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第六話 泣いている女を操る神なら、俺様がその役割を奪ってやる

「――魔王の眷属を、処刑します」


 ヴィオラが大剣を振り上げる。


 金色と白銀の光が絡み合い、巨大な刃を形作った。


 その瞳からは、今も涙が流れている。


「やめろ……」


 本人の唇から、掠れた声が漏れた。


「逃げろ、ゼクト……!」


《所有者の抵抗を確認》


《処刑の障害には該当しません》


《勇者殺しを執行します》


 ヴィオラの両腕が動く。


 俺様の首を狙い、大剣が振り下ろされた。


「ご主人様!」


 フィーネの悲鳴が響く。


 逃げる必要はない。


 俺様は左手を上げ、迫る刃をつかんだ。


 大剣が手のひらへ食い込む。


 血が噴き出した。


《勇者殺し》の白い光が傷口から侵入し、腕を伝って魂を侵食してくる。


「ゼクト!?」


 一瞬だけ、ヴィオラの瞳に赤い色が戻った。


「何してんだよ! 手を離せ!」


「嫌だ」


「斬られるぞ!」


「もう斬られている」


「そういう話じゃねえ!」


 ヴィオラが大剣を引き戻そうとする。


 だが、役割に支配された両腕は、刃をさらに押し込んできた。


 俺様の手の骨が軋む。


「逃げろって、言ってるだろ……!」


「お前を置いて、どこへ逃げる?」


「――っ」


 ヴィオラの顔が歪んだ。


「そういうのは……もっと別のときに言えよ……!」


「今がちょうどよかった」


「全然よくねえ!」


「では、俺様の女になるか?」


「この状況で口説くな!」


 まだ怒鳴る力は残っている。


 なら、どうにでもなる。


「《王喰らい》」


 右手に握った魔剣が震えた。


 漆黒の刀身から、飢えた黒い靄が立ち上る。


 その矛先がヴィオラへ向いた。


 胸元では《勇者》と《勇者殺し》、二つの紋章が激しく明滅している。


 どちらも強大な力だ。


 魔剣が歓喜している。


 喰わせろ。


 すべて奪わせろ。


 そんな欲望が、柄を通じて伝わってきた。


「役割は喰うな」


 《王喰らい》の震えが止まる。


「こいつの魂に触れている、気に入らないものだけを喰え」


 魔剣が不満そうに軋んだ。


「聞こえなかったか?」


 柄を強く握る。


「ヴィオラは俺様のものだ。勝手に喰えば、お前を折る」


 漆黒の刀身が沈黙する。


 やがて黒い靄が細く伸び、ヴィオラの身体を包む金色の光へ絡みついた。


《外部干渉を検出》


《異物による神聖接続への侵入を確認》


《排除します》


 白銀の光が黒い靄を焼く。


 《王喰らい》が苦しげに震えた。


「負けるな」


 魔剣へさらに力を流し込む。


「お前は、神を殺すために作られた剣だろう!」


 漆黒の刀身から、黒い波動が噴き上がった。


 白銀の光と正面から衝突する。


 空気が弾け、大地へ亀裂が走った。


『《王喰らい》が、役割と世界をつなぐ糸を喰らっている』


 ケルベロスの右の首が告げる。


『だが、完全に切断することはできない。勇者の魂そのものが、役割の器へ作り替えられつつある』


「そんな……!」


 フィーネが城壁から身を乗り出す。


「ヴィオラ様を、お救いする方法はないのですか?」


『外部からの接続を弱めたとしても、最後は本人が役割を拒絶しなければならない』


『あの女が負ければ済む話だ!』


 左の首が続ける。


『何度でも殴って敗北を認めさせろ!』


「それでは、ヴィオラ様のお身体が壊れてしまいます!」


『先にあの男が死にそうだぞ』


「縁起でもないことを言うな!」


 ラウラの怒声が飛ぶ。


 俺様の胸からは、まだ大量の血が流れていた。


 左手の傷も塞がらない。


《勇者殺し》の力が、肉体だけでなく治癒能力まで破壊しているらしい。


「ご主人様。今、参ります!」


 フィーネが城壁から飛び降りようとする。


「来るな!」


 俺様はヴィオラの剣をつかんだまま叫んだ。


「しかし、その傷では!」


「お前には城主の仕事がある」


 王国軍を見る。


 俺様が膝をついたことで、神殿騎士たちが少しずつ前進していた。


