第311話 イヌワラベ
子供達を登山道に送った後、スレイはダリアが真っ黒な穴に吸い込まれるのを目撃した。すかさず彼は手を伸ばし、引き戻そうとして一緒に闇に呑み込まれてしまった。気が付いたら、この世の者とは言い難い死者の群れの前だった。幸い彼らは錠の掛かった門に阻まれている。
「スレイ、あっちに屋敷があるわ。あそこに逃げましょう」
感心したことに、ダリアは少しの動揺もしていない。おぞましい化け物のような姿の人々をみても平然としている。
以前の怖がりが嘘のようだ。スレイはおかしな事だと首をひねった。
「おやおや、ダリアじゃないか。ひさしぶり。おっと、君から恐怖を取りあげたまんまだったね。恐怖はひとが危険を察知するための大事な感覚だ。
だから、返してあげるよ」
ダリアは声の主の姿を頭上で認めた。空に浮かぶ銀髪の少年。
思い出した!白椿の下で出くわしたとき、浮いていて滑るように動いていた少年だ。
一気にダリアは恐ろしさに囚われた。口の中の水分が蒸発して乾き、肌の毛穴が開いて産毛の一本一本まで逆立った。恐怖が自分を八つ裂きにするために戻って来た。
「きゃあああー!」
彼女の変化にいち早く気が付いたスレイは、ダリアを抱えて走り出し白亜の屋敷を目指した。鍵が掛かっているとはいえ、門はいまにも破られそうだ。
走って逃げる彼らを見送りながらルチーフェロが呟いた。
「おまえの母親は僕の母の友人だった。アルバの雲行きが怪しくなると、おまえの母は体を壊したので静養すると、愚かな僕の母を遠ざけた。
助言するより縁を切った薄情者。
死んだ母親の代わりに、ダリアが報いを受けてもらうよ」
スレイが白亜の屋敷に辿りつき、中に入った瞬間、群衆は外壁の門を壊して中に流入した。
* * * *
真っ暗だ。何も見えない。でも不思議と安らぐ。
誰かに呼ばれている気がする。声がする。ふわふわとした毛が顔に触れた。
穏やかな気分にさせてくれるモフモフした感触。
「アンジェ…アンジェ…」
「ふあ~~~い」
我ながら間延びしたおまぬけな声がでた。とたんに耳元に唸り声が響いた。
『アホか!おまえは!』
*ガブッ*
腕の辺りに軽い痛み。否が応でも頭がハッキリすると目の前にはわんこ神。
「なにするんでちゅか!このアホわんこ!」
ぎゃあぎゃあと取っ組み合いになって、はたと気が付いた。
わんこ神が目の前にいる。ムニムニとほっぺを伸ばしつつ確かめ、嬉しくてぎゅうっと抱きしめた。わんこは尻尾をシパシパと振っている。
「わんこ、神力が戻ったのでちゅか?」
ガウガウと威勢のよかったわんこ神は急に尻尾を落とした。
『いや…。そんなことより、おまえはルチーフェロに命を取り込まれそうじゃ。それで、わしは最後の力を振り絞るつもりじゃ。よく聞けアンジェ』
いつになく真面目なわんこ神だ。真剣に耳を澄ませた。
『高川山でお前と初めて出会った時、おまえは供物をそなえて、消える寸前だったわしを助けてくれたのう。わしはその時の恩を忘れてはいないぞ』
「アンジェはそんな小さい時のこと忘れていたんでちゅよ?気にしなくていいのに、わんこは義理堅いでちゅね」
『だからこそじゃ。見返りを求めない無垢なる子供の行いに、幸せになる手伝いをして恩返しをしたかったのじゃ。それができなくて切なかった。
そんなことを常に考えていたせいか、わしは異界でまたお前と巡りあった』
それは偶然というには、あまりにも幸運な巡り合わせ。異世界で出会うなんて、この再会には意味があるのかもしれない。
『今度こそ、おまえのために神力を使いたい。そこで、わしは考えたのじゃ。
憑神のわしがいなくなれば、おまえ本来に備わっていた力が戻るじゃろう。
アンジェにわしの神力の全てを託すことにする。
その力を自分の物として、あの哀れな子供を救ってやってくれ』
「わんこ、何いってるでちゅか?なんだがお別れの挨拶みたいでちゅよ」
『ああ、わしの命はもう尽きる。わしの可愛い神子よ。おまえが神の手から離れる満七歳になるまで一緒にいたかったが、せんないことじゃ。
頼んだぞ。わしの代わりに導いてくれ。さらばじゃ…アンジェ達者でのう』
やだやだ!わんこ神を死なせるなんて!
