第307話 死ねない民
ハイランジア家を慕って集まってくれた騎士達は、領地を与えられてもいないのに、昔の恩義から無報酬でアルバに通じる街道を守ってくれていた。
そのうちのひとつの街道はかつての王都だったフォルトナに通じている。
いつものように、詰め所にいた騎士はのんびりと茶の用意をしていた。
「今日も何も無かったな。こんな楽な仕事でハイランジア家に御恩を返すなんて申し訳ない気がするよ」
「そうは言っても、この先は呪われた地のアルバ。魔獣が外にでたりしたら卿が御咎めを受ける。しっかり監視するためにも必要な仕事さ」
ふたりが話していると、アルバの方角から凄い勢いで仲間が馬を飛ばして帰って来る。砂埃をあげて慌ただしく下馬した仲間はこの世の終わりを見た顔をしていた。彼は馬の水桶に顔を突っ込んで水を飲むと、息を整える暇も無く叫んだ。
「…ハアハア…地獄が…現れた…奴ら死なないんだ…剣で切っても突いても死なないんだ…」
「おい、何を言っているんだ?」
「ちょっと、あれは一体なんだ?アルバには人がいない筈だろう?」
無人の呪われた土地であるアルバ。なのに、彼らの見る方向から大群衆が歩いて来る。遠目でもそれは妙だった。いくら貧しくても、あれ程の汚れたボロな格好の集団を見たことが無い。半裸に近い者までいる。
「早く!早く馬で逃げろ!この場から離れるんだ!」
仲間の腕を掴んでゆすって急き立てたが、彼を落ち着かせようとするだけで相手にしてくれない。遠い群れの危険さは仲間にはまだ理解できない。
怖ろしさで居たたまれなくなった彼は、まだ水を飲もうと嫌がる馬のハミを引いて、鞍にまたがって叫んだ。
「うああ…もうあんな近くに…剣で倒せないんだ!死ぬぞ!」
それだけ伝えると彼は馬の腹を蹴り、いつもよりも強い調子に驚いた馬は猛烈な勢いで走りだした。
去って行った男の絶望的な顔にさすがに不安になり、振り返ると群衆はかなり迫って来ていた。
「おい!おまえら何処から来た…」
距離が縮まり初めて彼らは集団が尋常でないと気が付いた。
特に彼らの目を引いた若い女は、恥かしそうな素振りも見せずに、斜めに裂けた太腿も露わなスカートを履いていた。
彼らが息を呑んで彼女の脚に目を止めた。毛だらけの脚に山羊の蹄だった。
うしろの中年の男は頭が腹から覗いている。
残りの群衆も全て人間のようでまるで違う。それまで悲鳴を押し殺していた騎士達は、胴体が蛇になった子供が体をうねらせて、自分達に一直線に向かって来るのを見てついに悲鳴を上げた。騎士達は鞍も付けずに馬にまたがりすっ飛んで逃げた。
* * * *
庭で駆け回っていたら剣を持った執事のランベルさんに遭遇した。
彼はあたしの姿を見ると、緊張が抜けたのか胸に手をついて大きく息を吐いた。
「…庭がうるさいのでおっかなびっくり出て来てみれば、お嬢様じゃありませんか。いつお戻りになったのです?旦那様は?」
「アンジェもよく分かんないのでちゅ。いきなり黒い犬がわんこをさらって行って、追いかけたらバッソにいたのでちゅ。もしかしたら、アンジェだけ来たのかもちれまちぇん。
それより、おっかないなんて、何かあったのでちゅか?」
「アルバに通じる街道の詰め所から報告がありまして、魔獣とも人とも判断できない化け物の群れがこちらに向かっていると知らせがあったのです」
「アルバからでちゅか…」
「はい、報告によりますと、そいつらは不死身のようなのです。
私達は屋敷に動けない老人や病人を匿って籠城している最中です。
お嬢さまが戻られたのも、今、バッソに起こっている事と関連があるのかもしれませんね」
チェロ君が言っていた被害がどの程度になるか分からない。訳が分からずに飛ばされたが、バッソに戻れたのは、これ幸いだ。
チェロ君の思い通りにはさせない。それには先ずわんこを探し出さないと。
あの黒い犬を見た人がいるかもしれない。
引き留める屋敷の人達にバリケードを念入りに作るようお願いしてから、教会の敷地にある学校を目指した。こんな危険な状況なら、わんこがバッソにいるとすれば子供の多いところ、それはバッソなら教会の敷地にある学校と託児所だ。
ボロボロの体で、ひとりで行けるとは思わないが、わんこなら子供の心配をして、そこに向かっているかもしれない。
