第二話 首を落としても敗北を認めない女騎士
「ご主人様。北方砦が見えてまいりました」
フィーネの声に、俺様は飛竜の背から身を乗り出した。
王都を発って、およそ半日。
夕闇に染まり始めた山脈の谷間に、黒い城壁がそびえている。
高さはおよそ三十メートル。
左右を切り立った崖に挟まれ、正面には分厚い城門。壁上には無数の魔族兵が並び、その背後では巨大な投石器がこちらへ狙いを定めていた。
なるほど。
北方砦を攻略不能と判断したクラウディアが、わざわざ七日もかけて迂回しようとした理由は分かる。
普通の人間が攻めれば苦労するだろう。
「大きな砦ですね」
俺様の背中にしがみついていたフィーネが、緊張した声を漏らす。
「ああ。悪くない」
「はい。とても堅牢に見えます」
「今日から俺様たちの家だ」
「物件を内覧する感覚で敵の要塞を見ないでください」
「立地もいい。眺めも悪くなさそうだ」
「魔王軍の兵士が大勢おりますが……」
「使用人なら多い方が便利だろ」
フィーネが小さく息を吐いた。
「ご主人様なら、そうおっしゃると思いました」
「分かってきたな」
「長いお付き合いですので」
飛竜が砦へ近づく。
城壁の上が慌ただしくなり、魔族兵たちが一斉に弓を構えた。
『接近中の飛竜に告ぐ!』
拡声魔法によって増幅された女の声が、谷間へ響き渡る。
『そこで停止し、所属を明らかにせよ! 従わない場合は敵性個体と判断する!』
「止まれ」
俺様が命じると、飛竜は城壁から百メートルほど離れた空中で羽ばたいた。
王城へ連れていったときよりも随分と従順になっている。
フィーネの治癒魔法と干し肉で、すっかり餌づけされたらしい。
「ご主人様。所属を尋ねられております」
「ゼクト・グランツだ!」
俺様は城壁へ向かって声を張り上げた。
「今日からこの砦の所有者になる男だ! 死にたくない奴は武器を捨てて、門を開けろ!」
しばしの沈黙。
やがて城壁の上から、魔族兵たちの笑い声が上がった。
「ご主人様、交渉は失敗したようです」
「あいつらが俺様の親切を理解しなかっただけだ」
「相手の受け入れられない要求を親切とは申しません」
『勇者ゼクト・グランツか』
先ほどの女の声が、再び響く。
『貴様の悪名は聞いている。王国最強の勇者でありながら、規律を守らず、女と見れば見境なく口説く恥知らずだとな』
「情報が古いぞ! 俺様は今日、勇者をクビになった!」
『……何?』
女の声に、わずかな動揺が混じった。
城壁の中央。
兵士たちが道を開け、その奥から一人の女が姿を現す。
大きい。
周囲の魔族兵より、頭一つどころか二つ近く大きかった。
身長は百九十センチほど。
青みを帯びた褐色の肌と、腰まで届く銀白色の長髪。大きな肩当てと分厚い手甲、脚甲を備えた黒鉄の重装鎧をまとっている。
露出は多くない。
それでも、革装束に包まれた胸元の膨らみは、遠目からでも分かるほど豊かだった。
鍛え抜かれた肉体と、女らしい曲線。
腕や脚は太く引き締まっているが、腰はくびれ、その立ち姿には武人の威厳がある。
顔立ちは精悍で、燃えるような青紫色の瞳が俺様を睨んでいた。
女の肩には、全長二メートル近い巨大な剣が担がれている。
銀灰色の分厚い刀身。
先端が断頭台の刃のように斜めに落ちた、処刑のための大剣だ。
「でかい女だな」
俺様は素直な感想を口にした。
女が顎を上げる。
『我が武威を前に、恐れを抱いたか』
「いや、胸の話だ」
『…………』
「ご主人様」
フィーネが俺様の外套を引いた。
「初対面の女性です」
「だから褒めたんだろ」
『貴様……今、どこを見ている?』
「胸だ」
『潔く答えれば許されると思うな!』
大女の怒声によって、谷全体が震えた。
素晴らしい声量だ。
「俺様はゼクトだ。お前の名前は?」
『魔王軍北方守備隊総大将、ラウラ・ヘルグレイヴ! 《不落城主》の役割を授かりしデュラハンである!』
