介護技術とグラタン
「サイード!」
「はい!」
サイードさんは、コップをテーブルに置いて、すぐに立ち上がった。
「義父のポンドが呼んでいるので……」
「私達も行きます」
私とハズも、後を追いかけながら、ポケットから布を取り出して、口に当てて後ろで結んだ。
「それは?」
サイードさんは私達の布について尋ねる。
「ソンさんに付けるよう言われたので、このような恰好で失礼します」
サイードさんは納得したように頷くと、ドアを開けて中へ入っていく。
私達も後に続いた。
「お義父さま、いかがされましたか?」
ポンドさんは、身体を掻き毟りながら、サイードさんに怒鳴っていた。
「身体が痒くてたまらん。拭いてくれ」
「……はい」
サイードさんは少しだけ表情を歪ませた。
「あの……」
ハズが切り出す。
「私が拭いてもいいですか?」
「おや、昨日のソンさんとこの……。誰でもいい。この痒みがなくなれば」
「サイードさん、ここは私がやります」
ハズの声は優しかった。
サイードさんの表情が緩んだのが分かる。
ただ、その中に罪悪感も混ざっているようだった。
「じゃあ、手拭いを……」
サイードさんは、そう言って手拭いの準備をしようとした。
何かをしないと落ち着かない様子だった。
私はすかさず鞄から手拭いを取り出した。
「こちらで用意したものがありますから、サイードさんは休んでいてください」
私としては、サイードさんには少しでも休んでもらいたいところだった。
けれど、サイードさんは部屋から出ていかなかった。
ハズがサイードさんの近くに椅子を用意する。
私がサイードさんを椅子の前まで手を引くと、やっと椅子に座って休んでくれた。
それから私は、先ほどハズが汲んできた水で手拭いを濡らして、ハズに手渡す。
ハズは、手慣れた手つきでポンドさんの身体を拭いていく。
その間に、私は鞄から軟膏を取り出す。
「これは、ソンさんから預かったものです。薬の効果はありません。ですが、乾燥を防いで、痒みを和らげてくれます」
そうポンドさんに向かって説明した後、ハズに手渡した。
ハズは、黙って手を伸ばし、ポンドさんの身体に丁寧に塗っていく。
そんなことをしていると、子ども達がドアの隙間から覗いていた。
私は、子ども達を部屋に近づけるべきではないと思って、ドアの方へ向かおうとしたとき、サイードさんが先に立ち上がった。
サイードさんも、咳をするポンドさんに子ども達を近付けるべきではないことは分かっていたようで、子どもが部屋に入らないように廊下で子ども達の話を聞き始める。
「ママ、お腹空いた」
「あぁ……もう、こんな時間ね。用意するわ」
そんな声が廊下から聞こえた。
私も、部屋を出て声を掛ける。
「私でよろしければ、作りますよ」
「えぇ……でも、お義父様とお義母様は、固いものは食べられないの」
介護食が必要らしい。
「大丈夫です。使える食材を見てもいいですか?」
「え?……えぇ」
サイードさんはパントリーに案内してくれた。
ソンさんの見立てどおり、この家はやはりお金には困っていないようだ。
パントリーの中には食材が豊富にあった。
物量だけでなく、穀物から野菜、肉類、調味料や香辛料まで種類も取り揃えてあった。
小麦粉に、チーズ、芋、玉ねぎ、人参、干し肉だけど鶏肉、それに油。牛乳まであった。
それならグラタンが作れそうだ。
子どもから老人まで食べるなら、グラタンならどちらからも好まれるんじゃないだろうか。
台所を借りて作り始める。
「わぁ。いい匂い」
子どもの素直な感想が嬉しくなる。
「グラタン作ってるよ」
「ぐらたん?」
――この世界にはない料理なのかな?
そうして完成したグラタンを、器に取り分け、まずはサイードさんに差し出した。
「私まで……すみません」
サイードさんは申し訳なさそうに言う。
「むしろ、サイードさんのために作りました」
サイードさんがまずは一口食べる。
その瞬間、表情がほわっと柔らかくなった。
「……美味しい」
「良かったです」
「僕の分は?」
「私も」
サイードさんの反応で、食欲が刺激された様子の子ども達は、とても前のめりに食べたがってくれた。
「はい、どうぞ」
「わーい」
子ども達もそれぞれ一口食べる。
「美味しいぃぃ!」
「トロトロで滑らかで初めての味……」
そこから何も言わずに食べ始める。
そんな子ども達の様子にサイードさんは呟く。
「何だか恥ずかしい……」
サイードさんは肩を落とした。
「ずっと、義両親に合わせて、子ども達にも似たような柔らかいものばかり食べさせてしまっていて……」
「毎日変化をつけるのは大変ですから……」
私も、日本では自炊していたから分かる。
そして、少し冷めてきた頃合いで、私はお婆さんにもグラタンを差し出した。
ポンドさんの分も器によそって部屋へ持っていく。
ドアをノックすると、ハズが出てきた。
ハズがグラタンの入った器をポンドさんに渡すと、ポンドさんは一瞬顔をしかめた。
「なんだこれは?」
「〝グラタン〟と言います。子ども達にはとても好評でした」
私がそう伝えると、ポンドさんは一瞬躊躇いながらもスプーンで掬って口に運んでくれた。
「ふむ……悪くないな。これは何だ?」
「牛乳と小麦粉を練ったソースに具を入れて温めました。表面で少し焦げているのは、チーズです」
「ぐらたん……だったか?……ん。ゆっくり食べたいから、あちらへ行ってなさい」
ポンドさんは少し恥ずかしそうに言った。
グラタンを気に入ってくれたのだろうか。
私は部屋を出ようとドアを開けた。
その時。
「いえ、こちらで見させてください」
ハズは当たり前のように言った。
「咳き込んだ時にすぐに背中を擦れますから」
「……」
ポンドさんは、少し不服そうに顔をしかめた。
しかし、それでもハズは気にしない。
ポンドさんは、ハズの態度に諦めて、黙って食べ進め始めた。
――そうか。すっかり失念していたけれど、食事中の老人を一人にしてはだめだ。
その点、ハズはそんなところまで気が回るほど、介護が身についている。
介護の概念はなくても、アーブ村には介護技術が定着していることは確かなようだった。
私は、ポンドさんをハズに任せて、サイードさんのところへ戻った。
サイードさんは私の戻りを待っていた。
「あぁ、イフさん。気が付かなくてごめんなさい。イフさんも食べて」
いつの間にか、私とハズの分も器によそってくれていた。
「ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。こんなにゆっくり食事ができたのは、久しぶりです」
そう言いながら、サイードさんはグラタンの入った器を手渡してくれた。
サイードさんから、私とハズの分の器を受け取る。
器を受け取った瞬間に心がグラタンのように温かくなったように感じた。
「それなら、私達が来た甲斐がありました」
穏やかに笑うサイードさんに、私もただ笑い返した。
その時、ドアベルが鳴った。
サイードさんは「ちょっと出てきます」と言って、玄関へ向かっていった。




