第三話 役割を喰う魔剣が、俺様だけは喰えない
魔王を倒せば、フィーネが死ぬ。
理由は分からない。
だが、理由など後から調べればいい。
魔王を殺さずに倒し、《異界魔王》を奪う。
それでフィーネが死ぬというなら、その仕組みごと壊す。
俺様が決めたことは、それだけだ。
「では、地下へ行くぞ」
俺様が告げると、フィーネは治療室へ運ばれていく負傷兵たちを見回した。
「すぐに、でしょうか?」
「すぐにだ」
「北方砦を手に入れてから、まだ一時間も経っておりません」
「だからどうした?」
「城主として、砦の状況を確認した方がよろしいのではないかと……」
「食料庫には三か月分の食料。井戸は二つ。兵舎にいる魔族兵は二百八十七人。そのうち重傷者が十二人、軽傷者が四十三人だ」
「把握なさっていたのですか?」
「《不落城主》を奪ったときに全部頭へ入ってきた」
「それなら、なぜ私へ譲渡されたのです?」
「細かい管理が面倒だからだ」
「それなら、ラウラさんに役割を返してあげてください」
「断る」
「そうおっしゃると思いました」
フィーネが諦めたように息を吐く。
その隣で、ラウラが大きな腕を組んでいた。
「私は反対だ」
「お前の意見は聞いていない」
「ならば、なぜ私も呼んだ!」
「案内役だ」
「地下の封印区画へ入ったことはない!」
「では、荷物持ちをしろ」
「私は北方守備隊総大将だぞ!」
「元、だろ」
「くっ……!」
ラウラが拳を震わせる。
俺様と目が合うと、胸元を隠すように腕を組み直した。
「なぜ見る?」
「大きいからだ」
「何がだ!」
「聞かなければ傷つかずに済んだものを」
「姫殿下。その男を黙らせてくれ!」
「申し訳ありません。私では力が足りません」
「努力はしたのか?」
「長年にわたり」
「俺様の知らないところで無駄な努力をするな」
二人とも、俺様への態度が少しずつ悪くなっている。
親しくなった証拠だろう。
俺様たちは砦の中央塔へ入り、石造りの階段を下りた。
上層では負傷兵を運ぶ声や、壊れた備品を片づける音が響いている。
しかし地下へ進むにつれ、人の気配は消えていった。
地下牢。
武器庫。
さらに、その奥。
壁へ突き当たったところで、俺様は足を止めた。
「行き止まりですね」
フィーネが首を傾げる。
「いや。この奥にある」
「何が見えるのだ?」
「見えてはいない。分かるだけだ」
《不落城主》を所有したときに流れ込んできた、北方砦の構造。
フィーネへ役割を譲渡した後も、その記憶は残っている。
目の前の壁の向こうには、地図に記されていない地下空間がある。
その中心に、強大な力を持つ何かが眠っていた。
「フィーネ。壁を開けろ」
「私が、ですか?」
「今の城主はお前だ」
「開け方が分かりません」
「壁に触れて、開けと言え」
「そんな簡単な方法なのでしょうか……」
フィーネがおそるおそる石壁へ手を触れる。
「開いてください」
何も起きない。
「開かないではないか」
ラウラが呆れたように言った。
「ご主人様。やはり、特別な手順が必要なのでは?」
「もっと偉そうに言え」
「偉そうに、ですか?」
「城主だろ」
フィーネは困った顔をした。
それでも石壁へ向き直り、小さく息を吸う。
「北方砦の城主として命じます。この扉を開きなさい」
フィーネの胸元に、銀色の星を抱く黒い翼の紋章が浮かび上がった。
《城主権限を確認》
《魔王王統との照合を開始》
《個体名――フィーネ》
《真名――フィーネ・ルクレティア・セレス・アステリア・ヴァル=ノクティス》
《開門資格――適合》
石壁を走るように、紫色の光が広がる。
壁だと思っていたものが中央から割れ、重い音を立てながら左右へ開いていった。
奥に、地下へ続く螺旋階段が現れる。
「本当に開きました……」
「当然だ」
「ご主人様は、ご自分で試してもいないことに自信を持ちすぎです」
「失敗したら壁を殴り壊すつもりだった」
「開いてくださって、本当によかったです」
ラウラは、開かれた扉を険しい顔で見つめていた。
「姫殿下」
「はい?」
「本当に、何も覚えておられないのですか?」
「何についてでしょうか」