 エレノアが両腕を広げ、行く手を阻んでいる。


「止まってください!」


「退いてください、聖女様!」


「今こそ北方砦を奪還する好機です!」


「これはヴィオラとゼクトの決闘です! ほかの者が介入することは許されません!」


「反逆者との約束など、守る必要はない!」


 神殿騎士の一人が、エレノアへ剣を向けた。


「聖女様も、すでに魔族へ寝返ったのではないか!」


「何を……」


「神殿の命令に背き、単独で北方砦へ向かった! 今も魔族を庇っている!」


 兵士たちが武器を構える。


 エレノア一人では、三千の軍を止められない。


「フィーネ!」


「はい!」


「俺様の城へ、誰にも手を出させるな」


 フィーネの瞳が揺れる。


 傷ついた俺様のもとへ来たいのだろう。


 だが、やがて唇を結び、王国軍へ向き直った。


「承知いたしました、ご主人様」


 フィーネが胸元へ手を当てる。


 青白い紋章が浮かび上がった。


《城主命令を確認》


《不落城主――起動》


 北方砦全体が大きく揺れる。


 青白い光が城壁を走り、地面へ広がっていった。


「ひ、姫殿下?」


 ラウラが驚いた声を出す。


「《不落城主》をお使いになられるのですか?」


「はい」


「ですが、その力は――」


「分かっております」


 フィーネが魔族兵たちを見る。


 昨日、《不落城主》の力によって何度も復活し、魂を削られた兵士たち。


「皆様を戦わせるためには、使いません」


 フィーネは小さな両手を広げた。


「この城を、誰も死なせない場所にするために使います」


《城主の意思を確認》


《防衛対象を再定義》


《北方砦に存在する、すべての生命》


《人間および魔族の区別を破棄します》


 砦の前方にある大地が隆起する。


 王国軍とエレノアの間へ、巨大な黒い壁がせり上がった。


「なっ!?」


「壁が!」


「回り込め!」


 左右へ進もうとした騎士たちの前にも、新たな壁が生まれる。


 乗り越えようと梯子をかければ、壁の高さが増す。


 魔法使いたちが火球を放つと、地面から黒い石柱が飛び出し、空中で受け止めた。


「攻撃ではありません」


 フィーネの声が谷間へ響く。


「皆様を傷つけるつもりもございません」


 地面が開く。


 前列にいた神殿騎士たちが、悲鳴を上げて穴へ落ちた。


 深さは二メートルほど。


 怪我をするほどではないが、重い鎧をまとったままでは這い上がれない。


「お、お助けを!」


「落とし穴ではありませんか!」


「傷つけるつもりはないと言った直後だぞ!」


「申し訳ございません」


 フィーネが丁寧に頭を下げる。


「痛くない深さに調整しております」


「そういう問題ではない!」


「姫殿下、お見事です!」


 ラウラが感動した顔で拍手する。


「敵軍の機動力のみを奪う、完璧な防衛術です!」


「穴に落としているだけだろ」


『極めて効率的だ』


 ケルベロスの右の首が頷く。


『末姫は、すでに城主としての資質を示しておられる』


『次は穴の底へ火を吐くか?』


 左の首が尋ねる。


「絶対にやめてください!」


『では氷か』


「どちらも駄目です!」


 右側へ回り込もうとした騎馬隊の前へ、低い壁が現れる。


 馬だけがその手前で止まり、騎士たちは勢いよく前方へ投げ出された。


「ぐわっ!」


「私の馬が!」


「お怪我はございませんか?」


 フィーネが心配そうに尋ねる。


「誰のせいだと思っている!」


「動かなければ、これ以上は何もいたしません」


 柔らかい口調だが、やっていることは完全な制圧だ。


 王国軍の前方は壁と穴で分断され、一兵も砦へ近づけなくなった。


「ご主人様から、誰にも手を出させるなと命じられました」


 フィーネが胸の前で手を重ねる。


「ですから、人間の方も、魔族の方も、ここでは死なせません」


 城壁の魔族兵たちが、顔を見合わせる。


 やがて一人が武器を下ろした。


 次々に、ほかの兵士も剣や槍を下ろしていく。


 新しい城主の命令に従い、誰一人として王国軍へ攻撃しない。


「まったく……」


 ラウラが《ギロティア》を肩へ担ぐ。


「そのような甘い命令では、戦場を生き残れませんぞ」


