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第五話 新しい勇者になった剣姫が、泣きながら俺様を斬った

 翌朝。


 北方砦の城壁に、三つの頭を持つ巨大な魔獣が引っかかっていた。


『狭い!』


 ケルベロスの左の首が怒鳴る。


『我らを通すのであれば、もっと大きく門を開けろ!』


「これ以上は開かん!」


 城門の上から、ラウラが怒鳴り返した。


「そもそも、なぜ正門を通ろうとした! 貴様なら城壁を飛び越えられるだろう!」


『末姫と同じ門を使いたかったのです』


 中央の首が申し訳なさそうに答える。


 城門を通ろうとしたケルベロスは、三つの頭と両肩を見事に挟まれていた。


 前にも進めず、後ろにも戻れない。


 巨大な尻だけが砦の外へ突き出し、尻尾が苛立たしげに地面を叩いている。


『事前の計測が不十分だった』


 右の首が冷静に分析する。


『門の横幅は我々の肩幅より、およそ一・七メートル狭い』


『なぜ入る前に気づかなかった!』


『中央が行けると言った』


『末姫がお通りになれたのですから、私たちも通れると思いました』


『体格差を考えろ!』


「朝から何をしているんだ、お前たちは」


 俺様は城壁の上から見下ろした。


 隣に立つフィーネは、困ったようにケルベロスを眺めている。


「ご主人様。助けて差し上げられませんか?」


「自分で入ったんだ。自分で出るだろ」


『出られないから困っている!』


「では、そのまま門になれ」


『我らを城門として扱うな!』


「立派な番犬ですね」


「姫殿下まで!?」


 左の首が衝撃を受けた顔でフィーネを見た。


「あ、いえ。その……」


 フィーネが慌てて手を振る。


「ご主人様がおっしゃったので、つい」


『末姫が、この男へ毒されている……!』


「毒とは失礼だな」


『貴様以外に誰がいる!』


 俺様は城壁から飛び降りた。


 ケルベロスの前へ着地し、中央の頭を両手で押す。


『待て。何をするつもりだ』


「助けてやる」


『本当か?』


「ああ」


 力を込める。


 ケルベロスの巨体が、城門の間へ少しずつ押し込まれていく。


『逆だ!』


「あと少しだ」


『進めるな! 戻せ!』


『左の兄様、顔を押しつけないでください!』


『右、そちらへ寄れ!』


『物理的に不可能だ』


 三つの首が重なり合い、巨大な身体が城門へめり込んだ。


 黒い石壁に亀裂が走る。


 青白い光が亀裂を修復するが、俺様が押す速度の方が速い。


「やめろ、ゼクト!」


 ラウラが城壁から飛び降りる。


「砦を破壊するな!」


「直るから問題ない」


「修復にも限度がある!」


「では、お前も押せ」


「なぜ私が!」


「早くしないと城門が壊れるぞ」


「壊しているのは貴様だ!」


 文句を言いながらも、ラウラはケルベロスの肩へ手を当てた。


「姫殿下! 危険ですので離れていてください!」


「私もお手伝いいたします」


「なりません!」


 フィーネが中央の鼻先へ両手を添える。


「ケルベロスさん。少しだけ我慢してください」


『末姫のためであれば、いかなる苦痛にも耐えて――』


「押します」


『待ってください! 心の準備が!』


「せーの」


 俺様とラウラとフィーネが、同時に押した。


『『『ぐおおおおおっ!?』』』


 轟音とともに、城門の両脇が弾け飛んだ。


 ケルベロスの巨体が砦内へ転がり込む。


 三つの首が絡まり、兵舎の前まで地面を滑っていった。


 崩れた城門が青白い光に包まれ、ゆっくりと修復されていく。


「入れたな」


『門を壊して通過しただけではないか!』


「細かい奴だ」


『細かくない!』


 左の首が怒鳴る。


 中央の首は、鼻先に触れたフィーネの手を名残惜しそうに見つめている。


 右の首だけが修復中の門を観察していた。


『次回以降は、城壁を越える方が効率的だ』


『最初からそうしろ!』


「皆様、朝食のご用意ができております」


 フィーネが告げると、三つの首が同時に食堂の方を向いた。


『朝食ですか』


「はい。皆様で召し上がってください」


