第306話 黒犬
宮殿の中の変異が伝えられると、パパ達はヘルナンデスさんと手分けして悲鳴が聞こえた場所へと散って行った。
あたしはパパに言われて、ディオ兄とセリオンさんと共に、西の宮殿の殿下達の元へと向かうことにした。
ヤモリンの息子のジュニアとユウキ君がついているから、無事だとは思うけどまずは彼らの安全を目で確認したい。
「しかし、こいつもついて来るとは…」
あたしの後ろをドテドテと音を立てて蛭子神がついて来る。なつかれたようで大人しく走っている。
さっきの動きだともっと早く走れるだろうに、上に乗っているあたしとディオ兄を気遣ってかおとなしく走っている。
傍から見たら熊にまたがった金太郎みたいかも。
『良い子には、あとでまた美味い物をやるでのう』
あんあ~~~~ わんこの言葉を分かっているのか機嫌よく返事をした。
「アンジェ、この子はけっこう知能が高そうだね」
「さすが神ちゃまの仲間でちゅね」
『無邪気な神で良かったわ』
『本当でゲス。あのまま攻撃を受けて人間を憎むようになったら大変だったでゲス』
確かに。きっと見た目の不気味さで人から誤解を受けた事だろう。わんこがかばってくれなければ、たぶんチェロ君の目論見通りに祟り神になったかもしれなかった。
「わんこのお手柄だったでちゅね」
『わしは子供が辛い目に遭っているのが見過ごせなかっただけじゃ』
横を並走するセリオンさんが少し咎める口調で自分の中のフレッチャに問うた。
「そういえば、フレッチャは、なんであれが神だと分ったんだ?」
「ヤモリンも知っていたんでしょ?」
『う~ん。野生の勘!』 『そうでゲス!』
本当かな?なんか誤魔化されたような気がする。怪しい。
西の宮殿のなかに入るとやけに騒がしい。
廊下の角を曲がるとふらふらと歩く人が見えてきた。宮仕えの人しかいない筈なのに、やけにみすぼらしい身なりだ。
変だ。あんな格好で歩いていたら侍従長にどやされるだろうに。
用心して歩を遅くして近づくと、そのひとは振り返った。中年男性、洗濯で擦り切れた服を着た何処にでもいる貧しい民だ。たったひとつ普通じゃないのは、顎の肉がえぐれていて骨と歯肉が見えることだ。
喉にも獣の歯型のような穴が開いていて、そこからぴゅーぴゅ―と音が漏れ聞えてくる。
あれが…あれがチェロ君の言っていた、死ねない人。ようはゾンビというわけか。
そいつが歩くたびに湿った変な音がする。
…ベタ…ズルン…ベタン…ズルン…
前後左右に肩が大きく揺れる。歩き方を忘れているみたいな不格好な歩行。
しかし、こちらに気が付いた途端に動きが一変、獲物を見つけた死人は急に加速して突進してきた。
セリオンさんがすかさず前に出てカウンターでキックを蹴り込んだ。
糸の切れた操り人形のような不格好な姿勢でへたり込んだ死ねない人は、それまでの虚ろな表情から感情を取り戻したかのように顔つきが変わった。
体を変な方向に折り曲げたまま何か言っている。
「…やっと出会えた…」
やっと?彼はあたしを見つめた。
「ああ…天使童子…皆を救ってください…」
彼はほっとした笑顔を浮かべると、砂が崩れるように空気に溶けて消え去った。また天使童子だなんて。
「やはり、アルバを救うのはアンジェってことだろうな…」
セリオンさんがぽつりと言った。後ろから遅れてついてきていたリヒュートさんが戸惑っている。
「おい、セリオン、よく解らない神がいるのは俺にも判ったが、一体なにがおきているんだ?」
「おまえも付いて来たのか?」
「宮殿の中を見られるなんてそうそうないからな」
「呆れた奴だなあ。まあいい、説明は後だ。殿下達の無事を確認したらバッソに急いで戻らなきゃならないから」
そう、チェロ君はバッソに被害が出ると言っていた。殿下に挨拶をしたらあたし達だけでも戻らないと。