「ヴァル=ノクティスの名も。この扉も。この先に眠るものについても」
「申し訳ありません。私には……」
フィーネが自分の胸元へ手を当てる。
「奴隷商に売られるより前の記憶が、ほとんどございません」
ラウラの表情が曇った。
「そう、ですか」
「気にするな」
俺様はフィーネの頭へ手を置いた。
「思い出したくなったら思い出せばいい。必要がないなら、そのまま忘れていろ」
「ご主人様……」
「どちらにせよ、お前は俺様の奴隷だ。それ以前が王女だろうと何だろうと関係ない」
「少しは言い方を選べないのか、貴様は!」
「ですが、安心いたしました」
フィーネが小さく笑う。
ラウラが信じられないものを見るような目で、俺様たちを見比べた。
「姫殿下は、本当にそれでよろしいのですか?」
「はい。ご主人様ですので」
「何の説明にもなっていないぞ!」
「お前もじきに分かる」
「分かりたくない!」
俺様は螺旋階段へ足を踏み入れた。
数百段は下りただろう。
湿った空気が肌にまとわりつき、古い血のような臭いが濃くなっていく。
壁に刻まれた魔法文字が、フィーネの接近に合わせて一つずつ淡く輝いた。
やがて階段が終わる。
その先には、広い石造りの通路が伸びていた。
天井も壁も、巨大な爪で抉られたように傷ついている。
床には、人間の頭ほどもある黒い鎖が転がっていた。
「この傷……」
ラウラが壁の爪痕へ触れる。
「何だ?」
「百年以上前のものだ。北方砦が建造された時代から、この地下区画は封印されていたと聞いている」
「誰に?」
「先代の城主だ。決して扉を開けるなと、それだけを言い残した」
「理由も聞かなかったのか?」
「城主へ就任した翌日、王国軍との戦いで死んだ」
「役に立たない奴だな」
「死者への敬意を持て!」
「敬意で扉は開かない」
通路の奥から、低い唸り声が聞こえた。
床に転がっていた鎖が震える。
壁の亀裂から、無数の赤い瞳が開いた。
「ご主人様」
フィーネが俺様の外套をつかむ。
「何かおります」
「見れば分かる」
暗闇から、魔獣たちが這い出してきた。
狼の身体に蛇の尾を持つ獣。
六本の脚を備えた黒豹。
人間ほどもある巨大な百足。
どれも長年餌を与えられていないはずだが、痩せてはいない。
肉体の一部が黒い霧へ変わり、互いの身体へ流れ込んでいる。
「魔力を喰い合って生き延びていたのか」
ラウラが《ギロティア》を構える。
「数が多い。姫殿下は私の後ろへ!」
「俺様の後ろでいい」
「貴様に姫殿下を任せられるか!」
「俺様のものを、俺様が守れないと思うのか?」
最初の魔獣が飛びかかってきた。
俺様はその顔面を殴りつける。
頭が床へ叩きつけられ、石が砕けた。
横から迫った黒豹を蹴り飛ばす。
壁へ激突した獣の身体が黒い霧へ変わり、ほかの魔獣たちへ吸い込まれていった。
「倒した魔獣が、ほかの個体へ……」
「力を移しているらしいな」
「冷静に分析している場合か!」
ラウラの《ギロティア》が振るわれる。
巨大百足の胴体が断ち切られ、その半身から魂のつながりが失われた。
だが、残った魔獣が黒い霧を吸収する。
身体が膨れ上がり、牙と爪がさらに巨大になった。
「倒すほど、残った魔獣が強くなります!」
「なら、最後の一匹まで殴ればいい」
「解決方法が単純すぎます!」
「分かりやすくていいだろ」
俺様は獣の角をつかみ、別の獣へ叩きつけた。
フィーネの前へ飛び込もうとした狼を、ラウラが手甲で殴り落とす。
「姫殿下、お怪我は!」
「ございません。ありがとうございます、ラウラ様」
「様など不要です。私のことは、どうぞラウラと」
「では、ラウラさん」
「さんも不要です!」
「ラウラ」
「はい!」
ラウラの返事が妙に嬉しそうだ。
「俺様もラウラと呼んでいるぞ」
「貴様と一緒にするな!」
「差別か?」
「区別だ!」
「お二人とも、前をご覧ください」
フィーネに言われて振り返る。
生き残った魔獣たちが、一か所へ集まっていた。
黒い霧となって溶け合い、一頭の巨大な獅子へ姿を変えていく。
三本の尾。
六本の脚。
口の両端から突き出した湾曲する牙。
そいつが吠えると、通路全体が激しく揺れた。
「これまでの魔獣が、すべて一つに……」
