時の花嫁と滅びの竜14
大地の乙女よ
緑の大地そのものよ
豊かな髪は麦の穂の実り
流れる乳は恵みの水
柔らかな息吹は大地を渡る風
あなたのすべてが、我らの恵み
我らはあなたに生かされている
今ここに、大地を守る者が立つ。
願わくは、その者を汝の夫として受け入れ給え。
大祭司が祝詞を高らかに詠いあげると、マリアは白い薄革の礼装靴を脱ぎ、裸足になった。
柔らかい土と草の感触を確かめながら、聖なる石へ歩み寄り、手を置く。
一、二、三、四、五。
マリアはゆっくりと振り返り、 王子のもとへ戻った。
王子の前に立つと、 大きく息を吸い、 低く、威厳のある声で問う。
「そなたは、我が大地を守るか。」
王子は答える。
「守ります。」
参列者は、祝福の口づけの瞬間を待った。
マリアは覚悟を決め、王子に一歩近づいた。
ベールが揺れる。
王子がわずかに顔を傾けた。
その瞬間――
「ちょっと待ってください!」
マリアが、視線を上げた。
「……メルティ?」
メルトが、参列者の列から抜け出した。
参列者たちは誰も動かなかった。視線だけが一斉に声の主へ向く。
誰もが、何が起きているのかわからない。
メルトはマリアのもとへずんずんと歩いて行って、その手を掴むと宣言した。
「姉さまは渡さない。僕が守るんだ!」
途端に、世界が白い光で覆われた。
丘の草も、参列者の影も、王子の鮮やかな緑のストールも、すべてが眩しい光に溶けていく。
音が消えた。
風が止まった。
ただ、聖なる石とマリアだけが、はっきりと見えた。
「何これ。僕、緊張し過ぎで、どうにかなっちゃったみたい。」
白い世界の中で、メルトとマリアの二人きり。自分の声が、やけに大きく響く。
戸惑っていると、マリアが低く、威厳のある声で問う。
「そなたは、我が大地を守るか。」
メルトは瞬いた。
「まだやるの?」
見ると、マリアの目の焦点が合っていない。
マリアは、同じ声、同じ間で、 もう一度繰り返す。
「そなたは、我が大地を守るか。」
白い世界が、呼吸を止めたように静まり返る。
「……うん。はい、守ります。」
マリアはメルトに顔を近づける。
「な、何?」
ドギマギするメルトに唇を落とした。
次の瞬間―― 白い世界が弾け飛んだ。
丘の上の風が戻り、 草の匂いが押し寄せ、参列者のざわめきが一気に押し寄せた。
メルトは、ぱちぱちと瞬きをする。
ヒュウ、と風を切る音がした。
身構えると、 空からまっすぐ何かが落ちてきて、メルトの前の地面に突き刺さった。
「ぎゃぁ!?」
見たことのない剣だった。
鏡のような白銀の刃に、くすんだ金色の柄。丘の稜線のような浅いカップには、銀の粒が雨のように散り、砕かれた緑の宝玉が、麦粒のように点々と埋め込まれていた。
メルトは剣を引き抜いた。
「メルト。どういうつもりだ。これは私に対する重大な裏切りだ。」
王子の声が冷たく響いた。
口元を、きゅっと結んだメルトの顔が剣に映った。
「殿下は、姉さまを守らない。
殿下が欲しいのは、姉さまじゃなくて、王様の冠。」
殿下の顔が強張る。
「殿下、昔、僕に言ったよね。 なんで私には剣をくれないんだって。」
白銀の刃が、夏の太陽を跳ね返している。
「これは大地の女神の剣だ。 この剣と姉さまを交換しよう。」
剣を差し出した。
メルトは神の特別で、自分はそうではない。
そう突きつけられているようで腹が立った。
王子は差し出された剣を奪い取ると、 そのままメルトへ刃を向けた。
「大地の剣も、聖女も渡しはしない。」
周囲の兵たちも、一斉に剣を抜いた。
金属の音が、丘の上に重なって響いた。
刃という刃が、メルトに向けられた。
マリアがメルトの腕を掴んだ。見れば目に光が戻っている。
「姉さま……どうしようか。」
メルトが困ったように言った。
「バカね。こうなることくらい、わかりきっていたでしょうに。」
「それは、そうなんだけど。」
マリアは王子をまっすぐ見据えて言った。
「散々奪っておいて、まだ奪うのですか?
王族こそ守り人に刃を向けてはいけない。
結局、殿下も、陛下も、公爵家も家門も、みんな同じね。
この世界は守り人のお人好しで成り立っているの。建国の初めから、ずっと。
でも、そう言う私も奪う側だった。」
王子は―――
メルトから自由を奪った。
音楽を奪った。
公女を奪った。
心当たりがありすぎて、剣線を外した。
王の怒声が飛んだ。
「き、斬って捨てよ!」
兵士たちが一斉に動き、刃が光を返しながら押し寄せる。
マリアは、人波を見つめたまま呟いた。
「なんて恩知らずなのかしら。
……こんな世界、滅んでしまえばいい。」
「え?」
らしくない言葉にメルトは耳を疑った。
今度は、はっきりと言い放った。
「こんな世界、滅んでしまえばいい!」
声は風に乗って、丘中に届いた。
王子は躊躇った。
このままメルトを斬るべきか、
それとも兵を押さえるべきか。
式を台無しにされたのに、それでも躊躇っている。
父のようになりたいと思いながら、 父のように冷徹な判断はできず、
父は正しいと信じながら、 疑問を持たないこともできない。
メルトはマリアを見つめ、それから微笑む。
「もう。守れって言ったり、壊せって言ったり。
でも、わかった。
姉さまが望むとおりにしよう。」
「え?」
意味が分からず、マリアは瞬きをした。
「姉さまが世界を壊したいというならそうしよう。そして新しい世界を作ろう。」
メルトは王子に向かって言った。
「殿下。僕は殿下のことも好き。
だから、僕が殿下を建国の王にしてあげる。ん?中興の王かな?
一緒に頑張ろう。」
王子は怪訝そうに眉を寄せた。
「だから急いで準備して。 僕たちは先に行っているから。」
メルトは軽く右手の甲を陽光にかざした。
「おいで、ルル。」
ルルは、メルトとマリアを背に乗せると、しなやかに背を沈め、地面を強く蹴った。
「止まれ!」 兵士が槍を構える。
ルルは速度を落とさない。
そして、まるで地面など存在しないかのように跳ね上がった。
「えー!?」
兵士たちの頭上を、白銀の毛並みが陽光を弾きながら軽々と越えていく。
長い尻尾が大きくしなり、 空気を切った。
「反則だろうー!」
王子が叫んで笑った。
ルルの背で、マリアが叫ぶ。
「メルティ、落ちないように気を付けて!」
「それ、僕に言う!?」
メルトはマリアが落ちないように、 腰に手をまわした。
眼下では、兵士たちが一斉に空を見上げている。
驚きと、ほんの少しの羨望を混ぜた顔で。
ルルが着地すると、 大地が震え、土埃がふわりと舞い上がった。
そのまま、もう一度跳躍する。
マリアの髪がほどけて風に靡き、メルトの外套が大きく翻る。
戴冠式は完全に終わった。
王冠を戴くはずだった者も、祝福を授けるはずだった大祭司も、この国の歴史に残るはずだった荘厳な一日も。
全部置き去りにして、白銀の聖獣は丘を駆け抜けていった。
結婚式で好きだった人に攫われるの、女子の憧れですよね。
もうわかっていると思いますが、タラの丘風です。
実際はキスだけではなかったようですが、そこはファンタジーですし、メルティですから。




