前世の傷痕――輝く星の裏に隠された、冷たい家族の肖像
異世界の妖怪タクシー(ゴ・ガイブ)を巡るドタバタ劇から一転、今日のカラは狂ったような労働から休暇を取ることに決めた。肥満ヤモリの物物交換と、モスキート・ツクダニ(蚊の佃煮スナック)の売上のおかげで、当分は食いっぱぐれる心配もない。
そして現在、18歳の青年は、相変わらずのケチなシステムと弟と一緒に小屋のテラスに座っていた。
「兄ちゃん」
クルエルの声に、カラは弟の方へと視線を向けた。
「どうしたエル、急に?」
「昔……最初の人生の頃、兄ちゃんには家族がいたの?」
クルエルのその質問に、カラは思わず言葉を詰まらせた。
[まったくですね、お荷物さん。あなたの昔の家族のことなんて、一度も話していませんでしたからね。もしかして、その奇抜すぎる性格のせいで捨てられたんですか?]
[(俺の機嫌を損ねるなよテム、評価ポイント下げられたいのか?)]
[ほら、すぐ脅すんですから]
「兄ちゃん?」
「あ、ああ、何でもないよエル。今の……家族って話か?」
クルエルはこくんとうなずいた。
「うん、昔の兄ちゃんのこと、ちょっと気になって」
カラはなんて答えるべきか迷った。話したい気持ちはあるが、過去の情けない自分を笑われるのが怖かったのだ。
「そうだな……よし、兄ちゃんが話してやるよ」バスカラは深く息を吐き出すと、弟の目を真っ直ぐに見つめた。
「家族はちゃんといたよ。それにお前、兄貴もいたんだ。そいつは本当に凄いやつでさ、誰のことも一瞬で笑顔にできるような男だった。今でもすげえなって尊敬してるよ。名前を……アルビルって言うんだ」
[なるほど、昨日あなたが「アル兄」と呼んでいたのは、そのアルビルのことだったんですね、お荷物さん?]
カラはシステムをチラリと睨んでから、再びクルエルに向き直った。
「アルビル・ライヤン・ダニンドラ……それが本名だ。家ではアル兄って呼ばれてた。あいつは……子どもの頃からずっとアイドルだったんだよ。子供の頃からキッズモデルをやったりしてさ。当時はあいつのコンサートを、俺は遠くの客席からこっそり見るしかなかったんだ。親に『カメラに映るな』って言われてたからさ」
「どうしてカメラに映っちゃいけなかったの? 兄ちゃん、指名手配犯だったの?」
[ぶわはははは! それはあの世の指名手配犯だな!]
カラはシステムの野郎を冷たい目で一瞥した。
「指名手配犯じゃねえよエル。ただ……世間に俺の存在を知られたくなかったんだよ。母さんは元トップモデルで、父さんは大実業家にして有名俳優。じゃあ俺は? 私はただの……何の役にも立たないデキ損ないだったからな……」
【回想スタート:ギャヴィン・ゼンラ・プラタマ(バスカラ)の過去】
豪華な大邸宅のリビング。10歳の少年ゼンラは、ソファに座る母親の元へ嬉しそうに駆け寄った。彼の手に握られているのは、絵画コンクールで獲得した一等賞のトロフィーだった。
「ママ! ママ! 見てよ、絵画コンクールで1等賞獲ったんだよ!」ゼンラは満面の笑みで母親にトロフィーを差し出す。しかし、ソファに座る母・ヴィナは、前夜に行われた長男アルビルのコンサートの売上・視聴率データをタブレットで確認するのに夢中だった。
「ふーん、よかったわね。でも、お兄ちゃんの活躍に比べたら、そんなの足元にも及ばないでしょ。ほら、お兄ちゃんは昨日、数十億円規模のCM契約を勝ち取ったんだから。あなたも、将来お兄ちゃんを支えられるように経営の勉強でもしなさい」
ゼンラの笑顔が、ゆっくりと消えていった。
「ママ、僕の絵……見てくれないの? 絵の先生がすごく上手だって褒めてくれたんだよ! 他の学校の子たちとも競ってさ!」ゼンラは自分の絵をヴィナの目の前に差し出した。
「上手なんでしょ、だったら自分の部屋にでもしまっておきなさい。いつまでもそんな風に騒いでると、この絵をビリビリに破り捨てるわよ」ヴィナは一度たりともタブレットから目を離さず、冷たく言い放った。
「でも、ママ、まだ僕の絵を――」
「耳が聞こえないの? 自分の部屋に戻りなさいって言ってるのよ、ゼンラ!!! これ以上私をイライラさせて、暴力を振るわせないでちょうだい」
ゼンラは、溢れそうになる涙を必死に飲み込んだ。目が真っ赤に充血している。
「う、うん……ママ、ごめんなさい」
「……」母親は返事すらしない。
ゼンラはトボトボと階段を上り、自分の部屋へと向かった。母が、長男と同じように自分の絵を喜んでくれると本気で信じていたのに、自分の存在価値はどこにもなかった。
「ママ、ただいま!」
玄関のドアが開き、アルビルの声が響いた。ヴィナはさっきまでの冷酷さが嘘のように表情をパッと輝かせ、ソファから立ち上がって息子に出迎えた。
「お帰りなさい、アル坊! 疲れたでしょう?」
階段の途中でその光景を目にしたゼンラは、足を止め、二人の会話に耳を澄ませた。
「ううん、そんなに疲れてないよ、ママ。でも、今日の学校のバスケの試合、クラス対抗戦で負けちゃったんだ」
「あらあら、いいのよそんなの! 勝負なんて勝つ時もあれば負ける時もあるんだから、落ち込まないの!」ヴィナは愛おしそうにアルビルの髪を優しくなでた。
「あ、弟のゼンはもう帰ってる? ちょっと一緒にゲームでもしようかなって」
「もう部屋に戻ってるわよ。そんなことより、アル坊は疲れてるんだから早く自分の部屋で休みなさい。いい? 今夜もまた大きなコンサートがあるんだからね」
「あのさ、ママ……たまには一日だけ休みをもらえないかな? さすがにしんどいよ……」
「ダメに決まってるでしょ!! もしあなたが休んだら、すぐに他の誰かがあなたのポジションを奪いに来るんだからね! プロとしての自覚を持ちなさい、アル坊!!」
アルビルは母親の剣幕に圧倒され、小さくうなずくしかなかった。
「……部屋に戻るよ」
アルビルが疲れた足取りで階段を駆け上がってくる。ゼンラは慌てて自分の部屋のドアを開け、兄に見つかるギリギリのタイミングで中に飛び込んだ。
バタン!
