第16話 黒脈石を探せ
黒鉄試練坑道の中は、外から見た以上に暗かった。
壁に灯石は埋め込まれている。けれど、その光は黒い岩肌に吸われ、足元まで届く頃には薄い黄色に濁っていた。坑道の奥へ進むほど、空気は冷えていく。岩壁から滲み出た水が床を濡らし、ところどころに赤茶色の錆が浮いていた。
ナノは足元を確かめながら歩いた。
左足の傷は、まだ完全ではない。油断して濡れた石を踏めば、すぐに滑る。右手には小さな鉄槌。腰の袋には採取用の鑿と、黒脈石を入れるための布袋が入っている。
先頭を歩くのはロガだった。
彼は短い足で岩場を軽々と進む。背中に下げた小槌が歩くたびに揺れ、胸元の灰色の種族石が灯石の光を鈍く返していた。
「遅いぞ」
ロガが振り返らずに言う。
ナノは息を整えた。
「はっ……はい。すみ――」
言いかけて、止める。
「……少し足場を見てました」
ロガがちらりと振り返る。
「言い訳か?」
「違います。左側の床、水で滑りやすいです。右の壁沿いの方がまだ乾いてます」
ロガは足元を見た。
確かに左側の石床には薄く水が流れ、灯石の光をぬらりと反射している。ロガは鼻を鳴らした。
「ふん。目だけは使えるみたいだな」
褒めているのか、馬鹿にしているのか分かりづらい。
だが、神託塔の笑い声とは違った。
ナノは小さく息を吐き、右の壁沿いを進む。
坑道内には、黒い筋がいくつも走っていた。
黒錬鉱。
黒脈石。
ただの煤けた岩。
似ている。
どれも黒く、硬そうで、見慣れていない者にはほとんど同じに見える。石眼を使えば、すぐに識別できるだろう。
掌の紋様がかすかに熱を持つ。
使え。
そう言われている気がした。
ナノは拳を握った。
楽をするために使うな。
グレンの言葉を思い出す。
ナノは岩壁へ触れた。
冷たい。
表面は滑らかではなく、細かなざらつきがある。黒い筋に指を沿わせると、途中でわずかに引っかかる部分があった。
黒錬鉱は重く、硬く、まとまりがある。
黒脈石は、もっと細い。
岩の中を血管のように走る。
グレンがそう言っていた。
ナノは指先で岩の筋を辿った。
「……これは違う」
小さく呟く。
「ただの黒い岩に近い」
ロガが少し離れた場所で壁を叩いていた。
かん。
かん。
音を聞いている。
ドワーフたちは、石を叩いた音で中の質を読むらしい。
ロガは短く笑った。
「こっちは当たりだ」
彼は鑿を当て、手際よく黒い石を削り出していく。
ナノは焦りを感じた。
ロガはもう採取に入っている。
自分はまだ見つけてもいない。
掌が熱くなる。
石眼を使えば。
一瞬で。
ナノは唇を噛んだ。
だが、使わなかった。
焦って使えば、きっと楽を覚える。
そうなれば、石眼がなければ何も見えない自分になる。
ナノは別の壁へ移った。
指で触れる。
叩く。
耳を澄ます。
かん。
低い音。
違う。
もう一度、別の場所を叩く。
こん。
少し軽い。
さらに、上の細い筋を叩く。
きん。
澄んだ音が、ほんの少しだけ返ってきた。
ナノの息が止まる。
「ここ……?」
指で触れる。
黒い筋は細い。表面だけではほとんど見えない。だが、岩の奥へ続いている感じがある。
ナノは鑿を取り出した。
慎重に当てる。
鉄槌で軽く叩く。
かん。
石粉が落ちる。
もう一度。
かん。
黒い筋が少しだけ顔を出した。
その時、ロガが横から覗き込んだ。
「そこか?」
「たぶん」
「たぶんで掘るなよ。脈を壊したら失格だぞ」
「分かってる」
思わず言い返していた。
自分でも驚いた。
ロガも少し驚いた顔をした。
ナノは慌てて目を逸らしそうになったが、踏みとどまった。
「……分かってる。だから、ゆっくりやる」
ロガはしばらくナノを見て、それから肩をすくめた。
「なら、やってみろ」
ナノは鑿を当て直した。
石眼は使わない。
音を聞く。
手の感触を見る。
石の中にある筋を、指先と耳で追う。
かん。
かん。
かん。
黒い石が、少しずつ露出していく。
黒脈石。
黒錬鉱ほど塊ではない。細長く、わずかに銀色の光を含んだ黒い石だった。岩の中に走る血管のように、細く長く伸びている。
「……あった」
ナノは息を吐いた。
胸の中に、じわりと熱が広がる。
石眼を使わずに見つけた。
その事実が嬉しかった。
だが、そこで終わりではない。
折らずに取り出す必要がある。
ナノは集中した。
ロガは少し離れ、壁に背を預けて見ていた。
「お前、思ったより手つきは悪くないな」
突然言われ、ナノの手が止まりかけた。
「え?」
「人族にしては、だ」
「……それ、褒めてますか」
「半分はな」
ロガは目を逸らした。
「グレン親方が連れてきた理由が、少し分かっただけだ」
