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第一話 勇者をクビになったので、奴隷少女を魔王にする

全九話、三日間連続投稿で第一部完結予定です。

毎日7時・12時・20時ごろ更新します!


 魔王を倒せば、俺様の奴隷が殺される。


 その事実を知ったのは、俺が勇者をクビになった日だった。


 ならば魔王を倒さなければいい――などと、俺様が考えるはずもない。


 魔王は倒す。


 役割は奪う。


 魔王城も魔王軍も、ついでに魔王本人も俺様がいただく。


 そしてフィーネを、次の魔王にする。


 我ながら完璧な作戦だった。


 もっとも、この時点ではまだ、当のフィーネだけがそのことを知らなかったのだが。


       ◇◇◇


「――以上が、魔王城攻略作戦の全容です」


 王城五階に設けられた軍議室。


 巨大な円卓の上には魔族領の地図が広げられ、数十個の駒が整然と並べられていた。


 説明を終えたクラウディア・ローデンが、銀縁眼鏡の位置を直す。


 勇者パーティーの賢者にして、王国随一の宮廷魔術師。


 長い藍色の髪を背中へ流した、いかにも頭の固そうな女だ。


「魔王軍の北方砦を迂回し、渓谷から魔族領へ侵入します。行軍に七日。そこから三日をかけて魔王城を包囲。補給路を断ったのち、私たち勇者一行が城内へ突入します」


「異議はありません」


 真っ先に賛同したのは、聖女エレノア・アルセイン。


 純白の法衣をまとい、黄金色の髪を肩口で切りそろえた美人だ。


 性格は真面目で堅苦しく、食事の前には必ず祈りを捧げる。俺様が先に食べ始めると、食事中ずっと睨んでくる面倒な女でもある。


「兵士の犠牲を最小限に抑えられる、堅実な作戦だと思います。ヴィオラはどうですか?」


「アタシも構わない。北方砦を正面突破するよりは、よっぽどまともだ」


 椅子を後ろへ傾けながら答えたのは、剣姫ヴィオラ・レイヴァン。


 燃えるような赤い髪を高い位置で束ね、会議中だというのに腰から長剣を外そうともしない。


 気が短く、すぐに剣を抜く。


 以前、結婚したら毎朝裸エプロンで起こしに来いと言っただけで、三日ほど本気で命を狙われた。


「では、全員一致ということで――」


 その瞬間、軍議室の窓を巨大な影が覆った。


「伏せてください!」


 エレノアが叫ぶ。


 直後、窓硝子を突き破って、一頭の飛竜が室内へ転がり込んだ。


 巨体が円卓を直撃し、精密に並べられていた駒を吹き飛ばす。王国軍の兵士を示す白い駒も、魔王軍を示す黒い駒も、仲良く床へ散乱した。


「なっ……!?」


「敵襲よ!」


 ヴィオラが椅子を蹴って立ち上がり、長剣を抜く。


 クラウディアも即座に杖を構えた。


 飛竜は翼を広げれば十メートルを超える大型種だ。普通なら、討伐には騎士一個小隊を必要とする。


 ただし、今は白目を剥いて気絶していた。


 その背中から、俺様は軽やかに飛び降りる。


「待たせたな」


「ご主人様、お待たせした側が言う台詞ではないと思います」


 続いて、小柄な少女が飛竜の背から降りてきた。


 淡い銀色の髪に、紫水晶のような瞳。


 首には、所有者が俺様であることを示す黒い隷属環がはめられている。


 俺様の奴隷にして、身の回りの世話を担当するフィーネだ。


 床へ降り立ったフィーネは、割れた窓と壊れた円卓を見回し、深々と頭を下げた。


「皆様、申し訳ございません。ご主人様には扉から入るよう、何度もお願いしたのですが……」


「窓の方が近かった」


「ここは王城の五階です!」


 エレノアの悲鳴が響く。


「だから飛竜で来たんだろうが。階段を上る手間が省けた」


「それ以前の問題です!」


「相変わらず細かい女だな。美人なのに、そんなことでは婚期を逃すぞ。仕方ないから俺様がもらってやる」


「その心配だけは不要です!」


 今日も元気そうで何よりだ。


 ヴィオラが長剣を握ったまま、飛れた飛竜へ近づく。


「こいつ、魔王軍の偵察用飛竜じゃない。あんた、どこで捕まえたのよ?」


「王都の西だ。空を飛んでいたから殴り落とした」


「どうやって空を飛んでいる相手を殴るのよ」


「跳べば届く」


「届くわけないでしょ!」


「届いたからここにいるんだろ」


 見れば分かることを、いちいち聞く女だ。


 飛竜の頭には、俺様の拳の形にへこんだ大きな瘤ができている。


