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草の生えない空と、遺された親友

もう一つの世界、より正確にはゼンラが生きていた元の世界では、その夜、大規模なコンサートが開催されていた。黄金色のスポットライトが、ステージに立つ一人の美青年の顔を照らし出す。


ゼンラの兄、アルビルだ。


彼の目の前には、地平線まで続くかのような人の海が広がり、ファンたちが名前を叫びながらペンライトを振っている。


それはまるできらめく小さな星々のようだった。しかしアルの目には、それらがすべて墓地に群がるホタルのように虚しく映っていた。


アップテンポなイントロが響き渡る。アルビルは踊らなければならなかった。そして、笑わなければならなかった。


(みんなに見せてやりなさい、あなたがダニンドラ家の誇りである理由をね、アル)ステージに上がる直前、バックステージで母親が囁いた冷酷な言葉が、今も耳の奥で鳴り響いている。


伴奏の音楽よりも、ずっと大きく。


アルは歌い始めた。声は乱れることなく安定していたが、その瞳には何の生気も宿っていない。


激しい振り付けをこなすたび、葬儀の時に見たゼンラの冷たくなった遺体の残像が脳裏をよぎり、アルビルは自嘲気味な笑みを浮かべた。


(ゼン……お前、あっちで一人きりなのか? もう、救われたのか……?)


アルビルは夜空から視線を外すことなく、心の中で問いかけた。


そして、本来なら一番盛り上がるはずのサビの部分で、アルは無意識のうちに高音のトーンを少しだけ歪ませた。それはまるで、掠れた叫びか、あるいは悲痛な呻き声のようだった。


「I’m happy for you... I’ll be there for you...」


その歌詞が彼の唇からこぼれ落ちる。アルは絶望のあまり笑い出しそうだった。


幸せだって? 自分は今、世界の頂点ステージに立っているというのに、最愛の弟は地の底よりも深い場所に眠っているのだから。


突如、こらえきれなくなった涙のせいでアルの視界がにじんだ。


彼は踊り続けたが、その足は小刻みに震え始めていた。


客席からは大歓声が沸き起こる。


ファンたちはそれを、楽曲に入り込んだ


「迫真のエモーショナルな演技」だと思い込んでいた。


自分たちのアイドルが、今まさにステージの上でリアルタイムに精神崩壊を起こしているとは、誰も知る由がなかった。


(ゼン……兄さんを許してくれ……お前が誰かの支えを必要としていた時、傍にいてやれなくてごめん……)


しばらくして、曲が終わりを迎えた。アルは息を切らしながら、ステージの中央に立ち尽くしていた。


色鮮やかな紙吹雪が舞い散る中、アルはVVIP席の最前列にある、ぽつんと空いた一つの座席を見つめた。


本来なら、家族が座るはずの席だ。だが、そこには誰の姿もない。彼の両親は、「ダニンドラ家」の家族席に座るよりも、主催者プロモーターの隣に並んで立つことを選んだのだ。


セットチェンジのためにステージの照明がゆっくりと暗転していく中、アルはその場に崩れ落ちるように膝をついた。


もうカメラの目なんてどうでもよかった。


一瞬の暗闇に紛れ、彼は息が詰まりそうなほど苦しい胸を、何度も何度も拳で叩きつけた。


「俺は……草の生えていないただの空になんて、なりたくなかったんだよ、ゼン……」


十数年前、公園で交わした二人の約束を繰り返すように、彼は掠れた声で呟いた。しかし、その声は観客たちの鳴り止まないアンコールの叫びにかき消されていった。


世界は彼に輝き続けることを求める。


たとえ彼の魂が、弟の死とともにとうに消え失せていたとしても。


彼は思い出す。あの日、自分の世界が完全に崩壊した、あの日のことを……。


(2ヶ月前の回想)


スタジアムの照明がカラフルに明滅し、何千人もの人々が「アルビル」の名を呼ぶ叫び声が、地響きのように鳴り響いていた。


ステージの上から見下ろす人の海は、言葉を失うほど美しかった。


そしてステージの上で、アルは誰よりも眩しい満面の笑みを浮かべ、汗を流しながら、世界一幸せな人間であるかのように振る舞っていた。


しかし、そんな時間は長くは続かなかった。


第2セットの衣装替えのために彼がステージを降りた瞬間、バックステージが騒がしくなっていることに気づいた。彼の目に、ひどく見覚えのある一人の少年が飛び込んできた。普段とは違い、身なりをひどく乱したその少年――そう、ゼンラの親友であり、アパートの隣人でもあるレオが、セキュリティスタッフに力ずくで取り押さえられていたのだ。