『我らの分も?』


「もちろんです」


 中央の首の尻尾が激しく動く。


 すぐ後ろにいた魔族兵三人が、まとめて吹き飛ばされた。


「尻尾を振るな!」


 ラウラが《ギロティア》を抜く。


『敵意はない』


「敵意がなければ兵士を飛ばしてよいと思っているのか!」


『お前たちも、我らを押し込む際に兵士を巻き込んでいた』


「それはゼクトのせいだ!」


「俺様は悪くない」


「貴様が押し始めたのだろうが!」


 騒がしい朝だ。


 城を手に入れると、静かに眠ることも難しくなるらしい。


 やはり管理をフィーネへ任せたのは正解だった。


     ◇


 大広間には、焼いた黒パンと野菜のスープが並べられていた。


 兵士たちが長机を囲み、その中央にはケルベロス用の巨大な鍋が置かれている。


 三つの首が、一つの鍋を覗き込んだ。


『少なくないか?』


「百人分ございます」


 フィーネが答える。


『我らは三つ首だ』


「身体は一つですよね?」


『胃も一つだ』


 右の首が言う。


『ならば問題ないか』


 中央の首が頷く。


『待て!』


 左の首が二つの兄妹を睨んだ。


『我の取り分はどうなる!』


『同じ胃へ入る』


『口が違う! 味わう権利は三等分されるべきだ!』


『では、交代で食べればよい』


『最初は我だ!』


『反対だ。お前は勢い余って鍋ごと食う可能性がある』


『我を何だと思っている!』


「大きなわんちゃんです」


 フィーネが素直に答えた。


『末姫!?』


 大広間に笑い声が広がる。


 昨日までケルベロスを恐れていた兵士たちも、すっかり慣れ始めていた。


 左の首は不満そうに唸ったが、フィーネへ怒鳴ることはできないらしい。


「フィーネ。俺様の肉は?」


 自分の皿を見る。


 黒パンとスープしか載っていない。


「昨日、保存食を節約すると決めました」


「俺様は狩りへ行かせればいいと言ったはずだ」


「狩猟部隊の編成には時間が必要です」


「目の前に獲物を見つけるのが得意そうな奴がいるだろ」


『我らを便利な猟犬として使うつもりか!』


「番犬よりは格好いいぞ」


『……一理ある』


「納得するな!」


 中央の首がフィーネへ顔を寄せる。


『末姫がお望みであれば、山中の獲物をすべて献上いたします』


「すべて狩ってはいけません。必要な分だけお願いいたします」


『承知しました』


「俺様の肉も忘れるな」


『貴様には骨で十分だ』


「犬が骨を譲ってくれるのか」


『だから犬ではない!』


 左の首が吠えた瞬間。


 砦全体へ、低い鐘の音が響いた。


 一度。


 二度。


 三度。


 大広間から笑い声が消える。


 ラウラが立ち上がった。


「敵襲の鐘だ」


 食事中だった魔族兵たちが、一斉に武器へ手を伸ばす。


 俺様は残っていたスープを飲み干した。


「思ったより早かったな」


 昨夜、エレノアが警告した王国軍。


 新たな《勇者》と、俺様を殺すための役割。


「ご主人様」


 フィーネが不安そうに俺様を見る。


「お食事は、もうよろしいのですか?」


「肉がなかったからな」


「そうではなく、敵の方々が……」


「ちょうど腹ごなしになる」


「スープしか召し上がっておりません」


「では軽い運動だ」


 立ち上がり、《王喰らい》を背負う。


 漆黒の刀身が、朝の光を吸い込んだ。


「見に行くぞ」


     ◇


 北方砦の南側。


 谷を埋め尽くすように、王国軍が並んでいた。


 白銀の鎧をまとった神殿騎士。


 王国旗を掲げる正規兵。


 その数、およそ三千。


 先頭には、三人の女が立っている。


 一人は昨夜から砦に残っていたエレノア。


 彼女は城門の外へ出て、両軍の間に立っている。


 その向こうにいるのは、クラウディア。


 青い外套をまとい、杖を手にした賢者は、冷たい表情で北方砦を見上げていた。


 そして中央。


 金色の鎧を身につけた女剣士がいる。


 短い赤髪。


 引き締まった長身。


 肩へ担いだ大剣と、獣のように鋭い赤い瞳。


 剣姫ヴィオラ・レイヴァン。


 その右手には、俺様が以前持っていたものと同じ紋章が刻まれている。