「申し訳ございません」


「ですが――」


 ラウラの口元が、わずかに緩む。


「姫殿下がお望みであれば、我々はその甘さごと守りましょう」


「ラウラ様……」


「私が甘い部分を補います。まずは穴へ落ちた騎士たちの上に大岩を――」


「補いすぎです!」


 フィーネの声を聞きながら、俺様は立ち上がった。


 大した奴だ。


 一日も経たず、《不落城主》を自分の力として使い始めている。


「余所見、するな……!」


 ヴィオラの大剣が動く。


 左手から刃が抜け、再び俺様の首を狙った。


 上体を反らしてかわす。


 白銀の刃が、髪を数本切り落とした。


「危ないだろ」


「それを、あたしに言うな!」


 ヴィオラの意識が、まだ一瞬だけ戻っている。


「さっさと……あたしを止めろ!」


「今やっている」


「遅いんだよ!」


「急かすな。女の扱いは丁寧にする主義だ」


「どの口が言ってんだ!」


 ヴィオラの大剣を《王喰らい》で受ける。


 今度はすり抜けない。


 魔剣の黒い靄が《勇者殺し》へ絡みつき、能力の一部を喰らっている。


 だが、押し返せない。


 胸の傷が深すぎる。


 力を込めるたび、傷口から血が溢れた。


「ご主人様!」


 フィーネが俺様へ手を伸ばす。


「治療を試みます!」


「効かないぞ」


「通常の治癒はいたしません」


 フィーネの胸元で、《不落城主》の紋章が輝く。


《城主権限を行使》


《個体名――ゼクト・グランツ》


《北方砦の守護者として登録します》


「誰が守護者だ」


「ご主人様です!」


「城を守った覚えはない」


「今まさに守っておられます!」


「俺様が守っているのは、自分のものだけだ」


「城もご主人様のものなのでしょう?」


「そのとおりだ」


「でしたら、守護者です!」


「うまく言いくるめたな」


「ご主人様にだけは言われたくありません!」


 青白い光が砦から伸び、俺様の身体を包み込む。


《守護者の損傷を確認》


《不落城主による修復を開始します》


 胸の傷が青白い光に覆われた。


 肉がつながり、砕けた骨が音を立てて元へ戻っていく。


 だが、傷の奥に残った白銀の光が修復を妨げる。


《異質な役割による阻害を確認》


《完全修復は不可能です》


「構いません!」


 フィーネが叫ぶ。


「ご主人様が立てるようになるまで、つなぎ止めてください!」


《城主命令を受諾》


 傷口が完全に塞がることはない。


 それでも出血は止まった。


 全身へ、少しずつ力が戻ってくる。


「助かったぞ、フィーネ」


 城壁へ向かって告げる。


 フィーネが目を丸くした。


「ご主人様が、素直にお礼を……」


「不満か?」


「いいえ。ただ、明日は雪が降るかもしれません」


「降らせてやろうか」


「役割を天候操作へ使わないでください!」


 これで動ける。


 俺様は大剣を押し返した。


 ヴィオラの身体が後方へ弾かれる。


 着地と同時に地面を蹴り、再び斬りかかってくる。


《標的の生命活動継続を確認》


《処刑出力を上昇》


 白銀の紋章が輝く。


 ヴィオラの動きが、さらに速くなった。


 上段。


 横薙ぎ。


 突き。


 一撃ごとに急所だけを正確に狙ってくる。


 これまでのヴィオラとは違う。


 こいつの剣は豪快だが、もっと直感的だった。


 相手の動きを見て、その場で最も強い攻撃を叩き込む。


 今の剣には遊びがない。


 正しく、効率的で、つまらない。


「似合っていないぞ」


 大剣を弾く。


「何が……!」


「その剣だ」


 ヴィオラの腹へ蹴りを叩き込む。


 金色の鎧が砕け、身体が折れ曲がる。


「お前の剣は、もっと馬鹿だった」


「褒めてんのか、それ……!」


「褒めている」


「だったら、別の言い方をしろ!」


 ヴィオラが大剣を振るう。


 腕をつかみ、その勢いを利用して地面へ投げつけた。


 轟音。


 大地が大きく陥没する。


 それでも、ヴィオラはすぐに起き上がった。


《肉体損傷を修復》


《戦闘続行》


「しつこい役割だな」


『役割が所有者を生かしているのではない』