「アル兄貴! アル兄貴!! ゼンラが、兄貴! ゼンラが死んじまったんだよ!!!」


レオが声を限りに叫んだ。


アルビルの足がピタリと止まった。


心臓を胸の奥から無理やり引き剥がされたかのような衝撃が走った。


彼は一瞬で顔を真っ青に染め、大股でレオの元へと詰め寄った。「お前、今なんて言った……? ふざけた冗談言ってんじゃねえぞ、テメェ!! 俺の弟の命がかかってんだぞ、ふざけんな!!!」


「冗談なわけないだろ、兄貴!! 俺の親友なんだぞ!! ゼンラが……あいつ、アパートに戻る途中で、2階から落ちてきた物干し竿の下敷きになって死んじまったんだよ、兄貴……。即死だった。今はメディカ病院に安置されてるけど、誰とも連絡がつかないんだ! だから俺はここに来たんだよ! 兄貴、知っての通り、俺は何度も何度もあんたらの家族の誰にでも電話をかけまくったんだ! なのに、誰も電話に出てくれなかったんだよ!!」


アルビルの思考は一瞬で真っ白になった。彼はスタジアムを飛び出そうと、すぐさま背を向けた。


コンサートなんてどうでもよかった。


今一番重要なのは、大急ぎで病院へ向かい、自分の耳で聞いたことが本当なのか確かめることだけだった。


しかし、コンサートから逃げ出すことなど、今の彼には不可能だった。


そこには、アビとヴィナが冷徹で厳粛な表情を浮かべて立ちはだかっていたからだ。


「どこへ行くつもりだ、アル。観客が待っている。今すぐステージに上がりなさい」


ヴィナは淡々と言い放った。


その声には、悲しみの欠片すら含まれていなかった。


「お母さん! ゼンラが死んだんだよ! 俺の弟なんだよ! 俺たちのゼンがいなくなっちゃったんだよ!」


アルは激しくむせび泣きながら叫んだ。


アビは無表情のまま何も語らず、ただ少し歪んでいたアルの衣装の襟元を静かに整えた。


「知っている。さっき病院から電話があった。だが、お前には契約がある。このコンサートを失敗させて、我が家のイメージを泥塗りにすることは許されない。続けなさい。その問題は……明日の朝に処理する。どうせ、あの子はもう死んだんだ。どこへ逃げ出すわけでもないだろう」


アルは信じられないという目で両親を見つめた。


自分の世界が、足元から音を立てて崩れ落ちていくのを感じた。


反抗したかった。だが、その力は今の彼には残されていなかった。


そして最終的に、アルは重い足取りで、涙を拭いながら再びステージへと押し戻された。


そして、ゆっくりとアップテンポな楽曲を歌い始めた。


外側から見れば、アルビルは軽快に激しく踊っているように見えた。


しかし、彼の頭の中には、この報せを聞く前に見たゼンラの笑顔の残像だけが、ずっと焼き付いて離れなかった。


そして翌朝、太陽が昇り始めたちょうどその頃、アルは彼らの大豪邸に到着した。


両親の言葉を完全に無視し、大股で車から降りて駆け出した。


家の前には、すでに「忌中」の札が掲げられ、霊柩車が停まっていた。


アルは何も言わずに家の中へと飛び込んだ。リビングの中央には、つい先ほど運び込まれたばかりの白いひつぎが安置されていた。アルはその棺の傍らに崩れ落ちるように膝をついた。


棺の隣では、レオが今もなお激しくむせび泣いていた。


「なんで……なんで今頃になって家に連れて帰ってきたんだ!?」


アルは屋敷の使用人に問い詰めた。


「昨夜、旦那様と奥様が、大事な用事で手が離せないとおっしゃいまして、アル坊ちゃん……。そのため、ゼンラ坊ちゃんの御遺体は、今朝すべての事務手続きが終わった後に、ようやく連れ戻すことができたのです」