《勇者》


「似合っていないな!」


 俺様は城壁の上から声をかけた。


「誰が似合ってないって!?」


 ヴィオラが即座に怒鳴り返す。


「その金色の鎧だ。お前には赤か黒の方が似合う」


「そこかよ!」


「胸元も窮屈そうだな」


「どこ見てんだ、馬鹿!」


 ヴィオラが胸当てを片手で隠す。


 以前より分厚い鎧だが、隠し切れていない。


「新しい勇者の鎧だろ。もっと胸の大きさに合わせて作らせろ」


「急ごしらえなんだから仕方ないだろ!」


「ヴィオラ」


 クラウディアが冷たい声を出す。


「敵との無駄話は慎んでください」


「分かってる!」


「敵とは心外だな。昨日まで仲間だっただろ」


「あなたが魔族の砦を占拠した時点で、王国に対する明確な反逆です」


「俺様がもらっただけだ」


「他国の軍事拠点を武力で奪うことを、占領と呼ぶのです」


「占領したのはフィーネだ」


「私ですか?」


 隣にいたフィーネが目を丸くする。


「城主はお前だからな」


「責任まで譲渡しないでください!」


「役割と一緒に渡した」


「そのような説明は受けておりません!」


 クラウディアが額を押さえた。


「緊張感というものがないのですか、あなたたちは」


「お前もこちらへ来れば楽しいぞ」


「行きません」


「では、砦を奪ってから考え直せ」


「なぜ私たちが奪う側なのですか!」


 いつものクラウディアだ。


 冷たい顔をしているが、俺様の言葉へ律儀にすべて答える。


 ヴィオラも同じだ。


 勇者の紋章を持っていても、中身まで変わったようには見えない。


「ゼクト!」


 両軍の間に立ったエレノアが声を上げた。


「昨夜、逃げるように言ったはずです!」


「断ったはずだ」


「一度くらい人の忠告を聞いてください!」


「俺様が聞きたいと思う忠告をしろ」


「それでは忠告になりません!」


「エレノア」


 クラウディアが彼女へ杖を向ける。


「そこを退いてください。あなたは昨夜、命令に背いて単独行動を取りました。今ならまだ、不問にできます」


「退きません」


 エレノアは両腕を広げた。


「北方砦の兵士たちには、戦う意思がありません。ゼクトも魔族へ寝返ったわけではありません。話し合うべきです」


「事実として、彼は魔王軍の要塞と兵力を掌握しています」


「掌握しているのは、フィーネです」


「より悪いでしょう。その少女は魔王王統の生き残りです」


 兵士たちの間に動揺が広がる。


 フィーネの出自を、王国軍の全員が知っていたわけではないらしい。


 クラウディアは構わず続ける。


「フィーネ・ルクレティア・セレス・アステリア・ヴァル=ノクティス。先代魔王の血を引く、最後の王女」


 王国軍の視線が、一斉にフィーネへ集まった。


 フィーネが俺様の外套をつかむ。


 その指が、わずかに震えていた。


「顔を上げろ」


「ご主人様……」


「お前の城だ。城主が隠れるな」


 フィーネは俺様を見上げた。


 やがて外套から手を離し、一歩前へ出る。


 城壁の上に並んだ魔族兵たちが、フィーネへ視線を向けた。


 昨日、敵として戦った者たち。


 その傷をフィーネが治し、食事と寝床を与えた。


「私は、王家の血を引いているそうです」


 フィーネの声は小さい。


 だが、谷間にいる全員が耳を傾けていた。


「ですが、そのことを理由に、人間の皆様と争うつもりはございません」


「では砦を明け渡しなさい」


 クラウディアが告げる。


「魔族兵を武装解除し、あなたは王国の保護を受けるのです」


「保護、ですか?」


「魔王王統の力は危険です。適切な場所で管理される必要があります」


「首輪を別のものへ付け替えるだけだな」


 俺様が口を挟む。


 クラウディアの眉が動いた。


「奴隷として所有しているあなたが、それを言いますか」


「俺様は危険だから閉じ込めるとは言っていない」


「俺様の城を管理しろとはおっしゃいました」


「適材適所だ」


「フィーネへ仕事を押しつけているだけではありませんか!」


 エレノアの指摘に、フィーネが困った顔で頷いた。


「否定はできません」


