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第三話 鶴形童子〜阿智

   三  鶴形童子〜阿智



 曲がり角の向こうから(ただよ)(わず)かな気配が、夜の小路をひりつかせていた。

 横を歩いていた浄心の前へ出た錬十郎が片手でその幼い歩みを制する。

 思わず浄心は何事か尋ねようとしたが、錬十郎の様子を察してすぐに口を閉ざした。

 そのまま錬十郎は立ち止まり、目の前の板塀で左右に分かれた丁字路(ていじろ)を見る。

 さらに角の奥の空気を探る。

――どちらも同じだ。

 日暮れ頃から強まっていた風が、阿智(あち)の町中を再び吹き過ぎた。

 もう一度、目で浄心を制すると、手で背後を振りはらう仕草でさらに後ろへ下がらせる。

 足音を忍ばせ、右へ曲がった。

 「何の真似だ。金なら無いぞ」

 先に錬十郎から声をかけられ、待ち伏せの人影がぎくりと揺れる。

 わずかに漏れる隣家の明かりを受けて、二尺ばかりの抜き身を構えた黒ずくめの男がいた。

 だが、その動揺は一瞬だった。

 そのまま振りかぶり、斬りかかる。

 錬十郎も抜き、応ずる。

 一合だけ合わせてすぐ間合いを取る。

 そして背後の二人目を振り向きざまに斬り付けた。

――当然、そう来るだろう。

 丁字路の左側にも潜んでいたもう一人が迫っていたその手元を、錬十郎の切っ先が(あやま)たず捉えていた。

 黒布で隠されていた口元から(うめ)き声が漏れる。

 しかし相手は片手で刀を構え直し、なおもこちらを狙う。

――まだ来るか。

 しかし背後からの奇襲は()けられた。

――だが、ここは。

 左右からの敵を迎え討つ不利を許容する気など錬十郎にはさらさらなかった。

 あえて背を向け、先刻の小路に素早く戻る。

 釣られるように相手二人も追ってきた。

 間合いに浄心の姿がないのを一瞥(いちべつ)で確かめ、振り返る。

 無傷の方の賊が先に立って小路に駆け入り、さらに後からもう一人が。

 すかさず錬十郎が先頭の賊の胸元へ突きを放つ。

 のけぞるように、かろうじて切っ先はかわされた。

 だが、それが狙いだった。

 すぐ後ろに来ていたもう一人とぶつかり合う。

 体勢が崩れたところへすかさず錬十郎が肩口を斬りつけた。

 さらに上段に構える。

――あとは押すだけでいい。

 相手が賊とは言え、町中で死人を出しては面倒なだけだ。

 狭い小路で二対一が有利にならないこと、容易く襲える相手ではないと思い知らせること。

 今にも斬り込もうとする気配を構えで見せつけながらも、間合いは詰めない。

 その隙が作られたものと知ってか知らずか、二人の賊は素早く目を合わせると、(きびす)を返して左側の角を曲がり、駆け去っていった。

 賊を逃げるに任せ、刀を納める。

 「……もう、出てもいいですか?」

 物影に隠れたまま、浄心は小さく声をかけた。

 「大丈夫だ」

 錬十郎にうながされ、路地に出る。

 「あいつら、逃してしまっていいんでしょうか? また襲われたら……」

 「俺たちのことを、どこの誰か判っていて襲ったわけではなさそうだった。そもそも、佐々木の追っ手ならもっと正面切ってくるだろう」

 「えっ?! ……ああ、そういう……」

 その意外そうな(こた)えから、浄心がもはや自分たちが追っ手をかけられるはずなどないと信じ切っているのが錬十郎には(わか)った。

――こいつがそこまで確信しているなら、そうなのだろう。

 そう思わされるに足るだけのことを、錬十郎は短い間に幾度も目の当たりにしてきていた。

 「大方(おおかた)、行きずりの物取りか、それともお前を(かどわか)して売り飛ばす気だったかもしれん」

 「ええっ」

 「いずれにせよ、俺はこの辺りの道をよく知らん。下手に追って、妙なところへ誘い込まれるのは御免だ」

 「まあ、それは確かに……」

 「いや、待て」

 浄心の言葉を錬十郎が遮った。

 右側の道から素早く駆け寄る小さな足音が近づくのが錬十郎の耳に入る。

 納刀したばかりの(つか)に手を掛け、咄嗟に右の道へ。

 だが、出会い頭に錬十郎の目の前に飛び出してきた人影は思いの(ほか)に小さかった。

 「な……」

 小柄な体は走ってきた勢いのまま錬十郎に激しくぶつかると、そのまま後ろざまにひっくり返った。

――子供か。

 「大丈夫ですか!」

 言葉に詰まった錬十郎の代わりに、転倒した小さな人影に浄心が駆け寄る。

 「ねえ、大丈夫ですか? どこか怪我は? 頭は打ってないですよね……?」

 錬十郎の足元で、浄心に助け起こされようとしているのは、六、七歳ほどの男の子だった。

 柔らかな頬と形の良い眉の顔を痛みにしかめたまま、尻もちをついている。

 夜に一人で町をうろついているにしては身なりはきちんとしていて、宿無し子のようには全く見えなかった。

 「あっ……」

 男の子の手に触れた浄心が、思わず目を見張る。

 途端にその子は浄心の手を振り払い、弾かれたように立ち上がった。

 「待て」

 そのままさっきの二人組の逃げた方へ駆け出そうとするのを、錬十郎が腕を掴む。

 「……お前、奴らを追う気か」

 錬十郎の問いに、答えはなかった。

 「よせ。無茶だ」

 さらに言うのに、警戒心もあらわに首を横に振る。

 「勘違いするな。俺たちは奴らの仲間じゃない」

 だが、その子供はなおも己の目指す相手を追うべく、錬十郎の力強い手の中でもがいていた。

 「無茶だと言うのに。何故そこまでする。なんとか言え」

 「駄目です、錬十郎さん」

 錬十郎の詰問を浄心が(さえぎ)る。

 「……その子は、声を持っていません」

 その張り詰めた、だがつとめて感情を抑えようとする浄心の言葉に、錬十郎はもう一度、己の(とら)えた子供の顔を見つめた。

 「何……」

 声を持たない、と言われたその男の子は、だがその代わりに大きく口を動かしてみせた。

――いく。

 その言葉と決意が、はっきりと浄心と錬十郎に読み取れた。

――いくんだ。

 そうして自分の腕を掴んだままの錬十郎の顔をきっぱりと睨み返す。

――こいつ。

 一時(いっとき)の激情や憎しみにかられて駆け出す子供ではなく、己の為すべきことのためには危難を顧みない意志がそこにはあった。

 とは言え、自分よりもずっと大柄な大人に捕えられ、目指す相手にも追いつけそうにないと知ったか、やがて男の子は錬十郎の手の中でおとなしくなった。

 しゅん、という音が聞こえてきそうなほどに塩垂(しおた)れた顔が下を向く。

 「何か大事な理由(わけ)があるのかも知れませんが……」

 その男の子の前に浄心はかがみ込むと、うなだれた顔を覗き込むようにして言い聞かせた。

 「でも、今夜はもう帰った方がいいですよ。きっとお(うち)の人も心配しています。一緒に帰りましょう。ね」

 仕方ない、と口に出す代わりに、男の子は浄心の顔を見てうなずいた。

 案内するかのように、浄心の手を取って小路を歩き始める。

 錬十郎もその後に続く。

 その三人の背に向かって、無人になった阿智の小路に、また音を立てて強い風が吹き抜けた。


     *


 浄心と錬十郎が男の子に連れられてたどり着いたのは、阿智の町中からほど近いところにある神社だった。

 『鶴形神社』と掲げられた石造りの大きな鳥居の前に、小柄な人影が見えた。

 「……鶴丸!」

 巫女の白衣(びゃくえ)緋袴(ひばかま)を身につけた娘は錬十郎らに連れられてきた男の子の顔を見ると、すぐに駆け寄ってきた。

 「あ、あの……、この子が、何か……」

 鶴丸と呼ばれた子と手をつないでいる浄心、傍らに連れ立つ錬十郎の顔を心配げに見ながらおずおずと問う。

 「いいえ、何も。たまたま町中で行き合って、もう夜も更けてくるし危ないから一緒に帰ってあげただけなんです。だからどうか弟さんのこと、叱らないであげてください」

 浄心にそう言われて鶴丸は目を丸くしたが、小さな手の人差し指を立てて自分と娘の顔をかわるがわる指差すと、声を立てぬまま大きな口を開いて笑ってみせた。

――弟ではない、と言いたいのか。

 「鶴丸ったら……」

 十四、五歳ほどに見える巫女は困ったふうで言いかけたが、また吹きつけてきた強い夜風に長い髪を乱されて、ともかく中へと錬十郎らを導いた。

 美鶴(みつ)と名乗った巫女に案内され、錬十郎らは社務所の一室へと通された。

 「普段から一日中、町中(まちなか)へ出て遊んでいる子なんですが、それにしても今日はあまりに遅いので探しに行こうかと……でも、私がいない間に帰ってくるかもしれないと思って、どうしようか迷っていたところでして……」