「ラウラか。気に入った。砦と一緒に俺様の女になれ」
『断る!』
「では、砦をもらってから、もう一度聞こう」
俺様は飛竜の上で立ち上がった。
「ご主人様?」
「フィーネ。こいつと一緒に待っていろ」
「まさか、ここから飛び降りるおつもりでは……」
「そのまさかだ」
「地面まで百メートル以上ございます!」
「俺様なら問題ない」
「地面の方が心配です!」
俺様は飛竜の背を蹴った。
身体が宙を舞う。
眼下で魔族兵たちが慌てて弓を引き絞った。
『放て!』
無数の矢が空を埋める。
俺様は飛来した一本を掴み、別の矢へ投げつけた。
矢と矢が空中で衝突し、弾かれた矢がさらに別の矢を落とす。
それでもすべてを落とせるわけではない。
残った矢が肩や腕をかすめたが、その程度で俺様が止まるはずもない。
「どけ!」
城壁の上へ着地する。
轟音が響き、黒い石床が大きく陥没した。
衝撃で周囲の魔族兵が吹き飛ばされる。
「ば、化け物!」
「俺様を魔物と一緒にするな」
一番近くにいた角の生えた兵士が、剣を振りかぶった。
俺様はその手首を掴み、剣だけを奪う。
「借りるぞ」
「返せ!」
「嫌だ」
奪った剣の腹で兵士を殴り飛ばす。
背後から槍が迫る。
振り向かずに剣を回し、穂先を切断。柄だけになった槍を掴み、三人まとめて薙ぎ払った。
次々に兵士が襲ってくる。
剣が折れれば、次の兵士から奪う。
槍が欠ければ捨てて、斧を拾う。
矢が飛んでくれば盾を奪い、その盾ごと弓兵へ投げつける。
「ご主人様が、次々に窃盗を……」
上空からフィーネの嘆く声が聞こえた。
「戦場で拾ったものは拾った奴のものだ!」
「手から直接奪っております!」
細かい奴だ。
『怯むな!』
ラウラが大剣を掲げた。
『我らが城は不落! 北方砦が存在する限り、我らに敗北はない!』
その胸元に刻まれた青い紋章が輝く。
《役割――不落城主》
砦全体を覆うように、青白い光が広がった。
先ほど俺様が踏み砕いた石床が、音を立てて修復されていく。
折れた兵士の武器までもが、元の形へ戻った。
それだけではない。
俺様に殴り飛ばされた兵士たちが、何事もなかったかのように起き上がる。
「なるほど」
俺様は新しく奪った剣を肩へ担いだ。
「壊しても直る城か。便利だな」
『これで理解したか、元勇者!』
ラウラが城壁を蹴った。
巨体が一瞬で間合いを詰める。
『この砦は決して落ちぬ!』
断頭大剣が横薙ぎに振るわれた。
俺様は剣で受ける。
次の瞬間、奪ったばかりの剣が粉々に砕けた。
「ほう」
大剣の刃が、俺様の右腕を浅く切り裂く。
傷そのものは大したことがない。
だが直後、右腕から感覚が消えた。
肩から先が、俺様の身体ではなくなったかのように垂れ下がる。
『我が断頭大剣は、肉体と魂のつながりを断つ!』
ラウラが大剣を振り上げる。
『その腕は、もう死んでいる!』
「だからどうした?」
俺様は左手でラウラの顔面を殴りつけた。
「ぐっ!?」
巨大な身体が城壁の上を転がる。
「右腕が駄目なら、左腕を使えばいい」
『ならば両腕を落とすまで!』
「そのときは口で剣をくわえて戦う」
『なぜ諦めるという選択肢がない!』
「俺様が諦める必要がどこにある?」
立ち上がったラウラが、再び《ギロティア》を構える。
青紫色の瞳が鋭く細められた。
『聞いていた以上に、傲慢な男だ』
「褒めるな。惚れたか?」
『貴様の首を落としたくなった!』
ラウラが駆ける。
踏み込むたびに城壁が揺れ、黒鉄の鎧が音を立てる。
速い。
その巨体からは想像できない速度だ。
振り下ろされた《ギロティア》を、半歩ずれてかわす。
刀身が石床へ食い込み、城壁の半分近くを切り裂いた。
だが、傷ついた城壁はすぐに青白い光に包まれ、元通りになっていく。
「自分で壊しても直るのか。ますます便利だな」
『貴様に渡すつもりはない!』
「じきに俺様の城になる。壊しすぎるな」
『貴様が言うな!』
大剣が跳ね上がる。
俺様は後ろへ跳び、刃を避けた。