「お前まで何を言っている」


「事実ですので」


 城壁の魔族兵たちから、小さな笑いが漏れる。


 緊張していたフィーネの表情も、少しだけ柔らかくなった。


 それから彼女は、城壁の下にいるクラウディアを見た。


「それでも、私はこの城を明け渡しません」


 声はまだ震えている。


 だが、逃げなかった。


「ここには、昨日傷ついた方々がいます。眠っている方も、まだ治療が必要な方もいます」


「彼らは魔王軍の兵士です」


「今は、私の城の民です」


 俺様は思わず笑った。


 悪くない答えだ。


「私は、この方々を置いていけません」


「ならば、あなたも討伐対象になります」


「クラウディア!」


 エレノアが振り返る。


「それが《賢者》としての判断ですか!」


「王国と人類を守るための判断です」


「何もしていない少女を殺すことが、人類を守ることになるのですか!」


「次代の魔王になる可能性があります」


「可能性だけで命を奪うつもりですか!」


「感情論で軍を動かすことはできません」


 二人の声が谷間へ響く。


 ヴィオラは黙ったまま、フィーネを見上げていた。


 やがて大剣を地面へ突き立てる。


「もういい」


「ヴィオラ?」


「軍をぶつける必要はない」


 ヴィオラが前へ出る。


 右手の《勇者》の紋章が、朝日に輝いた。


「ゼクト。あたしと一対一で戦え」


「いいぞ」


 即答する。


「少しは条件を聞いてください!」


 フィーネが俺様の腕をつかんだ。


「俺様が勝つから問題ない」


「相手は昨日までのお仲間ですよね?」


「ああ」


「その方と戦うことに、もう少し葛藤などは……」


「ヴィオラとは何度も戦っている」


「稽古と戦争は違います!」


 城壁の下で、ヴィオラが顔をしかめる。


「本当に変わってねえな、お前」


「お前は服装の趣味が悪くなったな」


「まだ鎧の話をしてんのか!」


「脱げば元に戻るぞ」


「この状況で女を脱がそうとするな!」


 ヴィオラが大剣を引き抜く。


 金色の魔力が、その身体から立ち上った。


「条件は単純だ。あたしが勝ったら、砦を明け渡せ。フィーネと魔族兵の命は保証させる」


「俺様が勝ったら?」


「王国軍は撤退する」


「それだけか?」


「それだけって、他に何を要求するつもりだ」


「お前が俺様の女になる」


「ならねえよ!」


「では俺様の部下になれ」


「もっと嫌だ!」


「難しい女だな」


「戦争の条件に求婚を混ぜるお前がおかしいんだ!」


 ヴィオラの顔は赤い。


 いつも通りの反応だ。


 だが、その右手だけが強く震えていた。


 俺様は城壁から飛び降りる。


「ご主人様!」


「そこで見ていろ、フィーネ」


「ですが――」


「城主には城主の仕事がある」


 振り返り、フィーネへ告げる。


「誰にも手を出させるな」


 フィーネは胸元で拳を握った。


 それから、しっかりと頷く。


「承知いたしました」


「ラウラ。フィーネを守れ」


「言われるまでもない」


『我らもおります』


 ケルベロスが城壁の上から三つの首を突き出した。


『末姫へ近づく者は、我らが喰らう』


「殺してはいけません」


『では、噛んでから吐き出します』


「できれば噛まないでください」


『難しい命令だ』


「簡単だろ!」


 左の首が中央へ怒鳴る。


 俺様は王国軍の前へ歩いていく。


 エレノアが進路を塞いだ。


「ゼクト。本当に戦うつもりですか?」


「そのために来た」


「ヴィオラは、あなたを殺したくありません」


「見れば分かる」


 大剣を構えたヴィオラは、今にも襲いかかってきそうな顔をしている。


 しかし、俺様を見る瞳には迷いがあった。


「どうして彼女が《勇者》を引き受けたのか、分かっていますか?」


「さあな」


「あなたを守るためです」


 エレノアの言葉に、ヴィオラの肩が跳ねた。


「エレノア!」


「隠しても意味がありません」


 エレノアは真っ直ぐに俺様を見る。


「神殿は、別の者へ《勇者》を与えようとしていました。その者なら、命令どおりにあなたを殺すでしょう。だからヴィオラが、自分から役割を引き受けたのです」