バタバタと足音がして近衛騎士達がやってきた。
「ああ、ハイランジア嬢お迎えに上がろうと…う、それは…」
蛭子神の異形の姿はみんなを戸惑わせる。うああぅ…。彼が寂しく思っているのが背中から伝わってきた。
殿下たちの生活区域にくると、居室の前でフェルディナンド兄様とマンゾーニ卿が顔を出した。続けてドアの入り口にアル君がひょっこりと顔を出した。
「兄上!アンジェが来たよ!……ねえ、アンジェが乗っているそれって何?」
アル君は蛭子神をみて完全に腰が引けている。
無理もない。牡牛ぐらいの大きさの蛭子神は、顔は判然としない。穴のような目鼻と、ギザギザな歯並びの口には唇も無く恐ろしい。
わんこの言う事に素直に従った様子を考えるに、この子は見た目の印象で損をしている。
「アンジェ、フェルディナンドから聞いたが本当に危険はないのか?」
マンゾーニ卿はアル君を庇うように彼の体を後ろに押し戻した。どうみても、蛭子神の姿をみて怪しんでいる。
「大丈夫でちゅ。わんこが仲間にした神様でちゅよ。生まれたばかりで物をしらないけど、悪いことは注意すればちゃんと止めてくれまちゅ。この子は素直な良い子なのでちゅ。だから、アル君も怖がらないで話しかけてくらちゃい」
蛭子神の背から降りた。彼とリヒュートさんは流石に部屋の外で待つことにした。リヒュートさんは、皆が恐がった蛭子神に平気で「砂糖漬けの桃を食うか?」などと声を掛けている。
蛭子神は喜んで床をバンバン叩いて、あーんと口を開けた。
「さすが処刑人。肝が据わってんな。おそれいるぜ」
「おい、アンジェ、ディオ。殿下との御挨拶が終わったら、すぐにバッソに戻る事の御許しを頂いて、よくお詫びして下がらせて貰うんだぞ」
セリオンさんは身重のセルヴィーナ叔母様のことが心配で、今すぐにでも帰りたそうな不安な顔をしている。
部屋の奥に入るとステファノ殿下が迎えてくれた。少し青い顔をしている。国王である父の死、その死に方。今日は多くの事があり過ぎた。
「君たちも無事で良かった。アルバの呪われた民たちが宮殿内に現れたが、全てジュニアとユウキが撃退してくれたんだよ」
ステファノ殿下はあえてアルバの呪われた民といった。飢餓革命の王族の責任を彼なりに感じている。
既に国王としての自覚があるのだろう。
ステファノ殿下の肩にはジュニアがいて、そばに蛾が乱舞している。この様子だと殿下の守るため監視は万全に違いない。
「犬神様、御力が落ちているとお聞きしましたが、我ら信者は祈りを篤くして信仰致しますので、どうか御身体を慈しみください」
『信者に心配をかけるとは。不甲斐ない神ですまぬのう』
「ねえ、アンジェわんこ神さまは怪我しちゃったの?」
いきなりアル君が、持っていた麻袋に手を掛けてぐいっと引っ張って覗いた。
あっと言う間もなく袋は床に落ちて、無残な姿になったわんこ神の体がさらけ出された。
アル君はしばらく動けなくなった。
「う!…うう…うわああああん」
ショックを受けて大声をあげて後ずさりをすると、彼は皇太子殿下に飛びついた。よほど怖かったのか悲鳴交じりで泣き出している。
ステファノ殿下にギュウギュウと抱きついたままで嗚咽を止めない。
あたしはわんこ神の体を麻袋に戻してやると胸に抱きしめた。
「すみません犬神様。弟は動揺しているのです」
ステファノ殿下は申し訳なさげだ。
『よいよい、怖い目に遭わせて可哀そうな事をしたのう』
自分の気持ちよりも、あくまでアル君を泣かせたことを気にしている。
わんこ神は本当に子供に優しいね。
ふと、視線を感じて顔を上げた。ドアのそばにはユウキ君が入っていると思われる、いつぞやのプレートメイルが立っている。そこに…犬?
