表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

第二話 盛綱の刀〜藤戸笹無山

   二 盛綱の刀〜藤戸笹無山



 今にも降り出しそうな梅雨空の黒い雲が、錬十郎を備前・藤戸寺(ふじとじ)へと導いた。

 山門前にいた和尚に雨宿りを請うただけのはずだったが、今宵の宿の当てがなければ泊まってゆくようにと言われるままに断りの言葉も出てこず、そのまま本堂へと案内された。

 質素な僧衣を(まと)い、四十ばかりに見える和尚について石段を上がる。

 少しだけ高台にある寺は白い沙羅の花の季節で、境内から眺めると、近くの海といくつもの小島が見えた。

 本堂には五、六人ばかり漁村の子らしき(わらべ)たちがいたが、その中に一人、知った顔が混じっていた。

 「……ここで何をしている」

 「何って、見ての通り、和尚様の手伝いです。これからここで、和尚様と一緒にこの子らに文字を教えるのです」

 いくつも並んだ文机に紙と筆と硯を用意しながら、浄心はまるで錬十郎がここへくるのがわかっていたかのようにあっさりと答えを返してくる。

──そんなはずはない。

 「遍路廻(めぐ)りは終わったのか。ここは西国三十三観音ではないだろうが」

 不機嫌に問う錬十郎に、再び浄心はことも無げに答えた。

 「あれはもういいんです」

 そのいかにも軽々しい口調は、浄心が苦心の果てに満願成就したのではないことをはっきりと表していた。

 「ではお前のあの厄介な雑念は、四国参りを成就するまでもなく、目出度くどうにかなったということか」

 「そんな訳ないじゃないですか」

 相変わらず苦々しく問い詰める錬十郎に向かって、浄心がため息をつく。

 「あのですねえ……。そんな四国八十八ヶ所だの西国三十三観音だの、その程度のことで『あれ』がどうにかなるんだったら、私だってこんな苦労はしてませんよ。かといって延台寺(えんだいじ)にも戻る気はないですしね。ですが、この藤戸寺の和尚様は大変お優しい方でして、当分ここにいて良いとおっしゃっていただいたのです」

――戻れない、ではなく、戻る気はない、か。

 だがその開き直ったかのような言い草は、裏を返せば、子供の身に無体な難題を押し付けて(てい)よく自分を追放して顧みもしない寺や、そんな(やから)に言われるがままに何の根拠もなく甘い希望にすがり続けた己との訣別でもあっただろう。

 開き直れなければ、生きてすらゆけない。

 わずか(とお)やそこらで、そうせざるを得なかったのだ。

――私は生きたいんです……!

 (いや)も応もなく、己が身に宿る(けだもの)を追い(はら)うか滅するか、それができないのならせめて言うことを聞くよう調伏し、飼い慣らす。

 その(すべ)を見出せないのであれば、たとえどこへ行っても自分に生きる場所などない。

――俺の傷は黙っていればいいが、こいつは、そうはいかない。

 その覚悟と不可分の悲壮さが、(ひるが)えって浄心を饒舌(じょうぜつ)にさせているかのようで、錬十郎はそのまま口を閉ざした。

 子供らに優しく言葉をかけている和尚にもこの意味ありげな会話は聞こえているはずだが、二人が既知の仲であることが何故気にならないのか、そもそも浄心の抱えた事情をどこまで知っているのかすらも、その様子から推し量ることは全くできなかった。

 「おお、やっと戻ったか。夕立に遭うのではないかと心配しておったのだよ。どうだね、笹はあったかな」

 さらにもう一人、男の子が本堂に入ってくるのを見た和尚が声をかける。

 「やっぱり駄目です、和尚さま。笹無山にはもう笹は一本も生えてません。他のところもあちこち探してみたんですけど、もうこの辺りにはどこにも、笹は全然ありません。笹無山だけじゃない、藤戸がぜーんぶ笹無山になっちゃったみたい」

 「おや、笹無山まで行ったのかね。危ないのではないか? あそこは今は……」

 心配げな顔の和尚に、だが男の子は笑って答えた。

 「おいら、へっちゃらだよ。だってまだ日が落ちてないし。笹無山にあいつが出るのは夜だけだってみんな言ってるよ」

 「まあ、それならよいが……、しかし困ったな。今日の手習いは、みなで短冊に願いを書いて、笹に飾ろうと思うておったのだが。もうじき七夕だというのに、一体どうしたものか」

 えー、という落胆の声が、子らの間からあがる。

 床に座る和尚の手元の塗り盆には、五色(ごしき)の短冊がきちんと色分けされて入っていた。

 「笹無山のあいつ……って、なんの話ですか?」

 浄心が和尚に尋ねると、たちまち子供らが群がり寄ってくる。

 「あれ? 浄心さん知らないの? あのねあのね、笹無山に、真っ黒で長ーいざんばら髪の化け物がさー」

 「そうそう! 善作んちのじいちゃんも見たって言ってたよな!」

 「だめー! あたいが浄心さんに教えてあげるのー!」

 「えっ、ちょっと待ってください、というか今から短冊に書く手習いをするはずで……」

 「いや、構わぬよ。ちょうど()い。今日はこれから、書く手習いではなく、話す手習いをみなで致そう」

 浄心を取り囲んで我先に話そうとする子供たちに、和尚は優しく言い聞かせた。

 「言葉を正しく書けることももちろん必要だが、人に(まこと)を伝える言葉がおのれの口から正しく発せられるよう修練を積むのもまた、同じように大切なのだからね。とはいえ、言葉というものは実はとても大変なものなのだよ。そう簡単に使えるものでは、決してない……」

 和尚の語りは幼い子に向けた平易なものであったが、傍らの錬十郎には、更に奥深い真意を伝えようとする言葉のように何故か聞こえていた。

 だが、和尚は変わらぬ穏やかな面持ちを向けたまま、子供らを促した。

 「さて、それではお前達が聞いたというその話を、浄心とこちらの方に語って差し上げなさい。まず最初に三吉から、次は勘太、それからお菊と、一人ずつ順番にな。さて、その(いくさ)はいつ、どこで始まったのであったかな……?」