 ケルベロスの右の首が言う。


『使命を遂行するまで、肉体を壊すことすら許していないのだ』


 ヴィオラの腕は、不自然な方向へ曲がっていた。


 金色の光が骨を無理やり動かし、元の形へ戻していく。


「ぐ、あああっ!」


 本人の悲鳴を無視し、役割が身体を修復する。


 治しているのではない。


 戦うために、動く形へ戻しているだけだ。


「クラウディア!」


 エレノアが黒い壁の向こうから叫ぶ。


「これでもまだ、役割は人を導くものだと言うのですか!」


 クラウディアは答えない。


 杖を握ったまま、苦痛に歪むヴィオラの顔を見つめていた。


「私は……」


 ようやく、声が漏れる。


「私は、適性を確認しました」


「何の話をしているのです?」


「ヴィオラなら《勇者》の力に耐えられる。ゼクトを連れ戻し、人類を守れる。すべて確認したはずです」


「ヴィオラ自身が何を望んでいるかは、確認したのですか?」


「それは……」


「役割の適性ばかりを見て、その人自身を見ていなかったのではありませんか!」


 クラウディアの手が震える。


「役割は、女神様が授けてくださるものです」


 自分へ言い聞かせるように呟く。


「人々を正しい未来へ導くために……」


『ならば、よく見ろ』


 ケルベロスの中央の首が、静かな声で告げた。


『それが、お前の信じた正しい未来です』


 ヴィオラが涙を流しながら、大剣を振り上げている。


 自分の意思で身体を止めようとしているのか、全身の筋肉が震えていた。


 皮膚が裂け、血が流れる。


 それでも役割は止まらない。


「違う……」


 クラウディアが首を横へ振る。


「女神様が、このようなことを望まれるはずが……」


「クラウディア」


 俺様はヴィオラと剣を交えたまま呼びかける。


「お前は頭がいい」


「……何ですか、急に」


「だが、自分の目で考えるのは苦手らしいな」


 クラウディアの顔が強張る。


「何が言いたいのです」


「見たままだ」


 ヴィオラの剣を弾き、顔面を殴る。


 加減はした。


 鼻血を出したヴィオラが、大地の上を何度も転がっていく。


「お前の信じた役割は、ヴィオラを壊している」


「役割そのものが悪いとは限りません!」


 クラウディアが反射的に反論する。


「継承儀式に、何者かが細工をした可能性があります。《勇者殺し》が混入したことで、《勇者》まで異常を起こしただけかもしれない!」


「そうかもしれないな」


「でしたら――」


「だが、今ヴィオラを苦しめているものを信じ続ける理由になるのか?」


 クラウディアが言葉を失う。


 正解を出す必要はない。


 自分で考えればいい。


 俺様は地面を蹴った。


 ヴィオラが立ち上がるより先に、その胸元へ《王喰らい》を突き立てる。


 肉体は刺さない。


 二つの紋章の間へ、漆黒の切っ先を触れさせる。


「喰え!」


 黒い靄が、爆発するように広がった。


《神聖接続への重大な損傷を確認》


《外部供給が遮断されます》


《緊急修復――失敗》


《勇者殺しの出力低下》


 ヴィオラを包んでいた白銀の光が、一気に弱まる。


 金色の紋様も薄くなった。


 《王喰らい》が、女神と役割をつなぐ見えない糸へ牙を立てている。


「ヴィオラ!」


 名前を呼ぶ。


 金色に染まっていた瞳へ、赤い色が戻った。


「ゼク、ト……?」


「いつまで寝ている」


「寝てねえよ……。こっちはずっと、必死で……」


「では起きろ」


「無茶、言うな……」


 ヴィオラの腕が、再び大剣を持ち上げようとする。


 役割の支配は消えていない。


 世界との接続を弱めただけだ。


 最後は、こいつ自身が勝たなければならない。


「お前は《勇者》に負けたのか?」


「違う……」


「では《勇者殺し》に負けたか?」


「違う!」


「なら、その剣を下ろせ」


「できたら……とっくに、やってる!」


 大剣が俺様の肩へ迫る。


 俺様は避けず、その柄を握るヴィオラの両手をつかんだ。


「ヴィオラ」


「何だよ……!」


「俺様と戦った結果はどうだった?」


「今それを聞くのか!?」


「ああ」