「余計なこと言うな!」


「本当か?」


 ヴィオラは顔を背けた。


「別に、お前のためじゃねえ」


「俺様のためだと言ったぞ」


「違う! 知らない奴が《勇者》になって、好き勝手するのが気に入らなかっただけだ!」


「やはり俺様のためだな」


「なんでそうなる!」


「照れるな。可愛いぞ」


「照れてねえ!」


 ヴィオラが大剣の切っ先を俺様へ向ける。


 耳まで赤くなっている。


「お前を説得して連れ帰る。そのために《勇者》になった。あたしなら、お前とまともに戦えるからな」


「俺様に勝てると思っているのか?」


「思ってねえよ」


 ヴィオラは即答した。


 王国軍の間にざわめきが広がる。


「勇者が戦う前から負けを認めるな!」


 後方の騎士が怒鳴った。


「うるせえ! こいつと何年一緒にいたと思ってる!」


 ヴィオラが後ろへ怒鳴り返す。


「真正面から戦って勝てるなら、あたしがとっくにぶっ飛ばしてる!」


「何度挑んでも勝てなかったな」


「ゼロ勝二百七十二敗だ!」


「二勝ではなかったか?」


「二回は酒の早飲みだろうが!」


「あれも勝負だ」


「剣の話をしてんだよ!」


 クラウディアの額に青筋が浮かんでいる。


「ヴィオラ。あなたは新たな勇者です。もう少し威厳を持ってください」


「こいつを相手に、どうやって威厳を保てっていうんだ!」


「俺様を見習え」


「お前から一番遠いものが勇者の威厳だ!」


 ヴィオラが大剣を両手で構える。


 笑いは消えた。


「だから、勝つ必要はない」


「何?」


「少しでも、お前にあたしの話を聞かせる。フィーネを危険にさらさず、魔王城へ行く方法を一緒に考える」


 ヴィオラの瞳が俺様を捉える。


「そのために、あたしはここへ来た」


 嘘はない。


 俺様を殺す気もない。


「悪くない」


 背中から《王喰らい》を抜く。


「では、俺様に力を見せてみろ」


「ああ!」


 ヴィオラが地面を蹴った。


 金色の軌跡を残し、一瞬で眼前へ迫る。


 大剣が横薙ぎに振るわれた。


 《王喰らい》で受け止める。


 激しい金属音。


 衝撃で、周囲の地面が円形に陥没した。


「力が上がったな」


「誰のおかげだと思ってる!」


「俺様か?」


「《勇者》だ!」


「俺様が返した役割だ。似たようなものだろ」


「全然違う!」


 ヴィオラが大剣を押し込んでくる。


 以前より遥かに強い。


 速さも、力も、魔力量も上がっている。


 俺様が持っていた頃より、《勇者》の力を素直に引き出しているように見えた。


「役割との相性はいいらしいな」


「褒めても何も出ねえぞ!」


「では脱げ」


「まだ言うか!」


 ヴィオラが身体を回転させ、俺様の剣を弾く。


 続けて放たれた蹴りが腹へ迫る。


 片腕で受け止めた。


 衝撃で身体が後方へ滑る。


「ほう」


「少しは本気を出せ!」


「女相手に本気を出すと、すぐ壊れるからな」


「そーかよ!」


 ヴィオラが跳躍する。


 頭上から振り下ろされる大剣を、半歩ずれてかわした。


 刃が大地へ突き刺さる。


 地面に亀裂が走り、その奥から金色の光が噴き出した。


 俺様はヴィオラの腹へ手を伸ばす。


 だが、触れる寸前に、彼女の身体が金色の光へ包まれた。


《勇者》の紋章が輝く。


 俺様の手を拒絶するように、光が弾けた。


「ぐっ……!」


 予想以上の衝撃だ。


 腕が弾かれる。


 その隙に、ヴィオラの拳が顔面へ叩き込まれた。


 初めて、俺様の身体が大きく後退する。


「ご主人様!」


 城壁からフィーネの声が飛んでくる。


「問題ない」


 口元を拭う。


 わずかに血がついていた。


「やるではないか」


「あたしだって、いつまでも負けてばかりじゃねえ!」


 ヴィオラは笑っている。


 久しぶりに本気で戦えることを、楽しんでいる顔だ。


 なら、俺様も少しくらい応えてやるべきだろう。


「《王喰らい》」


 魔剣へ命じる。


「殺さずに喰え」


 漆黒の刀身から、黒い靄が立ち上る。


 ヴィオラを包む金色の魔力へ触れ、その表面を削り取った。