 フィーネがその頭を膝に載せ、治癒魔法を施し始めた。淡い光に包まれた飛竜が、小さく喉を鳴らす。


「それで?」


 俺様は半分だけ残った円卓へ歩み寄った。


「何の話をしていた?」


「魔王城攻略作戦です!」


 クラウディアが珍しく声を荒らげた。


 床に散らばった駒を見下ろし、こめかみを押さえている。


「七日かけて北方砦を迂回し、さらに三日をかけて魔王城を包囲する作戦でした。私が十日かけて作成したものを、あなたが今、十秒で破壊したのです」


「却下だ」


「聞いていましたか?」


「聞いたから却下した。遅すぎる」


 俺様は床に落ちていた魔王の駒を拾い上げる。


「三日後、王都で美人コンテストがある」


「……はい?」


「俺様は審査員を頼まれている。十日もかけていられるか」


「世界の命運よりも、美人コンテストを優先するのですか?」


 クラウディアが理解不能な生物を見るような目を向けてくる。


「当然だ。魔王は逃げないが、今年の美人は今年しかいない」


「出場者は来年も存在します!」


「来年には結婚しているかもしれないだろうが!」


「知らないわよ!」


 ヴィオラが怒鳴った。


「そもそも、勇者が美人コンテストの審査員を引き受けないで!」


「王国中の美女が集まるのに、俺様以外の誰が審査するんだ?」


「世の中の男は、あんただけじゃないのよ!」


「俺様以外の男に女を見る目があると思うか?」


「その根拠のない自信はどこから湧いてくるの……?」


 ヴィオラが剣を下ろし、額を押さえた。


 まったく、仕方のない連中だ。


「安心しろ。もっと早い作戦を俺様が考えてきた」


「嫌な予感しかしませんが、一応伺いましょう」


 クラウディアが警戒を隠さずに尋ねる。


 俺様は気絶している飛竜を指差した。


「こいつに乗って北方砦を飛び越える」


「飛竜は四人までしか乗れません」


「お前たちは歩いてこい」


「勇者パーティーの意味をご存じですか?」


「魔王は俺様が倒す。お前たちは城の後片づけでもしていろ」


 我ながら無駄のない作戦だ。


「魔王を倒したら、この飛竜は逃がす。帰りは魔王が使っている乗り物を奪えばいい。二日で戻れる」


「穴だらけです!」


 エレノアが円卓を叩いた。


「あなたはいつもそうです! 作戦を無視し、後先も考えず、すべてを力で解決しようとして!」


「実際、解決してきただろ」


「そういう問題ではありません!」


「では、どういう問題だ?」


「あなたの人格の問題です!」


 随分とはっきり言う女だ。


 だが、美人が怒って頬を赤くしている姿は悪くない。


「やはり俺様の妻になるか?」


「なぜ今の会話から求婚に至るのですか!」


「エレノアは美人だからな。多少面倒でも許してやる」


「私は許しません!」


「そうか。ならヴィオラ、お前が一番目だ」


「巻き込むな!」


 ヴィオラの剣先が俺様の喉元へ突きつけられる。


 殺気はあるが、本気で斬る気はない。


 俺様には分かる。


 何度も口説いているからな。


「お前はもう少し料理を覚えろ。毎日干し肉では飽きる」


「誰が結婚するって言った!」


「照れるな。顔が怖いぞ」


「殺す!」


「ご主人様、本題から離れております」


 飛竜の治療を終えたフィーネが、俺様の外套についた硝子片を払いながら教えてくれた。


「そうだったな。クラウディア」


「お断りします」


「まだ何も言っていないぞ」


「私への求婚でしょう」


「さすが賢者だ。察しがいい。俺様との子供も頭が良くなりそうだ」


「私を子供の教育係にするという、先ほどの発言から悪化していませんか?」


「妻と教育係を兼任すればいい。給料は一人分で済む」


「誰があなたと結婚しますか!」


 三人とも、今日も素直ではない。


 フィーネが小さく息を吐いた。


「ご主人様。本日だけで四人目ですよ」


「お前を数に入れるな。お前は最初から俺様のものだ」


「そういう意味ではございません」


「今日は調子が悪いな」


「多い方です」


 俺様たちのやり取りを眺めていたエレノアの表情が、不意に曇った。


 やがて意を決したように、胸元で両手を握る。


「ゼクト。もう、終わりにしましょう」


「何がだ?」


「あなたと私たちの、勇者パーティーをです」


 軍議室の空気が変わった。


 ヴィオラが目を逸らす。


