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無能スキル【石】と追放された俺~宝石の力で成り上がる~  作者: 海老沢大地
第2章 ドワーフ領と黒鉄の試練

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第20話 灰鋼オークの足跡

 灰鋼オーク。


 その名前がギルドの広間に落ちた瞬間、空気が明らかに変わった。


 錆鳴鼠の時のような、見習い依頼の騒ぎではない。黒錆ゴブリンの時のような、坑道の一角で起きた局地的な問題でもない。


 広間にいた冒険者たちが会話を止め、壁際で酒を飲んでいたドワーフたちも顔を上げた。ラウネは記録板に置いていた筆を止め、坑道夫を真っ直ぐ見た。


「確認したの?」


「足跡は見た。灰鋼オークで間違いねぇと思う。爪の形が違う。普通のオークじゃない。足跡の周りに灰鋼粉が散ってた」


 坑道夫の声は震えていた。


 彼の作業服は灰で汚れ、肩には小さな落石の傷がある。顔にも細かな擦り傷があり、息を吸うたびに胸が苦しそうに上下していた。


 ラウネはすぐに指示を出す。


「第4支道を封鎖。見習い依頼はすべて停止。灰鳴き坑道へ入っている班があれば、すぐ戻して」


「もう伝令を出してる」


「討伐班は?」


「今、鉱石狼の処理で南坑道に出てる。戻るまで時間がかかる」


 その言葉に、広間がざわめいた。


 討伐班がいない。


 それは、今すぐ灰鳴き坑道の奥へ入れる戦力が限られているということだった。


 ナノはその場に立ったまま、胸元の黒脈石の護符を握った。


 灰鋼オーク。


 オークという魔物の名前は、王都でも聞いたことがある。


 大柄で、力が強く、集団で人里を襲うこともある危険な魔物。だが、ここで言われている灰鋼オークは、ただのオークではないらしい。


 灰鋼粉。


 灰鳴き石。


 灰殻蟲。


 灰鳴き坑道の奥で何かがつながっている。


 ナノの掌が熱を持ちかけた。


 石眼を開けば、何か分かるかもしれない。


 だが、ここにはまだ実物も足跡もない。情報だけを無理に読もうとしても、体に負担がかかるだけだ。


 ナノは手を離した。


 焦るな。


 考えろ。


 グレンの言葉が胸に戻ってくる。


 ロガが隣で小さく呟いた。


「灰鋼オークなんて、見習いが相手にする魔物じゃねぇぞ」


「強いの?」


「強い。普通のオークでも面倒なのに、灰鋼を喰ってる個体は皮膚が硬い。斧が通らない時がある」


 ロガの声から余裕が消えていた。


 いつもの刺々しさもない。


 それだけ危険なのだ。


 ラウネが周囲を見回す。


「誰か、灰鳴き坑道の第4支道手前まで案内できる者は?」


 数人の冒険者が顔を見合わせる。


 誰もすぐには手を上げない。


 灰鋼オークの可能性がある坑道に、討伐班なしで近づくのは危険すぎる。


 ナノは心臓が強く鳴るのを感じた。


 行くべきではない。


 見習いだ。


 自分はまだ弱い。


 灰殻蟲を倒したばかりで、足も完全ではない。


 行けば足を引っ張るかもしれない。


 それでも、灰鳴き坑道の状況を知っているのは、自分とロガだ。


 さっき見た壁の膨らみ。

 灰殻蟲が出てきた穴。

 音の鳴り方。

 坑道のどこが脆かったか。


 あの情報は、言葉だけでは伝えきれない。


 ナノは胸元の護符を握った。


 父と母の声が、また胸の奥で響く。


 生きろ。


 だが、生きることは、ただ隠れることではない。


「ラウネさん」


 ナノは声を出していた。


 ロガが驚いたようにこちらを見る。


 ラウネの視線も向いた。


「俺たち、灰鳴き坑道に行っていました。第3水路から奥の壁の状態なら、少し分かります」


 ロガが小声で言う。


「おい、ナノ」


 ナノは続けた。


「第4支道までは無理でも、手前までなら案内できるかもしれません。灰殻蟲が出た場所も、壁が喰われていた場所も覚えています」


 ラウネは厳しい顔をした。


「あなたたちは見習いよ」


「はい」


「灰鋼オークが本当にいるなら、近づくだけで危険」


「分かってます」


「分かっている声には聞こえる。でも、怖さを全部分かっている声ではないわ」


 その言葉に、ナノは一瞬黙った。


 ラウネは正しい。


 自分は灰鋼オークを見たことがない。


 本当の怖さは分かっていない。


「……怖いです」


 ナノは正直に言った。


「正直、行きたくないです。俺が行っても邪魔になるかもしれないって思ってます。でも、さっき見た坑道の状態は覚えています。俺とロガが案内すれば、調査の人が少しでも早く場所を確認できるかもしれません」


