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無能スキル【石】と追放された俺~宝石の力で成り上がる~  作者: 海老沢大地
第2章 ドワーフ領と黒鉄の試練

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第13話 初依頼は錆鳴鼠

 見習い証を受け取った翌朝、ナノは坑道ギルドの掲示板の前に立っていた。


 ギルドの中は、前日よりもさらに騒がしく感じた。


 早朝にもかかわらず、依頼を確認する冒険者や坑道夫たちで広間は埋まっている。濡れた外套を肩にかけた獣族の男、斧を背負ったドワーフの姉弟、革袋いっぱいに魔石を詰めた人族の商人。


 それぞれが依頼書を見て、報酬を確認し、仲間と短く言葉を交わしている。


 ナノはその中に立っているだけで、少し息苦しくなった。


 昨日、見習い登録は認められた。


 だが、それで急に強くなったわけではない。


 ギルドの空気は、鍛冶場とは違う圧があった。


 ここでは、仕事をこなせる者だけが残る。


 役に立たなければ、誰も守ってくれない。


 ナノは胸元の鉄札を指で触れた。


 ひんやりとした金属の感触が、少しだけ現実に引き戻してくれる。


「緊張しているな」


 グレンが隣で言った。


 ナノは慌てて返事をした。


「はっ、はい……かなり」


「隠さなくなっただけましだ」


「隠しても、どうせバレるので」


「分かってきたな」


 グレンは掲示板の下段を指した。


「見習いが受けられるのは、この辺りだ」


 下段には、比較的小さな依頼書が並んでいた。


 鉱石箱の運搬。

 灯石の交換。

 水路の詰まり確認。

 低級魔石の仕分け補助。


 その中に、赤い印がついた依頼書があった。


 ナノはそこに目を留めた。


「これ……」


 依頼名。


 旧第3水路の錆鳴鼠駆除。


 報酬、小銀貨3枚。

 追加報酬、錆鳴鼠の錆嚢1つにつき銅貨4枚。

 危険度、F上位。

 推奨人数、2名以上。


「錆鳴鼠……?」


 ナノが呟くと、グレンが説明した。


「さびなきねずみ、と読む。この辺りの坑道に出る小型魔物だ。鉄粉や赤錆鉱を食って増える」


「鼠なんですか」


「見た目は鼠だ。だが、普通の鼠と思うな。鳴き声で仲間を呼び、錆の粉を撒く」


 ナノは依頼書の赤印を見る。


「F上位って、見習いが受けてもいいんですか」


「普通なら早い」


「じゃあ、やめた方が」


「だが、お前には必要だ」


 グレンは依頼書を剥がした。


「旧採掘路の黒錆ゴブリンよりは弱い。だが、数が多い。石眼に頼りきると情報に呑まれる。今のお前にはちょうどいい」


 ナノの喉が鳴った。


 ちょうどいい。


 ドワーフの基準は少し怖い。


「俺、石眼はまだ使いすぎない方がいいんですよね」


「そうだ」


「でも、魔物相手に使わずに大丈夫でしょうか」


「使うなとは言っていない。使い続けるなと言っている」


 グレンはナノを見た。


「一瞬だけ見ろ。そして、あとは目と耳と足で戦え」


 ナノは深く息を吸った。


 怖い。


 でも、昨日までの怖さとは少し違う。


 登録した。


 依頼を受ける。


 報酬を得る。


 これは、ナノが自分の足で進む最初の仕事だ。


「……受けます」


 ナノは言った。


 声は震えていたが、言い直さなかった。


「この依頼、受けます」


 グレンは頷いた。


「なら、ラウネに持っていけ」


     *


 旧第3水路は、ガルバ坑道街の端にあった。


 昨日の旧採掘路よりは狭く、天井も低い。水路というより、古い排水坑に近かった。壁の一部は崩れ、足元には赤茶色の錆水が浅く溜まっている。


 湿った空気の中に、鉄臭い匂いが濃く漂っていた。


 鼻の奥が痛くなるような匂いだった。


 ナノは口元に布を巻き、鉄槌を握った。


 同行者はグレンではなかった。


 ミラだった。