そこへ復活した魔族兵たちが殺到する。
「ラウラ様に続け!」
「侵入者を討て!」
「人間に砦を渡すな!」
剣と槍が四方から迫る。
俺様は最初の兵士の腕を取り、迫ってきた別の兵士へ投げつけた。
二人をまとめて城壁へ叩きつける。
斧を奪い、剣を弾き、鎧の上から魔族兵を殴り倒す。
だが、いくら倒しても青白い光が傷を塞ぎ、兵士たちは再び立ち上がった。
十人。
二十人。
三十人。
まるで終わりがない。
「面白い」
『いつまで余裕を保てるか、見せてもらおう!』
「違うぞ、ラウラ。俺様が言ったのは――」
俺様は斧を捨て、迫ってきた兵士の剣を奪った。
「何回殴っても壊れないなら、遠慮する必要がないということだ」
地面を蹴る。
兵士たちの中央へ突っ込み、剣を振るった。
鎧が砕け、武器が宙を舞う。
壁上にいた兵士たちを次々に薙ぎ倒し、その勢いのままラウラへ迫る。
『愚かな!』
ラウラの《ギロティア》と、俺様の剣が正面から衝突した。
当然、俺様の剣が砕ける。
だが、最初から分かっていた。
砕け散る刃の向こうへ左手を伸ばし、《ギロティア》の柄を掴む。
『なっ!?』
「もらった」
『離せ!』
「嫌だと言っている」
互いに大剣を掴み、引き合う。
ラウラの両腕に筋肉が浮かび上がった。
凄まじい怪力だ。
俺様と正面から力比べをして、すぐには膝をつかない女は久しぶりだった。
「やはり俺様の女になれ」
『この状況で口説くな!』
「強くて美人で胸もでかい。断る理由がない」
『私にはある!』
ラウラが俺様の腹へ膝蹴りを叩き込む。
身体が一瞬浮いた。
その隙に《ギロティア》を引き戻し、横薙ぎに振るう。
俺様は身体を反らして回避する。
銀灰色の刃が、鼻先を通り過ぎた。
直後。
空いていた左手で、ラウラの首をつかんだ。
「捕まえたぞ」
『それがどうした!』
首元で燃えていた青白い霊炎が激しく揺れる。
俺様はラウラの頭を、胴体から引き抜いた。
銀白色の髪をなびかせ、大女の頭部が宙へ持ち上がる。
「なっ――!?」
ラウラの胴体が大きくよろめいた。
「首を取った。俺様の勝ちだ」
『馬鹿め! 私はデュラハンだ! 頭部が外れた程度、負傷にすら数えん!』
頭を失ったラウラの身体が、《ギロティア》を振り上げる。
「面倒な身体だな」
俺様は彼女の頭を小脇に抱えたまま、迫る大剣をかわした。
『私の頭を返せ!』
「嫌だ」
『それ以外の言葉を知らないのか、貴様は!』
「返してほしければ、俺様の女になれ」
『なるか! それに、その持ち方をやめろ!』
「暴れるな。落とすぞ」
『落としたのは貴様だろうが!』
頭部だけになったラウラが顔を真っ赤にして怒鳴る。
身体は身体で正確に《ギロティア》を振るい続けていた。
頭と胴体を別々に相手にする必要があるらしい。
なるほど。
確かに面倒だ。
「ご主人様!」
上空からフィーネの声が落ちてきた。
「兵士の方々の様子が、おかしいです!」
「何?」
俺様はラウラの身体から距離を取り、周囲を見る。
何度も復活した魔族兵たち。
傷は塞がっている。
砕けた鎧も、折れた武器も元通りだ。
だが、最初に俺様へ向かってきた兵士の顔は、青白く変色していた。
瞳から光が消え、口元から黒い霧が漏れている。
ほかの兵士たちも同じだ。
復活した回数の多い者ほど、身体の輪郭が薄くなっていた。
「なるほど。直しているのは身体だけか」
『黙れ!』
小脇に抱えたラウラの頭が叫ぶ。
『戦い続けろ! 我らは不落! 我らに敗北はない!』
兵士たちが再び武器を構えた。
しかし、その足取りは明らかに鈍い。
魂を削りながら、無理やり身体だけを動かしている。
「ラウラ。あと何回だ?」
『何の話だ』
「こいつらは、あと何回復活できる?」
『……』
「城壁は何度でも直る。だが中身はそうではないらしいな」
『北方砦を守ることが、彼らの使命だ!』
「全員壊れるまで戦わせるつもりか?」