 クラウディアは驚かない。最初から知っていたらしい。


 エレノアは懐から、一通の書状を取り出した。


 王家と神殿、二つの封蝋が押されている。


「勇者ゼクト・グランツ。王国および中央神殿は、度重なる命令違反と不適切な行動を理由に、あなたを魔王討伐隊から除名します」


「不適切な行動?」


 心当たりが多すぎて、どれのことか分からんな。


 エレノアは書状を読み上げる。


「王命を三度無視。軍資金を無断で賭博へ使用。敵砦への単独侵入。救出した三人の王女へ同時に求婚。捕虜とした魔王軍幹部を許可なく解放――」


「待て。軍資金は増やして返しただろう」


「そういう問題ではありません!」


「王女たちも全員美人だった」


「それも問題です!」


「魔王軍幹部は、俺様の女になると言ったから見逃した」


「なっていないでしょう!」


「将来の話だ」


 エレノアの額に青筋が浮かんだ。


「さらに、作戦無視、貴族への暴行、王城内での破壊行為――」


「窓のことなら今壊したばかりだぞ」


「一項目増えました!」


 なるほど。


 どうやら本気らしい。


 俺様はクラウディアへ目を向けた。


「お前が考えたのか?」


「ええ」


 クラウディアは静かに認めた。


「あなたの力が必要だったことは否定しません。しかし、その力に頼り続けた結果、勇者一行としての規律は完全に崩壊しました」


「最初から規律などなかっただろ」


「あなたが壊したのです」


「壊れる程度のものなら必要ない」


「……そういうところです」


 眼鏡の奥に、わずかな苛立ちが浮かぶ。


「《勇者》の役割があるからこそ、私たちはあなたの横暴を受け入れてきました。しかし、その役割を返上すれば、あなたはもう勇者ではありません」


「俺様が辞めたら、魔王討伐はどうするつもりだ?」


「ご心配なく」


 クラウディアは、待っていたとばかりに答えた。


「すでに神殿が、次代の勇者候補を選定しています。明日にはあなたから回収した《勇者》が、新たな適格者へ継承されます」


「俺様のお下がりで魔王を倒すつもりか。随分と安い勇者だな」


「役割の価値は所有者によって変わりません」


「変わるぞ。俺様が持っていたものだから、一番価値がある」


「……そういうところです」


「今日二回目だな、それ」


 クラウディアは答えず、眼鏡を押し上げた。


「新たな勇者は、私たち三人と合流します。魔王討伐に支障はありません。あなたには勇者の役割を返上していただきます」


「なるほど」


 俺様は頷いた。


「なら、魔王を倒したあとの報酬は全部俺様のものだな」


 三人が黙った。


「……怒らないのですか?」


 エレノアがおそるおそる尋ねる。


「なぜだ?」


「私たちは、あなたを追放するのですよ」


「そうらしいな」


「勇者の名誉も、王国からの支援も、すべて失うことになります」


「名誉で飯は食えん。金なら魔王から奪えばいい」


 何を気にしているのか、さっぱり分からん。


「むしろ都合がいい。これからは、お前たちに戦利品を分ける必要もない」


「……本当に、あなたという人は」


 エレノアは悲しそうに目を伏せた。


 ヴィオラはそんな彼女を見てから、俺様を睨む。


「一つだけ言っておくわ。アタシは最後まで反対したからね」


「俺様と別れるのが寂しかったか?」


「違う! あんたの性格は大嫌いよ!」


「安心しろ。魔王を倒したら迎えに来てやる」


「来るな!」


「エレノアとクラウディアも一緒でいいぞ」


「追放された直後まで私たちを口説かないでください!」


 元気な女たちだ。


「では、神殿へ向かいましょう」


 クラウディアが杖を手に取った。


「あなたから《勇者》の役割を剥奪します」


       ◇◇◇


 この世界に生きるすべての人間は、十五歳になると女神から《役割》を与えられる。


 《剣士》《商人》《農民》《治癒術師》。


 役割は才能を決め、立場を決め、時には人生そのものを決める。


 強力な役割を得た者は称賛され、そうでない者は分相応に生きることを求められる。


 そして《勇者》とは、数ある役割の頂点。


 人類を救い、魔王を倒すため、女神に選ばれた英雄だ。


「勇者ゼクト・グランツ。祭壇の前へ」


 中央神殿の最奥。


 壁も床も純白の石で造られた聖堂に、老いた大神官の声が響く。