 鶴丸を連れ帰ってくれた礼も兼ねて、もう遅いので泊まっていって欲しいと美鶴から申し出があったのを錬十郎と浄心は受けた。

 「神社へ案内された時は、ひょっとしてお稲荷様のお使いの童子なのかと思ってしまいましたよ」

 浄心がそう言うのがただの軽口なのか、それとも本当にこの子の中にそんな常ならざる何かを垣間見てしまったせいなのか、そばで聞いていた錬十郎には判断しかねた。

 「稲荷神はこちらでもお祀りしていますけど……ですが、言われてみれば今ではもう、この神社の子そのものかもしれません」

 美鶴の言葉に、鶴丸が大きくうなずく。

 それに促されたかのように、ぽつぽつと美鶴は経緯(いきさつ)を語り始めた。

 鶴丸が神社に迷い込んできたのは、ちょうど去年の今ごろのこと。

 梅雨の終わりの長雨がひどく続き、阿智は大きく傷ついた。

 近くの河は(あふ)れ、神社のある鶴形山もあちこちで土砂崩れが起きた。

 鶴形神社の敷地は広く、本殿とは別に多くの天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)(まつ)末社(まっしゃ)などの建物がいくつもあったが、宮司であった美鶴の父が雨の最中(さなか)にそれらの様子を見に行って巻き込まれ、命を落とした。

 末社だけではなく、備中、備前の各地から奉納された刀剣類を保管していた神庫(しんこ)も土石流に遭い、それらの品々もすべて失われた。

 一人残された美鶴は、氏子らの助けでかろうじて父の弔いを済ませたものの、水難にあった建物を再建する目処はまるで立たず、本殿と社務所を維持するので精一杯だった。

 そんなある朝、流された神庫の跡地で一人ぽつんと立っていたのが鶴丸だった。

 自分と同じように親を亡くした子が町から迷い込んだのかと思い、美鶴はあれこれと尋ねたが、その子は一言も声を発することはなく。

 氏子や阿智の町の人たちにも聞いて回ったが、誰も彼も、どこの子か知らない、まるで見たことのない顔だと言うばかり。

 身を寄せる先もないままに鶴丸は神社で日々を過ごしていたが、不思議と寂しがる様子も見せず、美鶴にも懐いて、結局ここで引き取ったような形になったのだという。

 「私も父を亡くしたばかりでしたし、親無し子同士でも一緒にいるとどこか心丈夫になれたような気がしまして……」

 名を聞いても首をかしげるばかりだった鶴丸に、神社の名から一字取って名付けたのも美鶴だった。

 鶴丸は、錬十郎や浄心の顔を物珍しげに見比べながら話を聞いていたが、やがて小さな体はゆらゆらと船を漕ぐ。

 もう寝るようにと何度も美鶴が言うのを頑なに首を横に振って拒んでいたが、結局は目をこすりながら寝間へと連れていかれた。

 美鶴が戻るまでの間にも、外は時折強い風が吹きつけ、その(たび)に社務所の戸が大きな音を立てた。

 「……あの子、何か危ない目にあってはいませんでしたか?」

 鶴丸を寝かしつけて戻った美鶴が二人に尋ねる声は、その不穏な風音(かざおと)におびやかされるかのように心細げだった。

 「いえ……」

 「直接ではないが、俺たちが賊に襲われかけたすぐ後に行き合ったので、連れ帰った」

 浄心が言い(よど)むのを引き取るように錬十郎が答える。

 「ええっ……!」

 美鶴が両手で口元を覆って青ざめる。

 「ああ、いいえ、鶴丸ちゃんは怖い思いはしてないんですよ。錬十郎さんが追い払ってくれた後ですから。ただ、そういうことがあったばかりで、小さい子を夜分に一人歩きはさせられないと思ったので」

