時の花嫁と滅びの竜10
マリアの魔力切れをどうにかしたい。
そう思ったメルトは、妖精オスカーを頼ることにした。
トネリコの木を使って、メレオロイデス教会の湖畔の林に出た。
木から降りて、ふと立ち止まる。
「……あれ?」
オスカーの今の寝床を知らない。
まさかカタリナと一緒に女子寮で寝ているということはないだろう。
取り敢えず、この前会った湖の畔へ向かった。
木々を抜けると、湖が見えた。湖は鏡のように静かで、天の星々を映している。
見上げても星。
見下ろしても星。
星空が上にも下にも広がって、その真ん中に一人立っているような、足元がふわりと浮く奇妙な感覚がした。
「オスカー?」
呼んでみたが、返事はない。
どうしたものか――ローズなら知っているかもしれない。
そう思った瞬間、声がした。
「ダーリン。会いに来てくれたの?」
本当に、どうしてわかるんだろう。メルトは不思議に思う。
ローズは隣にしゃがみ、顔を覗き込んだ。
「こんな時間に来てくれるなんて、期待しちゃうかも。」
メルトは、なんとなく視線を逸らした。
ローズと会うと僕は何か変だ。会えばすごく好きな気持ちになる。
でも、離れれば、急な用事がないと会いに行かない。
ローズの好きな気持ちを利用しているだけな気がして後ろめたい。
「そうじゃなくて……オスカーに会いたいんだ。」
ローズは内心クスリと笑う。
あの妖精は、本当に、いい拾い物だった。
「また何かあった?」
「……姉さまが、魔力切れで倒れたんだ。」
「あぁ、マリア様。
王妃様になられるのよね。心からお祝い申し上げるわ。」
ローズは機嫌よく立ち上がり、湖の真ん中に向かって声を張った。
「スリン!オスカーはいる?」
湖の中央で、ぽこり、と水がわいた。
一つ、また一つ。泡が増え、水面が盛り上がり、人の形になった。
長い髪は水面に広がり、衣は淡い光を含んでいる。
女神は微笑みながらナイスミドルな妖精を差し出した。
「探しているのは、この子?」
「違います。」
オスカーは即答し、狸寝入りを決め込んだ。
「違わないでしょうが!」
ローズはオスカーをさっさと受け取った。
「スリン、ありがとう。」
女神は解けて水面に返った。
「起きて。ほら、起きて。」
ローズはぺしぺしとオスカーの頬を叩く。
「痛い、痛いって!」
「こんな時間にごめんね、オスカー。またお願いがあるんだけど。」
メルトが申し訳なさそうに言う。
「本当だよ。人が気持ちよく寝ていたのに。今度は何だ。」と不機嫌そうなオスカー。
「姉さまが魔法を使い過ぎて倒れちゃったんだ。いい薬はない?」
「魔力切れは、いっぱい食って、いっぱい寝ればそのうち治る。」
面倒くさそうに言った。
「じゃあ、魔法の素が増える薬はない?」考えなしに聞いた。
オスカーはメルトに冷ややかな視線を向けた。
「お前のように異界のものを食べ続けて、体ごと作り変えたいってことか?」
それで僕は死にかけた。
「ダメ。それは絶対にダメ。」
本当にしなくちゃいけないことは、魔法を無限に使えるようにすることじゃない。
「……やらなきゃいけないことは、わかってる。
ありがとう。話せてよかった。」
メルトはゆっくり立ち上がった。
オスカーはネトルとローズヒップと何やかやの入った茶葉をメルトに渡した。
なんだかんだ言っても、オスカーは優しい。
オスカーが異界との狭間に滑り込むのを見送って、メルトはローズとトネリコの木へ向かった。
「ねぇ、ダーリン。私、今回も役に立った?」
ローズの言葉がメルトの罪悪感を深める。
「いつもごめん。」
ローズはメルトの前にぴょんと立ちはだかり、
「じゃぁ、ハグして。」と手を広げた。
いっぱい助けてもらっているのに何も返せていない。
ローズが望むなら……ハグをした。
「ありがとう、ローズ。」
どこか気持ちがザラザラした。
ローズはメルトの体に腕をまわす。
「ねぇ、私、期待してもいいかな。」
メルトは言葉に詰まった。
求められている答えはわかる。
「ごめん。僕の結婚相手は魔法使いじゃないとダメなんだ。」
「マリア様は王妃様になるんだわ。」
「そうだね。でも、僕にはまた別の魔法使いが宛がわれるんだ。」
「もう決まってるの?」
「まだ知らない。
僕のことは僕では決められないんだ。」
「ダーリンはそれでいいの?」
「…わからない」
僕を取り巻く複雑な状況の中に、自分の感情を入れていいのかわからない。
「ねぇ、全然幸せそうに聞こえない。
いい子ちゃんは止めにしましょう?」
僕がいい子?悪い子だよ。僕のせいで多くの人が振り回されている。
ローズはメルトの頬に触れた。
「あなたは、マリア様や他の人が作った見えない檻に囚われている。
でも、本当は、そんなものはどこにもないの。
あなたはもっと自由で、世界はもっと輝いている。」
ぐるぐる考え始めたメルトにローズが耳元で囁いた。
「ねぇダーリン。あなたがいなくなっても世界は回っていくの。
だったら――もっと好きに生きましょう?」
ローズの指先がメルトの指を絡め取った。
「私があなたを自由にしてあげる。
全部忘れさせてあげる。」
ローズは大人のキスをした。
頭の奥が痺れる。
考えることを止めて、このまま快楽に身を任せれば、どれほど楽だろう。
胸の奥で何かが揺らいだ。
メルトは抗うことを止め、目を閉じた。
――もう、戻れなくてもいい。
ローズの指先がそっと首筋をなぞり、メルトの体がビクッと震えた。
手にしていたハーブティの袋がガサッと音を立てて落ちた。
はっと我に返る。
「ご、ごめん。僕、何してるんだろう。姉さまに届けないと。」
顔が熱い。 ローズの顔を見ることもできず、トネリコの木に飛び込んだ。
背後でローズが、かすかに笑った気がした。
「ふふーん。あともう一押し。」
ローズはぺろりと舌なめずりをした。