 祭壇の奥には、人の背丈ほどもある巨大な鑑定晶が安置されていた。


 エレノアたち三人に加え、数十名の神官と神殿騎士が俺様を囲んでいる。


 勇者の追放を見届けようと、王国の貴族まで集まっていた。


 随分と暇な連中だ。


「ご主人様」


 後ろに控えていたフィーネが、俺様の外套を摘まむ。


「本当に、よろしいのですか?」


「何がだ?」


「勇者ではなくなってしまいます」


「だから何だ?」


「弱くなってしまうかもしれません」


「俺様が?」


 馬鹿なことを言う。


「役割がなくなった程度で俺様より強くなる奴がいるなら、連れてこい。返り討ちにしてやる」


「ご主人様なら、そうおっしゃると思いました」


 フィーネは安心したように笑った。


 俺様は祭壇へ上がり、鑑定晶に右手を触れる。


 透明だった水晶の内部に、金色の文字が浮かび上がった。


《個体名――ゼクト・グランツ》


《役割――勇者》


《神聖加護――剥奪承認》


《魔王討伐権――返上》


《女神との接続を解除します》


 水晶から伸びた光が、俺様の胸へ突き刺さる。


 熱はない。


 痛みもない。


 ただ、身体の中から何かが抜け落ちていく感覚があった。


 右手の甲に刻まれていた勇者の紋章が、光の粒となって消滅する。


《役割――未設定》


《神聖加護――なし》


《魔王討伐適性――測定不能》


《総合能力――算出不能》


 聖堂のあちこちから、ざわめきが上がった。


「終わりました」


 大神官が冷たく告げる。


「今のあなたは、何の役割も加護も持たない、ただの人間です」


「そうか」


 俺様は肩を回した。


 確かに、妙な重さが消えている。


 身体が軽い。


「いかがです?」


 クラウディアが祭壇の下から俺様を見上げていた。


「力を失った感想は」


「肩こりが治った」


「強がりはおやめください。《勇者》の加護を失えば、能力は十分の一以下になっているはずです」


「なら、試してみるか?」


 一歩踏み出す。


 石造りの祭壇が、俺様の足元からひび割れた。


 聖堂が揺れ、天井から白い粉が降ってくる。


 神官たちが悲鳴を上げた。


 クラウディアの頬が引きつる。


「ただの人間にしては、元気そうだろ?」


「……鑑定晶の故障です」


「便利な言葉だな」


「ゼクト」


 ヴィオラが俺様を呼んだ。


 その手は無意識に剣の柄へ伸びている。


 怯えているのではない。


 俺様の力量を測ろうとする、剣士の目だ。


「本当に、何ともないの?」


「さっきからそう言っている」


「……そう」


 ヴィオラだけは気づいたらしい。


 俺様が何一つ失っていないことに。


「これで手続きは完了です」


 大神官が宣言する。


「ゼクト・グランツ。あなたに魔王討伐を名乗る資格はありません。二度と勇者を称さぬように」


「勝手にしろ。俺様は最初から、勇者などと名乗った覚えはない」


「待ってください」


 立ち去ろうとした俺様を、エレノアが呼び止めた。


 彼女が見ているのは、俺様ではない。


 フィーネの首にある隷属環だった。


「最後に、その少女を解放してください」


「断る」


 考える必要もなかった。


「フィーネは俺様のものだ」


「あなたはもう、王国公認の勇者ではありません。これ以上、彼女を危険な旅へ巻き込むことは認められません」


「お前の許可など必要ない」


「彼女は人間ではなく魔族です。奴隷として不当に売買され、あなたに逆らえない契約を結ばされています」


「だからどうした?」


「自由にするべきです!」


 エレノアがフィーネの前へ膝をつく。


「もう大丈夫です。あなたを縛っている契約は、私が解除します」


「あの……」


 フィーネは困ったように俺様とエレノアを見比べた。


「お気持ちはありがたいのですが、私はご主人様についていきます」


「脅されているのですか?」


「いいえ」


「では、何か弱みを握られて?」


「ご主人様を一人にすると、三日以内に全財産を使い切りますので」


「昨日、倍にしたぞ」


「軍資金を賭博に使わないでください」


 フィーネが静かに返す。


「それに、ご主人様は料理も洗濯もできません。宿の手配を忘れ、放っておけば野宿します。欲しいものを見つけると値段を見ずに買い、気に入らない相手がいると建物ごと殴ります」