 錬十郎の返答に動揺する美鶴を落ち着かせるように、浄心は穏やかに告げた。

 「でも、助けていただいたのですよね……ありがとうございました、本当に……」

 いくつものため息を交えながら頭を下げた美鶴だったが、さらに心細げに言葉を漏らす。

 「どうもこのところ……夜の町は本当に危ないので……」

 「ああいう輩が出るのは珍しくもないのか」

 錬十郎が問うと、美鶴は体を固くしたが、こくりと頷いた。

 「ここひと月か、ふた月ほどのことでしょうか……。ええ、阿智の夜はとにかく物騒というか……、どう言えばいいのか……」

 時折、言葉を途切らせながらも美鶴は錬十郎と浄心に語り始めた。

 阿智の町にやってきた『鎌鼬(かまいたち)』のことを。


     *


 それはある風の強い夜に、酔いどれて帰りの遅くなった男が斬り殺されているのが見つかったのが始まりだった。

 気の毒なことではあったが、誰かに恨みを買いでもしたか、それとも物取りにでも遭ったかと町の者たちは噂した。

 人斬りが出るなどとは、それまでの阿智ではまず起きないことだった。

 ところが、数日の(のち)には今度は使いに出た帰りの奉公人が夜の小路で同じように襲われて命を落とした。

 それもまた、ひどく強い風の日で、背中に鋭い刀傷を受けての凶行だった。

 惨劇は更にその(のち)も立て続く。

 首や胴を一刀の(もと)に両断された者もあり、あるいは己の刃の鋭さを(たのし)むかのように総身をすだれに切り刻まれた者もあり。

 年頃の娘が白昼に姿を消し、翌朝には変わり果てた(むくろ)を河原に晒すことも二度、三度と。

 無惨な様子はさまざまであったが、すべて鋭い斬り傷を受けていることだけは同じだった。

 日が経つにつれ、凶行に遭う者たちは見る間に増えてゆき、夕暮れを待ちかねるように家も店も早々に戸を固く閉ざした。

 水害の痛手からようやく立ち直りつつあった阿智を再び襲った災厄に、人々は怯えきっていた。

 だが、凶賊たちは町の者たちの予想をさらに超えた蛮行に出る。

 薬を商う大店の裏木戸が、夜更けに大風で吹き飛ばされるや、たちまち大勢の黒ずくめの賊が押し入って店を荒らし、金品を奪った。

 店の主人とその家族、奉公人らが凶賊の手にかかって命を落とした。

 あまりに見境いない残忍な所業に、阿智の人々は心底震え上がった。

 そうして、誰かがこう言った。

 いったい、野分の時期でもないというのに、こうも風の強い日々が続くというのがそもそもあまりにおかしい。

 これがただの大風(おおかぜ)だなどということが有り得るものか。

 その証拠に、風が強ければ強いほど、賊どもの引き起こす凶行は残虐さを増すばかり――。

 いつしか阿智の人々は、大風の夜に凶刃がもたらす惨事を『鎌鼬(かまいたち)』と呼ぶようになったと言う。


     *


 「そんなに酷いことが……」

 美鶴が語り終えたところで、浄心がようやくぽつりと言葉を漏らした。

 青ざめた顔で、美鶴はうなずいた。

 「そういえば、私たちが町に入ったのがちょうど日が落ちてすぐでしたよね」

 浄心が傍らの錬十郎に問う。

 いくつかの人家の戸を叩き、一夜の宿を乞おうとしたが、どの家も誰も出てはこなかった。

 「薪割りでも水汲みでも何でもするから、土間の片隅でいいので、とお願いするつもりが……」

 「警戒されるのも道理、という訳か」

 錬十郎の言葉に、美鶴はうつむいた。

 「ええ……。もう、みんな本当に怯えてしまっていて……」

 「だったら、むしろ私たちが鶴丸ちゃんに出会えて良かったということですよ。ここに連れてきてくれたんですから」

 そう言って浄心が笑みを向けると、美鶴もほっと息をつき、ようやく少しだけ安堵の表情を浮かべた。


     *


 かすかに床を揺らす振動と地響きのような音で、錬十郎は目を覚ました。

 夜具の間から抜け出し、耳をすませる。

 社務所にある控えの一室に夜明けの光が差し込み始める頃合いだった。

 「……なんですか……?」

 隣で寝ていた浄心も、眠たげな顔で起き上がる。

 「今の音を聞いたか。揺れもあった」

 「……ああ、はい……。やっぱり、気のせいじゃなかったんですね。地震だったんでしょうか」

 少しの間だけ、二人で様子をうかがっていたが、物音と揺れがあったのはほんの一瞬だけで、その後は静かなままだった。

 「外を見てくる」

 刀を手に部屋を出る錬十郎に、浄心も後を追う。

 社務所を出たところで、同じように起きてきたらしい美鶴と行き会った。

 「さっき、妙な音がして、揺れましたよね?」

 浄心の問いかけに、美鶴はややこわばった顔でうなづく。

 「あ、はい。ですので私、ちょっと境内を見てこようかと……」

 「じゃあ、一緒に行きましょう。鶴丸ちゃんは?」

 「まだ寝ています。あの子、昨夜(ゆうべ)は遅かったので……」

 三人で本殿と鳥居をむすぶ参道へと出たところで、不意に美鶴が足を止めた。

 「えっ……?」

 目を見開いて息を呑み、小走りになる。

 錬十郎と浄心も後を追う。

 だが、二人には最初、その理由がわからなかった。

 夜が明けたばかりの澄んだ空気を透かして、境内の景色が広がっている。

 左右に並んだ狛犬と、その先の参道の脇にいくつもの石灯籠が立つ前を三人で足早に進む。

 「……あっ!」

 浄心が気づき、声を上げた。

 錬十郎も、己の目線の先にあるべきはずのものがないのがわかった。

 代わりに太い石の柱が二本、立っている。

 右の柱は高く、左側は低い。

 その頂点は両方とも斜めになっている。

 美鶴の足がその手前で止まった。

 ぎくりと目線を下げ、足元を見る。

 昨夜、錬十郎たちが来た時には参道の入り口に高くそびえ立っていた石造りの鳥居が、左右の柱を途中で切られてその場に倒れ伏していた。

 「……あ……」

 口元を両手で押さえて立ち尽くす美鶴に、浄心が寄り添う。

 「さっきの音と揺れは、これが倒れたせいだったんですね……」

 浄心に美鶴を任せ、錬十郎は地に倒れた鳥居を見る。

 普段であれば二本の柱に支えられて平らな屋根のようになって鳥居の形を成しているはずの笠木(かさぎ)と、そのすぐ下で真横に支える(ぬき)の部分とが柱の途中までと繋がったまま、一緒に地面に倒れている。

 「……確かに昨日は酷い風でしたが、いくらなんでも、風でこんなことには……」

 「ならないだろうな」

 浄心の声に、錬十郎は倒れずに残っている二本の柱を見上げながら答えた。

 右側はずっと高いところで、そして左側は低い箇所で斜めに切られている。

 その左右の柱の切り口は中空で真っ直ぐ一本の線でつながっていて、鳥居を人の体に見立てるならば、丁度その背を袈裟掛けに斬りつけたかのように見えた。

 「……では、誰かがこの柱を切って鳥居を壊したとおっしゃるんですか? ……でも、こんなことを、いったい誰が、どうやって……」

 怯えた声で問う美鶴に答える代わりに、浄心はそっと美鶴の側を離れると、おそるおそる、地に倒れた鳥居の笠木と、倒れずに立っている石の柱に手を触れる。

 だが、錬十郎の顔を見ると、黙ったまま首を横に振った。

――あいつにも見えないのか。

 つまりそれは、その場で実際に見ていたとしても何が起きたかわからないほどの瞬時の出来事だったか、もしくは浄心の『雑念』をたやすく跳ねのけた藤戸寺の和尚のように非凡な力を持つ者の仕業であることを示唆するのだろう。

 そしてもちろん、それは浄心自身が一番よくわかっていることだったろう。

――その両方かもしれないが。

 うなずき返した錬十郎の内心が浄心に聞こえたかどうかは、定かではなかった。

 「……でも、錬十郎さんくらいの腕があれば、切るだけなら出来るんじゃないですか? まず、高さをなんとか合わせて……」

 浄心がそう言うのを、だが錬十郎は否定した。

 「無理だな。……流石にこれは」

 根本近くで切られた左の柱をもう一度見る。

 石の鳥居の断面は磨かれたように滑らかで、その端に触れればこちらの指が切れそうなほどに鋭い切り口を見せていた。

 高くて見えない右の切り口も同じなのだろう。

――人の技ではない。

 だが、だとしたら何だというのか。

 「……まさか、これも鎌鼬の……」

 まるで錬十郎の疑惑が聞こえたかのように、かすれた声で美鶴が呟く。

 「昨夜(ゆうべ)の凶賊たちですか? でも、奴らにだってこんなことは……」

 言いかけた浄心が、不意に言葉を途切れさせた。

 美鶴と錬十郎も振り返り、気づく。

 「鶴丸……」

 いつの間にか境内に出てきていた鶴丸は幼な顔にも眉を険しくしかめ、無惨に切り倒された鳥居を見上げていたが、そのまま残った柱の間を素早くすり抜けて神社の外へと走り出ていった。

 「ああ、待って、どこへ行くの!」

 追いかけようとする美鶴を、浄心が押しとどめる。

 「私が行きます。お二人はここで……美鶴さんはお参りの人が来たら、危ないので今日は帰ってもらうように言ってください。錬十郎さんは美鶴さんをお願いします。あと、出来る範囲でここの片付けを」

 口早にそう告げて、浄心は鶴丸を追って自分も駆け出していった。

 「……大丈夫……でしょうか?」

 その後ろ姿を見ながら、ぽつりと美鶴が呟く。

 「自分から行くと言い出したのだから大丈夫だろう。あれは(さと)い子だ」

 「そうですね……確かに、私がここを離れる訳にはいかないですものね……」

 浄心に言われるまでそれに気づかなかった己を恥じるかのように美鶴はうつむいたが、ふと地面に落ちていたものに目を止めた。

 倒れた鳥居の前にかがみ込み、手を伸ばす。

 鳥居の笠木と貫の間にはめ込まれていたはずの『鶴形神社』と刻まれた石造りの額が、落ちた衝撃で真っ二つに割れてしまっていた。

 美鶴が大事そうに拾い上げ、胸に抱く。

 だが、片付けをと言われても、それ以上のことはできそうもなかった。

 倒れた笠木と柱をどかすにしても、石工や人足を頼まなければ、どうしようもないだろう。

 被害を受けていたのは鳥居だけではなかった。

 参道の脇にある手水舎(ちょうずしゃ)は、屋根をのせたまま吹き飛ばされるように柱が折れて横倒しになり、水を溜めてあった石造りの水盤は真ん中で真っ二つに断ち割られて、辺りは水浸しになってしまっていた。

 手を清める水を汲むための柄杓(ひしゃく)も、風に飛ばされ、壊れてそこらへいくつも転がっている。

 美鶴はそれを拾い集め、錬十郎は倒れた手水舎の屋根を敷地の脇へ運んでどけた。

 日が昇るのにつれて何人かがお参りにやって来たが、美鶴が今日は遠慮してもらいたいと伝えて頭を下げる。

 だがそれも、昼ごろには誰も来なくなったので、神社の様子を見た者が町で何か話したのかもしれなかった。

 錬十郎が神社にあるだけの薪割りをしているうちに、美鶴はありあわせの縄で鳥居に残った左右の柱をつなぎ、紙垂(しで)を結んで臨時のしめ縄を張って境内に人が入れないようにすると、普段の巫女の(つと)めに戻ったようだった。

 昼をだいぶ過ぎても、浄心と鶴丸は帰らない。

 このまま今夜もここに泊まることになるのかと錬十郎が思案していたところに、美鶴の方から声がかかった。

 「あの、大変厚かましいお願いでほんとうに申し訳ないのですが……もしも先を急ぐご用事がおありでないのでしたら、今夜もお二人にはこちらにお泊りいただけないでしょうか……?」

 おそるおそる、と言ったふうで申し出た美鶴は、さらに言葉を続けた。

 「この神社に住んでいるのが女子供だけだというのは、この辺りでは誰でも知っております。……今朝がたは境内を荒らされただけでしたが、まだこの先も、何かあったらと思うと心配で……」

 今までにも多くの凶事が町で起きていたとはいえ、これほどにまで異様な形で目の前に降りかかってきては、不安にかられるのも仕方のないことだろう。

 「ここまでのことをされて、荒らされただけと言うよりほかにないのなら、随分と不便な話だ」

 「それは……」

 独り言のような錬十郎の呟きを耳にした美鶴が聞き返すのに被せるように、錬十郎は言った。

 「あんたがそれで安心するのならば、俺は別に構わないが」

 「ああ……、有難う御座います」

 その答えに、美鶴は大きく安堵の息を()く。

 「そうしていただけるのでしたら……はい、それはもう、とても安心です」

 そう言って、美鶴は深々と頭を下げた。

 「私だけならまだしも、鶴丸が……。あの子に何かあったらと思うと、どちらかにいらっしゃるはずの親御さまにも到底申し訳が立ちませんし……私の身一つのことでしたら、どうでもよいのですが……」