『それでも、ここを抜かれれば後方に暮らす魔族の民が戦火へ晒される! 彼らも覚悟の上だ!』
「そうか」
俺様は足元に落ちていた剣を拾った。
『分かったなら、私の頭を戻せ! そして、ここから立ち去れ!』
「断る」
『やはり何も分かっていないではないか!』
「お前の兵は俺様がもらう」
『何?』
「城も兵士も俺様のものだ。勝手に壊すな」
俺様は向かってきた兵士の剣を弾き、その鳩尾へ拳を打ち込んだ。
殺さない。
骨も折らない。
意識だけを正確に刈り取る。
気絶した兵士を城壁の端へ投げ、その上へ別の兵士を積み上げていく。
『何をしている!』
「死ななければ復活もしない」
『貴様……!』
「フィーネ! 降りてこい!」
「はい!」
飛竜が城壁へ降下する。
フィーネがその背中から飛び降り、気絶した兵士たちへ駆け寄った。
「治せ」
「敵の方々ですが、よろしいのですか?」
「俺様の兵だ」
フィーネは一瞬だけ目を丸くした。
すぐに、柔らかく微笑む。
「承知いたしました、ご主人様」
フィーネが両手を重ねる。
「傷ついた身体へ、安らぎと灯火を――《慈光治癒》」
淡い光が、城壁の上へ広がった。
傷ついた魔族兵たちの身体が包み込まれる。
《不落城主》の青白い光とは違う。
失われた魂までは戻せないが、これ以上崩壊しないよう、傷ついた肉体を優しくつなぎ止めていく。
意識を取り戻した角持ちの兵士が、フィーネを見上げた。
「なぜ……人間側の者が、俺たちを……」
「私は人間ではありません」
フィーネが答える。
「それに、ご主人様から治すよう命じられましたので」
「敵である、我々を?」
「敵かどうかは、あまり関係がないと思います。痛いものは、痛いですから」
フィーネは次の兵士へ手を伸ばした。
その手首を、ラウラ配下の兵士が掴む。
「触るな……俺はまだ、戦える……」
「はい。ですが、今は休んでください」
「城を守らなければ……」
「ご心配には及びません」
フィーネが困ったように笑う。
「ご主人様が、もう自分の城だと申しておりますので」
「それのどこが安心できるんだ……?」
もっともな疑問だ。
別の兵士が立ち上がろうとする。
だが身体は言うことを聞かず、その場に膝をついた。
『立て!』
ラウラが叫ぶ。
『北方砦の兵士ならば、最後まで戦え! 我らの後ろには、守るべき魔族の民がいる!』
兵士たちが武器を握る。
その指は震えていた。
《不落城主》の青白い光が、再び彼らを立ち上がらせようとする。
フィーネが、両腕を広げて兵士たちの前へ立った。
「いけません!」
『退け、少女!』
「これ以上戦えば、この方々は元に戻れなくなります!」
『それでも戦わねばならんのだ! この砦を抜かれれば、その先にある村や町へ戦火が及ぶ!』
「ご主人様は、魔族を滅ぼすために来たのではありません!」
『ならば何のために来たという!』
フィーネは俺様を見た。
助けを求めるような目だ。
「俺様の国を作るためだ」
「もう少し穏当な表現はございませんか?」
「ない」
『人間が魔族の地に国を作るだと?』
「人間も魔族も関係ない。俺様に従う奴は俺様の民だ」
『従わぬ者はどうする』
「叩きのめしてから、もう一度聞く」
『結局、力ではないか!』
「当たり前だ。話し合いで城がもらえるなら、最初からそうしている」
「先ほどの降伏勧告を、話し合いに数えないでください」
俺様はラウラの頭を持ち上げ、兵士たちの方へ向けた。
「よく見ろ、ラウラ」
『何をだ』
「お前の城だ」
城壁は再生している。
城門にも傷一つない。
ラウラの身体も、今なお《ギロティア》を構えている。
だが、兵士たちは立ち上がらなかった。
傷ついた仲間を治療するフィーネを見つめている。
やがて、一人の兵士が剣を置いた。
「ラウラ様……申し訳、ありません」
続いて、別の兵士も槍を手放す。
「俺は……もう、仲間が魔物になる姿を見たくない」