「そこまで悪く言う必要はないだろ」


「すべて事実です」


「分かりました」


 エレノアが立ち上がる。


「ゼクトから離れられないほど、心を支配されているのですね」


「なぜそうなるのですか?」


「今、私が解放します!」


「話を聞け、エレノア」


 俺様が止めるより早く、エレノアがフィーネの隷属環へ触れた。


「聖なる女神よ。不当に奪われし魂へ、再び自由を――《契約解放》!」


 白い光が、隷属環を包む。


 フィーネが小さく息を呑んだ。


 隷属環に刻まれた俺様の紋章が消えかける。


 その瞬間だった。


 祭壇の鑑定晶が、耳障りな音を立てた。


《未登録個体への干渉を検出》


《隠匿役割を検索》


《真名照合――不一致》


《血統情報を優先します》


 水晶の内部が、血のような赤に染まっていく。


《対象個体――フィーネ・ルクレティア・セレス・アステリア・ヴァル=ノクティス》


「え……?」


 フィーネが目を見開いた。


「フィーネ?」


「知らない名前です。聞いたこともないはずなのに……」


 フィーネが自分の胸元を押さえる。


「どうして、自分の名前だと分かるのでしょう」


 声が震えていた。


 水晶に、さらに文字が刻まれていく。


《魔王王統――適合》


《真なる役割――終焉の■■》


《執行条件――異界魔王の討伐》


《対象の所有権を確認》


《隷属契約による保護――有効》


《契約解除後、執行可能》


《執行準備を開始します》


「嫌……」


 フィーネが、俺様の外套を強く掴んだ。


 これまでどんな魔物を前にしても、彼女がそんな声を出したことはなかった。


「ご主人様、私――」


 その先を聞く必要はなかった。


 俺様は祭壇を踏み砕き、赤く染まった鑑定晶へ拳を叩き込む。


 轟音とともに、水晶が砕け散った。


 赤い文字が消滅し、フィーネを包んでいた光も霧散する。


 隷属環には、再び俺様の紋章が戻っていた。


「何をするのです!」


 エレノアが叫ぶ。


「余計なことをするなと言ったはずだ」


「あれは神殿の至宝ですよ!」


「知るか」


 俺様はフィーネの腕を引き、自分の後ろへ下がらせた。


「俺様のものを怯えさせた方が悪い」


 フィーネが背後で息を呑む。


 だが、何かを言わせてやる暇はなかった。


 聖堂の扉が閉じられる。


 完全武装した神殿騎士たちが、俺様たちを包囲した。


 先頭に立つ大柄な騎士が、槍を突きつける。


「ゼクト・グランツ。神殿の至宝を破壊した罪により、貴様を拘束する」


「断る」


「貴様はもう勇者ではない。神殿騎士長たる俺に逆らえば、どうなるか分かっているのか?」


「知らん。どうなる?」


「身の程を教えてやる!」


 騎士長が床を蹴った。


 神聖な光をまとった槍が、俺様の胸を狙う。


 遅い。


 俺様は槍の穂先を片手でつかみ、そのまま騎士長ごと持ち上げた。


「なっ――」


「役割がなければ、俺様に勝てると思ったか?」


 振り下ろす。


 騎士長の身体が床へ叩きつけられ、聖堂全体が大きく揺れた。


 石床に、人型の穴ができる。


 神殿騎士たちの顔から血の気が引いていた。


「まだやるか?」


「ま、参った……」


 穴の底から、騎士長のかすれた声が聞こえる。


「俺の……負けだ……」


 その瞬間。


 俺様の前に、黒い文字が浮かび上がった。


《対象が敗北を承認しました》


《勝利条件達成》


《対象の役割――神殿騎士長》


《勝者は、敗者が所有する役割を接収できます》


《接収しますか?》


 どうやら、クラウディアの言っていたことは半分だけ正しかったらしい。


 勇者という役割が消えたことで、それまで覆い隠されていた別の何かが目を覚ました。


《固有権限――勝者権限》


《敗北を認めた対象から、役割の接収、所有、譲渡、封印が可能です》