――自分だけならどうでもいい、か。

 心許(こころもと)なげな言葉をこぼす美鶴の心地が、錬十郎にはどこか察せられた気がした。

 十四で親に死なれ、平凡な娘でしかない己が後ろ盾もなく由緒ある神社を守り、鶴丸という庇護すべき者を抱えて。

 「……ああ、すみません、なんだかすっかり当てにしてしまっているみたいでお恥ずかしい、と言いますか……」

 己が何を言おうとしているのか、今まさに手探りしているかのように、美鶴の(いら)えは途切れつつも続いた。

 「……その、私はどうにも生まれつき臆病というか……まるで自分に自信がないのです。それでも鶴丸はああして慕ってくれていますが、それを思えばなおのこと、あの子を守ってやれる強さがあればと思うのですが……私などには、到底……」

 己を見返してくる錬十郎の目線に気付き、美鶴はおずおずと目を伏せる。

 「いえ、その、愚痴を言うつもりでは……ああもう……。私は……とにかく、こんな私ですから、恥を晒すようですが、もう洗いざらい打ち明けてお願いするしかないと思っただけで……」

 ますます消え入るような声で言いながら美鶴は(うつむ)き、言葉をこぼす。

 「錬十郎様のように強い方から見れば、きっとひどく情け無い奴に見えるでしょうが……」

 「それは買い(かぶ)りだ」

 「……え……?」

 思いも寄らない錬十郎の答えに戸惑う美鶴に、錬十郎は背を向け、薪を片付け始めた。

――己の弱さを打ち明けて、助力を請えるのも強さだろう。

 迷いと弱さを(さら)け出す度量が、己にあるか。

 背負ったものの重さに見合う力があるのかと、己を計る冷静さは。

 錬十郎は、もはやどう足掻(あが)いても既に敗北してしまっている筋書きにけりを付けるためだけに己が動いているのを自覚していた。

――しかも、俺自身のためだけに。

 亡くした大切なものは、二度と取り返しがつかない。

 取り戻すことなど、出来はしないというのに――。

 だがそれは、幼い子と手を取り合って、おぼつかなくも歩き始めたばかりの美鶴に言う必要のないことだった。

 結局、鶴丸と浄心が帰ってきたのは夕暮れが近い頃だった。

 「もう……、こんなに朝から夕方まで遊び歩いて、浄心さんを連れ回すなんて……」

 「遊んでたわけじゃないんですよ」

 困り果てた顔で美鶴は小言を言ったが、鶴丸はもちろん浄心までもがけろりとしていた。

 阿智の町へ出た鶴丸は、大通りから日の当たらない小路(こみち)までを朝から昼過ぎまでかけてくまなく何度も見て回り、最後には町外れの一番高い杉の木に登って、そこから見える町の様子を日暮れまで見張っていたのだと浄心は二人に語った。

 「あれには参りました。私は木のぼりなんて全然できないので、下ではらはらしながら見守るばかりで……。でも、阿智の人たちは皆さんご存知なんですね。鶴丸ちゃんを見ると、『おや、鶴形神社の坊やは今日も見回りかい』なんて言うんですよ」

 「そんなことより、浄心さんは朝餉(あさげ)も召し上がらずに出ていってしまって……、さぞお腹を()かせているのではないかと思って、私、ずっと心配で……」

 申し訳なさそうに言う美鶴に、だが浄心は頭をかきながら苦笑した。

 「……すみません、実は鶴丸ちゃんがお団子や瓜をもっていたのを分けてくれたので有り難く頂いたんですが……あれって多分、神社のお(そな)え物だったんじゃないかと後になって気がついて……」

