第六幕 薔薇色の逃避行
「逃げる⁉︎」
私は久しぶりにウナギの驚いた顔を見た。
「お前、部屋だって割り振られているし、金だって払ってるんだぞ」
「構わないとも、ウナギと私はここには居られない」
「お前はなんでそんなにプライドが高いんだ」
「プライド?」
「そうだとも。お前はプライドが高いから拒否反応を示すんだ」
「お前こそどうなんだ、サークルに馴染めなくて私を誘ったわけだろう」
ウナギは黙った。
そして私も黙った。
プライド。
文字に起こすと奇妙なものである。
どうにも馬鹿らしく面白く見える。
私にもプライドというものがある。
もちろんわかっているとも、恋愛経験も乏しく、大学に進学できたこと以外はことごとく無惨なる生活を送ってきた私がプライドなんてものを持っているのか。
そう思われて仕方がない。
しかし、山月記の一節にこんな表現がある。
尊大な自尊心。
現代風に言えば、これはプライドが高いことであろう。
私も同じ虎である。
人は言う「お前はプライドが高い」と。
しかし、私のプライドなどせいぜい鯉の餌程度の小さきものである。
私はそれを厳重丁重に警護しているに過ぎない。
例えるならば、私は銀行の金庫に鯉の餌を保管しているのだ。
当然、人々は勘違いする。
「あれほど厳重に守っているのだ。さぞ貴重な品なのだろう」と。
そうして私のプライドを強奪、もしくは拝見しようと盗人どもが私に近付くのである。
まったく心外な話である。
見る価値などさらさらない。
ただし、その鯉の餌、私のプライドは純金製である。
価値が高い、加工しやすい、変容しない。
どう捉えてもらっても構わない。
私は純金製と自負しているただそれだけだ。
「私のプライドは純金製なんだ」
「……意味がわからない。」
「私にだってわからない」
ウナギは私の顔をジッと見つめた後、ホテルの入り口へと歩いて行った。
「わかってくれたか!」
「違う、何もわからない。
だからこそ歩く」
「ならついていこう」
私たちは喧嘩をしたのだろうか。
私にはあまりわからなかった。
ウナギは普段よりも下を向いて歩いていた。
夜の熱海を歩くウナギはいつも通り寡黙だ。
私も同じく寡黙であった。
「なぁ、当たり前を楽しんでるか?」
「なんだ、それは俺がお前に言ったことだろう」
「だからこそだ、どうなんだよ楽しんでるか?」
「楽しくない、そもそも今は当たり前じゃない。
旅行なんだからな」
「なら楽しもうじゃないか海へ行こう」
コンクリートの堤防から覗く海は青いというよりは黒かった。
とてもじゃないが楽しめるものではない。
恐怖さえ湧いてくる。
「なぁ、ちょっとここで横になろう」
「ここでか?砂だらけだし汚いだろう」
「いいだろ、男なら気にするな」
ウナギは渋々私に従い堤防の上に横なった。
それに続いて私も横になる。
私達は否応なく空を見上げた。
初夏の星空をただ見つめた。
熱海の灯りに星はやや存在感を薄くし、天文部と山で見た時とは随分違う。
「綺麗だろ?」
「そりゃそうだ。ただ今は気分が良くない」
「私もだ」
私には橋本先輩に教わった星の知識がある。
この場で課外授業を始めることもできた。
ただ、そんなことはしなかった。
「ウナギ、コンビニでも寄って帰るか」
「あぁ、そうしよう」