 俺様は黒い文字を読み終える。


「ご主人様……?」


 フィーネが不安そうに俺様を見ていた。


 俺様にしか見えていないらしい。


「要らん」


《接収を放棄しますか?》


「そんなつまらん役割、俺様には必要ない。もっと上等なものを寄越せ」


 黒い文字が消滅する。


 俺様はエレノアたちへ背を向けた。


「帰るぞ、フィーネ」


「ですが、どちらへ……?」


「魔王城だ」


 割れた窓から、夕暮れの空が見える。


 王都の遥か北。


 黒い山々の向こうに、魔王の支配する土地がある。


「待ちなさい!」


 エレノアが俺様の背中へ声をぶつける。


「あなたはもう、勇者ではありません!」


「何度も言うな。聞こえている」


「魔王を討伐する資格はないのですよ!」


「勇者でなければ魔王を倒せないと、誰が決めた?」


「それは……女神様です」


「なら、その女神が間違っている」


 振り返ると、クラウディアが俺様を凝視していた。


 さっきの一撃が信じられないらしい。


 ヴィオラは剣の柄を握ったまま、楽しそうに口元を歪めている。


「やっぱり、あんたは何も失ってないのね」


「当たり前だ」


「次に会ったら、今度こそアタシが勝つ」


「勝ったら結婚してやる」


「絶対に負けられなくなったじゃない!」


「エレノアとクラウディアも、魔王を倒したら迎えに来てやる。荷物をまとめて待っていろ」


「誰が待ちますか!」


 三人の声を背中で聞きながら、俺様はフィーネを連れて聖堂を出た。


       ◇◇◇


 神殿の外では、捕まえた飛竜が大人しく待っていた。


 フィーネの治癒魔法が気に入ったらしい。俺様を見ると怯えたように首を引っ込めたが、逃げようとはしない。


「ご主人様」


 フィーネが立ち止まった。


「先ほど表示された名前は、何だったのでしょう」


「長すぎて覚えていない」


「私の名前かもしれないのですが……」


「フィーネでいいだろ」


「ですが、魔王王統とも表示されていました。もしかすると私は――」


「難しい顔をするな。似合わんぞ」


 フィーネが俯く。


「私は、何者なのでしょうか」


「フィーネだ」


「それだけですか?」


「俺様の奴隷だ。それ以上に何がいる?」


 フィーネが顔を上げる。


 紫色の瞳に浮かんでいた不安が、ほんの少しだけ薄れた。


「……そうですね」


「分かったら乗れ」


「ご主人様は、時折とても乱暴に人を安心させますね」


「褒めても何も出んぞ」


「褒めているかどうかは、ご想像にお任せします」


 生意気な奴隷だ。


 俺様は飛竜の背へ飛び乗り、フィーネに手を伸ばす。


 彼女が俺様の手を取った。


「それで、魔王城へ向かってどうなさるのですか?」


「魔王を倒す」


「勇者ではなくなったのに、ですか?」


「俺様が魔王を倒すのに、勇者の役割など必要ない」


「ですが、魔王を倒すと私の《何か》が執行されると……」


「魔王を殺さずに負けを認めさせる。あとは《魔王》だけを奪えばいい」


「簡単なことのようにおっしゃいますね」


「俺様にとっては簡単だ」


 魔王を倒す。


 役割を奪う。


 魔王城も魔王軍も、宝物庫も全部いただく。


「では、ご主人様が次の魔王になるのですか?」


「馬鹿を言え」


 俺様が、誰かの後釜で満足するはずがない。


「次の魔王は、お前だ」


「…………私ですか?」


「喜べ。奴隷から魔王へ昇進だ」


「昇進の幅が大きすぎます……!」


「細かいことを気にするな。まずは手頃な砦を一つ奪うぞ」


「手頃な宿のようにおっしゃらないでください!」


 飛竜が翼を広げる。


 目指すは、魔王軍北方砦。


 俺様たちが最初に奪う城は、もう決まった。

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