 「えっ! あの子……!」

 美鶴に(にら)まれた鶴丸が、ぺろりと舌を出して笑う。

 だが、その幼い顔が急に険しい目付きに変わると、中天をきっと見上げた。

 遠くから聞こえる風の音が低く、徐々に強く響いてくる。

 いつの間にか空にあるのは一面を覆い尽くす黒い雲だけになっている。

 そこからさらに低く、境内にいる四人の真上に黒雲が垂れ込めたかと思うと。

 いっそう激しい音を立て、強風が(ごう)と吹き荒れた。

 「あっ……!」

 美鶴の周りを取り囲むように突風が舞う。

 長い黒髪を吹き乱し、巫女の白衣を激しくはためかせると、旋風(つむじかぜ)は瞬時に吹き過ぎて消えた。

 だが。

 「美鶴さん……、それ……」

 最初に気づいたのは浄心だった。

 錬十郎と鶴丸の目線が釘付けになる。

 「え……」

 かすかな声を漏らして、美鶴が凍りついた。

 白衣の小袖の右側が、ざっくりと大きく切り裂かれている。

 しかしその切り口はあくまでも鋭く真っ直ぐで、糸のほつれのひと筋すらもなく。

 つっ、と赤い血が、細く白い腕を伝う。

 「美鶴さん!」浄心の声が境内に響いた。

 がくりとその場に膝を折る美鶴に、だが、誰よりも素早く駆け寄ったのは鶴丸だった。

 腕を押さえて(かが)み込む美鶴の背に、小さな手を添え、青ざめた顔を気遣わしげに覗き込む。

 「……今のが、鎌鼬……?」

 か細く震える美鶴の声を耳にすると、鶴丸は再び顔を上げ、そこに悪意に満ちた刃を振るった何者かが潜んでいるかのように黒雲のわだかまる天を睨みつけていた。


     *


 一緒に寝ずの番をすると言い張った浄心が結局夜半まで持たずに沈むのを見届けてから、錬十郎は本殿の外廊下へと出た。

 廊下に胡座(あぐら)をかいて座り、参道の方を見る。

 石の狛犬が左右に一体ずつと、さらにその先には石灯籠が並んでいる。

 闇に目を慣らしていると、気配があった。

 振り返ったところに鶴丸がいた。

――いつの間に。

 明かりを灯した手燭を持ち、錬十郎と己の顔を照らす。

 「どうした」

 問われた鶴丸が、声を持たない口を大きく動かして、告げる。

 その口の動きを錬十郎は見た。

――くる。

 「来る?」

 鶴丸はうなずき、さらに口を動かす。

――かまいたち。

 「……奴らか」

 またうなずく鶴丸に、だが錬十郎は内心の驚きを抑えきれなかった。

――俺より先に気づくか。

 刀を取り、鶴丸に問う。

 「もう、境内に入り込まれているのか」

 首を横に振る。

 「境内の外か」

 大きく頷く。

 その答えに、わずかに安堵する。

 「何人だ」

 鶴丸は手燭を下に置くと、右手の指を一本立てて左手はぱっと開いて見せた。

 口も同時に動く。

 「十五人か」

――やれる。

 「浄心と美鶴を起こせ。社務所の奥に納戸があったな。そこに内から心張り棒をかけて俺が戻るまで三人で立て籠もれ。何かあったら浄心に声を上げさせろ。俺が迎え討つ」

 立ち上がろうとした錬十郎の手首を、鶴丸が掴んだ。

 振り返る錬十郎に向かって、口を開く。

――いく。

 だが、その決意を錬十郎は受け入れなかった。

 「駄目だ。お前は二人を守れ。それが役目だ。浄心は荒事(あらごと)には向かん。お前にしか後は任せられん」

 しばし、二人はそうして睨み合っていたが、結局、鶴丸が手を離した。

 一瞬だけうつむき、だがすぐに錬十郎にきっぱりと(うなづ)いてみせる。

 その果断な眼差(まなざ)しに、(したわ)しい誰かの面影(おもかげ)が重なった。

――だが、誰だ。

 「……お前は何者だ」

 鶴丸は、答える代わりにわずかに口元をゆるめて見せると、そのまま手燭を持って小走りに戻ってゆく。

 「夜目が利くなら明かりは消せ」

 その背に向かって錬十郎が言うと、すぐに手燭の火は消えた。

 刀を手に、外廊下から本殿の中に入る。

 入り口の近くの小部屋で、高い柱にある燭台にひとつだけ火を灯す。

 境内から見れば、この本殿にだけ灯りがついているのが分かるはずだ。

 可能な限り多くの敵をここに引きつけ、納戸までたどりつく人数を減らす。

――できることなら全てここで仕留めたいが。

 それが厳しい策であることは、錬十郎にも分かりきっていた。

 なのに。

――あいつの胆力はどこから来るのか。

 十五人もの賊を迎え撃つのはただ一人で、あとは子どもら三人で立て籠もって耐えるしかない状況で、七歳の子が笑みを返す。

 無邪気に錬十郎の力量を信じ切っているのではなく、考え無しに自分でなんとかできる気でいるのでもない。

 何が鶴丸を支えているのか。

 昨夜、出会ったばかりの小路で、賊を追おうとした鶴丸の決然とした面差しが浮かぶ。

――ただ守られるのではなく、あれは守る気でいる。

 美鶴と、浄心。この神社と、阿智の町。

 ひょっとすると、錬十郎のことまでも。

――俺の方がよほど荒れている。

 降りかかってくる危難を、まるで鬱屈と憎悪と無力感を晴らす好機でもあるかのように迎え討とうとしている。

 だが、そんな理由ですらも、鶴丸のあの笑みは許容したかのように錬十郎には思えた。

 ひときわ激しい風の音が、長々と境内に轟く。

 深夜の境内にいくつもの不穏な気配が入り込むのがわかった。

 それに気付かれぬよう、こちらは裏から本殿を出る。

 外廊下の角を曲がり、参道からは死角へ。

 その参道から真っ直ぐこちらへ賊らが向かってくるのがわかる。

 雲が切れ、月明かりが照らした人数は確かに十五。

 その黒ずくめの人影らが建物の中で唯一明かりがついた本殿へと小走りに近づいて戸を開け、外廊下から室内へとなだれ込む。

 小部屋が無人と見て、さらに別の部屋へと散る足音がいくつか。

 賊が二人、まだ外廊下にいるその背後へと錬十郎が打って出た。

 背を袈裟に斬られた一人が倒れる物音で、もう一人が振り返る。

 その顔面に刃を叩きつけ、勢いのまま小部屋に踏み込む。

 中にいたのは二人。

 ほぼ同時に来る。

 無意識に半歩下がって気勢をそらす。

 片方がその流れで一歩前へ出る。

 わずかな差異を目掛けてこちらも踏み込み、首筋を断つ。

 もう一人が迫る切っ先を眼前で払い、そのまま肩から斬り下げた。

 軽く血振るいをして隣へ。

 控えの間に三人が。

 針先ほどの機先を察して踏み込み、まず一人目を潰す。

 右側にいた一人が迫り、声を上げて大振りに肩口を狙ってくる。

 刀で受け、鍔迫(つばぜ)ると見せかけて外す。

 体勢を崩させて脇へ退()き、もう一人が上段から来るそのがら空きの胴を()ぐ。

 残った一人が振り向きざま。

 伸びるように突きがくる。

――早い、が。

 鋭さを見る前に鋭さで返す。

 その刹那が、勝つ。

 切っ先が吸い込まれるように相手の喉へ。

 貫き、崩れ落ちるのに背を向ける。

 そのまま廊下へ。

 出会い頭、その向こう、さらにもう一人。

 目の前を流れで横一文字に。

 二つ先、三つ先へと、貫く、駆ける。

 さらに押し込め、砕く。

 目障りな(はした)は雑に斬り捨てて顧みない。

 意識するより先に血煙が立つ。

 それでも頭は常に醒めている。

――(たかぶ)るな。酔うな。

 己に言い聞かせる。

――呑まれるぞ。

 障子を(へだ)てた向こうの敵意を察するなり突き刺した。

 真っ赤な血花が障子に咲く。

 素早く引き抜き、開ける。

 がらりと開いた先に居たもう一人が、錬十郎を見て(ひる)む。

 一瞬が生んだ隙を逃さず即座に仕留めた。

――馬鹿が。

 あっけなく斬り伏せた相手に背を向け、自戒を込めて胸中に吐き捨てる。

――だからあの時、俺は。

 眼前にちらついた過去を血振るいで払う。

 いかなる時でも己が逆の立場になり得ることを、錬十郎は二度と己で味わうわけにはいかなかった。

――あと三人。

 最後の戸を開ける。

 本殿の中でも一番広い板の間に。

 手前に二人と、奥は一人。

 やや大柄な最奥がこちらを見る。

 手にした刃は五尺に近い。

 口の端がにやりと上がる。

――頭目か。

 月明かりが外から斜めに差している。

 それを踏み越えて、こちらへ。

 前の二人が横並びで素早く出た。

――それが邪魔だ。

 数を減らさずには頭目と真面(まとも)に当たれない。

 少しだけ右が小柄か。

 左が斬り掛かってくるのを払うと同時に右から来た方の脇腹を蹴り飛ばした。

 けたたましく板の間へ転がす。

 その隙に左を討とうとするが、頭目がもう目の前だった。

 二撃が同時に。

 床に倒れ込むようにかわす。

 さらに間合いをとろうとして、ひやりと察する。

 咄嗟に背後へ突き刺したところにさっき蹴倒した奴がいた。

 手応えと断末魔。

 間髪なく来る頭目の大太刀を膝立ちでかろうじて受ける。

 満身の力で押し潰してくる。

 あと一人がどこから来るかも確かめずに。

 押してくる力のまま後ろへ倒れ込み、頭目の腹を思い切り蹴り上げた。

 派手な音で背後へ投げ倒す。

 起き上がりかけたところへもう一人が斬り掛かってくるのをかろうじて受け止めた。

 鍔迫(つばぜ)りながら立ち上がり、突き放す。

 起き上がった頭目からもなんとか間合いが空いている。

 だが残る一人が一足飛びに来る。

 短めの刀が脇構(わきがま)えから。

 斬り上げて、さらに斬り下ろしてくるのを(しのぎ)で払う。

 さらに鳩尾(みぞおち)に突きが飛ぶのをかわす。

 その手数が小うるさい。

 ならば。

――いや。

 あえて目線を切る。

 逆から迫っていた頭目へ、大きく真横に()いで牽制を。

 踏み込んできていたのを押し(とど)める。

――今はそっちが目障りだ。

 そして、おそらく。

 反対側で機先に火がつくのをはっきり察する。

 振り返った袖口にもう一人の刀が触れていた。

――それでいい。

 腕にその刃をかすめさせながら、こちらも出る。

 すぐ目の前に来ていた胸板を一刀で断ち割った。

 声にならない声で沈むのを見捨てて、すぐまた振り返る。

――来るか。

 最後に残った頭目は、だが、錬十郎の険しい目線の先でしばし(とど)まった。

 そのままこちらを見返してくる。

 ようやく一対一。

 相対した向こうの口元が、また上がった。

――同じことを考えてやがる。

 呟きで胸を冷まし。

 爪先(つまさき)から伝わる気配に対峙する。

 こちらの出方をじっと探っている。

 味方がすべて倒されたというのに全く焦りが見えない。

 むしろ一人であれば、なにも味方の作った隙に乗じたりせずとも己の力だけを存分に振るって討ち倒せるのだとでも言いたげに。

――そんなことのために俺の前に立ちはだかるのか。

 それがかえって錬十郎を冷静にさせた。

 だったら。

 「好きにしろ」声に出して放つ。

 即座に頭目は間合いを詰めて斬り掛かってきた。

 それが答えであるかのように。

 袈裟懸けを刀で受ける。

 先刻斬られた腕の傷がごく浅いことは確かめるまでもなくわかっていた。

 鍔迫り合いの向こうの相手を見ながらこちらも想念を切り離す。

 引き際に手元を狙って牽制し、さらに突くが、大太刀で素早く払われた。

 そのまま間合いを空けずに斬り結ぶ。

 大物を(つか)う速さと、圧の重さ。

――だが、あれよりは。

 六尺超えの大太刀と、その向こうの乱れたざんばらの髪が暫時に浮かび、沈んだ。

 刃先で(さば)いて間合いを切る。

 だが、またすぐ踏み込みざまの斬撃が来る。

 やや引き、相手の手元を狙うが素早く弾かれた。

 さらに鳩尾への突き。

 跳ね上げるように払い、斬り下ろそうとするのを真っ向から受けられた。

 そのまま再び鍔迫(つばぜ)る。

 相変わらず愉悦をにじませた口元を、冷徹に見下げ。

 それすらあまりにくだらない。

 (つば)ごと押し込み、相手の腕の下から素早くこちらの腕を食い込ませる。

 そのまま力を込めて押し上げる。

 大柄な体躯が崩れた。

 すかさず放った突きは、(すんで)のところで防がれたが。

 有るか無きかの機を掴み、引き寄せる。

 塵ひとつほどの間隙へと刃先を捻じ込み。

 だが当然それは向こうも同じで。

――そんなことはわかっている。

 それでも。

 切っ先が交差してこちらへ来る。

 わずかに耳の端が切れて。

 こちらの刃先は相手の首元へと。

 見えた通りの薄い刃筋に合わせてすべらせた。

 血管を深々と断つ。

 音を立てて飛沫(しぶき)が上がった。

 相手の視界にその(さま)が写り、信じられないものを見たかのように目を見開く。

 がっと鈍い声を上げ、のけ反るように大柄な体が床に倒れ込む。

 それが動かなくなるのを確かめて、頬に散った血糊を切れた袖口で(ぬぐ)った。

 大きく息を()く。

――何のつもりだ。

 賊が押し入ってくるのであれば当然、狙われるのは美鶴だと錬十郎は踏んでいた。

 所詮は女子供だけで、刃向かってくる者がいるとは予想していなかったのかもしれないが、これだけの人数なのだから、討手(うって)一人にいつまでも大勢でかかずらっておらずに二手でも三手にでも分かれて獲物を探せばとうに目的は果たせていただろう。

