後で轟音がした。
正面の広い通路が崩れたのだ。
どおん、と腹の底まで響く音。
灰の風が細道へ吹き込んだ。
ナノは咳き込む。
「げほっ……!」
「ナノ、布!」
「は、はい!」
口元の布を押さえる。
灰が目に入る。
涙が滲む。
それでも進む。
細道を抜けると、低い空間に出た。
古い排水溜まりだった。
浅い水が溜まり、灰色の石粉が水面に膜を作っている。奥には、ガルバ坑道街へ戻る補助道が見えた。
ロガが膝に手をつく。
「はっ……はぁ……助かった」
ナノも壁にもたれた。
足が震えている。
頭が熱い。
視界が少しぼやける。
「ナノ?」
ロガの声が遠く聞こえた。
「おい、顔色悪いぞ」
「大丈夫……」
言いかけて、ナノは言葉を止めた。
大丈夫ではない。
ここで嘘をついても意味がない。
「……石眼、少し使いすぎたかも」
「少しじゃねぇだろ、その顔」
ロガは舌打ちした。
「肩貸す」
「え……」
「ギルドまで戻るんだよ。伝えなきゃ意味ねぇだろ」
ロガが腕を差し出す。
ナノは一瞬迷った。
迷った自分が少し情けなかった。
誰かに頼るのが下手だ。
迷惑をかけるのが怖い。
だが、今は意地を張る場面ではない。
「……ありがとう」
ナノはロガの肩を借りた。
「重いかも」
「軽いわ。お前、本当に食ってんのか」
「食べてる」
「もっと食え」
ロガの言い方に、少しだけ笑いそうになった。
だが、笑う余裕はすぐに消えた。
背後から、また低い轟音が響いた。
グレンはまだ戦っている。
灰鋼オークも、まだ動いている。
早く伝えなければ。
ナノは胸元の護符を握った。
中心は折らない。
今は倒れている場合ではない。
*
坑道ギルドへ戻った時、ナノとロガは灰まみれだった。
広間にいた冒険者たちの視線が一斉に向く。
ラウネがカウンターから飛び出してきた。
「ナノ! ロガ!」
ナノは息を整えようとした。
だが、喉が焼けてうまく声が出ない。
ロガが先に言った。
「灰鋼オーク、いた。第4支道奥。グレン親方が足止めしてる」
広間がざわつく。
ラウネの顔が険しくなる。
「グレンが?」
ナノはなんとか声を絞った。
「第4支道入口は崩れました。でも……右側に空洞が多い。灰鳴き石が過圧状態で、灰鋼オークが壁を殴ると、さらに崩れます」
ラウネはすぐ記録板を取り出す。
「続けて」
「正面通路はもう使えません。第3水路手前で崩落。古い排水細道なら迂回できます。でも狭いです。大柄な人は通れないかもしれません」
ナノは頭がくらくらした。
それでも言葉を止めない。
「灰鋼オークの右腕に灰鋼の瘤があります。かなり硬いです。グレンさんの白剛震槌でも一撃では砕けませんでした」
「魔石位置は?」
ラウネが聞く。
ナノは首を振った。
「見えませんでした。近づきすぎると危険で……でも、右腕の瘤と壁への反応を見る限り、灰鋼粉を取り込んで腕を硬化させていると思います」
ラウネは書き続ける。
その手は速い。
迷いがない。
「十分よ。よく戻った」
その言葉を聞いた瞬間、ナノの膝から力が抜けた。
ロガが慌てて支える。
「おい!」
「ごめ……」
「謝るなって、こういう時は言わねぇ。座れ!」
ナノは近くの椅子に座らされた。
視界が揺れている。
だが、報告はできた。
逃げたのではない。
戻って、伝えた。
その事実だけが、ぼんやりした頭の中で光っていた。
ラウネが広間へ向かって声を張る。
「討伐班の戻りを待てない。灰鋼オークが第4支道を崩せば、坑道街側の支柱にも影響が出る。動ける者を集めます!」
冒険者たちが動き始める。
武器を取る音。
鎧を締める音。
依頼板から討伐札が外される音。
その中で、ナノは胸元の黒脈石の護符を握った。
グレンを助ける。
灰鋼オークを止める。
そのための戦いが、今から始まろうとしていた。
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