「見れば分かるだろ! お前は血だらけで、あたしの剣を止めるので精一杯だ!」


「つまり、お前の勝ちか?」


 ヴィオラが口を開く。


 だが、言葉は出なかった。


 役割は、それを望んでいる。


 俺様を殺し、勇者として勝利しろと命じている。


「違うだろ」


「うるせえ……」


「お前の剣は俺様を殺せなかった」


「まだ、終わってねえ……!」


「お前自身が殺す気を失った時点で、勝負は終わっている」


「勝手に決めんな……」


「では、お前が決めろ」


 ヴィオラの顔を覗き込む。


「剣姫ヴィオラ・レイヴァン。お前は、俺様に勝ったのか?」


「……」


《回答を禁止します》


《所有者の発声機能を制限》


 ヴィオラの喉へ白銀の紋様が浮かび上がる。


 声を出そうとするたび、首が締めつけられていく。


「ぐっ……!」


「女の口まで塞ぐとは、無礼な役割だな」


 《王喰らい》をヴィオラの喉元へ当てる。


「そこも喰え」


 黒い靄が白銀の紋様へ食らいつく。


《発声制限に異常を確認》


《所有者の意思を再封鎖します》


「させるか!」


 ヴィオラが自分の右腕へ噛みついた。


 痛みによって、消されようとする意識をつなぎ止める。


「ゼクト……!」


「ああ」


「むかつくし、女を見ればすぐ口説くし、人の話を全然聞かねえし……!」


「急に褒めるな」


「一つも褒めてねえ!」


 ヴィオラが血を吐きながら叫ぶ。


「今度こそ、ぶっ飛ばしてやろうと思ってた!」


「できなかったな」


「うるせえ!」


 大剣を握る指が、一本ずつ開いていく。


 役割へ抵抗し、自分の意思で武器を手放そうとしている。


「あたしは、お前を守るために勇者になった!」


「ああ」


「なのに、守るどころか……こんな傷をつけて……!」


「この程度なら問題ない」


「問題あるだろ! 胸が半分裂けてたんだぞ!」


「フィーネが直した」


「まだ血だらけじゃねえか!」


 ヴィオラが泣いている。


 だが、今度の涙は役割に流させられたものではない。


「本当に……いつも、あたしの思いどおりにならねえ……!」


「当然だ。俺様だからな」


「だから……」


 ヴィオラの手から、大剣が落ちた。


 重い音を立て、地面へ転がる。


《武装放棄を確認》


《戦闘行動を強制――失敗》


《所有者の意思を再封鎖――失敗》


 ヴィオラが顔を上げる。


「だから、あたしの負けだ」


 赤い瞳で、真っ直ぐに俺様を見た。


「あたしはお前に勝てなかった」


 白銀の紋様へ亀裂が入る。


「剣姫ヴィオラ・レイヴァンは――ゼクト・グランツに負けた!」


 周囲から音が消えた。


 俺様の前へ、黒い文字が浮かび上がる。


《対象が敗北を承認しました》


《勝利条件達成》


《対象の役割――勇者》


《役割を接収しますか?》


 その下へ、新たな文字が現れる。


《対象の魂に偽装された役割を検出》


《役割――勇者殺し》


《同時接収が可能です》


《両役割を接収しますか?》


「当然だ」


 ヴィオラの肩を抱き、宣言する。


「両方とも俺様がもらう」


《役割――勇者》


《役割――勇者殺し》


《接収完了》


 ヴィオラの身体から、金色と白銀の光が抜け出した。


 二つの光が俺様の左手へ集まる。


 手の甲に、《勇者》と《勇者殺し》の紋章が同時に刻まれた。


 ヴィオラの全身から力が抜ける。


 地面へ倒れる前に、片腕で抱き止めた。


「俺様の女に、余計なものを入れるな」


 白銀の光が完全に消える。


 ヴィオラは俺様の腕の中で、薄く目を開けた。


「誰が……お前の女だ……」


「まだ、が抜けているぞ」


「永遠に……なるか……」


 それだけ言い残し、ヴィオラは意識を失った。


「答えまでラウラと同じだな」


 抱き上げる。


 軽い。


 普段から大剣を振り回しているとは思えないほどだ。


「ゼクト!」


 エレノアが黒い壁の横を回り込み、こちらへ駆けてくる。


「ヴィオラは!?」


「寝た」


「それは見れば分かります! 命に別状はないのですか?」


「俺様が殺すと思うか?」


「普段の言動を考えると不安です!」


「俺様は美人を殺さない」


