第35話:品書きにない依頼
ぎぃ、と小さく鳴る古びた木製の扉を開く。店内は雨のためか薄暗く、客はカウンターに座る人一人だ。そのカウンターの奥には、酒場の店主と思われる人が、グラスを拭いていた。
アニーさんはそのままカウンターに向かって歩くと、店主がこちらに視線を向ける。
「…いらっしゃい」
「ここで情報がもらえると聞いているのだけど、今はどんな情報があるのかしら?」
アニーさんが店主に向かって言うが、店主はこちらを見たまま、近くにあった表紙がボロボロの冊子を取ると、こちらに差し出す。アニーさんはそれを受け取って開く。俺とノルンはアニーさんの肩越しに覗き込む。
冊子の左側には食べ物の名前がズラッと書かれ、右側には飲み物の名前が書かれていた。…メニュー表だ。
「えっと…」
困惑するアニーさんだが、店主は拭いていたグラスを置くと、ため息を吐く。
「何を勘違いしているか知らんが、ウチは酒場だ。飲み食いするところだよ」
「それは知っているわ。でも情報も扱っているって…」
「この店内を見て、情報が集まっていると思うかい?」
そう言われて周囲を見渡す。カウンターの席に人、ご老人はいるが、他には誰もいない。机も綺麗なもので、誰かがいた形跡もない。
「…ここで本当に合っているのですか?」
「ここと聞いたのだけど…。あ、もしかしてこのメニューに何か秘密とか?」
もらったメニューを逆さにしたり、遠目で見たりして、何か隠された情報が無いかと探り始めた。それを見て、店主がまたため息をつく。
「何もねーよ。大体、店内に入ったらケープは脱ぐもんだぜ。店内を水浸しにされたら、たまったもんじゃねーよ」
「こ、これは脱げない事情があるんです…」
「なんだい、素っ裸なのかい?どちらにしろ、飲み食いしないなら、とっとと帰りな」
そう言うと、置いたグラスを持って奥の棚へと向かってしまった。
「おかしいわね。ハスターはここに来れば情報が手に入ると言っていたのに…」
「ハスターさんの情報と思うと、何だか胡散臭く感じるんですけど」
軽薄そうな顔で冗談を言うハスターさんの顔が思い浮かぶ。ノルンも苦笑いしているよ。
「ふぉん、ふぉん、ふぉん」
唐突に、カウンターにいた老人が笑い出す。白のシャツに黒の上着を重ね着し、頭には同じく黒の背の高い帽子を被っている。紳士のような服装ではあるが、服は所々破れており、泥のような汚れも目立つ。
「おっと、これは失礼。別嬪さんが二人もおるでな、嬉しくなってしもうたわい。どれ、こっちで一緒に飲まんかの?」
二人を背にするように、老人の前に立つ。何なんだこの老人は。ハスターさんみたいに胡散臭いな。
「…冗談のわからんやつじゃの。そう警戒するでないわい」
老人はつまらなさそうにこちらを見ると、飲んでいた酒を一気に仰ぐ。
「ところでお前さんたちは、何が知りたいのかの?こう見えて、ワシは長年ここに住んでおるでの。街のことなら何でもわかるぞ」
こう見えて、と言うかどう見ても、長年ここに住んでいるようにしか見えないけど。
「…えっと」
アニーさんの表情には、困惑が見て取れた。アニーさんの困惑もわかる。城に侵入する方法を知ってますか、と聞けるはずもない。ましてやこんな胡散臭い爺さんに。
「…そうですね。もしよければ、城へ行く方法を教えて貰えますか?」
アニーさんが当たり障りのない、けど間違ってはいない質問で尋ねる。…ただ道を尋ねる人にしか見えないけど。
だが、老人の反応は予想外だった。アニーさんの言葉に、老人の目つきが鋭いものへと変わる。先程までの飄々とした態度とは違い、怒りを感じる。
「なんじゃ。貴族共に媚を売りに来た連中じゃったか。なら教える情報など何もないわい」
それだけ言うと、老人はカウンターの方に向いてしまった。そして店主に何かを注文する。
「え?えっと…」
老人の返答に、ノルンが困惑の表情を浮かべる。教えると言ったり、教えないと言ったり、なんなんだこの人。
「…ここでは情報が手に入りそうにないし、他をあたろう」
とは言え、本当のことを言うわけにもいかない。ノルンと共に店を出ようと促すが、アニーさんは立ち止まったままだ。
「…お爺さんは、王や貴族を恨まれているのですか?」
アニーさんの問いに老人はちらっとこちらを見るが、すぐにカウンターの方へ向いてしまう。
「愚問じゃの。あいつらはワシの、命よりも大切なものを壊したんじゃ。恨んでおる、どころのものじゃないわい」
店主が老人のグラスに酒を注ぐ。老人は注がれるグラスを眺めている。