「なっ……!」


 《勇者》の加護が《王喰らい》へ吸い込まれていく。


「それ、ずるくないか!?」


「強い武器を使うのは当然だ」


「《勇者》を返した奴が言うな!」


「返したのは昨日の俺様だ。今の俺様には関係ない」


「一日で責任を捨てるな!」


 ヴィオラが連続で剣を振るう。


 右。


 左。


 頭上からの一撃。


 すべて魔剣で受け流す。


 触れ合うたび、《王喰らい》が金色の魔力を奪っていく。


 ヴィオラの動きが、少しずつ鈍くなった。


「このままでは勝てないぞ」


「最初から、勝つつもりじゃねえ」


「では、何をする?」


「お前を止める!」


 ヴィオラが吠える。


《勇者》の紋章が、強く輝いた。


 失われたはずの金色の魔力が、一瞬で膨れ上がる。


 先ほどまでとは違う。


 あまりにも急激な増幅だ。


「ヴィオラ?」


 エレノアが異変に気づく。


 ヴィオラ自身も、驚いた顔で右手を見ていた。


「なんだ、これ……」


 紋章から伸びた金色の線が、腕を伝って肩へ上がる。


 首。


 頬。


 身体中へ、光の紋様が広がっていく。


『役割の侵食が始まっている』


 ケルベロスの右の首が告げた。


『あの女は、《勇者》の使命へ逆らいながら戦っている』


「どういうことですか?」


 フィーネが尋ねる。


『《勇者》へ求められるのは魔王の討伐だ。魔王王統を守る者もまた、排除すべき敵と認識される』


「では、ヴィオラ様は……」


『自らの意思と、役割から与えられた使命が衝突している』


 ヴィオラが頭を押さえた。


「違う……」


 大剣の切っ先が地面へ落ちる。


「あたしは、ゼクトを連れ戻しに来た。殺すためじゃない……!」


 右手の《勇者》が脈打つ。


《魔王王統を確認》


《守護個体を敵性存在と認定》


《勇者の使命を執行します》


 金色の文字が、ヴィオラの周囲へ浮かび上がった。


「やめろ!」


 ヴィオラが右手の紋章を左手で押さえる。


「誰がそんなことを頼んだ!」


《勇者の意思は、使命の遂行に不要です》


「ふざけんな!」


 ヴィオラが自分の右手へ大剣を振り下ろそうとする。


 紋章ごと腕を切り落とすつもりか。


 だが、その腕が途中で止まった。


 大剣を握る両手が、勝手に俺様へ切っ先を向ける。


「ゼクト……逃げろ」


 ヴィオラの顔から笑みが消えていた。


「身体が、言うことを聞かねえ……!」


「やはり役割は面倒だな」


 俺様は《王喰らい》を構え直す。


「待っていろ。すぐに奪ってやる」


「無理だ!」


 ヴィオラが苦しげに叫ぶ。


「あたしが敗北を認めなきゃ、お前は奪えねえんだろ!」


「ああ」


「今のあたしは、それを言わせてもらえねえ!」


「なら、無理やり言わせる」


「どうやってだよ!」


「それを今から考える」


「考えてから格好つけろ!」


 まだヴィオラの意識は残っている。


 それなら問題ない。


 何度か殴れば、役割の支配も緩むだろう。


「クラウディア!」


 エレノアが叫ぶ。


「儀式で何をしたのです!」


「通常の《勇者》継承です!」


 クラウディアの顔にも、明らかな動揺が浮かんでいる。


「ヴィオラの適性は確認しました。精神汚染を起こすはずがありません!」


「実際に起きています!」


「こんな記録はない……。《勇者》は、所有者の意思を奪う役割では……」


『役割とは神の筋書きだ』


 ケルベロスの右の首が、城壁から告げる。


『所有者が物語から外れようとすれば、世界はそれを修正する』


「そんな……」


 クラウディアの顔から血の気が引く。


「では、これまでの勇者たちも……」


『従っている限りは、侵食に気づかない』


 ヴィオラの赤い瞳に、金色の光が混じる。


 俺様を見る視線から、少しずつ感情が失われていく。


「ゼクト……!」


 ヴィオラが歯を食いしばる。


「さっさと、あたしを殴れ!」


「女の頼みを断る趣味はない」


 地面を蹴る。


 一瞬で懐へ入り、ヴィオラの腹へ拳を叩き込んだ。


「がっ……!」


 金色の鎧が砕ける。


 ヴィオラの身体が地面を跳ね、王国軍の直前まで吹き飛んだ。


