第17話 折れない石ころ
黒鉄試練坑道の出口が見えた時、ナノはようやく自分が強く息を詰めていたことに気づいた。
灯石の明かりが、入口の向こうから差し込んでいる。
外と呼べる空はない。
それでも、坑道の闇から抜け出す光は、地上の朝と同じくらい眩しく感じられた。
ナノは両手で黒脈石を抱えていた。
細長く、黒く、ところどころに銀の筋が走る石。見た目は派手ではない。宝石のような透明感もない。だが、石の中には鍛えられる前の硬さが眠っているようだった。
まるで、今の自分だ。
そう思った。
まだ磨かれていない。
まだ形も定まっていない。
けれど、捨てるだけの石ではない。
「遅ぇぞ」
出口の前で待っていたグレンが言った。
腕を組み、壁に背を預けている。いつもの無表情に近い顔だが、目だけはナノとロガの持つ石を見ていた。
ナノは慌てて姿勢を正す。
「す、すみ……じゃなくて、鉄殻蟲が出ました」
「見れば分かる。服に蟲の体液がついている」
ナノは自分の袖を見た。
黒っぽい液体がこびりついている。
少し嫌な匂いがした。
「う……」
ロガが横で笑う。
「人族、戦い終わったあとに自分の汚れに気づくのかよ」
「ロガもついてるよ」
「は?」
ロガが自分の肩を見る。
そこにも鉄殻蟲の体液がついていた。
「うわっ、最悪だ」
ナノは思わず笑いそうになった。
ロガが睨む。
「笑うな」
「わ、笑ってない」
「口元が笑ってる」
「……少しだけ」
「正直かよ」
そのやり取りを、グレンは黙って見ていた。
やがて、低く言う。
「石を見せろ」
ナノとロガはそれぞれ黒脈石を差し出した。
グレンはまずロガの石を見た。
指で表面を撫で、軽く叩く。
きん、と澄んだ音がした。
「悪くない。脈も折れていない。合格だ」
ロガは得意げに胸を張った。
「当然だろ」
「油断すると次で落ちるぞ」
「……分かってるよ」
次にグレンはナノの黒脈石を手に取った。
ナノの胸が強く鳴る。
指先が冷える。
もし質が悪かったら。
もし壊していたら。
もし、やはり人族には無理だと言われたら。
ナノは無意識に息を止めていた。
グレンは石を見つめ、表面を撫で、軽く叩いた。
音は、ロガのものより少し低かった。
ナノの心臓も沈む。
「……表面処理は粗い」
グレンが言った。
ナノの肩が落ちかける。
「採取の角度も甘い。端に余計な岩が残っている。見習いとしても、まだ手際は悪い」
「……はい」
胸が痛む。
やはり、そう簡単にはいかない。
だが、グレンは続けた。
「だが、脈は折れていない」
ナノは顔を上げた。
「え……?」
「黒脈石の中心を残している。無理に削らず、石の流れを追った証拠だ」
グレンは石をナノへ返した。
「合格だ」
その言葉を聞いた瞬間、体の力が抜けそうになった。
「ご、合格……」
「聞こえなかったか」
「聞こえました。聞こえましたけど……」
ナノは黒脈石を抱え直した。
石が胸に当たる。
硬い。
冷たい。
でも、その冷たさが嬉しかった。
「俺、石眼をずっと使ったわけじゃありません」
ナノは思わず言った。
「最初は使わずに探しました。鉄殻蟲が出た時だけ、一瞬使って……でも、その後は音とか動きで見て……ロガにも助けてもらって」
言いながら、言葉が少し乱れた。
嬉しさと安堵が混ざって、うまく説明できない。
グレンは静かに聞いていた。
「そうか」
短い一言。
だが、今のナノには十分だった。
ロガが横から言う。
「こいつ、途中で倒れかけたけどな」
「え」
ナノが振り向く。
ロガはにやりと笑った。
「でも、立て直した。鉄殻蟲の腹もちゃんと叩いた。まぁ、足は遅いけど」
「そ、それは怪我が……」
「言い訳か?」
「違う。事実」
ロガは少し驚いた顔をしたあと、ふっと笑った。
「言い返すようになったじゃねぇか」
ナノは自分でも少し驚いていた。
前なら謝っていた。
すみませんと口にして、相手の言葉を全部飲み込んでいた。
でも今は、少しだけ違う。
まだ怖い。
相手の顔色も見てしまう。
だが、全部を自分のせいにはしなくなってきた。
その変化が、黒脈石の重みと一緒に胸の中へ沈んでいった。
*
試練坑道から戻った見習いたちは、長老の前に集められた。
岩壁に囲まれた広場には、鍛冶場の火が遠くから赤く届いている。見習いたちの手には、それぞれ採取した黒脈石があった。
折れている者。
濁りが強い者。