「本当にミラさんが来るんですか?」


 ナノが聞くと、ミラは腰の薬草袋を叩いた。


「あなた、まだ怪我人なのよ。グレンに任せたら、倒れるまで戦わせるでしょ」


「否定できないです」


「でしょう」


 ミラは短い杖を持っていた。


 先端には淡い緑色の石が埋め込まれている。彼女の手の甲にある石と似た色だった。


「私も戦闘は少しできるわ。ただし、前に出るのはあなた」


「えっ」


「見習いの初依頼でしょ。後ろで見てるだけじゃ依頼にならないわ」


「は、はい……」


「大丈夫。危なくなったら止める」


 ナノは頷いた。


 その「大丈夫」は、昨日の自分の大丈夫よりずっと信用できた。


 水路の奥から、かすかな音がした。


 きぃ。


 きぃ。


 金属を擦ったような鳴き声。


 ナノの背筋が強張る。


「来たわね」


 ミラが小さく言う。


 ナノは息を整えた。


 石眼を使うのは一瞬だけ。


 一瞬だけ見る。


 掌の紋様へ意識を向ける。


 水路の奥、赤錆鉱の塊の近くに、小さな影が3つ見えた。


 錆鳴鼠。


 体長は人の腕ほど。


 灰色の毛の間に、赤茶色の錆びた針のような毛が混じっている。前歯は黄色く、先端に金属のような光沢がある。背中には小さな錆嚢があり、そこから粉を撒くらしい。


 頭の奥に文字が浮かぶ。


 ――錆鳴鼠。


 ――小型群棲魔物。


 ――弱点、耳裏の薄皮。


 ――錆嚢破裂に注意。


 ナノはすぐに石眼を切った。


 頭が少しだけ熱くなる。


 だが、昨日ほどではない。


「3匹います。背中の袋は壊さない方がいい。耳の後ろが弱いみたいです」


「上出来」


 ミラが短く言う。


 その言葉で、ナノの緊張が少しだけほどけた。


 錆鳴鼠がこちらへ気づいた。


 きぃ、と鳴く。


 その声は耳の奥を引っ掻くようだった。


 1匹が跳ぶ。


 ナノは鉄槌を構えた。


 真正面から叩かない。


 袋を壊さない。


 耳の後ろ。


 そう思ったが、相手は小さい。


 速い。


「くっ……!」


 ナノは横へかわし、鉄槌の柄で体を押し返した。


 錆鳴鼠が壁にぶつかる。


 すぐに起き上がる。


 2匹目が足元へ来る。


「ナノ、足!」


「はっ、はい!」


 ナノは後ろへ跳ぼうとした。


 だが左足が遅れる。


 錆鳴鼠の前歯が包帯をかすめた。


 布が裂ける。


 冷たい汗が背中を流れた。


 噛まれていたら、また魔石毒が入っていたかもしれない。


 ナノは息を整える。


 焦るな。


 小さい魔物に振り回されるな。


 見る。


 音を聞く。


 鳴き声の方向。


 水の跳ね方。


 錆の匂い。


 3匹目が鳴いた。


 きぃ。


 他の2匹がそれに合わせて動く。


 指示を出している。


「あいつ……奥のが呼んでる」


 ナノは呟いた。


 ミラが頷く。


「群れの鳴き役ね」


「先に、あいつを」


 ナノは足元の小石を拾った。


 黒鉄炉の訓練を思い出す。


 石の重さ。


 筋。


 投げる角度。


 百錬成鋼は使いすぎない。


 ただ、少しだけ体の芯を固める。


 ナノは小石を投げた。


 狙いは鳴き役の背中ではない。


 耳の後ろ。


 小石はまっすぐ飛ばなかった。


 だが、ナノの手から離れる瞬間、わずかに軌道を修正するような感覚があった。


 石が命中した。


 鳴き役の錆鳴鼠が短く悲鳴を上げて転がる。


「今!」


 ミラの声。


 ナノは前へ出た。


 残りの2匹が一瞬動きを乱す。


 その隙に、ナノは鉄槌の柄で1匹目を押さえ、耳裏へ短く打ち込んだ。


 鈍い音。


 錆鳴鼠が動かなくなる。


 2匹目が逃げようとする。


 ナノは追った。


 足が痛む。


 だが、無理に走らない。


 逃げる先を読む。


 錆鳴鼠は錆鉱のある壁際へ向かう。


 ナノは先回りし、低く構えた。


「こっちだ」


 声は震えていた。