     *


 藤戸の合戦があったのは、一年半ほど前のこと。

 源氏の軍勢はこの藤戸に、一方の平家は粒江(つぶえ)に陣を張り、(にら)み合いを続けていた。

 見ての通り、この一帯は複雑に小島と入江が混じりあっており、水軍を持たない源氏は平家を攻めあぐねていた。

 源氏の武将の一人であった佐々木盛綱(ささきもりつな)は、武功を立てる機会を求めていた。

 ああして平家の軍は毎日のように船を出しては我が方を挑発してくるが、こちらは手をこまねいて見ているばかり。船はなくとも、何かこちらから討って出る(すべ)はないものだろうか。

 そう考えつつ、この藤戸の浜辺を馬で見て回っているうちに、一人の漁師が目に止まった。

 海に潜ったかと思うと、しばらくして思いもよらぬところから顔を出し、器用に魚や貝を獲っている。

 あの様子から見て、どうやらこの辺りの海の様子をよくよく知り尽くしている者ではないか。

 盛綱はその漁師に、ここから向こうの平家の陣まで船がなくとも徒歩(かち)か騎馬で渡れるような場所を知らないかと尋ねた。

 漁師は、鎧兜を一部の隙なく身につけた盛綱に馬上から声をかけられても恐れることなく、他の村人に話しかけられた時と同じように気さくに答えた。

 ええ、もちろん知っておりますよ。ご覧なさい。私ゃ、背丈がこれくらいですからな。旦那がその馬に乗っていらっしゃれば、……その馬は泳げますかな? そうですか、では一番深いところだけほんの少し泳がせてやれば、今日明日あたりなら潮の加減も良いですからな。沈むことなく向こうまで渡れましょう。

 その夜、盛綱と漁師は二人で密かに浅瀬へと向かった。

 漁師の言う通りの道筋をたどってみると、なるほどこれなら確かに騎馬のまま平家の陣の近くまでたどり着けそうだとわかった。

 これは良い。明日にでもここを渡って敵陣に乗り込めば、この盛綱が一番槍の大手柄を立てることに間違いはない。

 それほどにも大事なことを教えてくれたのであれば、この者には何か褒美をとらせねばなるまい。そうだ。この短刀はどうだろう。

 そう思って短刀を取り出した時。

 ふと、盛綱の胸に疑念が差した。

 この者は随分と親切に教えてくれたが、こんなに気さくな男であっては、同じことを他の者に聞かれれば同じように教えてしまうのではないか?

 もしそうであれば、自分が一番槍として手柄を立てることはできなくなる。

 それだけではない。平家方にも同じように話してしまうのではないか。

 明日にも源氏の武将が浅瀬を渡って攻めてくると。

 それは、良くない。

 盛綱は短刀を取り出して。

 漁師を、斬った。

 (むくろ)は海に沈めた。

 翌朝、盛綱は漁師に聞いた通りに、浅瀬に己の馬を乗り入れた。

 味方は驚き、戻ってくるように大声で呼びかけたが、盛綱はものも言わず平家の陣へと馬を進ませる。

 深いところはほんの少し、馬を泳がせるだけで済んだ。

 そうしてとうとう、敵陣のすぐ目の前まで渡り切った。

 一番槍だ。

 「佐々木を見よ。あの浅瀬は馬で渡れるのだ」

 味方も気づくと、次々と後をたどって海を渡り、その勢いのままに平家をさんざんに討ち破った。

 平家は屋島へと落ちのびていったが、最期はみな壇ノ浦に沈んだ。

 盛綱は一番槍の功を(たた)えられ、褒賞としてこの藤戸を与えられた。

 そして、領主として藤戸の地へ入った時のこと。

 郎党らを引き連れて進む盛綱の騎馬行列を一人の老婆が(さえぎ)り、訴えた。

 「私の息子を返してくだされ。せめて一目でよいから、あの子に再び会わせてくだされ」

 盛綱に浅瀬を教えて殺された漁師の母親であった。

 変わり果てた姿の息子が浅瀬から見つかり、盛綱の一番槍の手柄を知った老婆は、息子が命を落とすに至ったすべての経緯(いきさつ)を察したのだ。

 白髪を切り下げに揃えた老婆は、盛綱にこう述べ立てた。

 あなた様のような立派な侍大将からすれば、この辺りの漁師など、取るに足らない者でしょう。けれども私にとっては何物にも代え難い、たった一人の息子でありました。

 一生、お恨みを申します――。

 そう言い捨て、立ち去ろうとした時。

 ふと、老婆は道端に茂る笹の葉に目を止めるや。

――佐々木憎けりゃ、笹まで憎い。

 (しわ)深い両手で力任せに笹を掴んで引き抜くと、その場に捨て、笹野山の方へと去っていった。

 それからというもの。

 笹野山は、以前から笹が多く生い茂っていたためにそう呼ばれていたのだが、やがて毎夜のように「佐々木憎けりゃ笹まで憎い」と嘆く声と共に、何やら怪しい人影が大鎌か何かで荒々しく笹を切り払う音が聞こえてくるようになったのだ。

 笹野山の笹は一晩ごとにみるみる刈り払われていき、一本たりとも笹の葉は見えなくなってしまった。

 村の者たちは、かの老婆が盛綱を恨むあまりに化け物になってしまったのだと噂した。

 さらに恐ろしいことには、ここ十日ばかりは特にその暴れようは激しく、化け物は真っ黒なざんばらの髪を振り乱しながら山に生える他の草木までをも切り倒すようになり、藤戸に住む者はみなその物音が聞こえる夜には震え上がり、ついにそこは笹野山ではなく笹無山と呼ばれるようになってしまったのだ。