フィーネが息を呑む。
「下がっていろ」
俺様は一歩前へ出た。
「ラウラ。手を出すな」
「一人で戦うつもりか?」
「俺様の城に住みついていた獣だ。飼い主が躾ける」
「まだ姫殿下の城だ!」
「なら、城主の主人である俺様の獣だ」
「ややこしい言い方をするな!」
巨大な獅子が突進する。
俺様も正面から駆けた。
振り下ろされた前脚を左手で受け止める。
凄まじい重さが腕へかかり、足元の石床が陥没した。
「悪くない」
俺様は獣の爪を握り締めた。
「だが、俺様を押し潰すには軽すぎる!」
前脚を持ち上げる。
巨体が宙へ浮いた。
そのまま天井へ叩きつけ、落ちてきたところへ拳を打ち込む。
獅子の身体が通路の奥まで吹き飛んだ。
黒い霧を撒き散らしながら、地面を転がっていく。
「ご主人様」
「何だ?」
「今の獣も、飼われることを望んでいないように見えます」
「最初は皆そうだ」
「私も、そのような扱いだったのでしょうか」
「お前は俺様を見た瞬間から喜んでいた」
「記憶を都合よく作り替えないでください」
獅子が立ち上がる。
その身体が崩れ、黒い霧になった。
霧は地下区画のさらに奥へ吸い込まれていく。
暗闇の中から、地鳴りのような声が響いた。
『弱い』
一つの声ではない。
三つの声が重なっている。
『あまりにも弱い』
『我が眠りを妨げた者よ』
『その程度で、王の剣を求めるか』
通路の先で、青い炎が灯った。
一つ。
二つ。
三つ。
六つの巨大な瞳が、闇の中で開く。
現れた前脚だけで、先ほどの獅子よりも大きい。
漆黒の体毛。
脚を覆う黒金の装甲。
背中から突き出した無数の骨棘。
そして、三つの頭。
左の頭は、片方の耳が裂けた獰猛な雄。
右の頭は、額に灰色の角を持つ冷静な雄。
中央の頭には銀色のたてがみが流れ、三頭の中で最も鋭く澄んだ瞳が輝いている。
三つの首には、黒い鎖が巻きついていた。
鎖は地下空間の奥へ伸びている。
巨大な魔獣が一歩踏み出すたび、砦全体が揺れた。
「これは……」
ラウラの顔から血の気が引く。
「知っているのか?」
「初代魔王に仕えた伝説の魔獣。《王骸獣ケルベロス》」
ラウラが《ギロティア》を強く握り締める。
「北方砦は、王都を守るために建てられた砦ではない。この獣と、初代魔王の遺物を封じるために建てられたのか……!」
『封じた、だと?』
左の頭が牙を剥いた。
『人ごときが、我らを封じたと思い上がるな!』
右の頭が静かに続ける。
『我らは待っていた』
中央の頭がフィーネを見た。
『再び、この扉を開くに足る王が現れる日を』
三つの頭が同時に伏せられる。
王骸獣ケルベロスが、フィーネの前へ跪いた。
『お帰りなさいませ』
中央の頭の声だけが、女のものへ変わった。
『ノクティスの末姫よ』
「私を、ご存じなのですか?」
『その血を知っている』
『その魂を知っている』
『その身へ刻まれた、忌まわしき役割を知っている』
フィーネの顔が強張った。
俺様はケルベロスとフィーネの間へ立つ。
「それ以上、こいつを勝手に見るな」
『人間』
三つの頭が俺様へ向けられた。
『貴様は何者だ』
「ゼクト・グランツだ」
『名を聞いたのではない』
「なら、質問の仕方が悪い」
左の頭が唸る。
『我らを愚弄するか!』
「先に俺様へ分かりにくい質問をしたのはお前だ」
右の頭が目を細める。
『役割が、見えぬ』
中央の頭も俺様を観察していた。
『神より授けられた紋章を持たず、なお王族を従えている』
「逆だ」
『何?』
「フィーネが俺様に従っているんじゃない。俺様が、こいつを誰にも渡さないだけだ」
「ご主人様」
「何だ?」
「それは、どのような違いなのでしょうか」
「あとで説明してやる」
「今、ご主人様も分かっておられませんね?」
細かいことはいい。
「お前が《魔獣主》か?」
俺様の問いに、三つの頭が同時に反応した。
ケルベロスの胸元に、獣の牙を模した赤黒い紋章が浮かび上がる。
《役割――魔獣主》
《配下の魔獣を統率し、その力と生命を分配する者》
先ほどまで俺様たちを襲っていた魔獣は、こいつの配下だったらしい。
「気に入った。俺様によこせ」
『断る!』
左の頭が即答した。