 そもそも賊の集団だというのに、互いに声を掛けたり指図する者もいない。

――やり口が妙だ。

 賊を相手にする最中(さなか)にも、それはずっと感じていた違和だった。

――おかげでこちらは好都合だが。

 明かりが見えたのがそこだけだったとは言え、夜中に住人がいるはずもない本殿に全員で乗り込んでくるのも腑に落ちない。

 たった一人にここまでやられるとは思っていなかったのだろうが、これでは無駄に血を流すだけのことだ。

――いや。

 不穏な憶測が胸に浮かぶ。

――無駄な血を流すのが狙いか。

 だとしたらそれは、誰の。

 広間から廊下へ出る。

 むせ返る血のにおいが立ち込めている。

 転がっている者は、もう誰も動かない。

 本殿の中には、錬十郎の他に生きた者はいなかった。

 なのに、静まり返った屋内には張り詰めた空気が未だに満ちている。

――まだいる。

 それは鋭い針金が思わぬところに張り巡らされているかのようで、それでいて瞬時に霧散するかのように掴みどころがなかった。

 その霧は、しかし、どこかで確かに(わだかま)っていく。

 また外で激しい風の音が鳴り響く。

 本殿が何者かの大きな手で掴まれたかのように音を立てて揺れて。

 一転して、辺りがしんと静まり返る。

 冷たい気配が背後に差した。

 振り返る。

 廊下の先に後ろ姿が。

 白衣(びゃくえ)と緋袴が見える。

 だが。

――美鶴ではない。

 小柄な美鶴よりも背がすらりと高く、髪は短い。

 音もなく、こちらを見返る。

 つるりと白く整った女の顔は、年の頃がわからない。

 口唇だけが異様に赤い。

 まなじりの上がった両目を細め、錬十郎に向かって言った。

 「思いの(ほか)、よい座興であった」

 「座興だと?」

 その目元へ向けて切っ先を構える錬十郎に、巫女が答える。

 「随分と派手に血で(けが)してくれたこと。礼を言うぞ。ここにお前とあの小娘どもの血も混じえればなおよかったが……。まあ()い。傀儡(くぐつ)にしてはようやった。あとは(わらわ)が致そう」

 言い終えるのも待たず、錬十郎は異相の巫女めがけて斬りかかった。

 白衣があっさりと切り裂かれる。

――何だと。

 手応えは、それだけで。

 はらりとその場に白衣の残骸だけを残し、巫女の姿は消えていた。

 納戸の方から短い悲鳴が上がる。

――美鶴。

 切られた白衣を置き去りに、駆け出す。

 納戸へ向かう途中の廊下で浄心と行き合った。

 「何があった。立て篭もったはずじゃなかったのか」

 (けわ)しい声で問われた浄心の顔はこわばっていたが、その答えは落ち着いていた。

 「美鶴さんが(さら)われました。閉め切っていたのに、気付くと鎌鼬の巫女がすぐそばにいて、美鶴さんを連れてまたすぐ消えてしまった……」

――やはりあいつか。

 「その巫女が鎌鼬なのか」

 「そうです。他の賊は(みな)、ただ操られていただけです」

――傀儡にしてはようやった。

 ぬらりとまとわりつく声が耳によみがえる。

 口の端を上げて笑った頭目の顔も。

 やりたいようにやれと命じられたのか。

 「鶴丸はどうした」

 「えっ?!」

 錬十郎の問いに、浄心が振り返り、青ざめる。

 「……そんな……! さっきまでついて来ていたのに……」

 また吹き荒れる強風の音が参道から聞こえた。

――外か。

 廊下を駆け、参道へ。

 石造りの狛犬の首が、二つとも切られて台座の横に転がっている。

 参道の真ん中には二人の巫女がいた。

 一人はすらりと立ち、髪の長いもう一人はその前に両手と膝をついてがっくりと座り込んでいる。

 恐怖に強張(こわば)る顔で、鎌鼬の巫女を見上げる。

 離れていても美鶴の全身が震えているのがわかった。

 参道の両脇に並ぶ石灯籠は、灯明の代わりに青白い鬼火が(とも)って周囲を妖しく照らし出している。

 その参道を駆け抜けざまに錬十郎が鎌鼬の巫女を背後から胴を横薙ぎにした。

 だが手応えはなく、代わりに再び白衣だけが空蝉のようにその場に落ちる。

 「無駄なこと」

 参道のはるか上から女の声が降ってきた。

 それに呼ばれたかのように旋風(つむじかぜ)が起こり、白衣が中空へと巻き上げられる。

 美鶴と、浄心と、錬十郎が見上げる。

 風に煽られ大きく広がった白衣が、夜霧のように形を亡くして白くわだかまる。

 そこにあるはずもない満月のように(ぼう)と輝く白い闇が、見上げるほどの大きな(けだもの)へと姿を変えてゆく。

 長々と白い胴は獲物を狙う猛獣のように背を丸めてはいたが、それでも二十尺近くにも伸び、さらにその先には七つに分かれた太い尾が。

 長い両手の指先に、何本のも爪が鋭く伸びる。

 何より異様なのは、その胴の上にある首だった。

 幅広の肩に乗っているやや長い首が二つ伸び、それぞれの上に真っ白な大鼬(おおいたち)の頭が付いている。

 そのすぐ横には切り株のように醜く盛り上がった肉の(こぶ)があるのが見えた。

 大きく裂けた口からは長く鋭い牙が(のぞ)く。

 瞳のない赤い目が二つの首から地上を見下ろすと、石灯籠に灯っていた鬼火がゆらりと舞い上がり、禍々(まがまが)しい光背のようにその異形を囲んで照らし出した。

――こいつが。

 目を見張り、唇を噛む。

 しらじらと毛並みを鬼火に照らした二つ首の大鎌鼬(おおかまいたち)は、己と美鶴との間で立ちはだかる錬十郎に、嘲るように笑みを向けると。

 何度目かの烈風が参道を駆け抜けた。

 「ああっ……!」

 二人の全身を包み込む激しい風音に美鶴の悲鳴がかき消される。

 だが、それすらも余波でしかなく。

 青眼に構えたまま目を見開いていた錬十郎の左右で、参道脇に立ち並んでいた石灯籠がすべて横薙ぎに切り倒された。

 「う……ああ……」

 本殿前に立ちすくんだままの浄心の声が震える。

 「これが……、鎌鼬……」

 「この御社(みやしろ)の神域は血と、(わらわ)の刃によって破られた」

 錬十郎と、その後ろで声も立てられずにいる美鶴に向かい、空の上から鎌鼬がよこしまな神託を垂れるかのように告げた。

 「これよりここを妾の(やしろ)といたそう。そしてこれより妾が巫女。……だがそれにはその小娘が邪魔」

 金縛りに遭ったように、美鶴の総身が凍りつく。

 「あ……」

 「さあて。ではその首、落としてくれよう」

 青ざめる美鶴に、鎌鼬はにやりと大口を吊り上げた笑みを浮かべると、ことさらに優しげな声で言った。

 「安心おし。妾の鎌は極めて鋭い(ゆえ)、毛筋ほどの苦しみも覚えぬ。妾の慈悲じゃ。いと()くあの世に送ってやろうぞ」

 その言葉が虚仮脅(こけおど)しなどではないことは、今の眼前の光景と、既に幾度も見せつけられた破壊とが紛れもない証左だった。

 動けずにいる美鶴の前で、虚空に浮く鎌鼬を錬十郎は睨みつける。

 果たして、この異形の化け物に対して己の刀と技量がどれほどの盾となり得るものなのか、錬十郎にはまるで見当がつかなかった。

 「いや……無理だ……」愕然と、浄心が声を漏らす。

 しかし、それは決して安易な諦めでも怯懦(きょうだ)でもなかった。

 全く異なる位相に有る力との歴然とした格差が、断崖のように浄心の目の前に立ちはだかっている。

 錬十郎にも、美鶴の前にある己の存在を、鎌鼬はまるで虫けらほどにも気に留めてなどいないことがはっきりとわかっていた。

 だとしたら、ここに己が立っていることで何が変わるか。

 昨日、知り合ったばかりの美鶴に命をかけて義理立てするほどの、何があるか。

 だが。

――だったら何だ。

 刀を構えた手に力を込める。

 (あた)う限り遠間に構えた切っ先の、さらにその先に高く浮かぶ鎌鼬の姿が、遠い。

 それでも。

――俺がここに居るだけのことだろうが。

 この切っ先を下げることは、二度とない。

 「誰か……」

 か細い声が、美鶴の唇からこぼれた。

 崩れ落ちかけた意気をかき集め、振り絞る。

 「ああ、お願い……誰か、助けて……誰か……! ああ、鶴丸……! お願い、助けて!」

 押し潰す戦慄を払って叫んだ美鶴の声が境内に響いて。

 一閃する光が天から夜闇を裂いて、鎌鼬の眼前で鋭くひらめいた。

 