     *


 和尚が促した通りに子供らが順番に語り終えた頃には、外では垂れ込めていた雲からついに大粒の雨がばらばらと音を立てて降りだし、本堂の内も薄暗くなっていた。

 みるみる激しさを増す雨音が、漁村の子らと、その話に聞き入る浄心と錬十郎らを包み込む。

 和尚もまた、黙ってその話に耳を傾けていたが、不意に境内の方から誰かの呼びかける声が聞こえた。

 「寺の者はおるか。佐々木盛綱様が雨宿りをご所望である」

 「ええっ?」

 まさしく今し方まで自分たちの口の端にのぼせていたその当人がこの場に現れたことに、本堂にいた子らの間からざわめきの声が上がる。

 だが、和尚は何事もなかったかのように、本堂の入り口へと迎えに出た。

 「それは、さぞかし難儀なことでございましたな。こちらは少々、散らかっておりまするが、どうぞお上がり下さりませ」

 深々と平伏する和尚に、だが、先ほどとは別の声の主が答えを返す。

 「いや、そのままで良い。我らはこの軒先をしばし借りるだけだ」

 数人の郎党らしき者を従えて、その中でも、簡素ではあるがひときわ整った身なりの将が錬十郎らの前に姿を現した。

 「それは、誠に恐れ入りまする。盛綱様」

 その武将の名を和尚が呼ぶと。

 「あっ……」

 かすかに漏れ聞こえた声の方に、錬十郎は目を()る。

 本堂に上がることなく軒先に立ったまま雨を避けようとする盛綱に、浄心の目線は釘付けになっている。

 錬十郎の(かたわ)らで、浄心はまるで佐々木盛綱の立ち姿に何か別の様相が重なってでもいるかのように血の気の失せた顔をこわばらせていた。

 盛綱もまた、本堂の内に目をやる。

 出迎える和尚の向こう、思い思いの場から物珍しげに自分を見る子らがいる。

 そのすぐ側に、白い顔で座り込んだままの浄心と。

 さらに横に座す錬十郎の顔を見やる。

 己が身を置く戦場(いくさば)で彼我の兵力差と配置を計るかのような盛綱の目線を錬十郎は無言で受け止めた。

 「山門の横の木に馬を繋いだ。構わぬであろうな」

 郎党の一人が和尚に問う。

 折からの夕立にあい、盛綱らの装束はずぶ濡れになっている。

 「もちろんにございます」

 彼らに頭を下げて答えた和尚が、浄心の方を振り向いた。

 「浄心、確かあちらの納戸に乾いた手拭(ぬぐ)いが沢山あったはず。あるだけお出ししなさい」

 「……ああ、承知致しました。すぐお持ちいたします」

 しばし放心したかのようにその場に座り込んでいた浄心だったが、和尚に命じられるとふらりと立ち上がり、錬十郎の前を横切って本堂から奥へ通じる廊下へと出ていった。

 程もなく、浄心は畳まれた手拭いを両手に抱えて戻り、盛綱の方へ運ぼうとしたが、和尚はすぐに立ちあがって廊下へ出ると浄心から手拭いを受け取って、代わりに盛綱の側まで持ってゆき、(うやうやし)く差し出した。

 その(さま)が、浄心を盛綱から遠ざける意図のように錬十郎の目に映った。

 だが盛綱は意に介さず、和尚に礼を述べて手拭いを受け取ると、二枚ばかりだけを手にして残りは郎党に使わせた。

 和尚は重ねて盛綱らに本堂へ上がるよう促したが、盛綱はやはり固辞した。

 浄心は廊下の端に座り、相変わらず青ざめた顔色のまま、和尚と盛綱のその様子をじっと見つめている。

 「思いがけず、降って参りましたか」

 軽く袖を絞り、顔と両手だけを拭った盛綱に、和尚が声をかける。

 だが、盛綱はそちらへ顔を向けようともせずに答えた。

 「いや、降るのは(わか)っておった。だが……」

 「何か、お気掛かりが」

 和尚の問いに、盛綱は答えなかった。

 驟雨(しゅうう)を受け、折烏帽子(おりえぼし)の端からほつれた前髪に雨垂れがつたい落ちるのも構わず、立ち姿のまま北の方角をじっと見る。

 和尚と錬十郎も、その視線の先を追う。

 垂れ込める雨雲の下には低い山が見える。

 しかし廊下に座ったままの浄心は、盛綱と和尚の対峙を食い入るように凝視している。

 その求めに応えたかのように、だが和尚は浄心を顧みることなく、おもむろに盛綱に対して平伏した。

 「ご承知おきではあろうかとは存じまするが……」

 盛綱は和尚の声にちらと目線をやっただけで、再び北へと目を向けた。

 その先の雲間から、低く遠雷が響いた。

 「藤戸の村を代表し、ご領主たる佐々木盛綱様に申し上げまする。このところ、(こと)に人心を騒がしおる仕儀が出来(しゅったい)致しておりまする」

 黙ったままの盛綱に、和尚は言葉を続ける。

 「ここより程近きにある笹無山に毎夜、怪しき人影が現れ……恐れながら盛綱様に遺恨ありとの声を上げては山中を荒らし回っておるとか。あまつさえ、その暴れようは日に日にまさり、幾人もの民がその恐ろしき姿を目にして怯えておりまする。……かく申し上げるも(はばか)り多きことながら、盛綱様をお恨み申す心のいやまさりし(ゆえ)か、あるいは他の仔細がある故か……いずれにせよ、このままに捨て置けば、早晩化け物は山を下り、藤戸の村を襲うやも知れませぬ」

 「ええっ! 本当なの和尚様? あたい怖い……!」

 村の子らの中で一番幼い女の子が声をあげた。

 「おお、すまない、お菊や。そなたを怖がらせるつもりではなかったのに……」

 振り返り、困ったように詫びを言う和尚に、お菊と呼ばれた子が小走りに駆け寄ってきてすがりつく。

 その両腕にお菊を抱きかかえると、和尚は再び盛綱に向き直った。

 「藤戸の村を救うには、笹無山の化け物を退治するより他にございません。それがお出来になるのは……すべての禍根を断つことが叶いまするのは盛綱様、あなた様ご自身のみにございます。どうか……」

 そう言って、自分の隣にお菊を座らせ直すと、また深々と平伏した。

 お菊はそんな和尚を見ていたが、自分も小さな手を揃えて頭を下げると、はっきりと言った。

 「おねがいもうしあげます」

 他の子らも釣られるように一人、二人とやってきて、その横に行儀よく並んで座ると。

 「おねがいもうしあげます」

 「おねがいもうしあげます」

 同じように深々と頭を下げる。

 だが、浄心はその列には加わらない。

 錬十郎も、ただその様子を見ているだけだった。

 やがて盛綱が口を開いた。

 「……分かった。その願い、聞き届けよう。必ずやこの盛綱が、笹無山の化け物を退治てくれよう」

 わっと、村の子ら――特に腕白(わんぱく)盛りの年ごろの男の子の間から大きな歓声が上がった。

 「早速今宵、笹無山に()こう。だが恐らく、激しい戦いになるだろう。よって、村人も、我が家臣らも、誰一人として笹無山に近づくことまかりならぬ。そのように(みな)に伝えよ」