「美人でなければ殺すのですか!?」


「敵ならな」


「安心できる部分が一つもありません!」


 エレノアがヴィオラの首元へ触れる。


 脈を確かめ、胸へ耳を当てた。


「生きています……」


「だから言っただろ」


「あなたも重傷です!」


 エレノアが俺様の胸へ手を伸ばす。


「触りたいなら、先に俺様の女になれ」


「治療です!」


「衣服を脱ぐ必要はあるか?」


「あります!」


「では仕方ない」


「なぜ嬉しそうなのですか!」


 エレノアの両手から、白い光が溢れる。


 だが、その光が胸の傷へ触れた瞬間。


 左手に刻まれた《勇者殺し》が輝いた。


 激痛が全身を貫く。


「ぐっ……!」


「ゼクト!?」


 同時に《勇者》の紋章も反応する。


《勇者殺しが標的を確認》


《所有者内部に勇者の残滓を検出》


《現在保有中の役割――勇者》


《殺害対象と所有者が同一です》


《処理矛盾が発生》


 金と白銀の光が、左腕の中で衝突した。


 皮膚が裂け、血が噴き出す。


「何が起きているのです!」


『相反する役割を同時に取り込んだ反動だ!』


 ケルベロスの右の首が答える。


『《勇者殺し》が、自らの所有者を殺そうとしている!』


「ご主人様、すぐにどちらかを手放してください!」


「嫌だ」


「命が危険なのですよ!」


「一度もらったものを、捨てる必要がどこにある」


『今まさに貴様を殺そうとしているのだぞ!』


「躾が必要なだけだ」


 左手を強く握る。


「《勝者権限》」


 黒い文字が現れる。


《保有役割の操作を開始》


《役割――勇者殺し》


《封印しますか?》


「封印する」


《役割――勇者殺し》


《封印完了》


 白銀の紋章へ、黒い鎖が巻きついた。


 暴れていた光が消える。


 残った《勇者》の紋章も、ゆっくりと静まった。


「役割まで力ずくで黙らせた……」


 エレノアが呆然と俺様を見る。


「俺様のものになったなら、俺様に従うのは当然だ」


「普通は役割に所有者が従うものです」


「だから駄目なんだ」


 俺様は左手の紋章を見下ろす。


「道具が持ち主を選ぶな」


 背中の《王喰らい》が、小さく震えた。


「お前にも言っている」


 魔剣が即座に静かになる。


 聞き分けのよい道具が増えて助かる。


     ◇


 ヴィオラから《勇者》が失われたことで、王国軍の戦意は大きく揺らいでいた。


「勇者様が敗れた……」


「役割を奪われたぞ」


「あの男は何者なんだ……?」


「元勇者です」


「それは知っている!」


 兵士たちの話し声が聞こえる。


 クラウディアは動かなかった。


 青ざめた顔で、俺様の腕に抱かれたヴィオラを見つめている。


「クラウディア」


 エレノアが彼女へ呼びかける。


「撤退命令を出してください」


「……」


「これ以上、戦う理由はありません」


「北方砦は、まだ奪還できていません」


「ヴィオラが役割に殺されかけたのですよ!」


「分かっています!」


 クラウディアが初めて声を荒らげた。


 自分でも驚いたらしく、すぐに口を閉じる。


「分かって……います」


 杖を握る指が、白くなるほど力んでいた。


「ですが、役割そのものが間違っていたと決まったわけではありません。《勇者殺し》が混入したことで、異常が生じた可能性もあります」


「誰が混入させたのです?」


「それは……神殿へ戻って調べます」


「女神様が与えた可能性は、考えないのですか?」


「ありません」


 クラウディアは即答した。


 だが、その声に以前の確信はなかった。


「女神様は、人類を守るために役割をお与えくださる方です。このようなことをなさるはずがありません」


「だったら調べろ」


 俺様が言う。


 クラウディアがこちらを向いた。


「お前が正しいと思うなら、それを証明してみろ」


「あなたに言われなくても、そのつもりです」


「では早く帰れ」


「なぜあなたに命令されなければならないのですか!」


「帰らないなら全員もらうぞ」


「何をです?」


「お前と、兵士と、武器と、馬だ」


「王国軍を丸ごと戦利品にしないでください!」