目が覚めた。涙が頬を伝っていく。のどの痛みで現実に帰ったのだと、どん底の気分で納得した。いまだ足がつかない。まだ、窓から垂らされたロープに吊られたままだ。
動いたせいか頸のロープが喰いこんできた。なるほどこいつは性質が悪い。
根性が曲がりくねっているわ…さすが祟り紳だわ。
だけど、忘れちゃ困る。あたしのお友達だって、祟り紳なんだからね。
そのうえ、チェロ君との大きな違いは子供が大好きだってこと!
わんこは、子供のあたしを生かす為に犠牲になってくれたんだ!
怒りがみなぎって来る。わんこを死なせる原因になったチェロ君に心底腹が立った。わんこに託された力を手刀にして壁をドンと突いた。手は半分ほど外壁の石にめり込んでいる。細かな大理石の欠片がパラパラと散り落ちた。
これで体を支えられた。
頸のロープは、これ以上は締まらないが、かなり苦しい。
すると、足掻いているあたしの横にチェロ君が現れ、横にぴったりとくっつき、あたしの肩を抱いた。
「祈りも呪いも強く思う事が肝心だ。しかし人はね、善の心より悪の心のほうが強いのさ。怨みも妬みも憎しみも、人の幸せを願う心なんかよりはるかに簡単に湧き出るんだ。
神威を集めるなら、恐怖で支配するのが一番効果的なんだよ。
畜生共の神、僕の前に這いつくばって許しを請え。
アルバの4万人以上の怨念が僕の力、ここでは僕は無敵の神だ。君に抗う術はない!」
「言いたいことはそれだけでちゅか!アンジェはわんこに代わってチェロ君を降参させてごめんと言わせるでちゅよ』
今日のあたしは最高に機嫌が悪い。
「お前が叶う訳ないだろう?僕は4万人以上の憎しみ、恨み、悲しみ、怒りが全て神威として集めているんだ」
「確かに、祟り紳の信者の数じゃ負けてるでちゅ」
「ふん、降参するつもりかい?それなら楽に死なせてあげるよ」
「冗談ぬかすにゃ!クソバキャもーん!」
「余裕があるな…。おまえ達は現実が見えないらしい。犬はもう使い物にならない。そんな小さな力しかない神に縋っても僕に対抗できる訳ないだろう」
「気づいていないのでちゅか?チェロ君が祟り紳になれたのは、天井で産まれた天使だったからでちょ?」
「そうさ、もともと神の体の一部から天使の卵を介して生れたんだ。
ただの人だった君とは違う」
「それなら神に成れる者は、ここにもいるのでちゅ。天使の卵に宿り、地上に落ちたのがチェロ君と同じ。そして天使の卵に入れたのはこの世界の神。
ようは神の御意志でアンジェは産まれたのでちゅ。ただの天使だったチェロ君とは違うでちゅ」
「なんだと?祟り神の僕より上だと言うのか?身の程知らずだな」
天にいたアンジェロ・クストーデは、地上のアルバの様子を眺めていて、ふたりの会話をすっかり聞いていた。
「そうそう、そして白い魔石は僕の肋骨、それは神の体から分けてもらって培養されたものなんだ。その魔石は砕けてアンジェの体に吸収させた。
だから、天使童子のアンジェは以前よりずっと強くなっている」
「それは、創世の神である、わたしの力をそのまま分けてやったという事だ」
アンジェロは肩越しに、覗いている無表情な創世の神を盗み見て微笑んだ。
そして、アルバにいるアンジェにむけて呟いた。
「要するに、君は僕と同じ神から生れた天使だが、特別な使命をおびた天使童子なんだ。頑張れアンジェ」
アルバにいるアンジェには、神の声もアンジェロ・クストーデの声も聞こえてはいなかった。
しかし、アルバにいるアンジェには確実に届いた声があった。
『犬神の神子、地上の天使は、怒りをもって神と成れ』
頭の中で知らない声が聞こえた。わんこじゃない。一体どこから聞こえたの。
声はまた囁いた。
『犬神の力を得たおまえは今からイヌワラベ神じゃ』
えっ?と疑問に思う間もなく、わんこ神の力が乗り移ったのが分かる。
妙な感覚だ。ムズムズとするし、力がみなぎってくる。体に異変が起きている。
本来の耳の上に生えていた三角に立つ耳がさらに伸びた。そしてカボチャパンツを突き破って生えていた尻尾は、巻尾からフサフサとした大きな尻尾に変化した。色は真っ白を取り越して銀に輝いている。
もがいていた指先から炎がボンと音を立てて湧いた。
首が締まらないように掴んでいたロープがジリジリと焦げて焼き切れた。
途端に体が解放され地面にふわりと着地した。
「ったくもう!死ぬかと思ったでちゅよ…」
眼の前にチェロ君が下りて来た。
「ふん。命拾いしたようだね」
「子供は善悪に片寄らず中庸に身を置くのでちゅ。その道を往くかは周囲の環境と本人の気付きが必要でちゅ。だからアンジェは君を正してあげるでちゅ。
わんこの代わりに、犬神に全てを託された神子として、チェロ君の根性を叩きなおしてあげるでちゅよ」
「冗談じゃない。そんな中途半端な存在が僕に勝てるとでも思ったの?