 盛綱の(めい)に、側に控えていた郎党の一人から懸念の声が上がる。

 「なんと、それは……! いかに盛綱様と言えど、それは危のうござりましょう。せめて、我らだけでもお連れ頂き……」

 「いや、ならぬ」

 だが、盛綱は果断にその諫言を退けると、和尚に向き直った。

 「禍根を断つは(わし)自身のみ、そういうことであろう?」

 和尚はわずかに身を起こして主従のやり取りを聞いていたが、盛綱の問いに答える代わりに黙って再び平伏した。

 盛綱も、もはや和尚には何も告げず、代わりに郎党らに退去を命じた。

 「見よ。雨も上がった。長居は無用だ。戻り次第、儂は支度をせねばならん。……先程命じた事、家中の皆にはきっと申し伝えるように」

 邪魔をしたと和尚に、そして子らには手習いに励むようにと言い置いて、まだ懸念を拭い去れない様子の郎党らを連れて佐々木盛綱は藤戸寺を去っていった。

 和尚と子らの前に、畳まれた手拭いだけを残して。


 夜更けに一人で宿坊を出ようとした浄心に、錬十郎の声が飛んだ。

 「笹無山へ行くのか」

 「うわあっ!」

 思わず浄心がその場に尻もちをつく。

 布団をかぶって寝入っているのを起こさぬように、こっそり出てゆくつもりだったのは、錬十郎にはまるで無意味だった。

 布団をはぐって胡座をかき、錬十郎は枕元に置かれた刀を掴んで浄心の顔を見る。

 「寺の北側に見える、あの低い山だろう」

 「ええと、あの、その……」

 「佐々木盛綱が化け物の正体だな」

 矢継ぎ早やに図星を指されて、思わず浄心は息を飲んだ。

 「……まさか、さっきの……、錬十郎さんにも見えたんですか?」

 その顔色が、窓から漏れる月明かりにもはっきりと青くなる。

 「違う」

――お前がそういう顔をしていたからだ。

 「そんなことがあったら、あの場があれで済むはずがないだろう」代わりに錬十郎はそう答えた。

 だが、つまりは盛綱を見た瞬間に、浄心には『それ』が見えていたということに何の変わりもなかった。

 宿坊の床にぺたりと座り込んでしまった浄心に、さらに錬十郎は問いを投げる。

 「それで、どうする気だ」

 「……はい?」

 「お前が行って、それでどうなる」

 言いながら、錬十郎は初めて浄心と出会い、そのまま別れた日のことを思い出す。

―― それでどうするんですか。

 あの、伊予国分寺へと向かう山道の途中で。

―― あなたは千尋さんを一体どうするつもりなんですか。

 あの日、そう問われたのは錬十郎の方だった。

 「どう……って……」

 けれども、今まさに同じ問いを投げかけられて、浄心は答えを返せなかった。

 「まさか何も考えてないのか」

 国分寺への途中で、ただ引き寄せられるように道を外れ、焼け跡に征重の髑髏を見つけたように。

 「いや……、それは……」

 「だったら何故行く。お前に何が出来る」

――俺に、何が出来る。

 今の自分は何も出来てはいない。

 当てもなく、手がかりもなく、ただ彷徨(さまよ)っているのと何が違う。

 たとえ見つけ出したとして、あの日、浄心に答えた通りのことが己には本当にできると思っているのか。

 錬十郎さま。

 あの声を再び耳にしてなお己が揺らがぬか、今の錬十郎には定かでなかった。

――だが。

 「でも……」

 次々と投げつけられる厳しい問いに、浄心はじっとうつむいていたが、やがて錬十郎に向かって顔を上げた。

 「でも、行くでしょう、これは」

 はっきりと浄心は錬十郎の目を見つめ、そう答えた。

 己の中で、何かを見つけたかのように。

 ただまっすぐに。

――そうか。

 「それがお前の理由なんだな」

 引き寄せられるのではなく、誰かに理由を(ゆだ)ねるのでもない。紛れもない己の意志だと。

 だとしたら、それは自分と同じだ。

 錬十郎は刀を手にしたまま立ち上がり、浄心の横をすり抜けると、戸を開けて宿坊の廊下へと出る。

 「案内しろ。笹無山だ。月が出ているから明かりはいらんな」

 「……どうして一緒に来てくれるんですか?」

 ようやく立ち上がった浄心の口から、自分よりもずっと高いところにある錬十郎の背に向けて問いかけがこぼれ落ちる。

 「そうだな」

 そんな浄心を振り返り、錬十郎は答えた。

 「もし、さっきお前が『だったらあんたこそ何故行くんだ』と聞き返していたら、そんな気にはならなかったろうな」


 浄心が先に立って進む笹無山の道中は、満月をやや過ぎたばかりの月明かりで、夜道を行くのにもさほど支障はなかった。

 「和尚はあの後、何も言っていなかったか。当然、盛綱のことを見抜いたからこそ、ああ言ったのだろうが」

 盛綱に和尚が告げた言葉を錬十郎は思い出す。

 「いえ、それが何も……。和尚さまは夕餉もおあがりにならず、本堂にお(こも)りになって、ずっと真言を唱えておいでです」

 確かに、浄心が持って来た夕餉は二人の分だけであった。

 「お前の事情は話したのか」

 「いいえ……。ただ、寺での暮らしが嫌になって出てきた、とだけ」

 「だが、和尚は明らかにお前を佐々木盛綱から遠ざけようとしていた」

 「はい……」

 浄心に本堂を出るように命じ、持ってこさせた手拭いも自分で盛綱に取り次いで、廊下の端から浄心が動かぬようにはからった和尚の様子を二人は思い出す。

 「ですが、あの方のことは、実はよくわかりません。私にも、何も見えないんです」

 ぽつりと、浄心は誰に言うともなくそう言った。

 浄心の目に映る和尚は、あたかもよく晴れた夜空にある無数の星々のようで、そのどこに和尚の感情や記憶があるのか判然としなかった。

 そもそも藤戸寺に来てからというもの、己の『厄介な雑念』が他人にまで漏れ出るようなことは何故か全くなくなっていた。

 幼い頃に預けられた延台寺はそれなりに大きな寺で、徳の高い、あるいは学識豊かと言われる僧も何人かいたのだが、そうした人達でさえも、浄心が我知らず引き出してしまう『雑念』によって(おびや)かされることが多々あった。