「ラウラ様だけの責任ではありません。我々も、承知して戦いました」
「この少女は、俺たちを助けてくれました」
「戦意を失った俺たちを、人間の男も殺さなかった」
一つ、また一つ。
城壁の上へ、武器が落ちていく。
ラウラの表情から怒りが消えた。
『お前たち……』
「城とは壁のことではない」
俺様は告げる。
「そこにいる奴らが、誰を主と認めるかだ」
『まだだ。私はまだ戦える!』
「ああ。お前の身体は元気そうだ」
首を失った身体が《ギロティア》を構えている。
俺様はラウラの頭を覗き込んだ。
「だが、兵士を壊さなければ維持できない城が、本当に不落か?」
『黙れ……』
「お前の兵は、もう俺様とフィーネに助けを求めた」
『黙れ!』
「北方砦は落ちた」
『まだだ!』
「それでも落ちていないと言い張るなら、好きにしろ。お前一人で俺様と戦え」
俺様はラウラの頭を城壁の上へ置いた。
「お前の兵には、今後一切戦わせるな」
『それは……』
「決めろ。城主」
ラウラの青紫色の瞳が、兵士たちへ向く。
黒い霧を吐き、倒れている者。
互いに身体を支え合っている者。
フィーネの治療を受け、ようやく苦痛から解放された者。
ラウラの胴体が、《ギロティア》を下ろした。
長い沈黙の末。
『……我々の、敗北だ』
その言葉が、静かに落ちる。
『北方守備隊総大将ラウラ・ヘルグレイヴは、ゼクト・グランツに敗北した。これ以上、我が兵に戦闘を命じることはない』
俺様の前に、黒い文字が浮かび上がった。
《対象が敗北を承認しました》
《勝利条件達成》
《対象の役割――不落城主》
《役割を接収しますか?》
「当然だ」
《役割――不落城主》
《接収完了》
ラウラの胸元に刻まれていた青い紋章が消える。
同時に、俺様の左手へ同じ紋章が浮かび上がった。
切断されていた魂のつながりが修復され、右腕へ感覚が戻ってくる。
指を握って開く。
どうやら《ギロティア》の効果は永続ではないらしい。
それと同時に、砦の構造が手に取るように分かった。
城壁。
兵舎。
食料庫。
地下牢。
さらに、その下。
厳重に封印された巨大な空間が存在している。
中に何かいるようだが、今は後回しでいい。
「ご主人様」
フィーネが俺様の左手を見つめる。
「《不落城主》を手に入れられたのですね」
「ああ」
「これで、ご主人様が北方砦の城主です」
「違うぞ」
「え?」
「城主はお前だ」
フィーネの手を取る。
《譲渡対象――フィーネ》
《役割――不落城主》
《譲渡しますか?》
「譲渡する」
「お、お待ちください、ご主人様!」
《譲渡完了》
俺様の手にあった青い紋章が、フィーネの手へ移った。
砦全体が大きく揺れる。
城壁の上に掲げられていた魔王軍の旗が、青白い炎に包まれた。
旗に描かれた紋章が消え、新しい紋章へと変わっていく。
銀色の星を抱く、黒い翼。
フィーネの胸元にも同じ紋章が浮かび上がった。
《新たな城主を確認》
《個体名――フィーネ》
《真名との照合を開始》
《魔王王統――適合》
《北方砦は、新城主へ服従します》
城門が独りでに開く。
砦中の魔族兵たちが、フィーネへ向かって一斉に膝をついた。
「えっ……?」
フィーネが硬直する。
「ご主人様。皆様が、私に跪いております」
「見れば分かる」
「私には城主など務まりません!」
「俺様にも務まらん」
「では、どなたが管理をするのですか?」
「お前だ」
「会話が一周して戻ってきました!」
「今日からここはお前の城だ。好きに使え」
「好きに使えとおっしゃられても……」
フィーネは困り果てた顔で、自分へ跪く兵士たちを見回した。
やがて、まだ傷ついたままの者たちに気づく。
「それでは、城主として最初の命令を申し上げます」
フィーネが胸の前で手を重ねる。
「負傷した方は、すぐに武器を置いてください。軽傷の方は、重傷者を治療室へ。温かいお湯と、清潔な布も必要です」
兵士たちが顔を見合わせる。
「聞こえませんでしたか?」