* * * *
バッソの子供達が教会の中で怯えて集まっていた。今日は運が悪いことに学校のある日だ。小さい子供達が沢山集合していた。
親と離れて不安で堪らない様子だ。パリン…なにかが割れる音がした。
ズルッ…ペタリ…ズルッ…ペタリ…
だんだん気味の悪い音が近寄ってくる。小さい子供達が肩を寄せて怯えだした。ドアを蹴破ってそいつは入って来た。
肉が崩れ、骨が見えている体、顔には魚のような鱗がびっしりついている。
腐った魚の生臭い匂いが室内に一気に充満した。
見つかった!崩れかけた足を運んで、震える子供たちに目指してくる。
「きゃああああ!」
声を上げて泣き出す子供達の間から何かが飛び出した。
頭だけになった仔犬の神が、子供を襲う死人の首に噛みついた。
『この死にぞこないがー!子供達に手を出させんぞ!』
死体は、首に喰らいついた犬神を、乱暴に引きはがそうとして、力任せに自分の首ごと引きちぎって倒れた。床にゾンビの頭、その首に噛みついていた犬神の頭がコロンと転がった。
「こわいよー!」
恐怖に堪えきれず子供達が大声で泣き出した。
足元に犬神の頭が転がってきた小さな男の子は、怖がって火がついたように泣きわめいた。
「いやあー!こっち来ないで!」
あたしがわんこ神を見つけたのは、そんなタイミングだった。
甲高い泣き叫ぶ声は現実味がなく耳に遠く聞える。
黙って窓から入ると、床にコロンと転がっていたわんこの頭を拾いあげた。
その頭を胸に隠して抱きしめたままその場を離れた。
今まで一緒に遊んだ子供たちが悲鳴をあげて怯えている。
わんこの寂しさを思うと、どうしようもなく辛くて、切なくて、逃げるように去ってしまった。
「わんこったら、どこに行ってたんでちゅか?心配したんでちゅよ」
ひとに観られないように気にしながら、わざと明るい語調でクマちゃんリュックの中にそっといれてあげた。
『わしの力が奪われた…こんな姿になったせいじゃろうか…』
クマちゃんリュックの中で、いつもは元気いっぱいのわんこが呟いた。
今にも消えてしまいそうな声で、首にだけになって泣いている。
すずろちゃんとショウマ君もクンクンと泣いている。
『あの子達はもう、可愛いと愛でてくれることは二度となかろう…。
もうわしと遊んでくれる子供はおらんじゃろう。わしが可愛いから遊んでくれたのじゃ。みんな怖がって近寄らんに違いない…。それに、子供を怖がらせるのはわしが辛い…』
あたしにとっても、わんこ神が子供に拒否されるかと思うと胸が痛い。
昨日まで可愛い、可愛いいと愛でて貰っていたわんこ神に取って、こんなに辛いことは無いだろう。
滅茶苦茶に走って走った。風を受けた目から涙が頬を伝う暇なく千切れて行く。わんこの悲しみはあたしの悲しみ。
走った先で行く手に現れたウジャウジャいるゾンビを、根こそぎ殴って消し去った。あたしが殴ったアルバの民は砂になって消えた。
メソメソとわんこ神が泣いている。信心の無い人ならクウンクウンと聞こえるだけだろう。こっちまで泣けてくる。
わんこがやたらに自分の可愛いさにこだわっていたのは、術者によって呪いの道具にされて道の辻に埋められていたから。
大好きな子供達に化け物と恐れられたからだ。わんこにはそれが一番つらかったに違いない。
暫く走ってから、リュックからわんこ神を出して頭を両手で包み込んで、目を逸らさずにしっかり見つめた。
『アンジェ、こんな醜い姿を人に見られたら、また怖がらせてしまうじゃろうが。早う、また中に戻してくれ』
布袋から出され不安そうなわんこが、落ち着かない目をキョロキョロと辺りの様子を窺っている。体を失い、神力を失い、学校にいた子供たちからの人気も失って、いつもの元気がすっかりない。
オドオドして消えて無くなりそうな表情をしている。
「わんこは今でも可愛いでちゅ!アンジェは、わんこが可愛いから好きなのではなく、好きだから可愛いのでちゅ!
わんこは自分が可愛くなくなった、人が恐れる醜い姿になったって言ったでちゅが、可愛いだけがわんこの魅力じゃないでちゅ!
拗ねて後ろを向いていても、機嫌が直っていると尻尾を振っちゃって隠し事ができない性格とか、子供が大好きで甘々なところも!
お肉が大好きで、御供え物にぴょんぴょん狂喜乱舞する様子とか!