「あれ?その黒い犬はなんでちゅか?」
アル君をあやしていた殿下は、部屋の隅にいる黒犬を振り返って目にした。
「え?ほんとだ。いつの間に入って来たんだろう?」
庭で見かけた耳の垂れた黒い犬だ。犬はスタスタ近寄ってくると、わんこ神の入っている麻袋を物怖じしないで近寄り、クンクンと匂いを嗅いでいる。
すると今度は泣き止まないアル君を落ち着かせるように顔を舐めた。
変な子だな。でもお陰でアル君は泣き止んだようだ。
殿下から体を離すと黒犬にそっと手を出した。
黒い耳たれ犬をアル君と撫でまくっていると、そこにカラブリア卿とヘルナンデスさんが緊急の知らせを伝えにきた。
「殿下、私達が捜索した結果、宮殿内の化け物は全て消えましたが、王都の街中では同じような化け物が現れたと報告がありました。
そこで、ハイランジア卿とエルハナス卿は、市中に民を守るために直ちに出立。殿下への報告をせずに出動したことを、後で深くお詫びしたいと言っておりました」
「ああ、いい。こんな非常時なのだ。むしろすぐに対応してくれて助かる。
宮殿内はジュニアの蛾達が見張っているから、むしろ彼らに増員してやるように騎士団に報告してくれ」
パパは宮殿内の警備をカラブリア卿に託して、市街を守りに行ったのか。
パパもカメリアママも自領地が気になるだろうに。
そうだ、あたし達も早くバッソに行かねばならない。チェロ君が言っていた最も強い呪物が埋まっている。
「ねえ、アンジェのアクセサリー凄く光っているよ」
ディオ兄の言葉で、胸に下げていた白い魔石が光を放っているのにやっと気が
付いた。
セリオンさんが緊張した声を出した。
「おい、そこの空間が変に見えないか?」
黒い犬の横にりんご位の、妙な、小さな歪みが見える。マーブル模様のような空間は、周りの物を巻き込むように広がっていく。大きさは人くらいになった、そのとき、黒犬が、わんこの入っている布袋を、強引に噛みついて奪い取り、空間に飛び込んだ。
「あああ!わんこを返ちぇー!」
「あ、アンジェ危ないよ!」
「うわアンジェ!ディオ!待て!」
皆が見ている前でアンジェとディオ、セリオンは歪みの中に呑み込まれた。
すると、蛭子神が部屋に走り込んできて、歪みが縮小するまえに飛び込んだ。
ユラユラとした空間がどんどん縮んでいく。驚いたカラブリア卿が空間に手を突っ込もうとしたが、バチリと音がして触る前に弾かれてしまった。やがて、空間の歪みは何の痕跡も残さずに消滅した。
「兄上…アンジェたちはどこへ行ったの?」
「さあ、わからない…」
* * * *
ドタンと勢いよく倒れ込んだ。イテテと顔を上げて周りを見ると、そこは
信じられない事にバッソだった。どうやってここに来たの?
屋敷の庭だ。目の前にチェロ君達の頭蓋骨を埋めたお墓がある。
背中のくまちゃんリュックがゴソゴソと動いた。すずろちゃんとショウマ君が顔を出している。そうだ!わんこは?
急いで立ち上がる。あの子の入った麻袋はどこにも見当たらない。
「わんこ!どこなの!」
庭のあっちこっちの茂みを這いまわって探し回った。どこにもいない。
完全にはぐれてしまった。あんな体で人に見られたら大変だ。大好きな子供に怖がられたら、きっと、もっと傷ついてしまう。
大好きなお友達のわんこ神!その姿を必死に探すしかなかった。