荒々しくドアを閉め、ゼンラは扉に背中をもたれかけさせ、膝を抱えた。
「よ、よかった……兄ちゃんに見つからなくて……」
小声で呟き、靴を履いたままベッドに倒れ込む。
「俺って本当に役立たずなんだな……。兄ちゃんはいつもママとパパの期待に応えようと頑張ってるのに、俺は……ただ家族の重荷でしかないんだ」
その日のゼンラは、とことんツイていなかった。放課後に校庭で友達とサッカーをしていた時、誤って校長先生の特にお気に入りのピンクの植木鉢を蹴り飛ばして粉々にしてしまったのだ。しかもよりによって教員たちが即座に両親へ連絡を入れたため、怒られる恐怖で彼の心臓はバクバクだった。
「おいゼンラ、どうしたんだよその死んだ魚みたいな顔は? まるで本物の変質者みたいだぞ!」
親友のレオがからかうように声をかけてきた。
レオは、ゼンラとは対照的に完璧な男だった。成績は常に学年トップ、モデル並みに高身長で、学校中の女子から黄色い歓声を浴びている。一方でゼンラは生徒会長を務めているものの、身長はレオの肩あたりまでしかなく、周囲からは「可愛いマスコット」扱いされることが多かった。生徒会で重い荷物や力仕事が必要になると、みんな自然と副会長のレオを頼る。ゼンラに回ってくるのはいつも雑務ばかり。おいおい、いくら何でも俺を子ども扱いしすぎじゃないか?
「うるせえよレオ。これ以上ふざけたら、お前のその口を靴紐で縫い付けてやるからな」ゼンラが精一杯の悪太郎フェイスで睨みつけるが、レオはケラケラと笑うだけだ。
「その顔で威嚇しても、小動物が怒ってるようにしか見えなくて可愛いだけだぞ。まったく、お前の親は一体普段どんな栄養のあるものを食べさせてんだ?」
「普通に米食ってるわ! 草でも食ってると思ったのかこのバカ!」
「まあまあチビ助、冗談だっての」
「誰がチビ助だ! おい電柱野郎! 俺の背が低いからって調子に乗りやがって、そのうち絶対にお前を追い抜いてやるからな!」
「はいはい、それ何百年後の話?――っと」
「ガヴィン・ゼンラ・プラタマ君」
職員室から出てきた生活指導の教師が、ゼンラの名前を呼んだ。
「はい先生、何か……?」
「中に入りなさい。君の『母親』がもう来ている」
(えっ、本当にママが来たのか? どうせ俺の卒業式の時だってお抱えの運転手が代理で来たってのに……)
ゼンラは内心冷や汗を流しながら職員室の扉を叩いた。
職員室の中は、異様なほど重苦しい静寂に包まれていた。
ヴィナは気品たっぷりにソファに腰掛け、顔の下半分を隠す黒いマスクと、ブランド物のオーバーサイズサングラスを着用したままだった。他の生徒の親たちに「ダニンドラの妻」だと気付かれることを極度に嫌っていたからだ。
「この度は、本当に申し訳ありませんでした、奥様……。実はゼンラ君、当番の最中にうっかり校長の植木鉢を……」担任の教師が青い顔をして平謝りする。
ヴィナは優雅にうなずき、完璧にコントロールされた上品な声で言った。
「構いませんよ先生。子どもがやったことですし。弁償金はいくらですか? 今すぐそちらの口座に振り込みますので」
あまりにも冷静で、完璧すぎる対応だった。隅っこで縮こまっていたゼンラは、思っていたよりも怒鳴られなかったことにホッとした。
(あれ……ママ、怒ってないのか? もっと「役立たずが!」って怒鳴られると思ったけど……)
「い、いえ、弁償なんてとんでもありません! 今回は私どもの方からも注意しておきますので、お金は結構です……」
「いいえ先生、うちの息子が周囲に迷惑をかけたのは事実です。それに、これ以上の時間のロスは私のスケジュールにも響きますので」
ヴィナは手際よくスマホを取り出し、画面を数回タップした。
ピンポーン!