フィーネが不安そうに振り返る。
「ご主人様。私では、やはり城主など……」
「お前たち」
俺様は兵士たちを見回した。
「新しい城主の命令だ。さっさと動け」
「は、はい!」
「重傷者を運べ!」
「医務官を呼んでこい!」
魔族兵たちが慌ただしく動き始めた。
フィーネの顔が明るくなる。
「命令を聞いていただけました」
「当たり前だ。俺様が選んだ城主だからな」
「選んだ理由はございますか?」
「俺様が面倒だからだ」
「少しでも感動した私が間違っておりました」
さて。
城は手に入れた。
次は女だ。
俺様は、城壁の上に置かれたラウラの頭を拾い上げた。
『待て。なぜ再び脇に抱える』
「今日からお前も俺様のものだ」
『私は《不落城主》の役割に含まれていない!』
「細かい女だな。美人なのに」
『首だけの女を口説くな!』
「身体もあるだろ」
俺様が見ると、首のないラウラの身体が両腕で胸元を隠した。
『見るな!』
「顔はこっちにあるのに、器用な奴だ」
「ご主人様」
フィーネが、俺様の腕からラウラの頭をそっと受け取る。
「ラウラ様を荷物のように扱ってはいけません」
「そいつが返せとうるさいから持っていただけだ」
『貴様が落としたのだろうが!』
フィーネはラウラの頭を両手で丁寧に抱え、その身体へ近づいた。
「痛くありませんか?」
『問題ありません。姫殿下』
「姫殿下?」
フィーネが首を傾げる。
『《不落城主》が、あなた様の血を魔王王統と認めました。ならば、その呼称が適切かと』
「ですが、私はご主人様の奴隷です」
『なぜ魔王王家の血を引く方が、人間の奴隷などに!』
「俺様が買ったからだ」
『貴様には聞いていない!』
フィーネがラウラの頭を、胴体の上へそっと戻す。
青白い霊炎が燃え上がり、頭部と胴体がつながった。
ラウラが首を回し、具合を確かめる。
俺様より頭一つ大きい女が、改めて目の前に立った。
間近で見ると、やはりでかい。
「ご主人様。どこを見ているのですか?」
「胸だ」
「少しは隠してください」
「なぜだ?」
「堂々としていれば許されるわけではございません」
ラウラが《ギロティア》を構え直す。
「敗北は認めた。役割も奪われた。だが、貴様の女になると認めた覚えはない」
「では、明日また聞く」
「毎日聞くつもりか?」
「お前が頷くまでな」
「永遠に断る!」
「デュラハンなら長い付き合いになりそうだな」
ラウラの額に青筋が浮かんだ。
悪くない。
「ラウラ。今日からフィーネの護衛をしろ」
「なぜ私が!」
「敗者は勝者に従うものだろ」
「貴様は私の役割を奪った。そこまで従う義理はない」
「なら、砦を出ていってもいいぞ」
俺様は兵士たちを指差した。
「ただし、こいつらと城は置いていけ」
「ぐっ……!」
「どうする?」
ラウラが歯を食いしばる。
やがてフィーネを見た。
負傷兵たちの治療を手伝い、汚れた包帯を集めている、小さな新城主を。
「……承知した」
ラウラは《ギロティア》を床へ突き立て、フィーネの前で片膝をついた。
「このラウラ・ヘルグレイヴ。北方砦の守備隊と、姫殿下を守るため、しばらく貴殿らに同行しよう」
「俺様の女になる件は?」
「それは断る!」
「まだ、が抜けているぞ」
「永遠にだ!」
「まあいい」
俺様は城壁へ突き立てられた《ギロティア》を引き抜いた。
「何をする?」
「戦利品だ」
片手で振ってみる。
悪くない重さだ。
だが、刃の形が趣味ではない。
俺様には、もっと格好いい剣が似合う。
「返す」
「扱いが軽い!」
「俺様には見た目が地味すぎる」
「我が一族に伝わる断頭大剣だぞ!」
「その程度で怒るな。地下にもっと良さそうなものがある」
《不落城主》を一瞬だけ所有したことで、砦の構造は覚えている。
最下層。
何重もの封印の奥に、強大な力を秘めた何かが眠っていた。
「地下だと?」
ラウラの表情が変わる。
「まさか、あの封印が……」
そのとき。