使用人はうつむきながら、消え入りそうな声で答えた。アルはただ、虚しく乾いた笑い声を漏らした。


「手が離せない? 子供が死体安置所で一人きり、凍えているっていうのに、用事で忙しいだと!?……俺の弟が……俺の可愛いゼンが、昨日の夜からずっと、どれだけ寒い思いをしてたか……ッ!」


アルはゆっくりと、弟の遺体に掛けられていた白い顔覆いの布をめくった。


最初に目に飛び込んできたのは、ひどく青白く冷たくなり、唇まで紫色に変色したゼンラの顔だった。


しかし、アルビルの胸を締め付けたのは別のことだった。


彼の目には、ゼンラの表情がこの上なく穏やかに見えたのだ。


まるで、自分に完璧であることを求め続けたこの世界から、ようやく「自由」になれたことを喜んでいるかのように。


アルビルはたまらずその遺体をきつく抱きしめ、声をあげて泣いた。


「ごめんな、ゼン……。お前が一番兄さんを必要としていた時に、あんなクソみたいなステージを選んじまってごめん……。俺に失望しただろ? あはは、お前はもうあっちで幸せになってるんだな。なのに、なんで俺を置いていっちまったんだよ……。俺も連れていってくれよ……。もう疲れたんだよ……」


アルビルは乾いた笑いを漏らしながら、決してその抱擁を解こうとはしなかった。


「失礼いたします、坊ちゃん」


数人の葬儀屋の男たちの声がアルビルの耳に届いたが、彼は微動だにしなかった。


「恐れ入ります、坊ちゃん。これから弟御の出棺(火葬)の準備に入りますので、どうかその手を離していただけないでしょうか」


その言葉を聞いた瞬間、アルビルは葬儀屋の男たちを鋭い目付きでキッと睨みつけた。


「誰も俺の弟に触るんじゃねえ!!」


アルビルはゼンラの棺を壊れんばかりの力で抱え込み、怒号をあげた。


目の血管は浮き出、首筋の青筋が激しく波打っていた。


「お前たちのせいで、あいつは昨日の夜ずっと寒い思いをしてたんだぞ! なのに今度は、自分たちの不手際を隠すために、さっさと土の中に埋めちまおうってのか!?」


赤ん坊の頃からゼンラを我が子のように世話してきた数人の家政婦たちは、その場にへたり込んで激しくむせび泣き、中には狂乱するアルビルの姿に耐えかねて失神してしまう者までいた。


「俺の弟はまだ生きてるんだよ!!! 誰もあいつを連れていかせねえ!! お前ら、俺からあいつを引き離そうとしてるんだろ? あはは、ダメだ!! 死んでも離してやるもんか、この野郎!!!」


葬儀屋たちは困惑した顔で見つめ合ったが、アルビルに少し時間を与えるため、静かにその場から距離を置いた。その時、正面玄関の方からカシャカシャと激しいカメラのフラッシュの音が響き渡った。


数十人もの記者たちがすでに門の前に群がっていたのだ。


まさにその瞬間、さっきまで冷徹な表情で佇んでいたヴィナが、突如として玄関の床にがっくりと膝をついた。


彼女はすぐさま高級なハンカチで顔を覆い、まるで血の涙を流しているかのように肩を激しく震わせ始めた。それだけでなく、夫のアビもすぐさま妻の肩を抱き寄せ、世界で一番深い悲しみに暮れる父親の表情を作ってみせた。「私たちの愛しい末息子……ゼンラ……」母親の掠れた声が響く。


だがアルの耳には、その声が記者たちのマイクに確実に拾われるよう、意図的に声を張っているようにしか聞こえなかった。


「今までこの子を世間から隠していたのは、決して愛していなかったからではありません。あの子は……あの子は光に対してひどく脆弱な慢性疾患を患っておりました。カメラのフラッシュの光は、あの子の病状を致命的に悪化させてしまうのです。私たちはただ、あの子を世間の喧騒から守り、静かに育ててあげたかっただけなのです……」