 白い椿の花が落ち、代わりに紅蓮の花弁が大きく咲いて散る。


 「な……に……?」

 先刻まで左右に二つ並んでいたはずの鎌鼬の首が、今はひとつしかない。

 残った首の隣からは代わりに真っ赤な血潮が激しく吹き上がっている。

 斬られた鎌鼬の首が赤黒い目を見開いたまま、どうと音を立てて地に落ちた。

 参道に降る血の雨を背に、小柄な人影が音もなく降り立つ。

 その光景をただ見守るばかりの美鶴と錬十郎らの眼前に、刀を手にした一人の童子が凛として立つ。

 その顔は。

 「鶴丸……?」

 驚きに目を見開き、美鶴がつぶやく。

 あの幼かった鶴丸が、あと五年もすればこのように成長するかと思わせるように頭ひとつほども背が伸び、大人びた面差(おもざ)しを宿した凛々しい童子の姿がそこにあった。

 「お……、おお……!」

 残っていた二つ首のうち一つを斬り落とされた鎌鼬が苦悶の叫びをあげた。

 「首が……! ああ、妾の首が!」

 白く長い毛を激しく逆立て、最後にひとつ残った真っ赤な口から咆哮が上がる。

 その声に童子は振り返り。

 ほんの一瞬、その場に(かが)み込むと、次の刹那には再び(くう)へと舞い上がった。

 夜闇にひらりと袖をひるがえし、大きな蝶のように飛翔する。

 刀を逆手に持ち替え、最後に残った首の顔面を目掛けて再び流星となって落ちてくる。

 十七夜の月が、はっきりとその(すぐ)なる刃紋を照らし出した。

 錬十郎が目を見張る。

――あれは。

 清冽な輝きを灯した、その刃。

 「鉄山の刀だ」

 「ああ……!」

 錬十郎が思わず口にしたその名の意味することが、浄心にはわかった。

 「鶴形童子……!」

 いつの間にか錬十郎と美鶴の元に駆け寄っていた浄心が、その名を呼んだ。

 誰かにそう告げられたかのように。

 そして、その声に呼ばれたかのように、童子が手にした刀の宿した光がまばゆく境内の三人を包み込んだ。


 浄心には、童子の手と(つか)を通して、刀の(なかご)に刻まれた『鶴形童子』の銘が輝くようにはっきりと見えていた。

 錬十郎には、たたらと火床(ひどこ)に向かう兄が夜を日に()いで己の身魂を注ぎ込み、ひたすら刃を鍛え上げる姿が見えた。

 美鶴には、土砂に埋もれた御神刀(ごしんとう)から、赤子のように(けが)れなき幼神(おさながみ)が生まれ落ちるのが見えた。


 それはまさしく、神なる刀だった。


 鶴形童子の手にした刃が(あやまた)ず鎌鼬の右目を鋭く(えぐ)った。

 ぎゃああ、と耳をつん裂く鎌鼬の絶叫が境内に響き渡る。

 激しい苦痛と流血に、残った首が大きくのけ反る。

 巨体を囲んで妖しく灯っていた鬼火が全て吹き散らされるように消し飛んだ。

 右目と首の傷口から真っ赤な血を(ほとばし)らせながら、鎌鼬は中空で暫時のたうちまわったが、凶々しく白い満月が落ちるように巨体がずしりと音を立て、地に叩きつけられた。

 「ああ……なんと……、なんたることか……! またしても妾の……この妾の首を落とされようとは……!」

 激しい怒りと屈辱にのたうつ鎌鼬の目の前に、まるで重さを持たぬかのように、再び童子は静かに地に降り立った。

 手にした刀を鎌鼬の首に突きつける。

 そうしてまさに己の首を取らんとする童子を、鎌鼬は最後にただひとつ残った左目で射殺(いころ)さんばかりの憎悪を込めて睨みつけた。

 「口惜しや……! なんたる恥辱か! この怨みは消えぬ……決して消えぬぞ! たとえこの身が滅びようとも……! 貴様が妾の最後の首を落としたれば、末代までもこの地を祟ってくれよう!」

 煮えたぎる呪いを込めた言霊を吐く鎌鼬に、刀を突きつけたまま童子が問うた。

 「死したる後も祟ると言うか」

 「おお、そうじゃ。妾の(むくろ)から流れる血はこの土と水と風とを(けが)し、この土地からはこの先、一人の赤子も生まれず一木一草たりとも生えぬ不毛の地に変えてくれようぞ!」

 かすれた笛のような悲鳴を上げ、美鶴が両手で口元を覆う。

 「……そんな……!」

 思わず発した浄心の声にも鎌鼬は耳を貸さず、最後に残った白い首を長々と伸ばして鶴形童子の顔を覗き込んだ。

 そうするうちにも、童子の刀が(えぐ)った目と、斬られて転がる首からは、じわじわとどす黒い血が流れ出す。

 「さ、早うこの首を取れ。妾の三つ首の、最後のひとつじゃ。何たる(ほま)れか! それですべて(しま)いよ」

 鎌鼬はそう言うと、両の口角を大きく吊り上げ、闇に轟く声で笑った。

 「……やめて……やめてください……」

 それまでずっと震えるばかりだった美鶴が、か細い声を発した。

 「あなたは……私の首を取ろうとして、こんなことをしたのでしょう? だったら、そうすればいい……。この神社もあなたのものにすればいい……! それであなたの恨みが少しでも解けるのなら、私は、私なんか……!」

 こぼれる涙を両手で顔ごと覆い、がっくりとその場に膝をつく。

 「美鶴さん……! なんてことを……」

 悲痛な美鶴の訴えに浄心が声を上げたが、鎌鼬の返答はどこまでも冷酷だった。

 「()れ者が! この()に及んで貴様の首など何の価値があるか! 由緒ある御社(みやしろ)を守ることすらできぬ分際のくせに、なんの世迷言(よまいごと)をほざくか!」

 激しく面罵され言葉も返せず震える美鶴に、鎌鼬は今度は隠すこともなく嘲笑を浴びせる。

 「なんとまあ、命乞いならまだしも小娘風情のくだらぬ茶番の果てに首を取られるとは……もう少し、ましな死に様を此奴(こやつら)に見せてやりたかったものよのう」

 固唾を飲んで見守る浄心と錬十郎の前で、だが鶴形童子は、つと刀を引くと血にまみれた鎌鼬の凄惨な笑みに向かって告げた。

 「ならば生きよ。(われ)が命ずる」

 「……なに……?」

 意想外の童子の答えに、鎌鼬の口元と、残された片目がさらに歪む。

 「お前は殺さぬ。殺したところでお前とお前の傀儡らが殺した者たちが誰一人としてかえってくる訳では無い。すべて終いなどと、そのようなことで我はお前の成したることを終わらせるつもりはない。お前は我の眷属(けんぞく)となるのだ」

 「な……にを……!」

 望みもせぬ助命の言葉に、かっと赤い大口を()いて鎌鼬は(いか)った。

 「愚弄しおって……! 眷属などと……そのような屈辱を受けて、なお生き延びることを選ぶ妾と思うてか!」

 「屈辱ではない。お前は我が首を取るために生きるのだ。そのためには眷属として我の傍らに有るのが一番都合が良かろう」

 鶴形童子の答えに、鎌鼬はしばし言葉を失った。

 「……(たわ)けが! 妾は貴様を憎んでおるのだぞ! それを傍らになどと……、できることなら今すぐ貴様を八つ裂きにしてやりたいと思うておるというのに……」

 「しかし、今のお前にはそれが出来ぬ。そうであろう」

 「貴様……!」

 声を途切れさせるほどの鎌鼬の激昂に、だが童子は冷然と告げた。

 「だが、その憎んでも憎み足りぬ我のそばに生きてあることで、それが叶うやもしれんのだぞ。あるいはその日は、そう遠い日のことではないかもしれぬ……お前の生き方次第では」

 「なんだと……」

 今度こそ本当に鎌鼬は言葉を失って、その赤い大口を開いたまま、最後にひとつ残った左目で童子の姿をまじまじと見つめた。

 「それを……妾に許すというのか?」

 ようやく声を発した鎌鼬を、しかし鶴形童子はその顔を厳しく引き締め()め付ける。

 「だがひとつ、覚えておけ。お前のその憎しみを、我以外の者に向けることを我は決して許さぬ。そのようなことをしてみよ。我はお前に残った最後の首を取るだけでは済まさぬ。そこから流れる血の一滴たりとも残さず滅し尽くしてくれようぞ。後には何一つとして残らぬ。怨みも何も。……(わか)るな。我には今すぐにでもそうすることが出来るのだぞ」

