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無能スキル【石】と追放された俺~宝石の力で成り上がる~  作者: 海老沢大地
第2章 ドワーフ領と黒鉄の試練

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第11話 石眼の代償

 ガルバ坑道街へ戻る頃には、ナノの足はほとんど感覚を失っていた。


 痛みが消えたわけではない。


 むしろ逆だった。


 痛みが強すぎて、足のどこが痛いのか分からなくなっていた。左足の噛み傷、右膝の打撲、頬の切り傷、鉄槌を握り続けた手の皮。全身の小さな痛みが混ざり合い、重い泥のように体の内側へ沈んでいる。


 坑道街の灯りが見えた時、ナノはほっとした。


 岩壁に埋め込まれた鉱石灯。


 鍛冶炉の赤い光。


 遠くから聞こえる槌音。


 ここへ来てまだ数日しか経っていない。それなのに、その音を聞くと少しだけ息がしやすくなった。


 帰る場所。


 そう呼ぶには、まだ早い。


 だが、少なくとも自分を追い払う場所ではなかった。


「ナノ!」


 甲高い声が響いた。


 ミラだった。


 治療師の白い布を頭に巻き、腰の薬草袋を揺らしながら走ってくる。その顔は心配と怒りが半分ずつ混ざっていた。


 ナノは反射的に背筋を伸ばした。


「あ、あの、ミラさん……」


「座りなさい」


「は、はい……」


「今すぐ」


「はいっ」


 ナノは近くの石段に腰を下ろした。


 返事が情けないほど素直になった。


 ミラはナノの頬の傷を見て、次に左足、最後に右手を見た。


 そのたびに眉間の皺が深くなる。


「グレン」


 声が低かった。


 ナノは思わず肩を縮めた。


 グレンは表情を変えない。


「生きて戻った」


「それを成果みたいに言わないで」


「成果だ」


「怪我人を旧採掘路に連れて行った上に、頬を切らせて、手も裂けて、足も悪化させて。これのどこが成果なの」


「黒錆ゴブリンの上位個体を処理した」


「ナノを処理する気?」


「していない」


「なら、もっと大事に扱いなさい」


 ナノは2人の会話を聞きながら、どこか不思議な気持ちになった。


 怒られている。


 でも、そこには見捨てる冷たさがない。


 王都の神官は、ナノのことを数字で見た。


 平民街の管理局は、ナノの家族を階層不適合者として扱った。


 だがミラは、傷を見て怒っている。


 それが少しだけ、胸に痛かった。


「あの……ミラさん」


「何?」


「すみま……じゃなくて、その……ありがとうございます」


 ミラの動きが止まった。


 ナノは視線を落とす。


「怒ってくれて、ありがとうございます」


 ミラはしばらく黙っていた。


 それから、ため息をつく。


「そういうことを言われると、怒りづらくなるじゃない」


「ご、ごめんなさ……あっ」


「ふふ。まだ謝り癖は抜けないわね」


 ミラは薬草袋から小瓶を取り出した。


 蓋を開けると、苦い匂いが広がる。青い草と鉄錆を混ぜたような匂いだった。


「頬を出して」


「はい……」


「痛むわよ」


「だ、大丈夫です」


「それは大丈夫じゃない人の声」


 薬を塗られた瞬間、ナノは声にならない声を出した。


「っ、〜〜!」


「ほら」


「い、痛いです……!」


「正直でよろしい」


 ミラは淡々と処置を続ける。


 頬の次は手。


 裂けた皮膚を洗い、薬を塗り、包帯を巻く。ナノは何度も息を止めそうになったが、そのたびにミラに「呼吸」と言われた。


 最後に左足の包帯を外した時、ミラの表情が変わった。


「……熱が増してる」


 グレンも顔を向ける。


「魔石毒か」


「それだけじゃないわ」


 ミラは傷の周囲に指を当てた。


 ナノは痛みに顔を歪める。


「っ……」


「ナノ。旧採掘路で石眼を使いすぎた?」


 ナノは一瞬答えられなかった。