 クラウディアが怒鳴る。


 いつもの調子が少し戻ったな。


「それとも、お前だけ残るか?」


「残りません!」


「残念だ」


「本当にそう思っている顔をしないでください!」


 クラウディアが大きく息を吸う。


 それから杖を掲げた。


「王国軍へ命じます。負傷者を回収し、王都へ撤退してください」


「しかし、賢者様!」


「これは命令です」


 騎士たちが不満そうにしながらも、武器を下ろす。


 穴に落ちた兵士たちは、自力で出られず助けを求めていた。


「フィーネ」


 俺様は城壁を見上げる。


「出してやれ」


「承知いたしました」


 フィーネが《不落城主》へ命じる。


 穴の底がゆっくりと持ち上がり、騎士たちを地上へ押し戻した。


「助かった……」


「ありがとうございます、姫殿下」


「礼を言うな! 敵だぞ!」


「ですが、穴から出していただいたので……」


「落としたのもあの少女だ!」


 王国軍の中で言い争いが始まる。


「人間も魔族も、大して変わらないな」


 ラウラが呆れたように呟いた。


『我々の方が統率されている』


 ケルベロスの左の首が胸を張る。


『昨日まで、お前たちも末姫へ剣を向けていただろう』


 右の首が指摘した。


『今は従っている!』


『ならば人間側も明日には従う可能性がある』


『あるか!』


「どちらも静かにしろ!」


 ラウラの怒声が響く。


 撤退を始める王国軍の中から、クラウディアがこちらを見る。


「ゼクト」


「何だ?」


「ヴィオラを返してください」


「嫌だ」


「彼女は王国の剣姫です!」


「今は役割もない。ただのヴィオラだ」


「だからといって、あなたが所有してよい理由にはなりません!」


「敗者は勝者のものだ」


「その理屈はどこの国でも通用しません!」


「俺様の国では通用する」


「建国前に法律を作らないでください!」


 腕の中で、ヴィオラが小さく身じろぎした。


「うるせえ……」


 薄く目を開ける。


「ヴィオラ!」


 クラウディアの表情が明るくなった。


「大丈夫ですか? 今、そちらへ――」


「来るな……」


 ヴィオラの声は弱い。


 それでも、はっきりとクラウディアを拒んだ。


「え……?」


「あたしに、あれを入れた奴が分かるまで……神殿には戻らねえ」


「ですが!」


「また同じことになったら、今度こそゼクトを殺すかもしれない」


 ヴィオラが俺様の胸の傷を見る。


 その顔が苦しそうに歪んだ。


「お前が、悪いわけではありません」


「そう言われても、あたしが斬ったことは変わらねえ」


「それは――」


「ヴィオラは俺様が預かる」


 俺様はクラウディアを見据えた。


「役割を仕込んだ奴が文句を言ってきたら、連れてこい」


「どうするつもりです?」


「そいつも叩きのめす」


「相手が女神様でも?」


「美人なら口説いてから決める」


「そこは即答しないのですね!」


 エレノアが思わず叫ぶ。


「ご主人様!」


 城壁からフィーネの声も飛んでくる。


「女神様まで増やすおつもりですか!」


「まだ会っていないから決めていない」


「会えば決めるような言い方をしないでください!」


「安心しろ。お前を一番最初に魔王にする約束は守る」


「順番の問題ではございません!」


 クラウディアがこめかみを押さえた。


「女神様へ不敬を働く前に、必ず止めます」


「楽しみにしているぞ」


「挑戦状ではありません!」


 王国軍は、来たときよりも遥かに重い足取りで谷を引き返していく。


 クラウディアも何度か振り返ったが、やがて兵士たちと共に姿を消した。


 残ったのはエレノアと、俺様の腕の中にいるヴィオラだけだ。


「エレノア。お前は帰らないのか?」


「負傷者を置いて帰れると思いますか?」


「俺様と一緒にいたいのか」


「違います」


「ではヴィオラと一緒にいたいのか?」


「それは否定しません」


「残念だ」


「なぜです?」


「俺様の女になる決心をしたのかと思った」


「していません!」


「今日も駄目か」


「毎日確認するつもりですか!?」


「ラウラにも聞いている」


「本当に毎日聞いていたのか、貴様!」


