年越しまでの話 増える厄介事
自分が“女”であると解った上で、何かあれば大声を上げて隣のここあさんを起こす。多分、階下のみっちゃんにも聞こえるだろう。そうなったら自身の身の置場所が無くなる。そんな可能性を考えた上で部屋の前で自分を待っていたのだろうか。しかし、正人さんは静かに湯飲みを握り、じっと黙っている。
「…あの、話ってなんすか?」さすがに、いたたまれずにこちらから話を促す。「…僕の話なんだけどね。」
もしかしたら、入居の時にみっちゃんから聞いてるかもしれないんだけど、と始まったのは、本日聞いたばかりの正人さんの女性アレルギーの発端の話しであった。「頭では解ってるんだ。“姉”とは違う人だって。けど、なぜか解らないんだけど、身体が拒否反応を起こすんだよ。」女性全員に反応するのではなく、本人にもわからない何かに反応するのだという。「難儀っすねぇ。」程よく冷めたほうじ茶をすする。酒粕と白味噌の後味を、スッキリと洗い流す。
「…ただ、気になる事があって。」正人さんは、キリッとこちらからを見ると、自分の隣に身体をずらしてきた。「な、なんすか?」さすがに身体を引いたが、「幸君。」そういって自分の手を握ってきた。ひょえっ!「君にお願いがあるんだ。」「お、お願いっ?!」声が裏返ってしまった。なんだ!?何をされるんだ?!ゆ、幽霊、スタンバってるか?!一瞬の内に頭の中がポップコーンの様に弾けたが、「女装して、僕とデートしてくれないかな。」…。「…あんだって?」ドリフなセリフが口をついた。
「つまり、女性に慣れる為に“女装”した自分が、正人さんの恋人役になればいいんすね?」いゃ、自分、女なんで。女装とは言わないんじゃないっすかね。とは、言わぬが花である。「そう、何て言うか…。」しばし顔をそらして言い淀んでから「幸君って中性的だから。あ、悪い意味じゃなくて。あの、ほら、男性アイドルにも“かわいい”人っているでしょ?そんな感じで。」あわてふためて真っ赤な顔で弁明されても…。「まぁ、了解っす。あー、一応聞いておきたいんすけど。ちょっとプライバシーに関わる事でも大丈夫っすか?」「こんなお願いしてる時点で、僕の方が人権侵害だよ。ごめんね、ありがとね。何かな?」いつものにこやか爽やか好青年になった正人さんは居ずまいを正し、聞く姿勢になる。「え…と、じゃあ、自分は“男”なんすけど、女装してって事は、正人さんはみっちゃんみたいに、どっちも好きになる人って事じゃないんすか?」「えぇっ!ち、違う違う。そうだね!そう感じるよね!」またしても、真っ赤になる正人さん。「えーっと。そうだね、うん。なんて言ったらいいかな。」汗が噴き出している。部屋は、そこまで温度を上げていないのだが。立ち上がり、ハンカチが入るカゴからハンドタオルを取り出して正人さんに渡す。「あ、ありがと。」汗を拭き拭き、「…僕も、今の幸君くらいの歳に、悩んだんだ。」そこからは、みっちゃんから聞いていない話だった。
小学校は祖父母宅で自宅学習が主となり、中学受験で近くの男子校に入った。これを見越した上での祖父母宅への移住でもあったから、勉強は大変だったが頑張れたらしい。「で、やっぱりそういう仲になる人もいてね。」思春期。同性同士でも、誰かの“特別”になる事がステータスに感じる年頃で「先輩後輩、同級生の中にも、そういう関係を築く人がいてね。公言しなくても、雰囲気で解るんだ。」そんなある日、正人さんにも白羽の矢が立った。その頃の正人さんは、果たして自分は女性を好きになれるのか、もしかして…。と、自問自答する日々。ならば、せっかく好意を持ってくれた相手。友達に毛が生えた程度の付き合いならば、と交際を始めたのだと言う。「でも、やっぱり無理だったんだ。理由は聞かないで。」まぁ、友達とエロ本(男性向け)を回し読みするって事は、おっぱいを選んだんだな。「けれど、女性を前に泡吹いて白目向いて倒れたりって、一度や二度じゃないし。いまだに化粧したここあちゃんや、仕事仕様のみっちゃんに苦手意識を持つ事があるんだ。」「なるほど?」「かと言って、化粧が薄い女性でも、隣に立たれた瞬間、全身にさぶいぼが立って…。」「とりあえず、やってみるっすけど、成果が出なきゃ辞めるっすよ?」がしがしと、頭をかく。「ありがとうね。こんな訳解んないお願い聞いてくれて。とりあえず、冬休みの間だけ、数回デートしてくれないかな。」「了解っす。おごりっすよ?」「もちろん!こちらがお願いするんだから。」そうして、正人さんはにこやかに退室し、自室に戻っていった。「…お前、ややこしい頼み、きく事なったなぁ。」幽霊が横目で見てくる。「はぁ。」とりあえず、今日は寝よう。明日も朝からコンビニバイトだ。「平穏に年越しできるだろうか。」自分のぼやきは、部屋の暗闇に消えた。