「たった今、学校の口座に送金手続きを完了させました」
教師はあまりの素早さに言葉を失った。
「そこまでしていただく必要は……」
「結構です。それでは失礼しますね。――ゼンラ、立ちなさい」
ヴィナは立ち上がると、ゼンラの腕を容赦なく掴み、力任せに引っ張って学校の駐車場へと連れ出した。
高級車の後部座席に乗り込み、完全に密閉された防音の車内に入った瞬間、仮面が剥ぎ落ちた。
ヴィナはゼンラの髪の毛を思い切り掴み、ねじり上げた。ゼンラが痛みに顔を歪める。
「お前、いい加減にしなさいよ!!」ヴィナの甲高い声が車内に響き渡る。
「一体どういうつもりで私に恥をかかせるのよ! こんな底辺の学校に私が足を運ばなきゃいけないなんて、全部あんたのせいじゃない!」
「ママ、痛いよ……! わざとじゃ――」
「黙りなさい! お前は本当に救いようのないゴミ屑ね! お兄ちゃんみたいに何の取り柄もないし、私にこんな安物の植木鉢の始末で無駄足を踏ませるなんて! こんなことなら、生むんじゃなかったわ……最初から産婦人科の時点で処分して、アルビル一人に集中していれば、私のこの美しいスタイルも崩れずに済んだのに!!」
ゼンラはただ下を向き、制服の裾を強く握りしめることしかできなかった。冷え切った高級車の車内は、学校の職員室よりもはるかに孤独で、凍てついていた。
「降りなさい。私はもう帰るから。次に何かやらかしたら、二度と私に連絡してこないで。死にかけても一人で勝手にしなさい。めんどくさい……」
ゼンラは静かに車を降りた。彼が扉を閉めた瞬間、高級車は容赦なく急発進し、彼の視界から走り去っていった。そのあとに残されたのは、冷たいアスファルトの上で一人立ち尽くすゼンラだけだった。
それから一週間後、似たような事件が再び起きた。しかし今度は、場所が変わって長男・アルビルが通う超エリート校でのことだった。
なぜ兄弟で別の学校に通わされているのかといえば、世間に「ダニンドラ家には隠し子の足手まとい(ゼンラ)がいる」という事実を知られたくなかったからだ。アルビルは何度も「弟と同じ学校に通いたい、一人にしておくのは心配だ」と両親に直訴したが、親はそれを一蹴していた。
今回の事件の発端は、アルビルのほうがよっぽどタチが悪かった。
バスケットボールの試合中、他校の生徒がアルビルの通う学校の名誉を侮辱したため、激昂したアルビルがその生徒と殴り合いの喧嘩になり、相手の理事長の息子の鼻を骨折させてしまったのだ。
校長室に呼び出された父親のダニ和と母親のヴィナは、先週とは打って変わってマスクもせず、堂々と自分たちの特権階級の身分を誇示していた。
「アルビルがやったのは、学校の誇りを守るための正当防衛です、先生」アビが威厳のある低音で言い放つ。
「うちの子はバスケ部のキャプテンとして、強いリーダーシップを発揮しただけです。学校の尊厳を守るために多少の暴力が出るのは、男の子なら当然のことではありませんか?」ヴィナも気高く微笑む。
校長は青ざめるどころか、媚びへつらうように何度も深く頷いていた。
「も、仰る通りでございます、ダニンドラ様! アルビル君は当校の至宝ですからね。今回の件は、形だけの厳重注意ということで処理しておきますので!」
アビとヴィナは満足そうに頷き、学校側がいかにアルビルの功績を褒め称えたかを誇らしげに語りながら、余裕の笑みで帰路についた。
帰りの高級車の車中――。
アビは助手席から振り返り、息子の肩を誇らしげに叩いた。
「よくやったぞ、アル。男ならそれくらい牙を剥かなきゃな。我がダニンドラの血筋をナメさせちゃいかん。相手の始末はすべてパパがつけておいたから、もう心配いらんぞ」
アルビルは窓の外を流れる夜景をぼんやりと見つめながら、心の底から冷めていく 感覺を感じていた。
(昨週、ゼンラはただの植木鉢を割っただけでママにあんなに引きずり回されて罵倒されたのに……。俺が人をボコボコにして骨折させたら、パパもママも「よくやった」って褒めるのか?)
アルビルは深く息を吐き出した。彼には痛いほど分かっていた。両親が愛しているのは「自分という人間」ではなく、「ダニンドラの看板を背負って稼ぎ続ける『アルビル』という名の最高の商品」でしかないということが。
そして同時に、胸の奥がチクチクと痛んだ。
――なんで、罪もない弟のゼンラがあんな扱いを受け続けなきゃならないんだ?