 幼な顔にも威厳を込め、童子は鎌鼬に宣告した。

 「……(わか)った」

 そう答えた鎌鼬が、密かにその身を震えさせたのが浄心にだけは手に取るように伝わった。

 「いつでも我に挑んでくるがよい。この鶴形童子の寝首を掻けるとお前が思うその時に」

 鶴形童子は最後に残った鎌鼬の首に言い渡し、背を向ける。

 「……寝首とはなんとも侮られたものか」

 小柄なその背に向かい、鎌鼬が言い放つ。

 「当然、その時は正面切って立ち向かい、貴様のその()っ首、叩き斬ってやるわえ」

 憎々しげなその声に、童子は顔だけを振り向く。

 「楽しみだな」

 それだけを言って、鶴形童子は鎌鼬の前を去った。

 「ああ……。楽しみだ」

 鎌鼬もまた何かに満足したかのように童子の背から片目をそらすと、ひとつだけ残った長い首と体を大蛇のように丸めて、斬り落とされたばかりの首の傷口を真っ赤な舌で舐め始める。

 そこからはもはや血は流れておらず、落とされた首と(えぐ)られた右目から(したた)っていたどす黒い血も、いつの間にか消えていた。

 美鶴と浄心と錬十郎の前に鶴形童子は戻っていた。

 その童子の前に、浄心がぴたりとひれ伏す。

 「私の『雑念』を、あのように……」

 地に頭を付け、奏上する。

 「長きに渡り、私を……いえ、私に関わった多くの方々を脅かし、苦しめてきた忌まわしき『雑念』を正しくお導き下されたこと……幾重(いくえ)にも、幾重にも御礼申し上げます。有難うございます」

 「導いたわけではない」

 童子は浄心の前に自らも膝をつくと、その肩に手を触れて顔を上げさせた。

 「幸いにして、此度(こたび)は我の刃がそなたの『雑念』の内の正しきところに届き、切り開いただけに過ぎぬ。そなたにも、それは分かっているはずだ」

 「……それでは……」

 童子の顔を見上げてその言葉を聞いていた浄心が、まだ幼い顔を曇らせる。

 「……ああ、はい。(わか)ってはいたつもりだったのです……、決して容易(たやす)いことではないのだと……。ですが……」

 うつむく浄心に、しかし鶴形童子は力強く告げた。

 「だが、必ずやそなたは己の力量でその『雑念』に手綱を付け、()き方向へと(つか)(すべ)を身につけるだろう。その導きに一時(いっとき)でもなったのであれば、それは我の喜びである」

 「有難うございます。よくよく胸にとめておきます。私自身がこれから、まだまだ……」

 再び深く(こうべ)を垂れる浄心に、童子はうなづいた。

 立ち上がり、振り返る。

 童子の視線の先に、美鶴がいた。

 「鶴丸、……あ……」

 美鶴が不意に言葉を詰まらせる。

 「ああ、いえ、もうそんな風にお呼びすることは……そんな(おそ)れ多い……」

 「そのようなことを……」

 まるで七歳の幼子(おさなご)のように穏やかな表情に戻ると、童子は美鶴のそばへ駆け寄って手を取った。

 「どうか、そんなふうに言わないで。あなたがこれまでどれほど我のことを大切に思い、守りくれていたことか、我が一番よく知っている。そして何よりも」

 涙をこぼす美鶴の細い肩を、鶴形童子はそっと抱きしめた。

 「あなたが我を呼ぶ声が聞こえたから……この鶴形神社の巫女であるあなたの声が、本当の我を目覚めさせてくれたのだ。だからあなただけは、これからもずっと鶴丸と呼んで欲しい」

 「そんな、私……、私こそがずっと守られていたのに……。鶴丸、私は……お父様も……、ああ……」

 恐怖と心細さと重責から解き放たれた美鶴は童子の胸に顔をうずめ、親に死に別れた幼い妹が頼もしい兄に再会したかのように声を上げて泣いた。

――兄か。

 鶴丸の上に幾度か重なった面差しが誰だったのかが、やっと錬十郎には(わか)った。

 それが伝わったのか、浄心も呟いた。

 「……錬十郎さんのお兄様って、すごい方だったんですね……刀に神を宿らせるなんて」

 「それは違う」

 だが、その言葉を錬十郎は否定した。

 「確かに兄は何度も奉納刀を手掛けている。この刀もその一つだろう。しかしそれは、人の意思で刀に意図する通りの”もの”を下ろしたり、宿らせたりすることができるなどという意味では決して、ない」

――人にできるのは、ただひたすら地鉄(じがね)を鍛え、研ぎ澄ますことだけだ、と。

 そう言っていたのは伯父であったか。それとも、兄か。

 「……刀とは、そういうものではない」

 「そう……なんですか……?」

 錬十郎の答えに、浄心は大きく溜め息をつき、さらに続けた。

 「……だとしても、やっぱり凄いですよ。だって紛れもなく、童子様はここにおわすのですから……」

 畏敬の眼差しで、浄心は童子を見つめる。

 「我が魂がいったいどこから(くだ)り来たったものなのかは、我にもわからぬ」

 鶴形童子は呟き、まだ涙に濡れたままの美鶴の顔を見返した。

 「だが、これだけは解る。こうして今の我があるのは、あなたの父が身を挺して守ってくれた故だ。そして、己が何者であるかも判らずにいた我をあなたが守り育ててくれたからだ。礼を言う。……いや、礼の言葉だけでは到底足りぬが、今の我にはそれしかできぬ。そうしてただ、我が刀の力で、この阿智を末永く守り続けることだけだ」

 そう言って、童子は静かに刀を抜いた。

 長さ二尺半ほどの、細めの刀身の反りはわずか。

 うすく()いだ氷のように、なめらかに()ぐなる刃紋を星明かりの下に静かに光らせている。

――兄の直刃(すぐは)だ。

 誰も何も言わずとも、その技がたどり着いた無類の精緻さと、そこから生まれた不世出の気高さとが三人の胸を深く打っていた。

 「()き刀である」

 鶴形童子の言葉が、そのすべてだったろう。

 しかし、だからこそ錬十郎は兄の手になるもう一振りの刀を思わずにはいられなかった。

――なのに、何故。

 その答えは、果たしてどこかにあるのだろうか。

 あるいは、何かのはずみで裏返ってしまう二つの様相が地続きにあるのか。

 「鉄山の弟か」刀を納めた童子が錬十郎を振り返る。

 「奇縁な。鉄山は息災か」

 「いや……」それ以上の答えを、錬十郎は返せなかった。

 「……そうか」

 童子はひと時、目を伏せたが、その先を問うことなく再び顔を上げた。

 「ならば尚のこと、我は良き刀で有り続けねばならぬな」

 その言葉を聞き、まだ丸く(うずくま)っていた鎌鼬が不満気に鼻を鳴らした。

 「……どこへ行っても同じ刀か」

 「え?」

 憎らしげに漏らした鎌鼬の声を浄心が聞き(とがめ)る。

 「同じ刀って、どういう意味ですか?」

 「貴様の刀もそうなのだろう」だが、鎌鼬は浄心には目もくれず、代わりに錬十郎を睨んだ。

 「妾の三つ首のうちひとつを最初に落とし、長年我が領土であった長船(おさふね)から妾を追うたのも、それと同じ者の打った刀であったわ」

 「ええっ……!」

 思いもよらぬ鎌鼬の答えに、浄心は言葉を失った。

 そのまま錬十郎の方を見る。

 「なんだと……」

 片頬を険しく()らせ、錬十郎は立ち尽くしていた。

 その全身から音を立てて血の気が引くのが浄心にも聞こえるかのようだった。

 「まさか……それは」

 「女だ」

 その錬十郎の顔を、面白いものでも見たかのように(なが)めながら鎌鼬は言った。

 「刀に喰われた女であったよ」

――長船に戻っていたのか。

 「錬十郎さん……!」

 「来るな」そばに寄ろうとした浄心を、錬十郎は(けわ)しく遮った。

 「誰もついてくるな」

 それでも言いつのろうとした浄心を、鶴形童子が肩を掴んで引き留めた。

 言葉もなくただ己を見つめる美鶴たちに背を向け、その間をすり抜けるように歩く。

 すべての石灯籠が切り倒され、明かりひとつもない参道に足音だけが響く。

 地に倒れ伏した鳥居と残った左右の柱に見送られて、錬十郎はそこに残されたものすべてを振り捨てるかのように、そのまま境内を出ると鶴形山中の闇へと消えていった。

 「錬十郎さん……!」

 「頼む、浄心」肩を掴んだまま、鶴形童子が浄心に告げる。

 「(われ)が阿智を離れることはできぬ。だから頼む、浄心よ。鉄山の代わりに我が頼む。どうかくれぐれも錬十郎のことを……」

 童子の手が放れるや、(はじ)かれたように浄心は駆け出す。

 だが、夜明け前のいっそう暗い闇に紛れてしまった錬十郎の背中を己が再び見つけ出せるのかは、浄心にすら全くわからなかった。




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