第309話 混乱するバッソ
礼拝堂から帰って来ないユピテルさんの様子を見に、神父さんとロイス君がやって来た。ふたりは雷を受けてちょっぴり焦げて伸びているユピテルさんと、あたしの姿をみてちょっと驚いていたが、先に蛭子神を見ていたせいか、すぐに見慣れたようにセリオンさんとバッソの現状を話し始めた。
大人達がアルバの亡者について話している間に、どうしても気になってフレッチャにそっと子供の頃のことを聞いてみた。
フレッチャが和種馬か、もしくは親がそれに近い馬かもしれない。それか、日本からこっちに来たのかも。そうすると三柱の神は日本つながりとなる。
『わたしが何処から来たかって?物心ついたときには、主人のメガイラさんとカラブリアにいたわ。わたしから他に言えることは無いわねぇ』
他に言えることは無い、ようは仔馬だったから分からないってことか。
フェーデ君が口を開いた。
「俺はメガイラさんから聞いたけど、フレッチャは産まれたときからあの走り方だったって。たまたまそうだったんじゃないの?」
うーん、なんか腑に落ちないけど、本人がわからない事じゃしょうがないか。普通は側対歩の動物なんてキリンやゾウのような大きな動物ばかりで、馬のほとんどの種類も斜対歩なんだけど。
“…わたしから他に言えることは…” フレッチャのさっきの言葉、含みのある言い方のように聞こえて妙に気に掛かる。
ガイルさんがいつの間にか背後に来て、大声であたしの頭をガシガシと撫でた。この姿を見てなんとも思っていないようだ。
「おいおい、アンジェ。今は非常事態なんだぞ。そんなことより、街道を馬車屋たちが封鎖しているが、押し寄せてくるアルバの亡者の数が多すぎる。ダリアとスレイ達が行っているがかなり手こずっている。
やはり領民を他所に避難させたほうが良いと思うぞ」
「ガイルさん、アンジェの姿を見てなんとも思わないの?」
「アンジェについては、いちいち驚くのはとっくに止めているよ」
「アンジェは問題児でちゅか…」
誰も否定をしてくれなかった。幼気な幼児の心を気遣ってフォローする気はないようだ。せつない幼児の視線を無視して大人たちは話し合う。
「どんな姿でもアンジェは凄く可愛いからね」
あたしが気にしていると思ったのかな。慰めるようなひと言。
ディオ兄は微笑みながら、あたしの三角耳の毛並みを確かめるように撫でた。
いつもあたしを肯定してくれる彼の言葉に、なんだか気分が落ち着いてきた。
大人たちの話に聞き耳を立てているとき、リュックの中がもぞもぞ動いた。
お腹に抱え直してリュックの蓋を開くと、すずろちゃんと目が合った。じっとあたしを見ている。何か訴えている目だ。
わんこに訊ねる前に神父さんたちの心配そうな声が耳に入った。
「やはり避難だが、フォルトナは馬車じゃないと無理だし…」
すると、フェーデ君が急に思い出したように叫んだ。
「アンジェちゃんが整備させた登山道を通って、領民を山の向こうに避難させたら?あいつらアルバの亡霊みたいなもんでしょ?それなら、ペッシェ川のほうには来ないんじゃないの?」
「ああ、先生に習った歴史ではペッシェ川の反対側は被害が無かったね」
「俺、本当みたいな夢をみてさ。今も怖いくらいだ」
フェーデが忘れられない悪夢、憤怒で我を忘れた民衆がバッソを襲撃しに押し寄せた、現実では無いのにやけに生々しかった記憶。いま正にあのときの悪夢が実際に起こっていると、彼は直感していた。
『フェーデの言う事は正しいわ。わたしは危険察知の能力が高いから分かるのよ。水晶山に行けばきっと皆は安全で居られるわ』
『あっしも水晶山には清らかな気を感じるでゲス。ちび丸さんはあの山から来たんでゲショ?』
『うむ、わしがこちらの世界に迷い込んだくらいじゃ。あの山には異界への通り道があるのじゃろう。
それだけ尊い山なら亡者も近づけんに違いない』
そういえば山向こうのマルヴィカ卿も言っていた。ハイランジアの始祖の子供は水晶山に黒い犬と一緒にいたんだっけ。
部屋の隅に座っている黒犬に自然と目がいった。犬は欠伸をひとつすると足を崩して寝ころんだ。このこは関係ないな。
ガイルさんも少し考えてから賛成した。
