第310話 呪いの地への入り口
あたしはディオ兄達と共にハイランジアの屋敷に辿りついた。
スレイさんダリアさんは馬をフェーデ君に託して、執事のランベルさんの名を呼びながら中に入って行った。
ディオ兄とフェーデ君は馬車のそばで待機することになった。
「アンジェ、そばから離れないでよ」
「分かってるでちゅよ。ディオ兄は心配性でちゅね」
どうやらアルバの亡者の襲撃は皆の抵抗のお陰か、それとも大きな波は過ぎたのか。庭には危険な者はいないようだ。
「わんこ?元気がないでちゅね」
『…ああ、うむ。さっき神力を使ったせいかのう。少し眠いのじゃ…
バッソが大変なときだというのに何やらすまんのう…』
「わんこは疲れているんでちゅよ。そばにヤモリンがディオ兄と一緒にいるから安心でちゅ。ちょっとだけ眠っても大丈夫でちゅ」
『アンジェ…』
「ん?なんでちゅか?」
『すまんのう…おまえには本来そなわっていた力を発揮しきれないのは、わしが憑神でいるせいじゃ』
なにを今さら、それにあたしはわんこが大好きなのだよ。
「アンジェは、わんこと一緒にいて楽しいでちゅ。ずっとずっと一緒にいたいでちゅ」
わんこ神の心が穏やかに鎮まるのを、あたしは感じた。良かった。
沈み込んでいたわんこが少しでも元気になって欲しい。
わんこ神は眠ったのか、そのまま反応が無くなった。神力が減って話をするのも辛くなったのかもしれない。
話し相手がいなくなってちょっと暇になった。そんなタイミングだった。
裏庭に続く小道の方向を何気なく見ると、小さな女の子がひとりでヨタヨタと奥に向かって歩いている。
見間違いでは無いかと思わず歩を進め確かめについていった。
「ちょっとー!ひとりじゃ危ないでちゅよー!」
裏庭に入った。白椿の木が大きく枝を広げている。季節外れだから花はついていない。その下にはすずろちゃん達のお墓がある筈だ。
女の子は背を向けたまま立ち止まった。
「いまは危ないでちゅから、ひとりでお外に行ったらだめでちゅよ」
近寄ってみると、この子は見たことが有る気がする。どこだったかしら?
白い石作りの、すずろちゃんとチェロ君のお墓、女の子はその前で座り込んだ。あたしは近づいてその肩に手を置いた。
「迷子になったのでちゅか?それならアンジェと一緒に…」
あれ?この子の髪の色…ピンクがかっているなあ。
「あたしと同じ…」
口の中が急に乾いてくる。鳥肌がたってきた。
小さな女の子はようやく振り返った。
きれいな菫色の目。あたしと同じ目の色。同じ髪の色。
そして同じ顔。ふいに彼女の頭が不自然にぐらぐらした。
「ひゃ!」
恐怖で思わず手を引っこめた。が、その手はがっちりと捕まってしまった。
「やっと捕まえた」
声の主がお墓の下に開いている真っ黒な闇から、身を乗り出して手を伸ばしていた。相手の顔を見て息を呑んだ。髪の色は銀髪、瞳の色は金の瞳の少年。
「チェロくん…」
パパが作ったお墓の石材が横倒しになっている。墓の下は真っ黒な空間が開いている。土にまみれた彼が手を掴んだまま薄笑いを浮かべていた。
「言っただろう?僕の頭の骨は最も強力な呪物なんだ。君のパパは…フフもっとも本当の父親じゃなかったね。ハイランジア卿は子供には優しいから、きっと屋敷の近くに墓を作ってくれると思っていたよ。
それが君をアルバに誘うための罠になるとは知らずにね」
振りほどこうと足掻いたが、チェロ君はガッチリ掴まれたまま離さない。
薄く笑う彼の顔はこれから企んでいる事を想像している。
「やめて!放ちてええ!」
「じゃまな犬はもういない。神力を使い果たして動けない。さあ、アンジェ、アルバが君を待っているよ。僕と一緒に行こう」
彼は笑っていた。掴んで離さない手が、いくら抵抗しても腕に喰いこんで来る。もの凄い力で引きずり込まれるのを抗うため地面に指を立てた。
それでも、ずりずりと飲み込まれていく。
「わんこ!わんこ!目を覚ましちて!」
眠りが深いのか反応が無い。
「無駄無駄。神力を無くした憑神なんて君の助けにならないよ」
真っ暗な空間に一気に引き込まれて、嘲るように笑うチェロ君の声が不気味だった。
墓の横にある木の根をようやく掴んでホッとする間もなく、その手をガシッと靴で踏まれた。顔を上げると指を踏みつけているのは、さっきの女の子。
自分と同じ顔が無表情に見下ろしている。
今度は手首を蹴飛ばされた。
「いた!!!」
掴む物がなくなった左手は空を泳いだ。一度に目の前が暗くなり一気に暗闇に吸い込まれる。墓の闇の中から外が見えた。ダリアさんとスレイさんが迎えに来たのか、あたしそっくりの子の手を引いて行く。
ちがうよ!その子はあたしじゃないの!