「ヴィオラ!」


 エレノアが駆け寄ろうとする。


「来るな!」


 ヴィオラが叫んだ。


 膝をつきながらも、再び立ち上がる。


 口元から血が流れていた。


「まだ、意識はある……!」


《肉体損傷を確認》


《勇者権能を拡張します》


 右手の紋章が再び脈打つ。


 砕けた鎧が金色の光によって修復されていく。


 ヴィオラの傷までも、一瞬で消えた。


「回復までできるようになったか」


「感心してる場合か!」


「便利だからな。俺様がもらったあと、誰かに渡してもいい」


「もう戦利品にする気かよ!」


「当然だ」


 少し安心した。


 まだ、いつものヴィオラだ。


「なら、こいつはどうだ!」


 ヴィオラが大剣を振る。


 金色の斬撃が、大地を抉りながら迫った。


 《王喰らい》で受ける。


 黒い刀身が斬撃を吸収する。


 だが、すべては喰い切れない。


 残った光が肩をかすめ、肉を浅く切り裂いた。


 ヴィオラが目を見開く。


「当たった……?」


「前よりは強くなったな」


 傷は浅い。


 この程度なら、すぐに塞がる。


 そう思った。


 しかし、肩から流れる血が止まらない。


「ご主人様!」


 フィーネが城壁から身を乗り出す。


「今、治療を――」


「来るな!」


 俺様とヴィオラの声が重なった。


 ヴィオラが自分の口を押さえる。


「違う……。あたしは、そんなことを言いたいんじゃ……」


《魔王王統の接近を阻止》


《守護個体の殺害を優先します》


「黙れ!」


 ヴィオラが自分の頬を殴った。


 金色の紋様は消えない。


 むしろ、さらに濃くなっていく。


 首筋に浮かんだ線が胸元で集まり、もう一つの紋章を形作り始めた。


 剣を突き刺す、白い人影。


 見たことのない役割だ。


「クラウディア」


 俺様はその紋章から目を離さず尋ねる。


「あれも《勇者》か?」


「いいえ……」


 クラウディアの声が震えている。


「私も、知りません」


 エレノアが息を呑む。


「まさか……」


 昨夜、彼女が口にした名前。


 俺様の魂へ残った《勇者》の痕跡を狙い、命を奪うためだけの役割。


「《勇者殺し》……」


 エレノアが呟いた。


 その言葉に反応し、ヴィオラの胸元にある白い紋章が完成する。


《標的を確認》


《旧勇者ゼクト・グランツ》


《魂に刻まれた勇者の残滓を捕捉》


《処刑を開始します》


「そんなもの、あたしは受け取ってねえ!」


 ヴィオラが叫ぶ。


 クラウディアが首を横へ振る。


「あり得ません。継承儀式で与えたのは《勇者》だけです」


『隠されていたのだろう』


 ケルベロスの右の首が答える。


『《勇者》を器として、別の役割が魂の奥へ埋め込まれていた』


「誰がそんなことを……」


『役割を与えられる者は、一人しかいない』


 女神。


 神殿が崇め、この世界へ役割を与えている存在。


「女神様が……?」


 クラウディアが呆然と空を見上げる。


「そんなはずはありません。女神様は、人々を導くために役割を――」


「見苦しいぞ、クラウディア」


 俺様は笑った。


「自分の目で見ているものくらい信じろ」


「ですが……」


「ヴィオラを助けたいなら、黙って見ていろ」


 俺様は《王喰らい》を両手で構える。


「こいつは俺様が取り返す」


「誰が、お前のものだ……!」


 ヴィオラが苦しげに笑う。


「お前だ」


「勝手に決めんな……」


「では、戦って決めるか?」


「最初から、そうしてるだろ……!」


 ヴィオラは泣いていた。


 それでも、口元にはいつもの笑みが残っている。


「負けねえぞ、ゼクト」


「ああ。かかってこい」


 ヴィオラが地面を蹴る。


 速い。


 これまでとは比べものにならない。


 金色の残光が見えた瞬間には、大剣が首元へ迫っていた。


 《王喰らい》で受け止める。


 刃と刃が衝突した。


 だが。


 ヴィオラの大剣が、魔剣をすり抜けた。


「何?」


《勇者殺し》の白い紋章が光っている。


 俺様の防御を無視し、魂へ残る《勇者》の痕跡だけを狙っているのか。