「どいつもこいつも民の事など考えもせず、毎日宴三昧。…アルベルト様は、それは立派なお方じゃった。常にこの国の発展を考え、そのためには民が必要と説いておられた。ワシのようなものでも必要と言って下さり、たくさん助けてもらったものじゃ」
グラスを持ち、口へと液体を流し込む。顔が赤らむところからも、お酒だろう。
「…ぷはっ。しかし、家臣に恵まれなかった。アルベルト様が亡くなった途端、みな逃げ出しやがった。宰相も騎士団長も、王女ですらも、この国を捨ててどこかに行っちまったわい」
「それは…」
アニーさんが口を開きかけるが、老人は止まらない。
「民にいい顔をしている貴族もいるようじゃが、腹の内はわからんのう。
オルドレアンの領主も、噂じゃ凶悪犯と手を結び、地位を脅かす息子を殺そうとしたとかだしの」
「おい、爺さん」
思わず、声が漏れてしまった。だが、さすがに腹が立ってきた。アニーさんの前に立ち、老人をにらみつける。
「あんたの言う通り、悪い貴族もいるかもしれない。けど、この状況を何とかしようと、救おうとしている人たちだっているんだ。この現状を知って、立ち向かおうとしている人たちだっているんだ。それも知らないで、好きかって言うんじゃねぇよ」
フラーシさんは、オルドレアンの民を現王の悪政から守ろうとしている。凶悪犯の件も冤罪だ。ドラムたちが勝手に言いふらしているだけだ。
アニーさんたちだって、現状を立て直そうと、今まさに奮闘しているところだ。知らないとはいえ、勝手なことは言わせない。
だが、こちらに振り向いた老人の顔が、険しいことは変わらない。
「だからなんだと言うんじゃ小僧。これまでにどれだけの民が犠牲になった。今日この日、どれだけの民が苦しんでいる?お前こそ、何をわかっておるんじゃ?」
「…っ!」
老人の言葉に、何も言えなかった。考えて口を開きかけるが、どれも返せる言葉にはならず、声が出なかった。老人の言う通り、現時点で苦しんでいる人たちがいるのも確かだ。
何も言えず、沈黙が流れる。外からは変わらずに降る雨の音が、かすかに聞こえてくる。
「けど…っ!」
それでも何かを言い返そうと発するが、肩に手が置かれる。見るとアニーさんが方に触れたまま、老人を見ていた。
「お爺さんの言うとおり、ですね。逃げた、と言われても仕方ないでしょう」
アニーさんは一歩前に出ると、背筋を伸ばし、老人の視線を正面から受け止める。
「幼かった、力が無かった、準備をしていた。…どれだけ言葉を重ねようとも、ただの言い訳ね。こんな王都に変えてしまった原因は……彼らにあるのは間違いないわ」
途中で何か思ったのか、アニーさんは目深くケープを被る。老人の険しい顔も変わらずだが、その目はわずかに開いているようにも見える。
「…ふぉん。後悔しておるのかの、その者たちは。しかし今更どうするというのじゃ?10年以上の月日は、簡単に覆すことはできないほど、この都市を蝕んでおる」
「…ええ、わかっています。でも今度は後悔しないためにも、進むしかない……と、彼らも思っているに違いないわ」
アニーさんが顔を隠すように下を向く。隠しているようだけれど、たぶんもうバレているんじゃないかな…。
「…ふぉん、ふぉん、ふぉん。懐かしい名前と思ったら、とんでもないものを寄こしたものじゃ」
懐かしい名前…?何のことだろうか…?
「…テスロ。出してやれ。役に立つかわからんがの」
テスロと呼ばれた店主は頷くと、奥の棚から何やら冊子を持ってきた。それをこちらに放り投げる。
「わわっ!」
一番近くにいたノルンがそれを何とか捕まえる。メニューとは違い、丁寧な装飾が表紙に描かれた立派な冊子だ。ノルンが手元で開いたのをアニーさんと覗くと、何やら殴り書きのメモが挟まっていた。
「依頼、と言うほどでもないがの。城の馬鹿共がサボったつけが回ってきたそうじゃ。城にはバレたくないと、つい先日駆け込んできよった」
メモには、門番、地下水道、魔獣発生、と書いてあった。
「ありがとうございます。この恩は必ず」
「…ふぉん。そんなもんはいらん」
アニーさんがお辞儀をすると、踵を返し入り口へと向かう。ノルンと続き店を出ようとしたところで、嬢ちゃん、と呼び止められた。
「…あやつに、弓の練習を欠かすなよ、と言っておいてくれい」
老人はカウンターの方を向いたまま、そう言ってきた。
「ええ。伝えておきます」
それだけ伝えると、ぎぃ、と鳴る扉を開き、再び雨の降る街へと踏み出した。




