七
「ちょいと聞きてぇんだが」
翌日。同じように梅の様子を見た後に、惣八は中屋敷にいる下働き幾人かに、そろりと声をかけることにした。
「おや惣八さん。今年も梅干しを、楽しみにしてますよ」
「こりゃ嬉しい言葉だねぇ」
「そんで聞きたいことってのは、なんでしょね」
こうした具合で軽口を交わしつつ、惣八は聞き込みを進めていく。
「最近この中屋敷で、いつもよりも入り数の少ない荷はないかい?」
「入り数の……ねぇ。そういや、砂糖が届いてから、いつもより早くなくなってたね」
他の者に尋ねると、醤油やら味噌やらの消費も、常と比べ早いらしい。
(ふぅむ)
惣八は顎に手をかけ下頬を指で持ち上げる。片頬がぐにゃりと歪む。それを見て笑った、台所の奥にいる下働きのお志乃に、声をかけた。
「最近、急な宴席はあったかい?」
「宴席ねぇ。こないだ惣八さんが、台所に入ったときくらいだよ」
「あぁ、あの梅の仕込みの日か」
「でもあれだって、最初から予定されてたから、急ってこたないのよ」
「急じゃない?」
(いや、しかしあの日貞蔵さんは、あたしに急な宴席って言ってたような)
少し前の日を思いだそうと、眉をハの字に傾ける。お志乃は惣八の背中をばんと一つ叩いた。
「なんて顔してんだい。いい男が台無しだよ」
「お志乃さん、あん日の宴席は元から予定されてたのかい?」
「そうだよ。だからなんで、子が産まれたばかりで出てこれない台所頭組頭の代わりを、頼んでないんだろって思ってたんだ。そしたら、あんたが来てくれたからね」
「代わりは頼んでなかった」
「惣八さんが来るって分かってたからじゃないの? あんたなら、なんべんもここの台所入ってるから、安心だ」
「確かにそうかもしんねぇな。ありがとよ」
礼を告げ、惣八は台所を後にした。まもなく夕餉の支度が始まるであろう台所は、人が増えてきている。
(さて。こりゃどうしたもんかねぇ)
屋敷を出て、空を見上げる。日はまだ沈む気配はない。
(行って帰って――間に合うかな)
これから向かう場所までの、距離を考える。
(まぁ、大木戸が閉まるまでには戻れるか)
四ッ谷御門を抜け、溜池の向こうに日吉山王大権現、所謂山王様を見ながら、惣八は大名屋敷街を抜けていく。左右に見える塀の向こうには、紫陽花の花が青やら白緑やら桃色に咲き誇る。屋敷によっては、奥に山法師の花が白く輝く。
「お、あすこの枇杷は、食いどきだね」
寺社の中に見える枇杷の木には、櫨染色の実がたわわに、千歳緑と鉄色の中に浮かび上がっていた。
(宴席が決まってるにも関わらず、他の料理人を呼ばなかったんは……。あたしをあすこから、外すためか?)
飯倉片町を過ぎ、仙台坂の中腹へ出る。そこから、古川の下流域となる新堀川に架かる三の橋を越え、三田の寺社街を抜けたところで、車町の高輪大木戸にぶつかった。
「うん、間に合いそうだな」
惣八はそう呟くと、近くの水茶屋に立ち寄る。
物事を考えながら歩いていると、うっかり喉の渇きを忘れてしまう。
「冷水を一杯頼む」
「あいよ」
海に面した東海道の水茶屋は、たいていその海を眺められる位置に長椅子が設けられていた。そこへ座り、出された水をぐいと流し込む。喉を伝う水分が、麹町からここまで一気に歩いてきた体を癒やしてくれた。海風が頬を撫でる。潮の匂いの混じるそれに、惣八は鼻の穴をくんと広がらせた。
「よし、あと少し急ぐとするか」
四文をたすき掛けの少女に手渡すと、惣八はここからそう遠くない、東海道一の宿、品川宿へ足を向けたのだった。