 でも、逃げ腰ではなかった。


 錆鳴鼠が跳ぶ。


 ナノは鉄槌を横へ振らず、下からすくい上げるように当てた。


 背中の錆嚢を避け、耳裏へ。


 命中。


 魔物が水路の中へ落ちた。


 動かない。


 ナノは肩で息をした。


「はっ……はぁ……」


 静かになった。


 錆水の流れる音だけが聞こえる。


 ミラが近づいてきた。


「怪我は?」


「少し、かすっただけです」


「見せて」


「だ、大丈夫です」


「その言葉は信用しません」


「……はい」


 ミラは包帯を確認し、小さく頷いた。


「出血はないわね」


 ナノは錆鳴鼠の死骸を見た。


 小さな魔物。


 黒錆ゴブリンより弱い。


 錆腕ゴブリンとは比べものにならない。


 それでも、これは自分で受けた初依頼の魔物だった。


 ミラが言う。


「錆嚢を回収しましょう。潰さないようにね」


「はい」


 ナノは慎重に錆嚢を切り取った。


 薄い袋の中に赤茶色の粉が詰まっている。薬にも、錆止めにも、低級の調合素材にもなるらしい。


 依頼品。


 報酬になるもの。


 ナノはそれを小瓶に入れた。


 手が少し震えていた。


 ミラが横から見て言った。


「どうしたの」


「いや……俺、初めて自分で依頼をやったんだなって」


「そうね」


「父さんと母さんに、見せたかったです」


 言った瞬間、胸が痛くなった。


 ミラは何も言わなかった。


 ただ、少しだけ近くに立っていてくれた。


 その沈黙がありがたかった。


 ナノは小瓶を握った。


 錆嚢3つ。


 小さな成果。


 でも、初めて自分で掴んだ成果。


「帰りましょう」


 ミラが言った。


「ギルドに報告しないと」


「はい」


 ナノは頷いた。


 その返事には、少しだけ誇りが混じっていた。


     *


 ギルドに戻ると、ラウネが報告書を受け取った。


「錆鳴鼠3匹。錆嚢3つ。状態も良好。初依頼としては上出来ね」


 ナノは鉄札を握りしめた。


「あ、ありがとうございます」


「報酬は小銀貨3枚と銅貨12枚」


 ラウネは小さな革袋を差し出した。


 ナノはそれを受け取った。


 重い。


 大金ではないのだろう。


 でも、ナノにとっては初めての冒険者報酬だった。


 手のひらの上で、硬貨が小さく鳴る。


 ちゃり。


 その音を聞いた瞬間、喉の奥が詰まった。


「泣く?」


 ラウネが聞いた。


「な、泣きません」


「声が泣きそうよ」


「……少しだけ、泣きそうです」


 ラウネは笑った。


「正直でよろしい」


 ナノは革袋を胸元に抱えた。


 これは食べ物に使える。


 薬にも使える。


 道具も買える。


 自分で稼いだ金。


 奪われるだけではない。


 ほんの少しだけ、選べるようになった金。


 ギルドの扉が開き、グレンが入ってきた。


「終わったか」


「はい。錆鳴鼠、3匹倒しました」


「そうか」


 グレンはそれだけ言った。


 褒め言葉はない。


 だが、ナノはもう少しだけ分かってきていた。


 グレンの「そうか」は、見捨てていない時の言葉だ。


 ナノは小さく笑った。


「明日も、石を磨きます」


 グレンの目がわずかに動く。


「依頼を受けた後に、それを言うか」


「はい。たぶん、そっちも大事だと思ったので」


 グレンは短く笑った。


「少しは分かってきたな」


 ナノは胸元の鉄札と、報酬の革袋を握った。


 無能ではない証明は、まだ終わっていない。


 むしろ、始まったばかりだ。


 でも今日、ナノは初めて、自分の力で小さな報酬を得た。


 地底のギルドで。


 錆の匂いが残る手で。


 まだ弱いまま、それでも確かに前へ進んだ。


ここまで読んでくださってありがとうございます。

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