僕は4万人の畏怖を神力に変えているんだよ。
「あたしの怒りは純度100パーセント!だから、チェロ君には負けないのでちゅ。アンジェの怒りは純天然もの。チェロ君だけに向けたもの。
憎しみや怨みなんかない、混じりっけ無しの純度100パーセント怒りでちゅ!チェロ君に叩きつけるでちゅ」
あたしの怒りに憎しみは無い。それは彼に対する哀れみがあるからだ。
そして、大人に怒りの責任を背負わされたスズロちゃんにも。
この力はわんこ神のもの。子供が大好きな可愛い仔犬の神。
わんこなら、チェロ君をなんとかして救ってあげたいと願うに違いない。
いや、絶対そうする。
「さあ、悪い子にはお仕置きでちゅ!喰らえ友情の頭突き攻撃!」
*ゴーン*
とんでもなく強力な頭突きがチェロ君の額にヒット!
頭の中で叩かれたような酷い音がした。馬鹿な事に、怒りに乗じて思いっきりブチかました頭突きの衝撃で自分の足元がふらつく。
だが、その衝撃はチェロ君にも確実に与えた。
おぼつかない足取りを、ようやく踏ん張ったチェロ君は額を押さえた。
「くそ!なんて石頭なんだ…」
お構いなしに彼の頭を両手で掴むとおかわり発動!
*ゴン!!!*
二発目の攻撃でチェロ君がうずくまって呻いている。
「うぐ、おまえのどこが僕の友達だ…」
「はあ?アンジェはチェロ君だからこうするのでちゅ。ムカつく悪党だったら拳でボコボコでちゅよ!チェロ君のおつむが痛いのと同じように、アンジェのおつむも痛いのでちゅ!頭突きはお友達と痛みを分かち合う崇高な攻撃技ではないでちゅか!名付けてお友達攻撃でちゅ」
チェロ君の肩を掴んで無理矢理おこしてまた頭突き!
「おい!おまえ何様のつもり…」
言葉を言い切る前に、またもや頭突き。
「昔やんちゃしていたアンジェの伯父さんが言ったのでちゅ。喧嘩するときは相手が泣き出すまで止めちゃいけないって。そうしないと、油断して下手に許しちゃうと後ろから角材で殴られるって言ってたでちゅ。
アンジェは心に特攻服を着てチェロ君に頭突きをかますのでちゅ」
「…トップクってなんだよ…まったく…うわ!」
よろける彼を捕まえて、ガンガンと連続で頭突きを叩き込んだ。
「わんこにチェロ君のことを託されたんでちゅ。チェロ君が祟り神をやめる迄アンジェは頭突きし続けるでちゅ!夜呂死苦!」
*ゴンッ!ガンッ!ゴン!*
ヘロヘロになって伸びてしまった彼を見下ろした。
こっちも頭が痛い。でも止めるわけにはいかないのだ。
「…おい、おまえいい加減に…ひい!」
*ゴンッ!*
「泣きが入るまで許ちゃないでちゅよ!」
*ガン!*
何度も何度も続けるうちに、あたしの額が割れてしまった。血が流れてくる。
あたしの方が、流血が激しいのだが、ついにチェロ君は泣き出した。
「うわああああーん」
泣いている顔は子供そのものだ。この子が4万人もの人々を迷える亡者に生み出したとは誰も信じないだろう。
さて、この後、どうチェロ君に祟りを止めるよう説き伏せようか。
出たとこ勝負で頭突きをかましたが、そこまで考えていなかったなあ。
「どうやら祟り神から邪悪な神気が消えたようじゃの」
わんこが復活したのだと喜んで声の主を見た。しかし、そこに居たのは黒い耳たれ犬だった。
「犬わらべよ。後はわしに任せて貰うでのう。おまえは安らかな死を迎えよ」
寒気がした!この犬は一体だれ?!
またも遅れまして<(_ _)>ごめんなさい。