城壁の中央に設置された黒い水晶が、赤い光を放った。
ラウラが振り返る。
「魔王城からの通信だ」
「ちょうどいい。出ろ」
「貴様に命令される筋合いはない!」
「では俺様が出る」
「待て!」
俺様は水晶へ触れた。
空中に赤い光が広がり、一人の少女の姿がぼんやりと映し出される。
年齢はフィーネより少し上。
肩に触れるほどの黒髪と、穏やかな茶色の瞳。黒を基調とした豪華な衣装をまとっているが、その顔立ちには魔王らしい恐ろしさより、普通の少女らしさが残っていた。
『北方砦、応答してください。ラウラさん、聞こえますか?』
「誰だ?」
『……そちらこそ誰ですか?』
「新しい城主の主人だ」
『城主の、主人……?』
少女が困惑した顔をする。
後ろからラウラが怒鳴った。
「申し訳ありません、魔王陛下! 北方砦は、この男に占領されました!」
『えっ!?』
少女の目が丸くなる。
「お前が魔王か?」
『わ、私が魔王なんですけど……』
「そうか。美人だな」
『第一声がそれですか!?』
「俺様の女になれ。魔王城ごと面倒を見てやる」
『な、なんでそうなるんですか!』
水晶の向こうで、誰かが駆けてくる音がした。
黒い鎧をまとった若い男が、少女を庇うように映像へ割り込む。
『美兎! そいつから離れろ!』
『離れろって、遠距離通信だよ!』
少女――美兎が困ったように答える。
男は水晶越しに俺様を睨みつけた。
『お前、何者だ!』
「ゼクト・グランツ。今日、勇者をクビになった」
『勇者……?』
「お前も勇者か?」
男の顔が強張る。
黒い鎧の隙間から、右手の甲に刻まれた金色の紋章が見えた。
《異界勇者》
神殿で見た《勇者》とは、わずかに形が違う。
『俺は皇蓮。もう勇者を名乗るつもりはない』
「では何だ?」
『美兎を守る騎士だ』
「そうか。なら俺様の部下になれ」
『断る!』
「美兎もまとめて面倒を見てやるぞ」
『だから断っている!』
今日会った連中は、断ってばかりだな。
『ちょっと待って』
美兎が、皇蓮の肩越しにこちらを見る。
『さっき、新しい城主って……誰のこと?』
「フィーネだ」
『フィーネ……?』
「正式な名前は、フィーネ・ルクレティア・セレス・アステリア――」
『ヴァル=ノクティス』
美兎が、その続きを口にした。
先ほどまでの困惑が消えている。
顔から血の気が引いていた。
『その子は、そこにいるの?』
「あの……私です」
フィーネが俺様の隣へ立つ。
美兎は水晶越しにフィーネを見つめた。
『お願い』
魔王の声が震える。
『その子を、魔王城へ連れてこないで』
「理由は?」
『私が倒されたら、その子は死ぬ』
城壁の上から、音が消えた。
皇蓮が美兎の肩を抱く。
ラウラでさえ、驚いた顔でフィーネを見ている。
『北方砦は返さなくていい。ラウラさんたちを傷つけないなら、あなたたちを追うこともしない。だからお願い。私を倒しに来ないで』
「断る」
『どうして!?』
「俺様の行き先を、お前が決めるな」
『でも、その子が死ぬんだよ!』
「だから、お前を殺さずに倒す」
俺様は美兎へ告げた。
「《異界魔王》を奪い、魔王城も奪う。フィーネは死なせない。お前も欲しいから殺さない」
『最後の一言で、全部台無しだよ!』
「美兎は渡さない!」
皇蓮も怒鳴る。
「お前の許可は聞いていない」
『絶対に来るな!』
「待っていろ。すぐに行く」
俺様は通信を切った。
赤い映像が消える。
フィーネが不安そうに俺様を見上げた。
「ご主人様。本当に魔王様を倒されるのですか?」
「ああ」
「私が死んでしまうかもしれなくても?」
「死なせないと言っただろ」
「ですが……」
「俺様は一度言ったことを曲げない」
城も奪う。
魔王も奪う。
フィーネの命も、誰にも渡さない。
「まずは、この砦を調べるぞ」
目指すは最下層。
《不落城主》の記憶が示した、封印区画。
次に俺様が奪うものは、すでにこの城の地下で待っている。