「確かにそうだ。あのとき、ペッシェ川の向こうは被害が全くなかった。これが過去の飢餓革命の再来ならば、水晶山に逃げこんだほうが安全かもしれない。尾根にでればカルバ村だし、山を海側に下りればマルヴィカ領だしな」
「ちょうど良かったでちゅ。子供達が学校にこもっているでちゅ。誰かに引率をお願いしたいでちゅ」
『危険察知の能力が高いわたしが、領民をセリオンと一緒に山へ誘導をするわ。
行った先々の安全が確認できるでしょう?』
「よし、分かった。他の子供や年寄りは男爵家に集まっているようだ。執事のランベルさんには俺たちが行って移動を勧めよう」
セリオンさんはリヒュートさんと出掛けようとしたが、自分の奥さんが身重なんだから、さっさと逃がしてあげてよ。
「アンジェが行くでちゅよ。セリオンさん達は山への移動を誘導してくだちゃい。屋敷の人達ならアンジェの格好を見ても驚かないと思いまちゅから」
『ならば、セリオンは人々が入れる程のロープの輪を作れ。わしがそこに塞を作ってやる。さすれば、避難するとき安全に移動できるじゃろう。神力は落ちたが、そのくらいの力なら残っておる』
黒い犬がフンフンと鼻をすり寄せている。
その覗き込んでくるような瞳であたしを見ている。わんこは黒犬をしきりに気にしていた。
『どこかで会った気がするのじゃが…はて何処じゃったかのう…』
「黒いたれ耳犬なんて一杯いるでちゅよ?」
なにしろフォルトナであたしの飴を横取りして食べちゃったのも、たれ耳の黒犬だった位だ。
「お嬢様!御無事でしたか!」
あ、スレイさんが操る荷馬車の御者席から飛び降りて、ダリアさんが教会に駆けこんで来た。女性や子供が乗っている。
「ダリアさん、アンジェは屋敷に居る人たちに避難を呼びかけて来まちゅ」
「アンジェ、俺もいくからね」
ディオ兄がぐいっと手を握って抱き寄せて来た。フェーデ君も一緒に来るという。
「それならダリアも御一緒しますよ。屋敷の馬車がまだあるからスレイはその人たちを運んで」
スレイさんはちょっと心配そうな顔をしていたが、「絶対に無理をしないように」とダリアさんに念を押して馬車を走らせた。
登山道の入り口でアレグロとネモが小さい子供を両脇に抱えて連れて来た。
年寄りを荷馬車に乗せている。スレイが彼らを道に降ろす手伝いを始めた。
かなりの人数が集まった。神父やガイルが人々に説明し点呼して回り、セリオンは次々と来る人を登山道へと大声で誘った。
「しかし、年寄りや小さな子供だと山越えはかなり大変だな」
「そうだな。カルバ村まで行きつければ、マルヴィカ卿には鳩の伝令を出しておいたから、皆の安全が確保できるのだが」
リヒュートとセリオンの会話に、蛭子神が何か訴えている。自分を指して山を指した。
『あら、あなたが水晶山にお年寄りや子供を乗せて運んでくれるの?』
「ほんとか?助かるな」
「おい蛭子神、背中の小さい子や年寄りが怪我しないように乗せてやってくれ。御礼にこれよりもっと美味い菓子を供えてあげるからな」
リヒュートが砂糖漬けの桃を蛭子神の口の中に放り込んでやった。
*コクコク*
子供や年寄りを背中に乗せると、ぶよぶよした肉塊のような蛭子神の背中が変形して座席付きの荷台のようになった。
始めはおっかなびっくりしていた子供がはしゃぎだし、年寄りたちは「よろしくお願いします」と蛭子神に手を合わせた。
*にぱあああ!*
蛭子神は頼られて物凄く嬉しそうだ。生れたてのときよりも顔がよく解るようになっている。もうただの肉塊では無い。
彼も信仰心を得て、より神らしく変化しているのかもしれない。
セリオン達に手伝ってもらって年寄りと子供たちが座ると、蛭子神はさっさと水晶山に向かって駆け出した。
子供たちの歓声が山に響いて登って行った。
「おいスレイ何処へ行くんだ!」
ひとり馬を引いて行こうとするスレイをセリオンが呼び止めた。
「俺はダリアとお嬢様を迎えに行く。お前の憑神様なら安全な場所が探せるだろう?避難の誘導を優先してやれ。バッソの領民の数は多いから早い非難が重要だ」
確かに。危険察知の能力に長けているフレッチャなら、みんなを安全な場所へと導くことができるだろう。
しかし、こいつをひとりでやって良いものだろうか?