「使いすぎたかどうかは……分からないです。でも、黒錆ゴブリンの時に、魔石とか、鉱石の筋とか、ずっと見ようとしてました」


「やっぱり」


 ミラは小さく舌打ちした。


 グレンが眉をひそめる。


「石眼の負荷か」


「たぶんね。目だけの力じゃない。体内の石紋を通して、神経や血流にも負担が出てる」


 ナノは自分の掌を見た。


 紋様がいつもより赤くなっている。


 白い菱形の周囲に、細い赤い線が浮かんでいた。


「これ……」


 触れようとすると、ミラに止められた。


「触らない」


「は、はい」


「石眼は便利な力かもしれない。でも、今のあなたの体はまだ弱い。見えすぎる情報に、体が耐えられていないの」


「見えすぎる……」


 ナノは旧採掘路でのことを思い出した。


 爪痕。


 鉱石の摂食痕。


 黒錆ゴブリンの魔石位置。


 錆腕ゴブリンの右腕の継ぎ目。


 見えた。


 見えたから役に立てた。


 でも、その代わりに体の奥がずっと熱かった。


 あれは興奮ではなく、負荷だったのかもしれない。


 グレンが腕を組む。


「なら、しばらく石眼は禁止だな」


「えっ」


 ナノは顔を上げた。


「で、でも、それじゃ俺、何も」


「何もできないと思うか」


 グレンの声が低くなった。


 ナノは口を閉じた。


 そう言いかけた。


 石眼があるから、魔物の弱点を読めた。


 百錬成鋼があるから、黒錬板を割れた。


 それがなければ、自分はまた何もできない人族に戻る。


 そんな恐怖が胸の奥から出てきた。


 グレンはそれを見抜いたように言った。


「力を得たばかりの奴は、すぐ力に縋る。見えるから見る。叩けるから叩く。吸えるから吸う」


 グレンはナノの包帯だらけの手を見た。


「だが、道具に使われる者は職人ではない」


 ナノは息を呑んだ。


「道具に……使われる」


「そうだ。石眼に頼りきれば、お前は石眼がないと何もできない人間になる」


 その言葉は、思った以上に重かった。


 無能から抜け出したくて得た力なのに、その力に頼りすぎれば、別の意味で弱くなる。


 ナノは拳を握ろうとしたが、包帯が痛んで途中で止めた。


「じゃあ……どうすればいいんですか」


 声が小さくなった。


「見えない時でも考えろ」


 グレンが言った。


「足跡、匂い、傷、音、相手の動き。石眼が見せる情報だけが真実じゃない」


 ミラも頷く。


「それに、体を治すのも訓練よ。壊れたまま動き続けるのは、強さじゃなくて雑さ」


「雑さ……」


「そう。あなたは今、自分の体の扱いが雑」


 ナノは返す言葉がなかった。


 父と母に生かされた命。


 それを無駄にしたくないと言いながら、焦って傷を増やしている。


 それでは意味がない。


「……分かりました」


 ナノはゆっくり頷いた。


「石眼、しばらく使いません」


 グレンが見る。


「本当に分かっている声か?」


 ナノは少し迷った。


 正直、怖い。


 石眼を使わない自分に価値があるのか。


 でも、その怖さを隠すと、また見抜かれる気がした。


「怖いです」


 ナノは言った。


「石眼がないと、俺、本当に役に立てないかもしれないって思ってます。でも……それに頼りすぎるのも、違うって分かりました」


 グレンは小さく頷いた。


「その返事ならいい」


     *


 その夜、ナノは黒鉄炉の隅に座っていた。


 訓練は禁止。


 石眼も禁止。


 ミラにそう言われ、寝台に戻れと言われたが、眠れる気がしなかった。


 だからせめて鍛冶場の音だけでも聞いていたかった。


 黒鉄炉の火は、夜になっても消えない。


 昼より人は少ないが、数人のドワーフが交代で炉の番をしている。火の色を見て、鉱石の変化を読み、温度を調整する。彼らはほとんど喋らない。


 だが、火と会話しているように見えた。


 ナノは膝を抱えた。


 今日手に入れた黒錆魔石は、グレンが保管している。