「犬神が神力を無くしている今、みんな簡単に暗示に掛かってしまうんだよ。バッソに邪魔者はもういない」
外の風景がどんどん遠のいていく。あたしの声は外には聞えていないらしい。
後ろからしがみ付いているチェロ君が呟いた。
「あいつがこの世界でやっている事は、地上のろくでなしの父親と同じだ。創造しておいて無責任にもそのままに無関心だった」
あいつって創世の神のこと?
「神は天界にある木の実に、自分の骨と肉を核にして天使を生み出している。
ほとんどの天使は意思に従い彼の思考そのままに動く。
僕はそんな天界に疑問を抱いて、天使の実に入り自らを地上に落とした。
ハイランジア家の始祖アンジェロ・クストーデと同じように」
チェロ君は後ろからリュックと腕を掴んだままだ。背後から吸いこまれるよう真っ暗な空間を通過している。そのうち周りの暗さに何か人の気配を感じた。
人の声ともつかない声が聞こえる。
「君には天使の梯子を呼び出してもらう、それは君にしかできないから。
アルバの民もそれを願っている。彼らの声が聞こえるだろう?」
頭が痺れる。斉唱の歌声がわんわんと脳内に響いている。
アルバの住人が、死にきれない魂の嘆きが歌となって伝わって来る。
天使の梯子を呼び出して、苦しみを解き放ち天へと誘えと、脅迫まがいに頭を押さえつけてきている。
―あああああああああああああああー
喉を思いきり開いた哀れな聖歌隊が、やけくそ気味に同じ音節を斉唱して繰り返す。だが、どことなく人間の声とは違う。彼らが大音響に達した時、空間がいきなり開いた。
眼の前に出現したのは、3階建てのバロック式の大きな白亜の館。その刹那、自分の首に絡まってきたのはロープだった。
「うう!」
空中で抵抗する間もなく首を囲った輪の中に指を入れるのが精一杯だった。
グオンとロープに自重が掛かった。喉にケバだったロープが喰いこんでくる。
絞めこまれていく喉の気道が苦しさで悲鳴も起こせない。
痛い痛い痛い!苦しい苦しい苦しい!壁を蹴ってほんの少しの時間だけ喉にかかる痛みを和らげようとしたが、馬鹿な考えだった。
衝動の反動は更なる痛みとなってあたしを苦しめた。
「ぐえぇぇ…」
どうすればいい?あたしにはヤモリンの加護がある筈なのに、壁にへばりつけない。能力が失われている!どうして?!