――その前は、どうだったろう。

 寺に入れられる前からも、生まれ育った村ではまともに扱われた記憶などなく、母親と二人で隠れるようにして暮らしていた。

 父親はいないと聞かされていた。

 逃げたのか、それとも誰かわからないのか――。

 いないはずなどないと今ならわかるが、母親が頑なに言い張るものだから、そういうことにする他はなく。

 だが、結局は母親も、自分を寺に入れて去っていって。

 母はどこへ行ったかと寺の者に聞いても、誰も答えてはくれなくて……。

――母親は、どこへ……?

 「えっ……? ちょっと、待ってください」

 山道の途中で、浄心は立ち尽くす。

 「……おかしいですよ? 佐々木盛綱に息子を殺されたと訴えた老婆が笹無山へ行き、『佐々木憎けりゃ笹まで憎い』と言って全ての笹を刈り取ってしまったんですよね?」

――今ごろ気づいたのか。

 誰にも聞こえないように、錬十郎は溜め息をついた。

 「始まりは、確かにそういう話だったな」

 浄心の問いかけに、錬十郎は含みのある答えを返した。

 「……え……?」

 その意味が未だにわからない様子の浄心に、錬十郎はさらに言った。

 「お前、自分に『見えた』ものにばかりとらわれすぎてるんじゃないのか。少しはちゃんと頭を使え」

 「……それって、どういう……」

 「あの話は、途中から別の人物がすり替わっている。化け物になったのはそいつだ」

 「えっ……?」

 「最初は老婆で間違いない。佐々木を憎む声が笹無山からも聞こえていたのだからな。だが、笹がなくなると今度は黒いざんばら髪の化け物が暴れる話になっている」

――笹無山に、真っ黒で長ーいざんばら髪の化け物が……。

――ここ十日ばかりは特にその暴れようは激しく……。

 「あ……!」

 口々に話す子らの声を思い出し、浄心の胸がぎくりと高鳴る。

 「白髪で切り下げの老婆が化け物になってしまったために、長い黒髪に変わることがないとは言い切れんだろう。だが、お前は確かに佐々木盛綱が化け物だと見抜いた。おそらく和尚もだ」