余計な岩ごと削り出した者。
綺麗に脈を残した者。
石の状態は、そのまま見習いの癖を表しているようだった。
長老は1人ずつ石を見ていった。
厳しい言葉もあった。
「力任せだ」
「脈を見ずに削ったな」
「速さだけなら採掘ではなく破壊だ」
「悪くない。だが、石を急かすな」
ナノの番が来る。
長老は黒脈石を受け取った。
片目でじっと見る。
ナノは背筋を伸ばした。
心臓がうるさい。
長老の手が、石の端に残った余計な岩を撫でた。
「粗い」
「……はい」
「だが、中心は残した」
長老の目がナノに向く。
「石眼は使ったか」
ナノは一瞬迷った。
でも、隠す理由はなかった。
「使いました。鉄殻蟲が出た時に、一瞬だけ」
「黒脈石を探す時は」
「使っていません」
「なぜだ」
「使えば早いと思いました。でも……それだと、石を見るんじゃなくて、答えだけを見ることになる気がして」
自分で言いながら、ナノは少し恥ずかしくなった。
偉そうに聞こえるかもしれない。
だが、長老は笑わなかった。
「グレン」
長老が言った。
「悪くない」
グレンは腕を組んだまま頷いた。
「まだ雑ですが」
「雑でない見習いなど、見習いではない」
長老は黒脈石をナノへ返した。
「ナノ。今日の試練は合格とする」
ナノは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
声が少し震えた。
だが、逃げるような声ではなかった。
長老は続ける。
「その黒脈石は、お前のものだ」
「え?」
「試練で採った石は、見習いが最初に自分の手で得る鍛錬石となる。鍛冶師はそれを使って最初の道具を作る。戦士はそれを護符にする。坑道夫は灯石の台座にする」
ナノは黒脈石を見た。
「俺は……どうすれば」
「それを決めるのも試練だ」
長老はそう言った。
ナノは黒脈石を抱えた。
何にするか。
武器。
護符。
道具。
すぐには決められない。
でも、自分で決められる。
それが嬉しかった。
*
夜、ナノは黒鉄炉の隅で黒脈石を見つめていた。
炉の火が石の表面を赤く照らす。
黒いはずの石の奥に、細い銀の筋が浮かび上がっている。昼間に見た時よりも、少しだけ綺麗に見えた。
グレンが隣に座る。
「決めたか」
「まだです」
「そうか」
「グレンさんなら、何にしますか」
「俺なら槌の芯にする」
「槌……」
「だが、それは俺の答えだ」
グレンはナノを見た。
「お前の石だ。お前が決めろ」
ナノは黒脈石を撫でた。
表面は粗い。
端には余計な岩も残っている。
でも、中心は折れていない。
まるで、今の自分だと思った。
傷だらけで、未熟で、余計な恐怖や後悔をたくさん抱えている。
それでも、中心だけは折らずにいたい。
「護符に……したいです」
ナノは言った。
グレンが黙って続きを待つ。
「父さんと母さんがくれた命を、忘れないように。俺が弱くても、逃げたくなっても、中心だけは折らないように」
言葉にして、胸が痛くなった。
でも、その痛みから逃げたくはなかった。
グレンは静かに頷いた。
「なら、明日から護符作りを教える」
「俺が作るんですか」
「当たり前だ」
「失敗したら」
「また作れ」
「黒脈石は1つしかないです」
「なら、失敗しないように考えろ」
ナノは少し笑った。
「厳しいですね」
「優しいだけの鍛冶師は、使えない刃物を作る」
グレンらしい言葉だった。
ナノは黒脈石を胸に抱いた。
炉の火が、彼の影を岩壁に映す。
その影はまだ細い。
頼りなく、少し歪んでいる。
だが、以前より少しだけまっすぐ立っていた。
その時、ナノの掌の紋様が微かに光った。
頭の奥に文字が浮かぶ。
――黒脈石の採取に成功。
――石眼の制限使用を確認。
――百錬成鋼、微弱安定。
――称号補助、更新。
――折れない石ころ。
ナノはその文字を見て、小さく息を吐いた。
石ころ。
まだ宝石ではない。
まだ鋼でもない。
けれど、折れていない。
今はそれでいい。
ナノは黒脈石を見つめ、心の中で父と母に告げた。
俺、今日も生きました。
そして、少しだけ前に進みました。
黒鉄炉の火は、夜が深くなっても燃え続けていた。
その火の前で、無能と呼ばれた少年は、自分だけの護符を作る決意をした。
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