十三
惣八の長屋で飲んでいるうちに、すっかり日が暮れていた。
辺りが薄暗くなり、お夕が帰宅する刻限を二刻も過ぎたところで、お富美が近くを探し回ったが、見つからない。行き違いがあったら困るからと、知り合いに頼み、通い奉公先の尾張藩中屋敷へ駆けて貰ったが、随分前に帰ったと言われたらしい。
「こんなに暗くなるまで、寄り道するような子じゃないんだよ」
「第一、夜に出掛けるにしろ、この長屋の住人じゃねぇから、木戸だって通れねぇ」
惣八の言葉にお富美も頷く。
お夕は普段は父親と日本橋の方に住んでいる。町木戸が閉まる夜は、その地域の住人が持つ、通り札が必要になるのだ。
「とにかく手分けして探そう。惣八、さっきお夕ちゃんのこと何か言いかけただろ」
「ああ。あたしがお夕に頼み事をしちまったから、もしかしたら巻き込まれた」
「馬鹿野郎! 何してやがんだ! 思い当たる場所はねぇのか」
「ある。お富美は万一の行き違ぇがあると困るから、ここでお夕を待っててくれ」
そう告げると、惣八は草履を引っ掛け飛び出す。文之進もすぐに続いた。
「どこに向かってる」
「尾張様の蔵屋敷」
舌を噛みそうになるところを堪え、それだけを告げる。委細は辿り着いたところで話せば良い。先ずはお夕を見つけることが、先決だった。
日本橋を真っ直ぐに駆け抜け、京橋を渡る。木挽き橋を渡ったところで、庶民の町から、やがて大名屋敷街へと塀が変わる。
屋敷街を抜けながら川沿いに出ると、惣八は呼吸を整えた。
「お夕が帳簿で見たっていう『みた塩問屋』なんてぇのは、存在しねぇ」
「そりゃもう知ってる」
「みた、は地名なんだよ」
「三田ならこっちじゃねぇだろ。愛宕さんの方だ」
「いや、お夕が見たってぇのは、十中八九、片仮名だったんだよ」
みた塩問屋ではなく、ミタ塩問屋。つまり――。
「汐ってことか」
文之進の言葉に、惣八は頷く。尾張藩の蔵屋敷があるのは、汐留だ。塩を問屋を通さず自らで充填するとなれば、人の出入りの少ない蔵屋敷は、絶好の場所なのだろう。汐の文字を分解した表記で帳簿に記載することで、露呈しづらくしたかったのか。
「お前さん、お夕ちゃんに何を頼んだ」
「――荷札が見つかれば、手に入れて欲しい、と」
荷札は、藩を出るときに掛けられ、上部に藩元の情報、下部に受取人情報が記載されており、中央に入れられた切り欠きに添って、受け取り時に切り離す。その内容は藩元でも帳簿に書かれているので、これが見つかれば十俵の塩を送った筈が、九俵となっていたことの証となる。
「お夕はもしかしたら、それを手に入れたところを、貞蔵様に」
「貞蔵、ってのは」
「尾張藩中屋敷の、台所頭だ」
台所頭とは、食材などの仕入れから帳簿付けまでを一環して行う役職のことを指す。真砂貞蔵は、その台所頭を長年預かってきた男だった。
「よう、お疲れさん」
尾張藩の蔵屋敷の手前には、辻番屋がある。そこには、与力が交代で見回りをしていた。文之進はその与力に、勝手知ったる顔で声をかける。無論、知り合いではない。
「あんたさんは」
与力の言葉に、文之進は胸元から小人目付の証である目付札を見せ、声を落とした。
「ちょいと尾張様の蔵屋敷を調べたくてね。今日出入りはあったかい?」
「夕方くれぇかな。台所頭殿が数人の下働きを連れて荷車を入れていった」
「もう帰っちまったかい?」
「ああ。半刻もしねぇうちに下働きが出てきて、そのあとすぐに台所頭殿も」
文之進は惣八を見る。二人は頷き合い、与力の一人を連れて、尾張藩の蔵屋敷へ向かう。角を曲がったところで、尾張藩士の門番が三人に気付いた。
「何者だ!」