 「そうです……。だから、それは絶対に間違いありません。でも、だとしたら……」

 絶句する浄心を、錬十郎は黙って見ていた。

 もしかすると、その目は何かとても傷ましいものを見る目をしていたかもしれない。

 それは、まさに今わき起こる浄心の疑惑だけでなく、その答えをも既に知っていたためであっただろう。

 「だとしたら老婆は……息子を返せと言ったあの母親は、いったいどうなってしまったんですか……?」

 浄心の問いに、錬十郎は答えなかった。

 その無言の答えを置き去りに、浄心は山道を駆け出した。

――まさか……、ああ、でもだとしたら、それはきっと……。

 この笹無山のどこかに。

 それを探して、しかしそれを見つけてしまうことを、己は本当に求めているのかどうかもわからずに。

 その浄心を、黙ったままの錬十郎が追う。

 いつの間にか月は雲に隠れ、闇に慣れた目だけを頼りに二人で山中を分け入る。

 けれども、未だ己から切り離すことができずにいる『雑念』が、そこへ導くだろうことを浄心は確信していた。

 そしてついに。

 「あっ……」

 鋭く息を飲み、浄心が立ち止まる。

 膝から力が抜けたようにその場に両手をついて崩折れる。

 錬十郎も追いつき、浄心の背後からそれを見た。

 荒々しく山の草木や笹が無残に刈り取られ、空き地のようになった地べたの上にあったのは、背を丸めて倒れ伏した老女の死体だった。

 おそらく背後から一突きにされたのであろう、背中にある思いのほか小さな傷口からは黒々とした血が流れ出たままに固まっている。

 肩のあたりで切り揃えられた白髪(はくはつ)が夕立に濡れて乱れ、苦悶の横顔を覆っている。

 「こんなの……」

 がっくりとうなだれたまま、漁師の母親の亡骸(なきがら)を見つめる浄心の声が震えていた。

 「こんなのあんまりだ……! この人がいったい何をしたっていうんですか……!」

 溢れそうになる涙を必死に(こら)え、立ち上がる。

 「そこにいるんでしょう!」

 山中の闇に向かって浄心が叫んだ。

 「佐々木盛綱!」

 その声が呼んだかのように、風に雲が払われて再び月明かりが差し込み、わずかに残った木立の間からその姿を照らし出した。

 大鎧を隙なく着込んではいるが、その頭には兜も烏帽子すらもつけておらず、ざんばらの髪が乱れて顔を半ば隠している。

 その長い前髪の間から、盛綱は浄心とその背後の錬十郎を睨みつける。

 己の背丈ほどもある長さの大太刀(おおだち)を右肩に、抜き身のまま背負うように担いでいる。

 反りのある刃が、赤みを帯びた月明かりを受けて凶々しくぎらりと光ると。

 驚くほどの素早さで間合いを詰め、浄心に向けて斬り掛かった。

 「あっ……」

 その鬼気迫る目に射すくめられ、浄心の総身が凍りつく。

 だが次の刹那には、自分と盛綱の間に立ちはだかる錬十郎の刀が甲高い音とともに大太刀の一撃をしかと受け止めていた。

 「離れていろ」

 盛綱から目を離さず、錬十郎が浄心に言う。

 恐怖でその場に貼りつきそうになる足を、浄心は勇気を振り絞って引き剥がし、言われた通りに距離を取る。

 「その方ら、二人とも寺にいたな」

 ひどく()めた声で盛綱が問う。

 「和尚に命ぜられたか。この盛綱に引導を渡して来いと」

 「違う」

 「まだ答えを聞いていない!」

 錬十郎と鍔迫(つばぜ)り合う盛綱に向かって再び浄心が叫ぶ。

 「どうしてこの母親まで殺したんですか!」

 「その者が、息子を返せと言うたからだ」

 浄心の弾劾に、返す盛綱の声はしかしどこまでも冷淡だった。

 「そこな哀れな母親が、息子に再び会わせよなどと甲斐のない恨み言をいうたから……だから望み通り、息子の待つあの世に送ってやった。それだけのことだ」

 「そんな理由で……!」

 絶句する浄心を横目にしながらも、大太刀を微塵も揺るがすことなく盛綱の言葉が続く。

 「儂は武士ぞ。先の戦でも多くの平家の武者どもをこの手で斬ってきた。もはや数え切れん。それが戦の世の習いだ。それを今頃になって、土地の漁師の一人ばかり斬ったと責め立てられて、それが何だ。そうすることで儂は一番槍の功名を立て、平家を滅ぼしたのだ。ましてその母親なぞ、手に掛けたところで刀の錆にもならぬ。……坊主にはわからぬであろうがな」

 一息で錬十郎は盛綱の大太刀を押し返し、間合いを取る。

 だがその()が引き寄せたかのように、盛綱の方がすかさず距離を詰めて斬り掛かった。

――早いな。

 大太刀にはあまりに近い一撃を払い落とす。

――ならば。

 その勢いのままにこちらも斬り込む。

 しかし、盛綱は退()かなかった。

――何だと。

 内懐(うちぶところ)へと錬十郎が()()ってくるのも物ともせず、引き下がることなく真っ向に受けた。

――こいつ。

 なおも盛綱が押してくるのを(さば)いて下がり、再び錬十郎が己の間合いに持ち込もうとする。

 だが、そこへ二度三度、突き込むような大太刀の追撃が迫る。

 さらに大きく踏み込み、喉元を狙う切っ先が飛ぶのを辛うじてかわす。

――やりづらい。

 大太刀を持ち、大鎧を付けての立ち合いで、これほど素早く巧みな切り返しを次々と繰り出してくることに、錬十郎は内心で舌を巻いた。

 だが、それだけではない。

――こいつの間合いはおかしい。

 錬十郎が距離を取ればそれ以上に己も前へ出、こちらが懐に飛び込もうとすればそれを嫌うどころかさらに向こうも踏み込んでくる。

 何故、これほどの大太刀を手にしながら、近間での攻防にこだわるのか。

 困惑しながらも、盛綱の大太刀を(さば)きつつ己も続けざまの刃筋で攻め立てる。

 「間合いがおかしい……?」

 声にならない錬十郎の声が、だが浄心には届いていた。

 「つまりそれは……、なにがおかしい……?」

 己に問いかけるように、浄心は呟く。

 何が起きているかわからないからおかしいというのなら、何かわからないことが起きているとわかったのと同じだ。

 ならば、あとは己で見抜くだけのことだ。

 自分になら、それが出来るはずだ。

 月明かりの下で錬十郎と刃を交わす盛綱を、目を()らして、見る。

 「……あっ……!」

 不意にそこに、亡骸を見つけたあの老婆が盛綱に刺し殺される有り様がまざまざと浮かんだ。

 背後から深々と、短刀が突き立てられる。

 さらにその前。

 浅瀬を教えた漁師にも同じように、短刀が胸を一突きにする。

 そのまま浄心は、今まさに錬十郎と盛綱が立ち合う場へと引き戻される。

 だが盛綱が今、手にしている刀は、浄心が垣間見た記憶の中のものと全く同じものに見えていた。

 「大太刀じゃない……!」

 激しく斬り結ぶ錬十郎と盛綱に向かって浄心は叫んだ。

 「それは漁師を殺した短刀です! 漁師と母親を斬ったのも、何もかもその短刀が盛綱にさせたことだったんだ!」

 幾度目かの鍔迫り合いの最中(さなか)に、盛綱は愕然と浄心を見つめた。

 「……何だと……?」

 その一瞬の隙に錬十郎は盛綱を押し返し、ようやく己の刀の間合いを取り戻した。

 そのまま油断なく青眼に構える。

 「坊主が……。何を言っている」

 乱れた長い前髪の間から激しく浄心を睨みつけながら、しかし盛綱はその間合いを詰めることを忘れた。

 己の手の中にある刀に目をやる。

 だが、それは浄心の言葉とは裏腹に、やはり五、六尺近くもある大太刀の姿をしていた。

 錬十郎と、そして今は浄心にも、確かに大太刀として見えている。

 再び盛綱が浄心を()め付けた。

 「馬鹿なことを」

 けれども浄心は、その盛綱の声にもひるむことなく、己が見たままを言葉にした。

 「あなたはその短刀を、浅瀬を教えた漁師に褒美として与えようとした。でも短刀は、それが許せなかった。だからそうならないように、あなたに漁師を殺させた。そして(いくさ)の世が終わって、それでも更なる血を欲した短刀は、漁師の母親までをもあなたに殺させたんだ……」

――そういうことか。

 錬十郎は盛綱の短刀がさせたことの訳が、どこか己で腑に落ちた。

 盛綱が漁師への褒美として自分を与えてしまえば、おそらくもう二度とその刃は鞘から抜かれることはなく、貧しい荒屋(あばらや)の片隅にうやうやしく(まつ)り上げられ虚しく時を過ごすだけになるだろう。