母親のその言葉を耳にした瞬間、アルビルは凍りついた。彼は信じられないという目で、遠くにいる母親の背中を見つめた。


「病気? 脆弱だと……?」


「ゼンは健康だっただろ、お母さん!! あいつは物干し竿が直撃して死んだんだ! お前たちがでっち上げた嘘の病気なんかじゃない!!」


アルは母親の言葉を遮ろうと、狂ったように叫んだ。


しかしアビは容赦しなかった。


彼は即座にセキュリティスタッフに目配せをし、アルビルを力ずくで屋敷の中に監禁するよう命じたのだ。


アビはメディアへの説明を続けた。


「だからこそ、私たちはひどく打ちのめされているのです。私たちがこの子の回復のために闘っていた最中、神様はあの子をより深く愛され、天へと召されました。どうか、私たちの息子が安らかに眠れるよう、祈ってやってください……」


またしても、アルビルは虚しく乾いた笑い声を漏らすことしかできなかった。


彼はゼンラの遺体を見つめた。まるで、その遺体までもがこの茶番劇を一緒に嘲笑っているかのように見えた。


「聞いたか、ゼン? お前が冷たい遺体になっちまった後でさえ、あいつらは世間の同情を引くために、お前を利用し続けてるんだぞ……」


アルは消え入りそうな声で、静かに 呟いた。


「お前は一度も病気になんてなってねえよ、ゼン。病んでるのはあいつらだ……名誉に目が眩んで狂ってるあいつらの方だ」


(回想終わり)


そのことを思い出し、アルビルは流れる汗を拭った。あの日以来、過密なコンサートや撮影スケジュールのせいで、彼はほとんど休息をとることができず、そのために体調を崩すことも頻繁にあった。


アルビルはステージの中央に立っていた。最後の曲を歌い終え、彼の呼吸は少し乱れていた。彼は何万人もの観客一人ひとりの目をじっと見つめるかのように、深く深い視線を注いだ。そしてゆっくりとマイクを唇に近づけた。


「ハロー……みんな」アルビルが薄く微笑むと、スタジアム全体から一瞬激しい悲鳴のような歓声が上がり、その後、静寂が戻った。


「ステージを降りる前に、みんなにどうしても伝えたい大切なことがあるんだ。……聞いてくれる?」


「みんなの毎日が、決して簡単なことばかりじゃないってことは分かってる。ここにいる多くの人が、自分に意地悪ばかりする現実の世界から、ほんの少しだけ『逃げ出す』ために来てくれたんだってことも分かってるよ。みんな、本当に疲れてるんだよね……」


アルビルは一瞬うつむき、それから再び、嘘偽りのない誠実な瞳で観客を見つめた。


彼にとって、理想通りにいかないこの現実に疲れ果ててしまう気持ちは、痛いほどよく分かっていたからだ。


「疲れた時は、ちゃんと休んでね? あまり考え込みすぎちゃダメだよ。忘れないで、この世界におあなたという存在は、たった一人しかいないんだ。お前は価値がある……ものすごく大切な存在なんだよ。俺を誇らしく思わせるために、無理して完璧になる必要なんてどこにもない」


「美しいっていうのは、決して見た目のことだけじゃない。顔が綺麗な人なんて世の中にいくらでもいる。だけど、お前みたいに純粋な心を持って、お前みたいに一生懸命に闘っている人は……世界にたった一人しかいない。それが、お前なんだよ」


「だから、お願い……。俺がみんなを愛しているのと同じくらい、自分のことも愛してあげて。世界の手によって、お前の瞳の輝きを消させたりしないで、ね?」「ゆっくり休んでね、スウィートハート。明日からまた、一緒に一歩ずつ歩んでいこう。俺はいつでも、ここにいるから」


アルビルは微笑み、指ハートを作ったり、静かに手を振ったりしてから、ステージの照明がゆっくりと暗転していった。コンサートが終わった後、アルビルは自宅に戻って休むことに決めた。


家に戻ったところで、どうせゼンラの部屋で一人泣き明かすだけだと分かってはいたけれど。


「私と母さんはこれから会議がある。お前はマネージャーと一緒に帰りなさい、アル」


アビはそう言いながら、長男の肩をぽんと叩いた。


「うん、お父さん。お母さんと二人で行っていいよ、気にしないで」


アルビルは両親の顔を見ることなく返した。


正直なところ、彼はあの日のことを今でも激しく怒っており、自分の両親であるはずのこの二人の行動を、一生許すことはできないだろう。


アビとヴィナはうなずき、遠くから彼らの背中を見つめるアルビルを残して、すぐさまその場を立ち去った。(あはは、やっぱりこの世界にタダで手に入るものなんてないんだな。今になって、ようやくそのことに気づいたよ……)