 身体を反らし、辛うじてかわす。


 刃が胸元を浅く切り裂いた。


 先ほどの肩の傷と同じだ。


 血が止まらない。


「逃げろ!」


 ヴィオラが叫ぶ。


「次は、止められねえ!」


「最初から止める必要はない」


「強がってる場合か!」


「お前なら止める」


 ヴィオラの表情が固まった。


「あたしを……信用するな」


「なぜだ?」


「今のあたしは、あたしじゃない!」


「では、誰だ?」


「それは……」


「俺様の知っているヴィオラは、役割一つに負けるほど弱い女ではない」


「簡単に言うなよ……!」


「簡単だからな」


「こっちは、必死で……!」


 ヴィオラの瞳から、また涙が零れる。


「お前を殺さないように、必死で止めてるんだぞ!」


「ああ」


「なのに、お前は……!」


「俺様を殺せると思っているのか?」


「本当に、むかつく……!」


 ヴィオラの口元が、少しだけ笑う。


 だが、その笑みはすぐに消えた。


 金色の光が瞳全体を覆う。


《所有者の抵抗を確認》


《人格を一時封鎖》


「待て……!」


《処刑行動を継続します》


「ゼク、ト……」


 ヴィオラの声から、感情が失われた。


 大剣を両手で持ち上げる。


 剣身へ金と白の光が集まっていく。


『避けろ!』


 ケルベロスの左の首が叫んだ。


『あれは危険だ!』


「ご主人様、お逃げください!」


 フィーネの悲鳴が聞こえる。


 俺様は動かなかった。


 ヴィオラの大剣が振り下ろされる。


 途中で止まる。


 そう思っていた。


 こいつは、俺様を殺すために勇者になったのではない。


 誰かに殺させないため、自分で役割を引き受けた。


 なら、最後には自分の意思で剣を止める。


 俺様は、そう信じた。


 刃は止まらなかった。


 金色の軌跡が、俺様の胸を斜めに走る。


 肉が裂ける。


 骨が砕ける。


 魂そのものを断たれたような激痛が、全身を貫いた。


「ご主人様――!」


 フィーネの絶叫。


 口から血が溢れる。


 膝が地面についた。


 視界が赤く染まる。


 ヴィオラの大剣から、俺様の血が滴り落ちていた。


「あ……」


 一瞬だけ。


 ヴィオラの瞳に、元の赤い色が戻った。


 自分がつけた傷を見て、その顔が絶望に歪む。


「違う……」


 大剣を手放そうとする。


 指が開かない。


「違う! あたしじゃない! あたしは、ゼクトを……!」


「ご主人様!」


 フィーネが城壁から飛び降りる。


 淡い治癒の光を両手に宿し、俺様へ駆け寄ろうとする。


「来るな……」


「ですが!」


「城を、守れ……」


 フィーネの足が止まった。


 後方では、王国軍がざわめいている。


 俺様が膝をついたことで、兵士たちの戦意が一気に高まっていた。


「勇者様が勝ったぞ!」


「反逆者を討ち取れ!」


「北方砦を奪還せよ!」


 武器を掲げた騎士たちが前進を始める。


「全軍、止まりなさい!」


 エレノアが両腕を広げる。


「これは一対一の決闘です!」


「好機です」


 クラウディアが杖を握る。


 その顔には、まだ迷いがあった。


「ゼクトが動けない今なら、被害を出さずに砦を制圧できます」


「ヴィオラを見てください!」


 エレノアが叫ぶ。


「あれが、あなたの望んだ勇者ですか!」


 ヴィオラは泣いている。


 声を上げ、必死に身体を止めようとしている。


 それでも両腕は、再び大剣を持ち上げていた。


 倒れた俺様へ、とどめを刺すために。


「やめろ……」


 ヴィオラの唇から、掠れた声が漏れる。


「お願いだ……逃げてくれ、ゼクト……」


 俺様は《王喰らい》を杖代わりにして、立ち上がろうとする。


 傷口から、さらに血が流れ出した。


「逃げろ、ゼクト……!」


 ヴィオラの瞳から、大粒の涙が落ちる。


 けれど、その口元は本人の意思に反して吊り上がっていく。


 女神の役割に支配された顔が、慈悲深い笑みを作った。


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