窓から吊られたまま、首に巻きつくロープの輪に指をいれて、ささやかな死への抵抗を試みた。その間、履いているちいさなフエルト靴を足でもがきながら脱ぎ捨てた。
裸足になったおかげで足の指がようやく乗った。積みあげられた大理石の僅かなでっぱり。手と足の指の股でしっかりと凸凹を掴んだ。
いまできる唯一の抵抗。ぐらぐらする体を足と両の手でなんとか支えた。
これで上に登ればロープを解けるかも。
ホッとする間もなくチェロ君があたしの横に姿を現した。
翼を動かす音が聞こえる。どうやら彼は空中を浮かんでいるようだ。
「さっきの話の続きを教えてあげる。自ら地上に降りた天使である僕は、記憶は持ったまま人としてロビーナ家に産まれた。
領主である父の行いを正そうと試みたが、どんなに聡明であっても僕の意見など誰も耳を貸さなかった。
破滅が分かっていて何も出来なかった。そして僕は殺された。
死んだ瞬間、僕は天使の力を取り戻した。だが、その力を天国への昇天には使わず、アルバという永遠に出られない魂の監獄を作ってやった。
この世界は僕のもの。だから、小さな加護など届きはしない。そのうえ、君の憑神は形を留めることもできないほど弱っている」
いきなり壁にしがみつく両手を払われて焦ったが、チェロ君が体を横抱きにして支えてくれた。意外だった。これにはかなり驚いた。てっきりあたしを殺す気だと思っていたから。
彼は楽しそうな微笑みを浮かべて、あたしを屋敷の反対側に向けた。
とたんに目に入ったのは、アルバの死ねない民の群衆。
誰もかれもが人であって人ではない妙な姿だった。
そこら辺の動物と適当に混ぜ合わされたような、不格好な化け物になっている。
そんな、とんでもない数の人もどきの群衆が、屋敷を囲む外壁の正門を目指して歩いていた。
その彼らから逃れようとする人たちがいる。避難しようと屋敷目指して必死に走っている。五、六十人はいるかと思われる彼らは生きている人だった。
何人かの男の人たちが、正門の鍵を掛け終わると一目散に逃げ出した。
うちで従僕をしているトバイアスさんがいる。
大工のバスクさんもいる。彼は奥さんのサシャさんに追いつくと彼女の手を引いて走った。
トバイアスさんは膝の悪い母親のマリラさんを背負って走り出した。
下の正面玄関になんとか逃げきれそうだ。
胸をなでおろしていると、チェロ君がまた耳元で囁いた。
「君は天使なんだよ、アンジェ。創世の神は君の魂を天使の卵に入れて地上に落した。だから、死んだら天国に上れるんだよ」
銀の髪をなびかせて、黒い翼を広げたチェロ君の声は優しかった。彼の優雅に羽ばたく翼に見とれて、あたしは完全に気を抜いていた。
― 彼は金の柱を立てようと言った。彼が死んだとき、天使に戻ったと言った。それなら、あたしが死んだら本当に天使かどうか判るってことだ。
いきなり、チェロ君に空中に放り投げられた。ロープが一気に首を絞める。
「ぐぇ!!!」
落下の瞬間、自分の体重が喉に一気に掛かって気を失った。
ルチーフェロは、ロープからぶら下っているアンジェを冷静に観察していた。身の軽い子供はすぐには死ねない。どうやら気絶しただけのようだ。
だが、やがて死に至るだろう。
「君が憎かった。僕と妹はいくら祈っても誰も救ってくれなかった。
僕の小さな妹は誰からも情けをかけられずに無慈悲に殺された。
あの無関心な神は、無垢な妹を見殺しにしたくせに、君のような前世があり小さな罪を幾つも犯している子には興味を示した!
僕の妹は見殺しにされたのに!
自分だけ助かろうと屋敷から逃げ出した君の父ヴェルサリオ。
アンジェリーチェ、僕の呪いを受けて処刑されたあの男の子供。
だから君を狙った、君がバッソに現れたから僕は行動を起こした。アルバをただの不毛の地なんかで腐らせるのは惜しいだろう?
僕は君を使って創世の神を殺しに行くんだ」
今のアルバはルチーフェロの総べる世界、彼が創造し生みだした呪いの世界。この世界の神の力が及ばない空間だった。
その空間で作り出された神力は、創世の神に抗えるほどになっていた。
投稿が遅くなり毎度すいません<(_ _)>