セリオンの迷いが顔に出ていたのか、スレイは彼の胸をちょんと軽く小突いて笑った。
「セリオンは身重のセルヴィーナさんのそばにいてやれよ。不安にさせて体に障ったら大変だろ?」
身重のセルヴィーナの事を言われてセリオンも決心がついた。彼はスレイの胸を小突き返して言った。
「用心して行けよ。俺は皆をカルバ村に避難させたら、こっちに戻って来るからな」
スレイは明るく微笑み手を振って、登山道を駆け下りた。そしてフレッチャが呼び寄せた馬に乗って、死霊が押し寄せるバッソに向かって行った。
彼の後姿を木陰の隙間から見送ったセリオンは、身重のセルヴィーナの手を取って登山道に入った。
「セリオンさん、アンジェは大丈夫なのですか?屋敷に向かったそうですが、こちらに来るのですよね?」
「ああ、アンジェは屋敷に人たちを見送りに寄る。君を峠まで送ったら、俺は直ぐにアンジェと合流するから安心してくれ」
それだけ聞くと、やっとセルヴィーナは少しほっとした。アンジェの身を心配するセルヴィーナのお腹にはセリオンの子供がいる。
妻の気持ちを思うと、いつか彼女がアンジェに母親だと名乗れるように願わずにはいられなかった。
「さあ、カルバ村に行こう」
「はい、お願いします」
セリオンが彼女を支えて歩き出した。いくら乗り心地が良くても、身重の彼女が蛭子神の背に揺られるのは無理がある。セリオンは彼女に合わせてゆっくり上るしかなかった。
蛭子神が何度も登山道を往復するのに行きあった。
神として頼りにされた彼は、神力を得て嬉々として人々を運んでいる。
いったい、この世界の神とは何だろう?今まで存在しなかった神が急に現れている。アンジェがいるから?それとも犬神?
山にちょっと入ると、うっそうとした広葉樹のせいでバッソは全く見えなくなった。いくら登っても周りが濃い森のせいで見晴らしがきかない。
それを、上へ上へと登って行くうちに、セリオンは妙な落ち着かない心持でだんだん不安が湧いてきた。下で何が起こっているのか全くわからない。アンジェと早く合流したい。
やっとカルバ村に着いた。妻をメガイラに託し急いで山の中を駆けおりてペッシェ川の橋の前に出た。
一歩を踏み出した途端に見えない壁に立ちはだかれてセリオンは弾かれた。何度も渡ろうとするが橋を渡れない。
「何故だ?向こう岸に行けない!」
『あなたは行っては行けないの。これは子に課す試練なのだから』
「フレッチャ?どういうことだ?」
「セリオンさん?」
いつの間にか橋を渡って来たディオ達がいる。後ろから続々と子供や老人がついて来る。最後に屋敷に立てこもっていた病人や老人を、フェーデが御者をして屋敷の荷馬車に乗せてやってきていた。
「ディオ!橋を渡れたのか?」
「セリオンさん?どういうこと?橋は何ともないよ」
「おまえアンジェはどうしたんだ?」
「え?アンジェならここに…ああ!!!」
ディオが手を引いていた子供を見せた。子供はパタンと力なく倒れた。
彼が手にしていたのはかかしのわら人形だった。
「アンジェが?!いつのまに!」
「ええ!俺達は屋敷で確かにアンジェちゃんと一緒だったのに?!」
ディオとフェーデの動揺を目の当りにして、セリオンはうなじからチリチリする嫌な冷たさを感じた。
ディオが橋の向こうに戻ろうとすると、さっきのセリオンと同じように弾かれた。他の者も確かめて橋に拒絶された。
そこへ、リヒュートが蛭子神に乗って山から下りて来た。
「おい、ガイルさんから言付けだ。領民の中に何人か消えた奴がいるって。
ここで点呼をしていたときには確かに居たのに、あっちには着いていない。
こっちにいないか探してくれってさ。なんでも気になることがあるそうだ」
差し出された紙に書かれた名前の下にガイルの走り書きがあった。
“消えたのは全てアルバの出身者、またはその家族”