 或いは、いくばくかの銭で売り払われ、時折思い出したようにその刃紋にためつすがめつするだけの数寄者(すきしゃ)の蔵に死蔵されるか。

 そうさせないために、盛綱に漁師への疑心を起こさせ、斬らせた。

 あるいはそれは、武将として功成り名を遂げることを誰より欲した盛綱の意志に応じたものだったかもしれない。

――だが……。

 再び錬十郎は己の刀を持つ手に力を込める。

 切先の向こう、さらにその先にいる盛綱を睨む。

――それでも……こいつが斬ったのは、漁師も、母親も、戦場(いくさば)ではなかった。

 まして、そこに人の血を欲する刀の飽くなき妄執があったのなら、その行きつく先は、まさに今の錬十郎と千尋が堕ちた凄惨な無間地獄でしかない。

――それが、俺の理由か。

 どうして一緒に来てくれるのかと宿坊で浄心に問われ、漠とした答えしか返せなかったが。

――そういう刀が()る気がしたからだ。

 だが、浄心の看破にも関わらず、短刀であるはずの刀は未だ大太刀の姿のまま盛綱の両手の内にあった。

 浄心の見抜いた光景を、刀が隠そうとするかのように。

 そして盛綱も、更なる憎しみを込めて火を吹くように浄心を睨みつけた。

 「……貴様、儂が褒美を惜しんであの漁師を殺したと言うか」

 「えっ……!」

 思わぬ盛綱の反駁に、浄心は絶句する。

 「違います……! そんなことは言っていない!」

 「儂が、戦なき世に飽いて老婆を斬ったと?」

 「そんな……そうじゃなくて……!」

 「断じて違う。儂は口封じのためにあの漁師を斬った。その後を追わせるために老婆を斬った。……短刀がどうしたと? 戯言(ざれごと)を。儂が成したことは、紛れもなく儂の意志だ」

 「そんな……。これでは……」

 盛綱と、盛綱が手にする大太刀とを見つめる浄心の瞳が困惑に揺らぐ。

 盛綱が「あくまでこれは己の意志だ」と断言し、その記憶も持っていて、一方で短刀は己が盛綱にそうさせた記憶を有しているのなら、それがどちらの所為(せい)なのかなど、もはや分かりようもないことだ。