「返事がラウラに似ているな」
「私を見るな!」
『我らは初代魔王より命を授かった』
右の頭が告げる。
『《王喰らい》を守り、次なる所有者を見定めよ、と』
「なら、俺様に渡せ」
『貴様ではない』
「まだ何も見定めていないだろ」
『すでに分かる』
中央の頭がフィーネを見つめる。
『剣を継ぐべき者は、ノクティスの血を引く姫君』
「フィーネに剣は重すぎる」
「まだ拝見しておりませんが……」
「お前には俺様の世話がある。剣を振っている暇はない」
「取得前から私物化しないでください」
俺様は黒い鎖が伸びる先を見た。
ケルベロスの背後。
地下空間の中央に、巨大な祭壇がある。
その上へ、一振りの大剣が突き立っていた。
漆黒。
柄も、鍔も、刃も。
光を反射せず、周囲の明かりを吸い込むような黒。
両手で扱うことを前提とした長大な刀身には、赤い文字が脈打つように浮かんでいる。
ケルベロスを縛る三本の鎖は、その剣の柄へつながっていた。
「あれか」
『触れるな、人間』
左の頭が牙を剥く。
『あれは神の役割を喰らう剣。資格なき者が触れれば、魂まで呑み込まれる』
「ちょうどいい。俺様の武器にする」
『話を聞いていたのか!』
「強くて、でかくて、見た目もいい。断る理由がない」
「女性を口説くときと判断基準が同じではありませんか?」
「美しいものと強いものは、俺様が持つべきだからな」
「ご主人様らしい理屈です」
俺様は祭壇へ向かって歩き出した。
三つの首をつなぐ鎖が激しく鳴る。
ケルベロスが立ち上がり、その巨体で進路を塞いだ。
『ならぬ』
「どけ」
『姫君ならば、剣のもとへ通そう』
「フィーネには渡さない」
『なぜだ』
「あの剣は危険なのだろ?」
『しかり』
「なら、こいつに触らせるわけがない」
フィーネが目を瞬いた。
「ご主人様は、ご自分なら危険でもよろしいのですか?」
「俺様は平気だ」
「根拠は?」
「俺様だからだ」
「やはり根拠がございません」
ケルベロスの中央の頭が俺様を見下ろす。
『剣に触れた瞬間、貴様が持つ役割は喰われる』
「俺様には役割などない」
『役割なき者が、なぜ《魔獣主》の名を見抜いた』
「俺様が特別だからだ」
『ならば、その力も喰われるだけだ』
「やってみろ」
俺様はケルベロスの前脚を踏み台にして、その背中へ跳び乗った。
『貴様!』
「少し借りるぞ」
『我らを足場にするな!』
背中を蹴り、祭壇へ跳ぶ。
着地と同時に、漆黒の大剣の柄を握り締めた。
赤い文字が、一斉に輝く。
剣から黒い何かが流れ込んできた。
《所有者候補を確認》
《役割の捕食を開始》
《対象の役割――該当なし》
《再検索》
《対象の役割――該当なし》
《再検索》
《対象の役割――該当なし》
同じ言葉が何度も繰り返される。
やがて、剣から困惑するような震動が伝わってきた。
「どうした?」
俺様は柄を握ったまま笑う。
「喰うものが見つからないのか?」
刀身の赤い文字が激しく明滅した。
《異常個体》
《役割を持たない生命体による接触》
《捕食不能》
《所有を拒絶》
剣から無数の黒い棘が伸び、俺様の腕へ突き刺さった。
血が流れる。
肉へ食い込み、骨を砕こうとする。
「役割を喰えないから、力ずくか」
「ご主人様!」
フィーネが駆け出そうとする。
「来るな!」
俺様が命じると、その足が止まった。
剣の柄を両手で握る。
祭壇から引き抜こうとすると、刀身が耳障りな悲鳴を上げた。
《拒絶》
《拒絶》
《拒絶》
「俺様に三度も断らせるな」
足へ力を込める。
祭壇全体に亀裂が走った。
大剣は抜けない。
刀身が地面と一体化しているわけではない。
剣そのものが、俺様へ従うことを拒んでいる。
「武器のくせに、主人を選ぶつもりか」
《資格なき者》
《役割なき者》
《王にあらざる者》
「俺様が王かどうかを、お前が決めるな」
柄から伸びた棘が、さらに深く腕へ食い込む。
黒い刃が俺様の内側へ入り込み、《勝者権限》を喰らおうとうごめいている。
だが、喰えない。
《勝者権限》は、神に与えられた役割ではない。
俺様が勇者の役割を奪われたときに、俺様自身から生まれた力だ。
「ご主人様、血が……!」
「この程度で騒ぐな」