 ラウラが《ギロティア》を手に迫ってくる。


 まだ朝だというのに、随分と疲れた。


「フィーネ。部屋を用意しろ」


「ヴィオラ様とエレノア様のお二人分ですね」


「一部屋でいい」


「なぜです?」


「俺様の部屋だからだ」


「三名を同じ部屋へ入れるつもりですか!?」


「広いから問題ない」


「広さの問題ではございません!」


「姫殿下。この男の部屋から最も遠い二部屋を用意しましょう」


 ラウラが即座に提案する。


「待て」


「貴様に決定権はない!」


「ここは俺様の城だ」


「城主は姫殿下だろう!」


「都合のいいときだけ、私を城主にしないでください!」


 フィーネの声が朝の谷間へ響いた。


     ◇


 同じ頃。


 遥か北方にそびえる魔王城。


 玉座の間には、無数の黒い結晶が浮かんでいた。


 その中央で、一ノ瀬美兎は膝をついている。


「美兎!」


 皇蓮が彼女の身体を抱き起こす。


「しっかりしろ!」


「大丈夫……」


 美兎は笑おうとした。


 だが、その口元から黒い霧が漏れる。


 白い首筋には、これまで存在しなかった黒い紋様が浮かび上がっていた。


 紋様は胸元から頬へ向かい、少しずつ身体を覆っている。


 玉座の上に浮かぶ黒い文字が、不吉な光を放つ。


《異界魔王侵食率――七十二%》


《所有者の人格が、規定値を超えて抵抗しています》


《魔王としての精神構造へ修正を開始》


「また、上がっている……」


 美兎が黒い文字を見上げる。


「昨日までは、六十六%だったのに」


「ゼクトのせいか?」


「違うと思う」


 美兎は首を横へ振った。


「たぶん、ヴィオラさんに《勇者》が渡ったから」


「どういうことだ」


「新しい勇者が生まれたから、《異界魔王》も物語を進めようとしてる」


 黒い結晶の中へ、北方砦の映像が映し出される。


 ゼクトがヴィオラから《勇者》を奪った瞬間。


 映像が大きく乱れた。


《勇者の所在に異常を確認》


《討伐物語の進行が阻害されています》


《魔王側の強制力を上昇》


「うっ……!」


 美兎が頭を押さえた。


 黒い紋様が頬まで広がる。


 穏やかだった茶色の瞳が、一瞬だけ血のような赤へ変わった。


「人間を……殺せ」


 美兎の口から、別人のような声が漏れる。


「美兎!」


「魔王軍を率い、王国を滅ぼせ。勇者を迎え撃ち、その手で――」


「戻ってこい!」


 皇蓮が美兎の肩を強く抱く。


 彼女の瞳が茶色へ戻った。


「蓮、くん……?」


「ああ。俺だ」


「ごめん……」


「謝るな」


 美兎は皇蓮の胸へ顔を埋める。


 細い身体が震えていた。


「もう、長くないかもしれない」


「そんなことを言うな」


「次に侵食率が上がったら、私はきっと、人間を殺せって命令する」


「従わない」


「魔族の人たちにも、無茶な戦いをさせるかもしれない」


「俺が止める」


「蓮くんのことも、殺そうとするかもしれない」


「それでも止める」


 美兎が顔を上げた。


 その目には、涙が浮かんでいる。


「お願いがあるの」


「何だ?」


「私が、私じゃなくなったら――」


 美兎の手が、皇蓮の黒い鎧へ触れる。


「蓮くんが、私を殺して」


「断る」


 皇蓮は迷わなかった。


「でも!」


「ゼクトと同じ答えになるのは気に入らないが、俺もお前を死なせない」


「どうするの?」


「分からない」


「分からないのに断ったの!?」


「方法はこれから考える」


 美兎が一瞬、呆れた顔をする。


 それから、小さく笑った。


「本当に、あの人と同じこと言ってる」


「一緒にするな」


「でも、少しだけ安心した」


 皇蓮が美兎を抱き締める。


「必ず助ける」


「うん」


 玉座の黒い文字が、再び明滅する。


《異界魔王侵食率――七十三%》


 美兎の笑顔が凍りついた。


 魔王城の最上部。


 巨大な鐘が、誰の手にも触れられず鳴り始める。


 それは魔王の完全覚醒が近いことを、魔王領全土へ告げる鐘だった。

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