そういうのを全部ふくめて、みーんな可愛いのでちゅ!アンジェが保証ちまちゅ!わんこ神は可愛さ大爆発の神様でちゅ!アンジェはわんこ神が大好きなのでちゅ!」
だから元気出してー!教会の周りにうろついていたゾンビを全部やっつけておいた。わんこが元気を無くしたのはお前らのせいだ。まとめて引導わたしちゃる!
走った先で行く手に現れたウジャウジャいる死人を、根こそぎ殴って消し去った。あたしが殴ったアルバの民は砂になって消えた。
「たとえ、わんこから神力が消えたとしても!わんこが子供に寄り添う神様だって事は、アンジェが一番知っているでちゅよ!!!わんこはアンジェにとって最高の神様でちゅ!神力なんて無くても神様でちゅよ!」
そのとき、首に掛かっていたネックレスの白い魔石が、目に痛い程の光を放ってパッキーン!と割れた。砕けちった欠片はキラキラして消えてしまった。
「うぎゃあ!セリオンさんに怒られるでちゅー!」
焦っている最中に、自分の体の妙な感触に気が付いた。耳がやけに良く聞えるし、お尻のほうがわさわさする。
嫌な予感がする。そっと頭の上を右手で撫で、左手でお尻を触ってみた。
三角の耳が頭に生え、カボチャパンツを突き破ってフサフサの尻尾が生えている。
…犬になっている…
* * * *
王都のあっちこっちでもアルバの死ねない民が出現した。
「ひい!お嬢様!お部屋に早く!」
ベローナ伯爵家では、たまたま母親と外出していたロベリアとマリアンヌが急いで馬車で帰って来た。彼女らは召使にせかされて屋敷に走った。
後ろを振り返ると、馬車を追いかけてきた死人の群れが、門番の閉じようとした門をこじ開けて雪崩れ込んでいる。
子供達は悲鳴を上げ侍女は青くなって屋敷にたどりついた。部屋の外では従僕や騎士が屋敷を中で武器を持って備えてくれた。
締め切った部屋で息を呑んで耳を澄ます。廊下で怒鳴り声と喚き声が聞こえた。
おびえた伯爵夫人は、ふたりの女の子の手を引いて部屋の隅っこにしゃがみ込んだ。侍女達は力を合わせてドアの前に机やら椅子やらを積み上げる。
伯爵夫人は幼い子供を抱きしめて震えている。彼女の胸で涙目になっている子供達にもその緊張が伝わる。
*ドンドン!* *ドン!*
侵入者がドアを叩くその度に積みあげた物が動いた。
「こ、このままだと入って来るわ!」
「どうしましょう…旦那様達はお出かけなのに」
マリアンヌはお気に入りの仔犬の縫いぐるみを握って、必死に祈っていた。
姉のロベリアは妹の怯えようを見ながら、伯爵夫人の腕からすり抜けと、暖炉の火かき棒を握って侵入者にそなえた。
「犬神さま、助けて。犬妖精さん…こわい…怖いよ…」
妹のマリアンヌは震えて犬神に祈っている。
すると、手の中の縫いぐるみが動き出した。え?驚いてを開いた手から縫いぐるみが飛び出したのと、ドアが破られたのは同時だった。
絶望のなか恐怖で声もだせずに縮こまっている侍女たち。母の腕のなかで、子供は見ていた。皆が見ていた。
白い小さな縫いぐるみの体が宙に浮かび、矢のように飛んで化け物の頭を貫き砕き、砂のように溶かし消し去る。化け物たちは僅かな痕跡の砂を残しただけだった。
マリアンヌはおずおずと顔を上げた。母親の腕をこじ開けて、縫いぐるみを拾い上げ頬ずりしながら、誇らしげに叫んだ。
「犬妖精さんが化け物を退治してくれたのよ!犬神さまのお陰だわ!
犬神さまは子供が大好きなんだもん!
犬神さまが犬妖精さんに力を貸して、私達を助けてくれたんだわ!」
* * * *
国全土の商店に並べられた縫いぐるみ達が、わちゃわちゃと動き出し町に徘徊する化け物を倒し始めた。
とくに子供に可愛がられていた縫いぐるみの攻撃力は凄まじく、人がいくら倒しても倒しても復活する化け物を完全に一掃していった。
たったひとつの縫いぐるみが、村に現れた多くの化け物を駆逐して村民を守ったこともあった。
大人達がたわいない犬の縫いぐるみだと思っていた「犬妖精さん」。
子供によると、その「犬妖精さん」は犬神を信心している。
犬神は子供を見守る神。子供の話を聞いて、大人たちは不思議な神の存在を初めて知る事となった。
眷属であった小さな縫いぐるみ達は、犬神に代わって塞の神を業を務めたのだった。