ナノは何か返そうとした。
その時、坑道の奥から音がした。
きり。
きり。
細い鳴き声。
錆鳴鼠とは違う。
もっと硬く、乾いた音。
ロガの顔が変わった。
「まずい」
「何ですか」
「鉄殻蟲だ」
ナノの背筋が冷える。
坑道の奥、黒い岩の隙間から、細長い影が這い出してきた。
蟲。
だが、ただの虫ではない。
体は腕ほどの長さで、節ごとに黒い鉱石の殻がついている。脚は細い針のようで、石床を踏むたびに、ちりちりと金属を擦る音がした。頭部には小さな顎があり、岩壁の鉱石筋を削りながら進んでいる。
鉄殻蟲。
名前の通り、鉄の殻をまとった坑道の魔物。
1匹なら大したことはないのかもしれない。
だが、音は複数あった。
きり。
きり。
きり。
壁の隙間から、さらに2匹、3匹と出てくる。
ロガが小槌を構えた。
「黒脈石に寄ってきやがった」
「どうすれば」
「殻は硬い。腹は柔らかい。でも、下から狙うのは面倒だ」
ナノは鉄殻蟲を見る。
石眼を使えば弱点が分かる。
使うべきか。
今は危険だ。
グレンは、危ない時は使えと言った。
ナノは一瞬だけ石眼を開いた。
掌が熱くなる。
視界の端が少し白く滲む。
――鉄殻蟲。
――摂食鉱物、黒脈石。
――背殻硬度、高。
――腹部節間、脆弱。
――音に反応。
ナノはすぐに石眼を切った。
頭が少し痛む。
だが、まだ耐えられる。
「音に反応します!」
ナノは叫んだ。
「強い音に寄るかもしれない!」
ロガが目を見開く。
「なら、逆に使える」
彼は壁を小槌で強く叩いた。
かん!
高い音が坑道に響く。
鉄殻蟲たちが一斉にそちらへ向いた。
「今だ!」
ロガが踏み込み、近づいてきた1匹の腹へ小槌を叩き込む。
ナノも鉄槌を握った。
怖い。
蟲の動きは気味が悪い。脚の音が耳にまとわりつき、背中に冷たい汗が流れる。
だが、相手は見えている。
腹部の節間。
そこを狙う。
ナノは1匹が壁の音へ向かって動いた隙に、横から鉄槌を入れた。
かん、ではなく、ぐしゃりという嫌な音。
鉄殻蟲が丸まり、動かなくなる。
ナノは息を呑んだ。
「や、やった……」
「油断するな!」
ロガの声。
別の鉄殻蟲がナノの足元へ迫っていた。
ナノは慌てて後ろへ跳ぶ。
左足が痛む。
体勢が崩れる。
「っ……!」
転びかけた瞬間、ロガが腕を掴んだ。
「おい、倒れるな!」
「す、すみ――」
「謝るな! 立て!」
「は、はい!」
ロガは小槌で壁を叩き、鉄殻蟲を引き寄せる。
ナノは呼吸を整える。
音で誘導。
腹を狙う。
鉄殻蟲は怖いが、仕組みは分かった。
ロガが音を出す。
ナノが横から腹を叩く。
2人の動きはぎこちない。
だが、少しずつ噛み合っていく。
最後の1匹を倒した時、坑道には2人の荒い息だけが残った。
「はっ……はぁ……」
ナノは壁に手をついた。
ロガも肩で息をしている。
「お前……」
ロガが言った。
「石眼、使っただろ」
ナノは正直に頷いた。
「一瞬だけ。危ないと思ったから」
「ずるいとは言わねぇよ」
ロガは倒れた鉄殻蟲を見た。
「でも、それを使ったあと、ちゃんと動いてた。見えた情報だけで固まってなかった」
ナノは少し驚いた。
「見てたんですか」
「見てた。人族が足引っ張るなら、文句言うつもりだったからな」
「……文句、ありますか」
ロガはそっぽを向いた。
「今はない」
その言い方が少しおかしくて、ナノは小さく笑った。
ロガは気まずそうに咳払いする。
「早く黒脈石を取れ。こいつらの仲間が来る前に戻るぞ」
「はい」
ナノは黒脈石へ向き直った。
さっきより、手は震えていなかった。
ロガが後ろで見張ってくれている。
その事実が、思ったより心強い。
ナノは鑿を当て、慎重に石を削り出した。
最後の一打で、黒脈石が岩から外れた。
細長く、黒く、わずかに銀の筋を含んだ石。
ナノはそれを両手で受け止めた。
石は冷たかった。
だが、その冷たさの奥に、静かな重みがあった。
「取れた……」
ナノの声には、安堵が滲んでいた。
ロガは自分の黒脈石を見せる。
「俺も取った。戻るぞ」
「はい」
2人は坑道の出口へ向かって歩き出した。
その途中、ナノは一度だけ振り返った。
暗い坑道。
黒い壁。
倒れた鉄殻蟲。
そして、自分が見つけた黒脈石のあった場所。
ここで、ナノはまたひとつ知った。
石眼を使わずに見ること。
必要な時だけ使うこと。
そして、誰かと一緒に戦うこと。
それは、今まで1人で逃げ続けてきたナノにとって、思っていた以上に大きな一歩だった。
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