 たとえ浄心であっても見分けることなどできはしない。

 そこにはもはや意味などない。

 「もういいだろう、浄心」

 真っ直ぐに構えた切先の向こうに盛綱を捉えたまま、錬十郎は言った。

――他ならぬ盛綱自身が、こうしてまともに口が利けている以上、すべてが刀の所為(せい)ということはあり得ない。

 おこうや、千尋の時とは違うのだ。

 「でも……」

 「やめろ。もういい」

 言いつのる浄心に、錬十郎が声を荒げた。

 「それ以上は佐々木盛綱殿に対し、非礼である」

 「(しか)り」盛綱もまた断然とそれに応えた。

 「我が成したるは、我が意志である」

 それからまた錬十郎に向き直ると、一切の迷いなく再びその大太刀で斬り掛かった。

 「そんな……! だったら……!」

 三度(みたび)刃を交わす音が、笹無山の夜闇に響いた。

 「やめてください盛綱様! 錬十郎さんも! だったら、こんな戦いにいったい何の意味があるんですか!」

――意味はある。

 それははっきりと、錬十郎には伝わっていた。

 刀の干渉など一切認めず、たとえここで(たお)れても、それらすべては己の因果としてその身に引き受ける。

 それが盛綱の、武士としての矜持であると。

 (しのぎ)がぶつかり合うそのすぐ前の、盛綱の目が言っている。

 他ならぬ盛綱自身がそれを望んでいるのだと。

――ならば、そうさせてやるだけのことだ。

 それはだが、仏弟子である浄心には認めることはできないのだろう。

 今すぐその刀を手放せば、取り返しのつかない過ちですらも仏は許すのかもしれないが。

 満身の力を込めて押し返し、だが錬十郎は間合いを開けることなくさらに踏み込んで上段から斬り付けた。

 目を見開いて下がる盛綱の長い前髪が刃先に切り払われる。

 その口元が暫時ゆがみ、だがすぐに得たりとばかりに今度は自ら踏み込み、返す刀で錬十郎の胴を狙う。

 素早く錬十郎が立て直し、大太刀を刀で受ける。

――わからんのなら、わからんでいい。

 これだけは決して譲れぬと己が決めたものがあるのなら、それを抱えて生きるも死ぬも、好きにさせてやればいい。

 刀の所為などではなく、全てを(おの)(ごう)として引き受ける。

 それだけの覚悟が盛綱にはあるのだから。

 哀れも何も感ずることなく、刀と諸共(もろとも)に討ち砕くだけのことだ。

――どの道、そのつもりだったが。

 盛綱にとってどうであれ、錬十郎には刀の妄執が存在する限りはそれ自体が砕くべき宿敵だった。

 喉を突いてくる切先を払いのけ、伸びてきた手元を狙う。

 だが相手は素早く引き、逆にこちらの肩口へ斬り掛かろうとする。

 誘ったのか。

 かろうじて刀で受け、押し返す。

 相変わらず盛綱の持つ大太刀は駿速かつ重圧を込めて錬十郎の刀を受けている。

――だが、浄心はよくやった。

 間断なく盛綱と斬り結ぶ最中(さなか)、胸に浮かんだその言葉が浄心に届いたろうかと錬十郎は思う。

 だがそのわずかな言の葉も、刹那の(のち)に錬十郎の意識の波間に沈んだ。

 あとに残ったのは。

 目の前の盛綱が振るう刀に対峙するだけ。

 その軌跡を制し。

 行く先を断つ。

 喉を狙った何度目かの鋭い突きが来る。

 それは知っている、いや、知らない。

 錬十郎の首と左肩の(きわ)に大太刀の刃が触れる。

 ぷつりと音を立てて皮が裂け、すぐ下の肉に達しつつあるのがはっきり判る。

 総毛立つ感覚を全身でねじ伏せ、踏み込む。

 鴻毛(こうもう)ほどの刹那を見出し、こじ開ける。

 このまま。

 そうして今までで最も近くにたどり着き。

 錬十郎は確かに見た。


 そこに大太刀の刃は無く――。


 目の前に迫る兜のない盛綱の額を錬十郎の刀がひと思いに断ち割った。

 打たれた勢いに盛綱の上体が弓成りにそり返る。

 ざんばらの髪と吹き出す血潮が夜風に舞い散る。

 大鎧を付けた体が膝からがくりと(かし)いで。

 漁師とその母親を斬った刀を手にしたまま、佐々木盛綱は物も言わずにその場に倒れた。

「あ……」

 それまで言葉を忘れて二人の立ち合いを見ていた浄心が、ようやく声を発した。

 大きく息をついて納刀する錬十郎のもとへふらふらと近づく。

 横を向いて倒れた盛綱の顔は真っ赤に染まっている。

 大きく見開かれたままの両目は、もう何も見えてはいないはずだった。

 だが、その先に。

 驚愕するかのように見開いた盛綱の目線の先には、右手にしかと握った刀があった。

 その刃を、錬十郎と浄心は見る。

 長さはわずかに一尺足らず――。

 かすかにそこから(きし)むような音がしたかと思うと、短刀の刃は真ん中から真っ二つに折れた。

 ふと気付き、錬十郎は己の左首筋に触れる。

 ぬらりとした血が指先を濡らす。

 確かにそこは大太刀の刃で斬り付けられていた。

 襟元を引き上げてそれを隠す仕草で、浄心も錬十郎の怪我に気付いた。

 「斬られてるじゃないですか!」

 「かすっただけだ。大した傷じゃない。……そんなことより、俺は逃げる」

 「ええっ! なんで……?」

 面食らう浄心に向かって口早(くちばや)に錬十郎が言う。

 「考えてもみろ。事情はどうあれ、紛れもなく俺が斬ったのは佐々木盛綱で、この一帯を治める領主だ。余所者(よそもの)が現れて、その()のうちにこの(ざま)だ。一刻も早くここを離れたい。だがお前は逃げるとかえって疑われるかもしれん。あの和尚がどれだけお前を信用しているかにもよる。そこは自分で判断しろ」

 だが、その錬十郎に浄心は即座にこう答えた。

 「じゃあ一緒に寺に戻りましょう」

 「何……?」

 まるで意想外の浄心の返答に、錬十郎はしばし声を失った。

 「お前な……、どうしてそうなる……」

 言葉に詰まる錬十郎に、浄心は傍らの茂みを指し示す。

 「ほら、笹が生えています。……一本だけですが。和尚様にこれを届けないと」

 ようやくわずかに差し()めた朝の光を受けて、倒れた盛綱のすぐそばに、一本の笹竹が青々とした葉をつけて延びていた。

 「馬鹿な。そんなことをしている場合か。行くならお前一人で行け」

 「いいえ、駄目です。一緒に行きましょう」

 決然と浄心は錬十郎の言葉を遮ると、その手を取った。

 「これはお導きなんです。間違いない。だからきっと、大丈夫です」


 錬十郎が浄心に言われるがままに藤戸寺にたどり着いた時にはもう夜は明けていた。

 まだ早朝だというのに、本堂前の境内では、昨日の子らが既に集まって賑やかな声を上げては追いかけっこをしている。

 笹を手にした浄心が、その子らに向かって声をかけた。

 「みなさん、七夕の笹がありましたよ。早速、短冊を書いて飾りましょう。すぐに和尚様を呼んで参りますね」

 男の子らに追われてはしゃぎながら駆け回っていたお菊が、その声を耳にして立ち止まる。

 しかし、お菊は浄心の顔をじっと見上げてこう言った。

 「だぁれ?」

 「ええっ……」

 思いもよらぬ答えに、浄心が絶句する。

 「……あの、ほら私ですよ、浄心です。ここで和尚様と一緒に皆さんに字を教えた……」

 自分の顔を指差す浄心にも、お菊は小首を(かし)げるばかりだった。

 「へんなこと言ってら。ここのお寺には、もうずっと誰もいやしないよ?」

 お菊と遊んでいた子らの中の、男の子の一人が笑ってそう言った。

 「……そんな……」

 しばし茫然と浄心は立ち尽くしていたが、やがてはっと顔を上げると本堂へ向かって駆け出した。

――もしや……、まさか……。

 履き物をもどかしげに脱ぎ散らかし、堂内へと繋がる階段を上がる。

 ばたりと大きな音を立て、両手で戸を開け放つ。

 磨き抜かれた本堂の床には、なにもなかった。

 浄心が、和尚と共に子らに字を教えた文机も、筆の一本すらもない。

 だが、その奥に。

 「あ……あっ……!」

 普段ならば寺の本尊たる観音菩薩立像(りゅうぞう)がおわすべき辺りに、代わりに一幅の掛け軸がかかっている。

 右手に五鈷杵(ごこしょ)、左手には数珠。

 簡素な僧衣に身を包み、四十ばかりなるその肖像画は、紛れもなく和尚の顔であったが――。

 浄心の背後から朝の光が本堂の奥にまで差し込んで、その肖像と周囲を明るく照らし出している。

 (あまね)く照らす金剛の光。

 そこにはいと高き徳と、深甚なる慈悲と、広大無辺の智があった。

 「お大師様……!」

 打たれたようにその場に座し、浄心は深く頭を下げる。

――弘法大師空海。

 その威徳に顔も上げられぬままに、浄心が御宝号を唱える。

 「南無大師遍照金剛……!」

 追いついて本堂に入った錬十郎と、藤戸の村の子らは、ただその光景を見ていた。

 「……なあんだ、そうだったんだ」

 ややあって、子どもらの中の一人が言った。

 「おいらたち、みんなずっとここで、お大師様に字を教えてもらってたんだ。なのに、どうして忘れちゃってたんだろう」

 お菊は、それにこう答えた。

 「ううん、でも大丈夫。これでもう、きっと忘れたりなんかしないもの」

 いつの間にか、お菊と他の子らは、その小さな手の中に自分の字で願いを書いた五色の短冊を持っていたのだった。


     *


 夜が明けても館へ戻らぬ盛綱を案じて、郎党の中でも忠義の一人が笹無山へと向かった。

 郎党は山中の荒々しく樹々の切り払われた一角へとたどり着き、激しい戦いの跡を見つけた。

 そこにあったのは二つに折れた短刀と、それにからみつく血にまぶれて斬り落とされたざんばらの長い髪だけで、(あるじ)の姿はなかった。

 するとそこに五鈷杵と数珠を手にした僧が現れて、郎党に告げた。

 汝の主君、佐々木盛綱は笹無山の化け物と戦い、見事に討ち果たしたが、悲しいかな相討ちとなった。それなる短刀を持ち帰り、佐々木盛綱と藤戸の合戦に(たお)れし全ての者のため、よくよく廻向(えこう)をするように。藤戸の者たちにも左様伝えよ。

 郎党は涙を(こら)えて盛綱の短刀を持ち帰ると、弘法大師の言葉を皆に伝えてしめやかな法要を行わせ、自らは高野山に入って出家し、折れた短刀を奉納して生涯供養したという。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