「ですが!」
「そこで見ていろ」
俺様は剣へ向かって告げた。
「お前は王を喰う剣ではない」
《否定》
《我は――王喰らい》
「違う。お前は俺様が使う剣だ」
《否定》
「敵の役割を喰いたければ、俺様の手で喰え」
《拒絶》
「俺様に使われたくないなら、俺様を倒してみろ」
刀身から黒い炎が噴き上がった。
俺様の全身を包み、肉を焼く。
それでも柄から手を離さない。
「ご主人様!」
「動くな、フィーネ!」
「しかし――」
「これは命令だ!」
フィーネが唇を噛んだ。
その前へ、ラウラが立つ。
「姫殿下。お下がりください」
「ラウラ……」
「癪ですが、あの男は自分の言葉を曲げません」
「存じております」
「ならば、信じましょう」
「心配ではないのですか?」
「心配ではない!」
ラウラが即答した。
「ただ、ここで死なれては私が勝ち逃げされたことになる。それだけです!」
「ラウラは優しい方なのですね」
「なぜそうなるのです!?」
黒い炎の中でも、二人の声はよく聞こえた。
俺様は大剣を握り締めたまま、さらに力を込める。
「聞け、《王喰らい》!」
腕の筋肉が膨れ上がる。
祭壇の亀裂が地下空間全体へ走った。
「今日からお前が喰う相手は、俺様が決める!」
漆黒の大剣が、祭壇から引き抜かれた。
黒い炎が吹き飛ぶ。
《所有者との接続を確認》
《役割の捕食――不能》
《異常権限による支配を確認》
《再定義》
《所有者――ゼクト・グランツ》
《魔剣――王喰らい》
《真名――レガリア・イーター》
「今日からお前は俺様の剣だ」
俺様は、祭壇から引き抜いた漆黒の大剣を肩へ担いだ。
全長は俺様の身長を超えるほど。
刀身は分厚く、並の男なら持ち上げることさえできないだろう。
柄も、鍔も、刃も、すべてが闇を固めたように黒い。
刀身に刻まれた赤い文字が、悔しそうに一度だけ明滅する。
「ご主人様!」
フィーネが俺様へ駆け寄ろうとした。
その瞬間。
甲高い音が、地下空間へ響き渡った。
漆黒の大剣へつながっていた一本目の鎖が、砕け散る。
続いて、二本目。
三本目。
王骸獣ケルベロスの三つの首を拘束していたすべての鎖が、床へ落ちた。
「まずい!」
ラウラが《ギロティア》を構え、フィーネの前へ立つ。
「《王喰らい》が、あの魔獣を封じる楔でもあったのか!」
「それなら先に言え」
「私も知らなかったのだ!」
自由を取り戻したケルベロスが、ゆっくりと立ち上がる。
天井へ届きそうな巨体。
黒い体毛の隙間から、禍々しい魔力が噴き上がった。
左の頭が、獰猛に牙を剥く。
『我らの制止を振り切り、王の剣を奪ったか』
右の頭が、俺様の持つ《王喰らい》を静かに見据える。
『役割を持たぬ身で、役割を喰らう魔剣を屈服させた。その力だけは認めよう』
中央の頭は、澄んだ瞳で俺様を見下ろしていた。
『だが――剣を手にしただけで、王を名乗ることは許さぬ』
「俺様は、お前たちの許可を求めた覚えはない」
『ならば示せ』
ケルベロスの胸元に、獣の牙を模した赤黒い紋章が浮かび上がる。
《役割――魔獣主》
地下に漂っていた黒い霧が、その巨体へ吸い込まれていく。
これまで倒した魔獣たちの力。
百年以上、この地下へ蓄積されてきた魔力と生命。
そのすべてが、ケルベロスへ集まっていた。
背中から生えた骨棘が巨大化する。
前脚を覆う黒金の装甲が厚みを増し、三本の尾が大蛇の頭へ変貌した。
「ご主人様、お下がりください!」
「なぜ俺様が下がる?」
「先ほど《王喰らい》に傷つけられたばかりです!」
「ちょうどいい」
俺様は手に入れたばかりの大剣を、両手で構えた。
「こいつが本当に使える剣か、確かめる必要がある」
三つの口が大きく開く。
左の口へ炎。
右の口へ氷。
中央の口へ黒い雷が集まっていく。
『我らを屈服させてみよ』
『王を名乗るというのなら』
『その力と器を示せ――ゼクト・グランツ!』
「いいだろう」
漆黒の刀身に刻まれた赤い文字が、獲物を前にした獣のように脈打つ。
俺様は笑った。
「犬の躾には、少しばかり自信がある」
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