アルビルは、自分を家まで送り届ける高級車の後部座席に座っていた。外では激しい雨が降り注いでおり、まるですべてを察した夜空が、彼の予期せぬ「引退」のスケジュールを知っているかのようだった。


「アルさん、ひどくお疲れですね。大丈夫ですよ、あと15分もすれば着きますから」


前方の席からマネージャーが声をかけた。


アルビルは答えなかった。


彼の瞳は、結露で曇った窓ガラスをじっと見つめていた。そこには、幼い頃のゼンラの顔が映り込んでいるように見えた。


初めて幼いゼンラを見た時のこと、あの赤くて小さかった赤ん坊を目にした瞬間、自分がこの子を一生守り抜くと心に誓ったあの日の記憶が、鮮明に蘇る。「俺、疲れたよ、ゼン……。このステージは、俺一人で立つには大きすぎるんだ…」


アルは消え入りそうな声で、誰にも聞こえないように呟いた。


この後、何が起きるかなど、誰も知る由がなかった。


交差点のちょうど真向かいから、ブレーキの故障によって制御を失った大型トラックが猛スピードで突っ込んできたのだ。


トラックのヘッドライトの強烈な光が視界を遮ったが、奇妙なことにアルビルは叫ばなかった。


パニックに陥ることもなかった。


耳を劈くようなクラクションの音が響き渡り、そして次の瞬間、衝突は避けられなかった。


激しい衝撃が車のボディを容赦なく押し潰した。


割れたガラスの破片が皮膚を突き刺していく中、アルビルはむしろ、この上ない安らぎを感じていた。


ひしゃげる鉄の音とマネージャーのパニックになった悲鳴の渦中で、アルビルは自分の体が奇妙なほど軽くなっていくのを感じていた。


血は彼のこめかみだけでなく、全身から流れ落ちていた。


しかし、その瞳から涙がこぼれることはなかった。


彼はただ静かに目を閉じ、その唇は、ここ一ヶ月の間で最も純粋で優しい笑みをゆっくりと形作っていた。


「……待っててね、ゼン……。あっちで、俺のことをずいぶん長く待たせちゃったよね……?」


アルは微かな声で呟いた。彼の瞳はゆっくりと閉じられ、最期の息が、ひどく安らかに、彼の胸から抜けていった。


すでに一ヶ月の月日が流れていた。


一方、突如として広すぎるように感じられるようになったアパートの一室で、レオは誰もいなくなったゼンラの部屋の前にぽつんと座り込んでいた。


その手には、画面がバキバキに割れた、少しだけ修理することに成功したゼンラのスマホが握られていた。


レオがスマホの画面を点けると、そこにはゼンラがまだ送信していなかった、たった一つのメッセージの下書きが残されていた。


『よぉレオ。もし俺が突如として大金持ちになるか、あるいは突如として死んじまったらさ、アル兄貴のことよろしく頼むわ。あいつは金を稼ぐのは天才だけど、幸せを見つけるのはド下手くそだからな。お前は行動が迷子のサルみたいだけど、俺の友達の中で一番まともで正気な奴だからよ』


レオは吹き出したが、スマホの画面に大粒の涙がぽろぽろと落ちていった。


「これから兄貴のことを見守ってやろうと思ってたのにさ、チビ……。あいつ、お前の後を追って逝っちゃったよ……」


レオは掠れた声でぽつりと呟いた。


レオはそれ以来、二度と隣人のWi-Fiをハッキングすることはなかった。


ハッキングが見つかるのを恐れて、隣で大騒ぎするゼンラがもうどこにもいないのなら、そんなことをしても何一つ面白くなかったからだ。レオの人生は続いていく。


しかし、彼の「バカ騒ぎ」の半分は、あの小さな幼馴染の死と共に、とっくに墓の下へと葬り去られてしまっていた。


そして今でも、風に揺れる隣人の物干し竿を見るたびに、レオが笑うことは二度となかった。


その青年はただ静かにうつむき、一向に消えることのない胸の締め付けられるような痛みを抱えながら、待っているのだ。


……いつか自分も、あの仲の良い兄弟がいる場所へ「迷子」になって辿り着く、その瞬間を。


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