 今の肉体では吸収負荷が高すぎる。


 そう言われた。


 力が目の前にあるのに、使えない。


 もどかしい。


 だが、そのもどかしさの奥に、自分への苛立ちもあった。


「焦ってるんだな、俺……」


 小さく呟く。


 早く強くなりたい。


 早く、無能だった自分を壊したい。


 早く、父と母に胸を張れる自分になりたい。


 でも、石はすぐには宝石にならない。


 父が言っていた。


 削り方ひとつで、石は壁にも、剣の柄にも、墓標にもなる。


 なら、自分は何になるのだろう。


 壁か。


 武器か。


 墓標か。


 それとも、本当に宝石になれるのか。


「ナノ」


 声がした。


 振り返ると、グレンが立っていた。


 手には小さな黒い箱を持っている。


「寝ていなかったか」


「……眠れなくて」


「そうか」


 グレンは隣に座った。


 しばらく無言だった。


 槌音もない。


 炉の火が、ごう、と低く鳴っている。


 グレンが黒い箱を開けた。


 中には、小さな石片が入っていた。


 透明に近いが、完全な透明ではない。内部に白い濁りがある。


「これは……」


「白鈍石だ。白剛石には遠く及ばないが、近い系統の石だ」


「吸収するんですか?」


「今はしない」


 グレンは石片をナノの前に置いた。


「明日から、お前はこれを磨け」


「磨く……?」


「そうだ。石眼も百錬成鋼も使わず、ただ手で磨け。石の形を覚えろ。重さを覚えろ。表面の引っかかりを覚えろ」


 ナノは石片を見た。


 小さい。


 地味で、特別な力があるようには見えない。


「これが訓練になるんですか」


「なる」


 グレンは短く答えた。


「ドワーフの子どもは、まず石を磨く。叩く前に磨く。割る前に触る。石を知らん者が、石を鍛えることはできん」


 ナノは白鈍石を手に取った。


 冷たい。


 少しざらついている。


 掌の紋様は反応しかけたが、ナノは意識して力を抜いた。


 石眼を使わない。


 ただ、触る。


 すると、不思議なことに、文字ではない情報が少しずつ入ってきた。


 角が欠けている。


 表面に細かな傷がある。


 片側だけ重さが偏っている。


 光に当てると、濁りの奥に小さな筋が見える。


 見える、ではない。


 感じる。


「……石眼を使わなくても、分かることがあるんですね」


 ナノが呟くと、グレンは頷いた。


「それを忘れるな」


 ナノは白鈍石を握りしめた。


 焦るな。


 でも、止まるな。


 それが今日の答えなのかもしれない。


 グレンが立ち上がる。


「明日は休養と石磨きだ」


「はい……」


「その次は、坑道街の外れにある小ギルドへ行く」


 ナノは顔を上げた。


「ギルド……?」


「ああ。お前を正式に冒険者見習いとして登録する」


 胸が跳ねた。


 冒険者。


 ギルド。


 魔石。


 依頼。


 王都では、自分には一生関係ないと思っていた言葉だった。


「俺が……登録できるんですか」


「できるようにする」


 グレンは少しだけ口元を歪めた。


「ただし、登録試験がある」


「試験……」


「安心しろ。死にはしない」


「その言い方、全然安心できません」


「なら、緊張しておけ」


 グレンはそう言って去っていった。


 ナノは白鈍石を見つめた。


 小さく、濁った石。


 今の自分に似ていると思った。


 透明ではない。


 強くもない。


 まだ磨かれてもいない。


 でも、捨てられてはいない。


 ナノは石をそっと布で包んだ。


 黒鉄炉の火が、彼の横顔を赤く照らしていた。


 明日は戦わない。


 走らない。


 ただ、石を磨く。


 それもまた、強くなるための一歩だった。


ここまで読んでくださってありがとうございます。

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