 ロガが舌打ちした。


「俺も入ってんのかよ」


 ナノはロガを見た。


「ごめん。勝手に言った」


「謝るな。いや、今のは少し謝れ」


「ご、ごめん」


「でも……」


 ロガは頭を掻いた。


「俺も、場所は分かる。ナノより坑道の道は読める」


 ラウネは2人を見た。


 そこへ低い声が割って入る。


「行かせるなら、俺がつく」


 振り返ると、グレンがギルドの入口に立っていた。


 いつの間に来たのか分からなかった。


 肩には戦槌。煤で汚れた作業着の上に革鎧を着ている。目はすでに坑道へ向かう者のものだった。


 ラウネが眉を寄せる。


「グレン。あなた、黒鉄炉の補修中じゃ」


「炉より先に坑道が崩れれば意味がない」


「討伐班が戻るまで待てない?」


「待てるなら待つ。だが、灰鋼オークが坑道の支柱を壊せば、第4支道だけでは済まん」


 ラウネは唇を噛んだ。


 グレンはナノとロガを見る。


「お前たちは案内だけだ。戦うな」


 ロガがすぐに答える。


「分かってる」


 ナノも頷いた。


「はい。戦いません」


「その返事は信用しきれん」


「……気をつけます」


「気をつける、では足りん。俺が下がれと言ったら下がれ。走れと言ったら走れ。石眼も、許可なく使うな」


 ナノは胸元の護符を握った。


「はい」


 今度の返事は、少し重かった。


     *


 灰鳴き坑道へ戻る道は、先ほどよりもずっと暗く感じた。


 同じ坑道のはずなのに、空気が違う。


 さっきは見習い依頼だった。


 今は違う。


 灰鋼オークがいるかもしれない。


 その可能性だけで、壁の影が大きく見えた。灰色の粉が足元で舞うたびに、何かが動いたように感じる。ナノは何度も呼吸を整えた。


 前を歩くグレンは無言だった。


 ロガも喋らない。


 3人の足音だけが、坑道に響く。


 ナノはさっき灰殻蟲と戦った場所へ案内した。


「ここです」


 壁には、まだ戦闘の跡が残っていた。


 灰色の粉。

 潰れた灰殻蟲の体液。

 小石を転がした跡。

 そして、壁の穴。


 グレンはしゃがみ込み、壁の崩れを確認した。


「内部がかなり喰われている」


 ロガが言う。


「灰殻蟲が増えてた。壁の中にもっといるかもしれない」


 グレンは頷いた。


「第4支道はこの先か」


「はい」


 ナノが答えた。


「ただ、奥に行くほど灰鳴き石の膨らみが増えてました」


「良い報告だ」


 短い言葉。


 ナノは少しだけ背筋を伸ばす。


 3人はさらに奥へ進む。


 音がした。


 ぎぃん。


 灰鳴き石の音。


 だが、先ほどより低い。


 何か重いものに押されて、石が悲鳴を上げているようだった。


 ロガが小声で言う。


「近い」


 ナノの掌が熱くなる。


 でも、使わない。


 まだ。


 グレンが片手を上げた。


 全員が止まる。


 坑道の先、灰色の粉が濃く舞っている場所があった。


 その奥に、足跡が見える。


 大きい。


 ナノの足の倍以上ある。


 爪が3本。


 踏み込んだ周囲の石床が、ひび割れている。


 足跡の周りには、灰色に光る粉が散っていた。


「これが……」


 ナノは息を呑んだ。


 グレンが足跡の前にしゃがむ。


「灰鋼粉だ」


 ロガの声が震える。


「本当にいるのかよ……」


 その時だった。


 坑道の奥から、重い息遣いが聞こえた。


 ぐふぅ。


 低く、湿った音。


 ただの獣ではない。


 大きな体の中で、熱と血と灰が混ざっているような息。


 ナノの全身が強張った。


 灰の向こう。


 崩れた第4支道の奥で、何かが動いた。


 人より大きな影。


 分厚い肩。


 片腕に灰色の鋼のような瘤。


 そして、鈍く光る小さな目。


 灰鋼オーク。


 ナノは見た瞬間、理解した。


 これは、今の自分が戦っていい相手ではない。


 グレンが低く言った。


「下がれ」


 ナノとロガは、同時に一歩下がった。


 だが、その足音に反応して、灰鋼オークの目がこちらを向いた。


 重い唸り声。


 次の瞬間、灰鋼オークは壁を殴った。


 ごうん、と坑道全体が揺れた。


 灰鳴き石が悲鳴のような音を立てる。


 天井から石粉が降る。


 グレンの声が飛んだ。


「走れ!」


 ナノは反射的に走り出した。


 ロガも隣を走る。


 背後で、灰鋼オークの足音が響く。


 どん。


 どん。


 どん。


 地面が揺れる。


 灰色の粉が舞い、視界が白く濁る。


 ナノは胸元の黒脈石の護符を握りしめた。


 怖い。


 足がもつれそうだ。


 それでも、走る。


 生きるために。


 伝えるために。


 そして次に戦う時、ただ逃げるだけで終わらないために。


 背後でグレンの戦槌が鳴った。


 重い衝撃音が、灰鳴き坑道に響き渡った。


ここまで読んでくださってありがとうございます。

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